第7話「タイイの名のもとに」

 それは中休みのことだった。

 日陽ヒヨウいづるは図書室にぶらりと顔を出し、有志が持ち寄って揃えたライトノベルの棚なんかを冷やかしていたのだ。

 意外といえば意外で、当然といえば当然……小説媒体ノベライズのガンダムも、ある。

 改めていづるは、ガンダムという巨大コンテンツの奥深さを思い知らされた。


「でも、なにを読んだらいいかわからないんだよね。……ん? あれは」


 生徒たちが行き交う中、廊下でいづるは見知ったアホ毛が正面から歩いてくるのを目撃する。

 大きなバインダーや冊子を手に山積みにして、ふらふらと歩いてくる女生徒。その、かろうじて見える頭に、Vの字にアホ毛が揺れていた。

 周囲は顔が見えないから気付かないが、いづるにはすぐわかる。

 あれはいづるの意中の人、阿室玲奈アムロレイナだ。

 普段なら擦れ違う誰もが挨拶をする学園のヴィーナスも、今は荷物にその美貌を遮られていた。そして、その足取りはなかなかどうして危なっかしい。


「阿室先輩っ!」


 慌てていづるは駆け寄り、そっと荷物に手を添える。

 うず高く積まれたなにかの資料がグラグラと揺れたが、いづるが支えると安定した。

 そしていづるは、やわらかな温もりを手に感じる。

 荷物を支えるべく底から持ち上げた手が、すべやかな肌に触れていた。


「あら、いづる君。助かったわ」

「い、いえっ! あの、持ちます、阿室先輩」

「あ、ありがと。……ふふ、流石は私の友達ね。さらにできるようになったわ、いづる君」

「? え、えと……とりあえず貸してください、阿室先輩」


 いづるは玲奈から荷物をそのまま全部引き受けようとして、よろける。

 玲奈はなにも言わずにじっといづるの顔を見詰めつつ、分厚いバインダー等の半分をそっと自分の手に戻した。

 そうして並んで歩くと、今度は嫌でも注目を浴びてしまう。

 誰もが振り返って、麗しの生徒会副会長と、その横で荷物持ちの従者じゅうしゃみたいになってるいづるに奇異の視線を放ってきた。こういう時、いつもいづるは居心地が悪い。

 だが、玲奈は慣れているのか気にしないのか、まだいづるに眼差しを注いでいた。


「あ、あの……阿室先輩、なにか……? ぼ、僕の顔になにかついてますか? 阿室先輩?」

「それよ、いづる君!」

「……は?」

「いづる君、私のことは阿室先輩って呼ぶでしょ」


 ふと、玲奈はぐいといづるに顔を近付けてくる。

 精緻せいちな作りの小顔が目の前にあって、真剣な表情だ。

 思わずのけぞるいづるは、玲奈の通りのよい美声にうっとりとした。


「みんなと同じ阿室先輩はダメよ、いづる君。いづる君は私の友達なんだから」

「は、はあ……じゃ、じゃあ、例えば? その」


 玲奈は少し考え込むように小首をかしげて、それから笑顔になった。

 そしていづるは、とんでもない一言にこじらせた思春期を総動員させられる。


「そうね……大尉たいい。大尉がいいわ」

体位たいい!? そそそそ、そっ、それは! あの、阿室先輩!」

「だからね、いづる君。大尉って……阿室大尉って呼んでみて?」

「い、いや、そんな体位だなんて!」


 言葉の擦れ違いがあって、文字で見るより声で聴こえるやりとりの中に誤解が生まれてゆく。二人の中で同じ発音が違う漢字を結んで、さらに勘違いが加速していった。


「大尉って、凄いのよ。みんな最高だったわ」

「体位……最高……」

「私、好きなのよね。サウス・バニング大尉に、クワトロ・バジーナ大尉でしょ、それから」

「え、英語で言うと、ななな、なんか……卑猥、じゃない! 官能的です、体位」


 突然の猥談わいだんにいづるはどぎまぎとした。

 楚々そそとして可憐で涼やか、爽々さやさやとした玲奈が「タイイ」と発音する度……その口から零れる「タイイ」の声音に「体位」の文字を重ねる度、奇妙な興奮がいづるの中を駆け巡る。


「いづる君はどの大尉が好きかしら?」

「へっ? あ、ああ、それは……その、経験なくて、よく知らなくて、ゴニョゴニョ」

「あら、そうなの。私は全て知ってるつもりよ」


 平然としている玲奈に、いづるは大人の女性を感じた。

 一つ年上の先輩が、既に少女の殻を脱した女の雰囲気をまとっているかのように錯覚した。こうもあけすけと、夜の営みに関する話題を平然と話している。そして、それが下品に感じない……堂々としているからか、ある種の気品すら感じられる。

 ならば、友達として乗るしかない……このビッグウェーブに!


「ぼっ、僕は、そうですね! ええと……しっ、しし! し、が、し、が……しがらみ!」

「し? が? ああ、シーマ・ガラハウは中佐よ。でも、よく知ってるわね、いづる君」

「え、えと、そ、そそそ、それじゃあ……む! む、むむ……椋鳥むくどり!」

「む? む……ああ、ムウ・ラ・フラガ大尉ね。いいわよね、私も好きよ。ガンダム同士が入り乱れる戦場を、メビウス・ゼロで駆け抜けてた時期が一番好きだったわ」

「ほ、他には……や、やっぱり、その……ま、まつ、松葉まつばくずしが!」

「ま? まつ……あら! マツナガ! シン・マツナガ大尉ね。そう、白狼はくろうと呼ばれたジオンのエースよ。おひげが素敵よね……私、白って好きなの。そう、白は大好き」


 そして、荷物を持ちつつ玲奈はそっと肩で肩に触れてくる。

 なんだかいつにも増して玲奈がちかしい人間に思えて、しかし少女の内面の複雑さにいづるはドギマギとした。

 なんだか上機嫌で、玲奈は少しはしゃいでいづるに語りかけてくる。


「そういう訳だから、ね? いづる君。ちょっと、阿室大尉って呼んでみて?」

「え? あ、あれ? 体位って……ひょっとして、大尉? 軍隊の階級の」

「あら、他に大尉ってあるかしら?」

「ない! ないです、すみません! なかったことにします!」

「ね、阿室先輩だと他のみんなと同じなんだもの。……いづる君は、特別なんだぞ?」


 また玲奈は、完全無欠の無敵ヒロインの仮面をちょっとだけ脱ぐ。その奥から、年上のお姉さんの顔で、いづるに親しみを込めた笑みを見せるのだ。


「えっと、阿室大尉」

「いいわね……いいわよ、いづる君!」

「阿室大尉!」

「そう、それよ! ねね、それでね、いづる君。ちょっと、耳を……ゴニョゴニョゴニョ」


 不意に玲奈が、いづるの耳に小声を吹き込む。

 それだけでもう、いづるは全身が燃えるように熱くなった。きっと頬は真っ赤になってるだろうし、なんだか呼吸は浅く、鼓動は速くなってゆく。


「ね、ちょっと言ってみて」

「は、はい……阿室大尉」

「うん! うんうん!」

「地下にモビルスーツが隠してある、とくらい言って下さい!」

「いいわね……Zゼータの時代のどこか煮え切らないアムロも好き」

「アムロ大尉、フィフスが地球に向けて加速しました!」

「逆シャアも大好きよ、今度一緒にみましょう。あ、でも……そ、そうね。……うんっ、そうよ!」


 不意に玲奈は、顔をちょっと紅潮こうちょうさせて視線を逸らした。

 よく聴き取れなかったが、小さな声が呟かれる。


「いづる君って私は呼ぶから、その……そ、そうね、いづる君も私のことは……玲奈、って呼んでも、いい、けど……?」

「へ? なにか言いました? 阿室大尉」

「……いいわ、なんでもないの! やっぱりそうね、阿室さんでいいわ。阿室先輩じゃなくてそう呼んで頂戴」

「はあ……あ、ちょっと! 待ってくださいよ、阿室先輩! じゃない、阿室さんっ!」


 不意に脚を速めて、玲奈は行ってしまった。

 その背中を追って、いづるは生徒会室まで資料を抱えてついていった。

 どういう訳か玲奈の耳が真っ赤になっていたが、その意味はいづるにはわからなかった。

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