第3話「先輩んちまでは何マイル?」

 これほどに緊張した朝は、初めてだ。

 好天に恵まれた土曜日、日陽ヒヨウいづるは家から最寄り駅で地下鉄に乗り、30分程で目的地に到着した。

 到着してたことに気付いたのは、さらにその10分後である。

 ずっと右手にあった垣根の向こうに、新緑の季節を待ちわびる庭が広がっている。東京都にもこんな広い庭の家があるんだなと思っていた、その時だった。

 指定された住所をスマホが示しても、その庭は途切れない。

 それどころか、その庭に入る巨大な門が現れたのだった。


「え……あ、あれ? ここ……家? 個人の、家、ですか?」


 つい先ほどからずっと、どうやら目的地の外周をぐるりと玄関まで回り込むように歩いていたらしい。目的地はもう、目の前にあったのだ。

 いづるの友達、そう、友達……普通の友達、ただの友達。

 友達になった先輩の二年生、阿室玲奈アムロレイナの自宅が目の前に合った。

 もはや自宅とか邸宅とかいう言葉が慎まし過ぎて似合わない。

 これはもう、御殿ごてんとか御屋敷おやしきとかいうしろものだった。


「待ってたわ、いづる君。時間ぴったりね。実によろしい……ふふ。さ、入って!」


 インターホンに手を伸ばしたいづるは、門の向こう側から声を掛けられる。

 同時に、鉄格子のような門が開いて、レンガを敷き詰めた道が庭を貫き奥の洋館に続いていた。その道で腰に手を当て仁王立ちで、玲奈が待っている。少しオーバーサイズの長袖を着て、下はホットパンツという刺激的ないでたちだ。


「お、おはようございます、阿室先輩。い、いつからそこに?」

「三十分くらい前からかしらね? 待ちかねたぞ? いづる少年。乙女座の私にはセンチメンタリズムな運命を感じられずにはいられないわ」


 いづるを連れて玲奈は「まあ、私は獅子座のAB型なのだけど」と、訳の分からないことを言いながら歩き出す。少し後ろを歩くいづるは、どんどん別世界へと引き込まれる自分に緊張感を禁じ得ない。

 スーパーヒロインである玲奈の、これまたスーパー系の実家へと二人は脚を踏み入れた。


「お邪魔、します。あ、阿室先輩。これ……その、手ぶらも、変かなって」

「あら。気を使わせたかしら? 普通のお友達同士でも、こうした儀礼的なやり取りがあるのね。ちょっと、意外」

「あ、いや! まあ、その、人それぞれというか」


 いづるは玄関で靴を脱ぐ前に、手にした紙袋を差し出す。

 お呼ばれしたのだからと、幼馴染の楞川翔子カドカワショウコが持たせてくれたものだ。彼女の料理やお菓子作りの腕は確かで、両親が長らく家を開けてるいづるは頻繁に御馳走になっていた。


「クッキーらしい、です。その、ささやかです、けど」

「いづる君、キミが?」

「いえ、家族……のような者が」

「あら、このクッキー! 見て、ハロの形してるわ。やるわね」


 ずらり並んだメイドの前で、サンダルを脱いだ玲奈は早速ラッピングを開封して、嬉しそうに微笑んだ。こういうところはもう、普通の少女以上に自然体だ。なにをおいて彼女を、普通ではないと言わしめる要素があるのだろうか。

 そうこうしていると、玲奈はお茶の指示を出しつついづるを連れて奥へ。

 自宅十軒分くらいの距離を歩くと、個人の邸宅には不釣り合いな程に荘厳な扉が現れた。だが、ここはあの玲奈の家……なにがあっても驚かない。

 中へと当然のように入る玲奈に続いて、恐る恐るいづるも続く。


「あ……凄いですね。ホームシアター……ってレベルかなあ? 映画館だ」


 そこは小さな劇場になっていた。銀幕へと向けられた座席が30席ばかし、ちょっとした映画館くらいの規模だ。パタパタと忙しそうに動き回っていたメイドが二人、お辞儀をして出てゆく。その背を見送っていると、


「いづる君、座って」

「あ、はい」


 妙な居心地の悪さに、思わずいづるは端っこの椅子に腰掛ける。普通の映画館より随分とゆったりとした椅子で、座り心地も適度にふかふかで気持ちいい。


「もっと真ん中に座ったらどうかしら?」

「い、いやぁ……なんか気後れしちゃって。そ、それに、ほら、あれです。庶民! 僕、庶民なんで……庶民感覚的に、ここかなあと」

「そ、いいわ。……たまにはその角度から見るのもいいかもね」


 そう言うと、玲奈も躊躇ちゅうちょなくいづるの隣に腰掛ける。

 広いホームシアターの隅っこに、二人並んで仲良く腰掛けた。


「角度って大事よ、いづる君。私たちはね、そう……私みたいな人種はこだわるの。角度とか」

「は、はあ……あの、それより、阿室先輩」

「ん? どしたの」


 妙だ、変である。

 椅子に座った玲奈は、両の肘掛けを占領している。それは別に構わないのだが、なぜかこう……肘掛けを握りしめている。そして座り方も、何故か微妙に前屈みというか、前のめりだ。

 そのことを素直に伝えたら、ちょっと気恥ずかしそうに玲奈は笑った。


「ああ、つい癖で。ダメよね、もう……椅子に、座席に座るとつい、アームレイカーを握りたくなるの」

「ア、アーム、レイカー?」


 なんだかプロレスの必殺技みたいな名前だが、なんだろう。

 だが、ようやく玲奈は普通にゆったりと背もたれに身を沈めた。


「あ、そっか……ユニコーンの時代、UC0096にはアームレイカーは不評だったから、一部の機体は操縦桿スティックタイプなんだわ。いづる君はそっち? 操縦桿タイプ?」

「え? ス、スティックって」

「握りよ、アームレイカーはショック時に手がすっぽ抜けるって一部のパイロットに不評なの」


 訳がわからない……スティック? 握る?

 それって……自ずといづるは、右手がなにかを握るような手つきになってしまう。

 下腹部のあたりで。

 自分で無意識にとったポジションは、左手に持つグラビア雑誌等がないことで正気に戻った。

 だが、不自然なポーズで固まったいづるを、玲奈はじっと見詰めてくる。


「あ、いや、これは! そ、そう! スティック……じゃなくて! ぼぼぼ、僕も、その、ガンダムブレーカー? そっちです、そっち! スティックをニギニギなんてしたこともない!」

「アームレイカーね。……ふふ、変ないづる君。ああでも、私またやっちゃった……注意してないとつい、知らない人にもガンダムの話を。これが若さ、かしら?」


 その時、本物の映画館さながらにブザーがなって、辺りが徐々に暗くなる。背後でメイドさんが静かに行き交う気配があって、完全にあたりは闇に包まれた。

 そして、銀幕にタイトルが映し出される。


「これ、1stの劇場版三部作なの。まず最初だし、ね?」


 微笑む玲奈の顔を、銀幕からの淡い光が照らす。

 画面には大きく、機動戦士ガンダムの文字が映り込んでいた。

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