第4話 人魔の食卓と坊主な鍛冶屋

 良い匂いがして、目が覚めた。志鶴が作るクリームシチューの美味しそうな匂い。

「あら、今起こそうと思っていたのよ。よく眠れた?」

「……お腹すいた」

「うふふ、じゃあ夕飯にしましょうか」

 白いエプロンを着けた志鶴が嬉しそうに笑う。テーブルには三人分の用意がされていた。俺、志鶴、そして、

「ただいま戻りましたー! 志鶴さんお腹すいたー! あ、ヨッシーさっきぶりだね」

 六角先輩。彼は志鶴の側近の上級魔物、つまり魔人だ。カフェの店長、龍之介さんも正体を知った上で雇っている。あの人に関しては金の前では完全に人魔平等だから、彼が何者でも関係ないのだろう。

 見回りから帰ってきたばかりの先輩はバイトの時の姿とは違って、まだ鬼化した状態だった。

「先輩、怖いんで早く人化してくださいよ」

「またまたぁ、全然怖がっていないくせに。まぁ、するんだけど」

 先輩曰く、人化した状態の方が美味しく食事が出来るらしい。舌の構造が人間とは違うのだろう。するすると長い髪が肩辺りまで短くなる。黒い硬い肌が人肌になる。金色の、いつ見ても惚れ惚れするような角は、二本とも先から煙になって消えた。

「先輩、瞳が金色のままです」

「あれ? ……ほいっ。どうよ?」

「黒くなりました」

「いつもどこか忘れるんだよね」

 あはは、と頭をかきながら笑う。

「それは、あなたがお馬鹿さんだからよ。さぁ、食べましょう。冷めちゃうわ」

 魔王と魔人と食卓を囲むなんて、普通の人間が聞けば卒倒するだろうし、俺がメインディッシュかと思われるに違いない。俺は週に何回かは魔王城で過ごすことにしていた。

 夕飯後、六角先輩の報告を志鶴と聞いた。先輩が勇者殿を蹴り飛ばしたと聞いて、思わず我を忘れて踊り出すところだった。勇者ざまぁ見ろ! いや、勇者殿がぶん殴られて喜んでいるわけでは断じてない。思わず立ちあがってしまったが、断じてない。

「あからさまに喜ぶね、ヨッシー。仮にも幼馴染みだろうに」

 先輩がそう言って笑うから、こほん、と咳払いをして椅子に座り直す。

「十六年分、奴が起こした面倒事の話を聞きます?」

「いやぁ、とっても面白そうだけど、遠慮しておくよ。聞いたら胃もたれしそう」

「じゃあ、ここ数年分の勇者殿の後始末の話をしましょうか?」

「そっちも遠慮しておこうかな」

「それは残念。聞きたければいつでも言ってください」

「えーっと、それにしても剣士様には参ったね。鬼の俺でもビビるような顔で斬りかかってくるんだもん。つい力入っちゃったよ。女の子だから痕になってなけりゃいいけど」

 普通の人間で、先輩が強めに殴って痕で済んだらそれこそすごいことだ。確実に大怪我してるだろうな。仲間たちはそうでも、勇者殿は無事に違いない。無駄に身体が丈夫だから、きっと明日も懲りずに街をうろついているのが目に浮かぶ。

「あぁ、そうだ。志鶴さん、もう一つ報告。羅刹さんからなんですけど、最近侵入してきているのは第六区域の者だそうです」

「そう。侵入者には罰が必要ね。次の会議の議題が決まったわ」

「そうですね」

 羅刹さんは、鍛冶屋の称号を持つ人間だ。従来の人間の兵器は魔族に効かないが、鍛冶屋の作った武器や防具は効く。そのため、鍛冶屋には人が集まり、情報も集まる。鍛冶屋の多くは情報屋も兼ねていた。

 多くの鍛冶屋は魔族には何も売ってくれない。当然だ。鍛冶屋の武器や情報は、本来魔族に対抗するための手段なのだから。だが、あの人は違った。俺の称号と、魔王との関係を知って近づいてきた彼は、志鶴と魔人である六角先輩には情報を売ってくれるようになった。どういうつもりだろう。「人助けですよ」と言っていたが、そんなわけがない。

「あの人間、何回会っても苦手。何か怖いんだよね」

「あぁ、俺も苦手です。胡散臭いんですよね。助かってはいるんだけど……」

「あ、いつでも来てねってさ。ヨッシーに伝言。『ずっと待っていますよ』ってさ」

「何それ怖い」

 あの人の場合本当に待っていそうで、思わず背筋を悪寒が走った。



「おはよう、みんな!」

「あ! 光弥くん、大丈夫なの?」

「大変だったね」

「まぁ、そういうこともあるさ」

「気を落とすなよ、ヒーロー。お前らは第七区域の希望なんだから」

 翌日、勇者殿は案の定ピンピンしていた。軽い擦り傷切り傷だけって何だ。ちょっとぐらい大人しくなれば良いのに。光弥のハーレムは皆、大怪我で入院中という事で休みらしい。そりゃそうだ、相手は魔人。地面にめり込むぐらい吹き飛ばされれば、普通の人間なら少なくとも骨の一本や二本、ひびが入ったり折れたりする。軽い怪我程度で済む光弥がおかしいだけだ。こいつ、本当に人間かよ。

「みんな、ありがとう。でも、翠も冴江も浅葵も、怪我しちゃってさ。だから俺が仲間の分も頑張るよ!」

 学んでくれよ、勇者。お前らは弱いんだ。仲間の分も頑張るって何だ。なぜそうなる。お前らのパーティで比較的マシな雪村先輩と早瀬でさえ敵わないのに、それより弱いお前が頑張ったところで、二人が抜けた穴を埋められるとは到底思えない。なぜ鍛えるとか、勇者を辞めるとかいう考えに至らないんだ。正義感だけでは勝てない。がむしゃらに魔物に向かっても、力を付けなければ、今のままではいずれ無惨に殺される。

「由影? どうしたの?」

 黙って光弥を見ていると、光弥が人垣の向こうから俺を見て声を掛けてきた。

「お前って本当に……」

「由影……。さては俺のこと心配してくれてるんだな! ありがとう! 由影のことは俺が絶対に守るから!」

 本当に馬鹿野郎だな。

 別に死んでほしいわけじゃないんだ、こんなでも唯一の幼馴染だし。俺の邪魔をしないで、大人しくしていてほしい。安全圏で普通に幸せに学生生活を送っていてくれればいいのに。……魔物をけしかけている俺が言うのもおかしいかもしれないが。



 魔王が支配するようになって、区域同士の交流は絶たれた。僅かにスキル持ちの人間が行き来できるだけで、情報も少ない。

 第六区域の魔物と魔王について知らなければならない。侵入者の正体が第六区域の魔物と分かったのは良いが、それ以上の情報がない。山の多い第六区域は入りにくく、こちらからそこへ侵入して調査するメリットも少ない。そのため情報がなかなか入ってこない。実際に戦ってみて、動物系の魔物が多いことは知っている。だが、その目的は?

 これは気乗りせずとも行くしかないだろう、羅刹さんに会いに。

「いらっしゃいませ、守護者様。君が来るのをずっと待っていたんですよ」

「あの、毎回怖いんですけど」

 真正面から俺を羽交い絞めにし、首筋に顔を埋めるスキンヘッドの男。店の扉を開けた瞬間、目の前に待ち構えていた。なぜ俺が来たと分かった。毎度のことだが未だに慣れない。

 彼が羅刹さんだ。何でも、元お坊さんらしいが、それも本当かどうか……。さっきからすんすんと耳元で鼻息が煩い。おい、匂いを嗅ぐな。

「何が知りたいんです? 由影君になら無料で提供しますよ」

「まず離れてください」

「……食べて良いですか?」

「聞けよ!」

 何を食うつもりだとは、怖いから聞かない。無理矢理引き剥がそうとすると、羅刹さんは首元で深く息を吸った後、名残惜しそうに離れた。なぜこんなにまとわりついてくるのか分からない。

「冗談ですよ、多分」

「多分って何」

 羅刹さんはカウンターに戻った。やっと仕事モードか。

「そうそう、腕輪はまだ大丈夫そうですか?」

「はい。重宝しています」

 服の下、俺の右腕に着いている銀色の腕輪。これは羅刹さんに貰ったものだ。

「お陰さまで、最近は何発も殴らなくても、一、二発で魔物を沈められるようになりました」

「それは素晴らしい。ですが、そんな機能は付けてないんですよ」

 苦笑いする羅刹さん。あれ、腕輪の機能じゃなかったのか。え、じゃあ俺、自力で……? うわぁ、どんどんゴリラスペックになっていく。

「さて、何が知りたいんですか?」

「第六区域について。ってざっくり過ぎるかな」

「了解しました。問題ありません」

 カウンター横のコンピュータに何かを打ち込むと、紙が出てきた。やっぱり情報が少ないのか、二枚しかない。

「さっきも言ったように、君だから無償なのですよ。だから、またいらしてくださいね。待っていますから」

 ひらひらと手を振る羅刹さんはにこやかに笑って、店を出る俺を見送ってくれた。あの人は隠す気があるんだろうか。細められた目は、ずっと笑っていなかった。


 第六区域。

 魔王自身の姿、能力等は不明。しかし動物系の魔族を従えていることからそれに類する形態をしていると思われる。

 犬科動物の姿の魔物が多い。

 低級魔物は四足歩行だが、中級の中には尻尾も使って二足で立つ者、余裕で二足歩行をこなす者が目撃されている。

 上級魔物、魔人の姿は調査段階では一体しか目撃されていないが、その姿は獣人である。

 魔物の知能は上位になるほど上がる。

 人間は第六区域の南方、第五区域近くにバリケードを作り、そこに暮らしている。その辺り以外では人間の姿は見られない。

 人口は魔王襲来以前と比較して、三分の一の数になっている。

 近頃、魔物が他区域に侵入している。主に周囲の第五、第七、第三区域。目的は不明。

 第六区域の魔王が第三区域の魔王と接触したという情報があるが真偽不明。


「面倒だな……」

 そうこぼして守護者は、歯を剥き出して襲ってきた狼の魔物の顔面に拳を叩き込んだ。

「俺、猫派なんだよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る