第2話「始動! 普通のお友達」

 その人は確かに、美しい声で言った。

 お友達でいてくれないかしら、と。

 その後のことを今、日陽ヒヨウいづるはよく覚えていない。ただただ、音楽のような声色に頷き、肯定して、返事を返していた。

 だから今、その時のことをぼんやりと思い出す。

 まず、どうして阿室玲奈アムロレイナのような少女に、今まで普通の友達がいなかったのか。そんなことを話したような気がして、同時に見たこともない表情を思い出す。


『……私の父上がいけないのよ』


 遠い目をして、寂しげに玲奈は笑っていた。

 だが、それも一瞬のことで、彼女はすぐにあの涼やかな笑みを向けてくれた。そして、腰に手を当てグイと豊満な胸を反らし、高らかにいづるに宣言……否、制約をさせたのだ。


『さてっ、いづる君? 今日からキミ、私の友達ね。普通の友達として是非、私に普通の高校生的な生活を教えて頂戴。いいこと? 期待させてもらうぞ?』


 凛々しくもチャーミングな笑顔に、いづるが何度も頷いたのは言うまでもない。

 だが、彼女が言う普通の高校生とは……?

 まるで玲奈が普通ではないような言い草だ。

 勿論、玲奈は普通を遥かに超越した存在だ。この私立萬代学園しりつばんだいがくえんで、彼女を知らない者などいないし、彼女に憧れぬ若者などありえない。男女を問わず皆、学園で最も輝くアイドルに夢中だ。

 そんな彼女に、普通の高校生活を、教える?

 いづるが?


『その代わり、そうね……私もキミにだけ、趣味を打ち明けるわ。いいかしら?』


 異論などあろう筈がない。

 私ってSM趣味なのと言われれば、縛られもするし鞭打たれる、逆も難しいが頑張ろう。犯罪でなければ多少は危ない橋を渡ってもいいし、ゲームでも料理でもなんでもござれだ。人には言えない趣味というから勿論……ちょっと前屈みになってしまう、そんな想像もする。

 だが、そんないづるが最後に覚えているのは、玲奈の優しい笑みだった。


『じゃ、とりあえず今度、そうね……この次の土曜日。私の家に遊びに来て頂戴。……一緒に、!』


 そこでいづるの記憶は途切れている。

 そして気がつけば、最後のホームルームが終わって周囲は慌ただしかった。クラスメイトは誰もが鞄を手に、思い思いの放課後へと飛び出してゆく。ぼんやりしている内に、玲奈への告白をしただけで一日が終わってしまった。

 我に返ったいづるは一人、頭を抱えて机の上に突っ伏す。


「どうしよう……阿室先輩の家に、僕が? それって、友達ですか? ……友達、だよなあ」


 友達の家に遊びに行く、家へと友達を招く……実に自然な流れだ。それが男女であっても、学園のマドンナであっても関係はないだろう。むしろ、ないはずの関係が芽生えるかもしれない。そう思うと胸は高鳴る一方で、小心者のいづるは落ち着かないのだった。

 だが、普通の友達同士は家に呼んだり呼ばれたり……日常の光景だ。

 それを証明する少女が、いづるの机へとぽてぽてやってくる。


「ねね、いづちゃん! いづちゃんってば! ……およ? どしたの、帰らないの?」


 いづるは目だけで声のした隣を見詰めて、それからゆっくり首を巡らす。その間もずっと、だらしなく潰されたカエルのように机の上に広がったまま。

 視界に、どこにでもいそうな普通の女の子が立っていた。

 名は、楞川翔子カドカワショウコ

 いづるの幼馴染だ。


「翔子か……お前、今日も元気そうだな」

「そういういづちゃんはペシャってるね。ペシャーンて。なんかあった?」


 小さな頃から十年来のお隣さん同士、つまり絵に描いたような幼馴染だ。先ほど問題にしていた、家に呼び合う同士の仲である。

 だが、この極普通至極真っ当ベーシックな姿は、もはや量産型を通り越して大量生産型の如き当たり前感をまとっている。いづるが言えた義理ではないが、個性ゼロのミス・モブ日本代表だ。

 短く切り揃えたオカッパの頭。

 少しむっちりめの体つき。

 いつも笑顔、趣味はアニメや漫画、ラノベというチョイオタ娘だ。

 ――と、思っていた。

 この瞬間までは。


「なんかあったよ、あったあった……僕、阿室先輩に告白した」

「ええっ! ちょっとそれ凄いよぉ! ……そっか、それでか」

「お友達でいましょう的なこと、言われた」

「うんうん、わかる。慰めたげるよ、いづちゃん。わたし、今日は夕ご飯作ってあげるね」

「それで……これから友達付き合いをすることになったんだ」

「そうだよねー、友達になったんだよねー……ん? んんんっ?」


 その時、そぞろに教室を出ようとしたクラスメイト全員の耳がピクリと震える。

 連れ立ってカラオケに遊びに行く男子たちも、部活へ出発する女子たちも、誰もが動きを止めた。この瞬間だけ、いづるにはそういうスタンド能力が顕現けんげんしたかのような言葉があった。

 それにも気付かず、滅入ったような困ったような顔でいづるはスマホを取り出す。

 当然、翔子も固まったまま、少女漫画で白目剥いて「おそろしい子……!」っていう顔になってた。


「でさー、翔子。阿室先輩んちに遊びに来いって……土曜日」


 周囲で止まっていた時間は、そして動き出す。

 瞬時に芽生えた殺意と敵意が、振り返る皆の視線に乗っていづるに殺到する。それにも気付かず、クラスメイト全員の共通する敵となったいづるはスマホをいじりだした。


「なんか、ガンダムみようって……お前と同じだな、意外だよ。ガンダム、ガンダムっと。翔子、お前アニメとか好きだろ? ガンダム知ってるか?」

「う、ううん? わたし、ガンダムはあまり見ないから」

「そっかー、少し予習した方がいいかなあ?」

「えっと、アムロとシャーが戦う話? だよ? た、確か」


 いづるはスマホを操作しつつ、ネットの世界へと意識を逃がす。

 ――ガンダム。

 その名を知らぬ若者は恐らく、この日本では少ない。名前だけなら知ってるというのが普通だ。いづるもそういうクチで、小さい頃にみたような気がする。

 だが、余り記憶はない。

 テレビにかじりついていたのは寧ろ、小さい頃から翔子の方だ。

 ガンダムというのがロボットアニメである以外、いづるには知識がなく、そもそも他の作品との区別すらついていなかった。


「エヴァってのとは違うの、かな?」

「えっと、違うかも……パチンコになったりしたやつだよね?」

「マクロス、ってガンダムもあるんだね」

「う、うん……歌うやつだったかなあ?」

「ギアスは、これは? このガンダムは」

「ごめん、ちょっと知らない……わかんないよぉ」

「あ、このガンダムはボトムズだって。これは――」

「アストラギウス銀河を二分するギルガメスとバララントの陣営は互いに軍を形成し、もはや開戦の理由など誰もわからなくなった銀河規模の戦争を百年間継続していたの。その“百年戦争”の末期、ギルガメス軍の一兵士だった主人公キリコ・キュービィーは、 味方の基地を強襲するという不可解な作戦に参加させられたわ。 作戦中、キリコは素体そたいと呼ばれるギルガメス軍最高機密を目にしたため軍から追われる身となり、 町から町へ、星から星へと幾多いくたの戦場を放浪する……その逃走と戦いの中で、陰謀の闇を突きとめ、やがては自身の出生に関わる更なる謎の核心に迫っていくって話だよ? 知らないの?」


 なんだかよくわからないが、色んなガンダムがあることはわかった。

 さして興味はないが、玲奈はガンダムが好きなのだろうか?

 今時なら、女の子だって珍しくはないだろうに……翔子や自分より詳しい女子は沢山いそうだ。スマホで下調べをしつつ、いづるは立ち上がる。


「まあ、ちょっと調べてみるよ。……なに着てこうかなあ」

「力になれなくてゴメンね、いづちゃん。わたしガンダムはからっきしで……キラ×アスとかロックオン×ティエリアとか、あとガトー総受けとか、そういうのしかわからないや」


 テヘヘ、と幼馴染が緩い笑みを浮かべる。

 しょうがないなと、いづるも気を取り直して鞄を手にした。

 この時、まだまだいづるは気付いていない……そして、気付きようもない。世の中でガンダムを好きな女性など星の数ほどいるが、いるにはいるが。玲奈がその中でもとびきりディープなガンダムオタク、いわゆる「ガノタ」と呼ばれる人種であることを。

 ただただいづるは、いつも通り幼馴染を連れて家への帰路につく。

 いつもと違って、ざわつく周囲の険しい視線を浴びているとも知らずに。

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