第3話 魔王は(元)近所のお姉さん
小さい頃、俺と光弥は、よく近所のお姉さんに遊んでもらっていた。その人は美人でとても優しく、俺と光弥を比較しなかった。容姿が整っていて明るく元気な光弥。見た目も性格も地味で取り立てて褒めるべき点が見当たらない俺。周囲の人間は俺たちを比べて、光弥ばかりを可愛がった。
「由影くんはとても良い子。我慢ができる優しい子。だけど、苦しいときもあるでしょう? 言って良いのよ、私には。受け止めてあげるから」
お姉さんはいつの頃か、一人住んでいたアパートからいなくなった。寂しかったけど、それもすぐに慣れてしまった。
第七区域中心街。
今日も勇者たちは魔物討伐に精を出す。魔物たちは、次から次へと湧いてくるからだ。
魔物の姿は区域によって違う。主である魔王の姿に影響されるからだ、と言われている。第五区域は鳥のような魔物が、第八区域は魚のような魔物が、そしてこの第七区域は鬼のような魔物が支配していた。第二区域では龍のようなものが現れたという噂だが、真偽は不明。なぜなら、もう既に第二区域は魔族の餌場となり、人間はいなくなってしまったからだ。
スキルや称号を持つ者の中から、各区域で魔族やスキル、称号について調査、研究できる者たちが現れ、人々は大急ぎで対魔シェルターの研究を始めた。今、安心して外出できるのは、彼らの功績のためだ。
「くらえ! シャイニングスラッシュ!」
今日も勇者たちは魔物討伐に精を出す。眩い光と共に消え去る魔物。街に出てくる魔物は低級魔物がほとんどだ。彼らにとって、その程度の魔物の相手は容易い。彼らのおかげで、第七区域は比較的平和に保たれている。
が、今日は違った。低級魔物に混ざって、上級魔物がいたのだ。低級魔物が散った後、上級魔物は勇者ミツヤたちと対峙していた。
魔物が足を大きく踏み鳴らすと、地面が、空気が揺れ、衝撃が波となって勇者たちを襲う。為す術なく吹き飛ばされ、地面に叩きつけられたサエとアサギ。辛うじて重力操作の能力で踏み留まったスイは、苦し気に地面に膝をついている。勇者は衝撃を正面から受け、その場に留まったものの地面に倒れ伏した。魔物はゆっくりと勇者に近づく。
シェルターの中でモニター越しにそれを見ていた人々は、恐れた。いとも簡単に勇者達を倒してしまった、上級魔物という存在を。
魔物は勇者の首をつかんで持ち上げた。
「うっ、や、め……」
「……光弥に、仇為すものは、殺す!」
魔物の背後に素早く回り、その大太刀を振りかぶるスイ。額から血を流し、黒髪を振り乱し、鬼気迫るその形相に、魔物は目を見張る。が、すぐに無表情に戻る。刃を降り下ろす前に勝負は決まった。大太刀は上級魔物が爪で触れると砕け散り、それに驚き動きを止めた瞬間、スイの腹に拳を叩き付けた。血を吐いて倒れる。それはほんの一瞬の出来事。勇者は未だ魔物の手に掴まれたまま、目を見開き、息も絶え絶え仲間の名を呼ぶ。
「サ、エ……、アサ、ギ……、……ス、イ」
「主はお前達を煩わしく思っておられる。だが、今は見逃そう。時間がない」
無機質な声でそう言った魔物は、パッと手を離して、勇者達に背を向けた。その魔物の足を掴む手。
「お前ら魔物は、俺が、残さず倒す……」
「勝手に言っているがいい。いずれ死ぬのはお前だ」
魔物は勇者を蹴り飛ばし、霧と共に去っていった。後には気絶した勇者、剣士、ガンナー、魔法使いが残された。
「お邪魔するよ、魔王」
「ようこそいらっしゃい、由影くん。ずっと来てくれるのを待っていたのよ! 後、私のことは、志鶴と呼んでちょうだいって言っているでしょう!」
「え、どうしようかな……」
「由影くん!」
ソファに座る俺の横で、しなだれかかってくる、この女性が第七区域の魔王だ。そう、彼女は昔遊んでくれた、あのお姉さん。鬼の血筋らしく、彼女にも額の上辺りに二本の角が生えている。昔はなかった。
俺と光弥の前から姿を消した後、志鶴は魔王の位を継いだらしい。何でも、父である前魔王が前守護者との戦いで死に、人間に紛れて生活していた娘の志鶴に帰還命令が来たそうだ。その時期が、俺が守護者になった時期と同じ、つまりは本当のことなんだろう。守護者も魔王も区域に一人しかいないことになっているから。
「志鶴、部下の管理はしっかりしなよ」
「ごめんなさいね。厳しく躾ておくわ」
以前、俺がボロボロにした二体の魔物は、志鶴の部下だ。下端のようだが、気をつけさせた方が良い。勇者殿は魔族は全て悪だと思っている。まぁ、大抵の人間はそう思うだろう。だが、それではだめだ。魔族を全滅させようとして逆に人間が全滅に、なんて笑えない。魔族は普通の人間より遥かに強い。
俺は守護者になってすぐ、この区域の人間が生き残る道を何通りもシュミレートした。しかし、魔族を滅ぼす方向に向かえば、人間は必ず滅ぶという結果になった。俺は守護者だ。この区域の人間を守る役。守れるのならば俺は魔王とも手を組むし、目的の邪魔になるならば勇者も潰す。幸い、第七区域の魔王である志鶴は知り合いだし、彼女は平和主義だ。住み分けすれば問題ない。
問題は、猪突猛進系馬鹿の勇者殿だった。
「本当に、勇者殿が邪魔」
「お疲れのようね。私たちも勇者たちを狙うようにしているのだけど、なかなかしぶとくて……」
「志鶴はよくやってくれているよ」
奴は、中途半端にスキルと称号を与えられたため、何も考えずに魔物に突っ込む。魔族は全て悪だと決めてかかり、無害な魔物でさえ殺す。むしろ、勇者殿の被害に遭うのは無害な魔物がほとんど。俺が志鶴に部下の管理をしっかりしろと言うのは、魔族側の無意味な犠牲を減らすためでもある。
そもそも勇者殿が本当に強ければ、こんなにも頭を悩ませることはなかったんだ。魔族を掃討できるくらい強ければ、単純に魔族を滅ぼすだけで済んだのだから。だが、奴は弱い。正義感で魔族全滅を謳うのは良いが、実力が伴っていない。拙い剣、使いこなせていないスキル。自分が放った光で、自分まで目を眩ませてどうする。本当に勇者の称号を持っているのか疑わしく思う。
「勇者を名乗っていながら、命中率が七割に満たないってどうなんだ」
しかも、それは勇者だけじゃない。魔法使いもだ。大きな炎が出せるのは良い。だが、低温の炎では魔族には効かない。あれならひょっとしたら俺でもスキルを使えばせいぜい軽い火傷をする程度で済むかもしれない。その程度の炎で地獄の炎などと、何の冗談だろうか。
四人いて、魔物をまともに倒せるのは剣士とガンナーだけ。しかも勇者はお荷物。それで良いのか、ヒーロー。むしろ全員容姿が整っているんだから、ヒーロー辞めてアイドルになれば良い。その方が俺の仕事も楽でいい。
「本当に、頭痛い」
「大丈夫? 大変よね、守護者の役目は」
「まぁ、ね。最近、他所の魔族が入ってきているみたいだから、その討伐もね。本当に、勇者殿がもっと使えれば……」
守護者に選ばれた人間には、自然と魔族が寄ってくるらしい。いや、俺が引き寄せられているのだろうか? 行く先々で魔物に遭遇する、大抵勇者殿が仕留め損ねた魔物だ。いい加減腹が立ってくるのも仕方ない。
俺は基本的に魔族を殺さない。彼らは志鶴の部下だからだ。だが、他所の魔物は殺す。異分子は排除する。
「志鶴、晩ごはんまで寝てて良い?」
「えぇ、ゆっくりお休みなさい。時間になったら起こしてあげる」
志鶴は俺の頭を撫で、部屋を出ていった。ソファに寝転ぶと、もう睡魔がそこまで来ていた。眠りに落ちる直前、ふわりと体に何かが掛けられたような感じがした。
暗闇が包む廊下。魔王、更科志鶴はゆっくりと歩む。
今日の夕飯は、愛し子の大好物、クリームシチューだ。夕飯の準備はすでに終わらせてある。あとは皿に盛るだけ。
カツン、カツン、と石の廊下に足音が響く。
脳裏に浮かぶ、愛し子の可愛い寝顔。魔王となっても、変わらない態度のあの子。彼女は、愛し子のためなら人間とも共存もする。
足音が、大きな扉の前で止まる。
あの子が起きる前に、仕事を終わらせましょう。今日は会議の日。
「お黙りなさい!」
騒々しい広間に魔王の声が響き渡る。彼女はもう先程の彼女ではなかった。
鬼の一族の頭、第七区域の魔王。女の身でありながら不満の声が上がらないのは、彼女の苛烈な程の実力によるもの。魔王継承直後こそ反発する者もいたが、彼女はそれらと一対一で勝負して打ち負かし、服従させたのであった。
「会議を始めましょうか」
魔王の一声で会議が始まる。幹部たちが見回りの報告、それに対する意見を述べる。どうせ聞かなくても分かっている。大方、勇者関連だ。また、子鬼が殺されたらしい。あの子たちに罪はなかったというのに。愛し子も勇者を潰すことを望んでいる。
早急に対処しなければ。
「魔王様! 無礼を承知で申し上げます!」
大きな声で言ったのは、下座に近い幹部の一人。たしか、最近幹部になった者だ。
「人間どもを殲滅いたしましょう! 守護者とかいうあの人間の戯言になど耳を貸してはなりません! 勇者も守護者も、全て殲滅し、魔族の世界を作るのです!」
広間は静まり返っている。魔王が立ち上がった。ゆっくりとその幹部に近づく。
「あら、勇ましいこと。威勢が良いのは好印象ですよ」
にっこりと美しく微笑む魔王。微笑みかけられた幹部は認められたと認識し、
「有り難き幸せ! この俺にお任せください! 必ずや人間を滅ぼし、守護者と勇者の首を持って参りましょう!」
興奮したような口調で話す幹部。成り行きを見守っていた他の者は、もうそちらを見ていない。この後どうなるか、見当がついているのだろう。
「賢き者には褒美を」
幹部の前に立った魔王は、笑顔を崩さぬまま、幹部の頬に手を当てる。そのまま近づく美しい顔に、幹部は顔を赤らめ慌てる。魔王はそんな幹部の耳元で、
「愚か者には罰を」
次の瞬間、幹部の首を掴み、引きちぎった。
「愚策に走る愚か者は嫌いです。さぁ、皆さん、わたくしからはいつもの通り。勇者とその仲間だけを狙いなさい。生死は問いません」
魔王は広間に集う魔物たちを見渡す。
「人魔共存、これこそが最善。それを邪魔する勇者たちなど、どうなっても構いません」
美しく笑むと、魔王はそう言い残して広間を後にした。
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