第19話

 多喜は目の前にぶら下がった二つの懸案を解決しなければならなかった。

 一つは石見詩織の安全の確保。彼女はトランスヒューマン協会が最も危険視する人物である。放っておけば、遅かれ早かれ消されてしまうだろう。ここは証人保護の基本に基づき、彼女の死亡診断を提出することで手を打った。平たく言うと、死んだことにする、という意味だ。自然な展開を考えるなら、築地のセントルークスタワーで起きた陸自の多脚戦車暴走事件に巻き込まれた、これが一番辻褄が合う。  多喜は詩織に悲しむ家族や友人はいるか、とたずねると、彼女はしばらく考えた後、首を横に振った。案の定、叔父夫婦の名前は出て来なかった。

 所轄の第一方面本部のサーバに提出された被害報告と死体検案書には、VADSの鮮やかなハッキング技術で細工を施した。項目には石見詩織の名前が差し込まれた。実際に遺体確認された場合も考え、偽装工作も抜かりない。これには一週間前に亡くなった、マギー・リンのボディを転用した。詩織とマギー・リンの背格好は似通っており、都合良く頭部は判別不可能なほどにつぶされていた。後は身体的特徴を隠せば事足りた。DNAコーディングの縦列反復配列の鑑定を除けば、そうそうバレるものでもない。予算不足などの理由から、犯罪被害遺体のほとんどが司法解剖されないのが現状なのである。

 この神をも恐れぬ所業は、なんとマギー・リン本人がさばいてくれた。マギー・リンは模擬人格構造物へのサルベージ作業の後、科捜研から自らの遺体を払い下げられていたのである。持て余していたのは言うまでもない。一応、詩織の勧めで、左手首だけは切断して氷温冷蔵で保管した。iPS細胞による復元技術の今後に期待して、という理由である。


 第二の懸案は、大木戸雅治の身辺調査だった。糸口もない調査なので基本ルールに従った。まずは公認情報の収集。

 公のネットワーク表層に浮遊している記述からは、次の通りだった。


 大木戸雅治。O&Iホールディングスの代表取締役会長・最高責任者(CEO)。現在五十二歳。神奈川県横須賀生まれ。大滝第二高等学校を卒業後、東京大学法学部入学。経済学へ専攻を変更し、経済学部へ転部。同学部卒業。大学卒業後はジャーナリストを志望するも入社予定の出版社が採用取りやめとなり、当時中堅であった栄光出版に入社。出版科学研究所や広報部に所属。

 二十五歳で岡崎屋百貨店に入社。創業者岡崎真一郎の懐刀として、三十歳の時にクラウドコンピューティングシステム・サービス事業に着手。ブルーグラス・ジャパンを設立。卓越した経営手腕と消費者マインドを読む技術により、業界最大手に育て上げた。二〇一九年OKAZAKI HLDGS.取締役社長に就任。

 二〇二〇年のOZマートとの経営統合、二〇二一年の池部ファイナンシャル株式会社の完全子会社化を経て、小売りとネットワークの二本柱を担う、巨大総合流通グループを創り上げた。


 こんなところである。

 しかし裏を取ると、奇妙に事実がねじ曲げられていることがわかった。

 学歴の東京大学経済学部卒からして眉唾であった。大滝第二高等学校の卒業年度の進学者リストを検索したところ、一浪の後、東京国際経済大学となっている。学歴詐称といえばそうだが、まあ、業績ありきの世界である。大木戸の優れた経営手腕が揺らぐわけではない。些細な記載漏れのようなものだ。

 しかしながら資料を掘り下げて行くにつれ、奇妙な事実はそれに留まらなかった。

 年次の当人の医療記録をサルベージしたところ、二〇一六年のデータによると、肝硬変の徴候、動脈硬化、胸腺萎縮などが指摘されているが、四年後二〇二〇年にはそういった徴候すら見られない。更に二〇三〇年のデータでは視力の回復さえ記録されている。一体どういうことだ? 年々若返っているというのか? 

 調べていてわかったことだが、大木戸という男、極度のメディア嫌いらしく写真という写真が存在しない。その数少ない資料から二〇一六年のブルーグラス・ジャパン設立当時のパーティスナップを発見した。広報の人間が収めた、何枚かのショットの一つだった。当時の岡崎屋百貨店営業本部長専務取締役、笹井茂信の挨拶の壇上を撮影したものだった。カット右斜め下に映る二つ目のテーブルの端に、その姿はあった。乾杯のグラスを掲げ、露出不足の陰りの中に大木戸がいた。一九八六年生まれの大木戸は当時三十歳であったはずだ。ところがどうだろう。どう見ても、痩せた男が若作りしている、そんな風だった。五十過ぎ、見様によっては六十にも見える。生え際に肝斑のようなものが目立っていた。

 それから二十数年後の現在。多喜たちはVADSを使って、静止衛星群シャングリラからの超高解像度撮影に臨んだ。現在の大木戸。

 ターゲットは間違いなく、五十二歳の日本人男性に見えた。

 多喜は古い記録について、ネットワーク上の記録だけでは不十分を感じ、改めて二〇〇四年度の大滝第二高等学校の卒業名簿を探しに横須賀へ赴いた。奇妙なことに、写真入りの卒業名簿の中に大木戸雅治の姿はない。


「気持ちの悪りいやつだな」

 黒沢は有機ELモニタに映る、俯瞰から押さえた大木戸の写真に見入った。

 衛星からの超高解像度望遠による被写界深度の浅い画像は、少し縁がぼやけて滲んでいた。ロマンスグレーの髪を品のいい長髪に整えた背の高い男である。引き締まった顎に薄い唇。年月を経て刻まれた目尻の笑い皺が、余裕と暖かみを感じさせる。成功者の顔だった。

 百人町の黒沢のアジトで息を潜める三人は、多喜の一次視覚野を中継するモニタを囲んでいた。ネットワークから参加しているのは、VADSとマギー・リン模擬人格構造物だ。

「正に年齢不詳。でも才気溢れるカリスマ経営者。男の生き様としてはカッコいいじゃない? あんたらも見習わなきゃね」

 模擬人格構造物は、蓮っ葉な口をきいた。

「生き様? どんな様だよ。どうせけちな悪党だろ?」

 黒沢が多喜に同意を求める。多喜はくわえ煙草のまま、テーブルに乗った灰皿を引き寄せた。

「………どう思う? 大木戸は本当に一人かな? 複数って可能性は?」

「例えば、影武者か?」と、黒沢。

「かもな。その方が納得出来るし、気持ち悪くもねえ。だが一人だとすると………」

 石見詩織が神妙な面持ちで呟いた。

「何か医学的な、化学療法を受けているとか?」

 模擬人格構造物が興味を示した。

「そんな治療って存在するの? 外見が変わるほどのエイジング療法なんて?」   詩織は小さな顎を支えながら答えた。

「代謝の改善とか、そういったものなら。でもここまでの劇的な変化はやっぱり整形美容という線かしら?」

「何のために? 会社員がなんでそんな外見を変えなきゃならないんだよ?」

 黒沢の声が裏返ったところで、多喜は首を傾げた。

「事情はわからんが、この男には裏があるぜ」

 口の端を歪め、皮肉めいた表情を浮かべる。

「裏があるのは大方、悪党だ。昔から相場が決まってる」

「シンプルなご意見だこと」

 模擬人格構造物は、呆れ気味に答えた。

 多喜は小さく二度うなずくと、言った。

「一丁、化けの皮を剥いでやろうぜ。………黒沢、行動記録」

「あいよ」

 黒沢は自分のITCからモニタに情報リンクした。

 期日と時間の表示されたファイルが、ファインダに転送される。この一週間の大木戸雅治の行動記録だ。シャングリラとVADS、多喜、黒沢、マギー・リン模擬人格構造物の五段構えのサーベイランス技術が駆使されている。


【AD.2038_10/11 mon. AM06:08】

 虹色の熱映像ファイルが映った。真俯瞰から捉えていた。代官山にある大木戸の自宅である。黒沢が解説を付けた。

「六時八分起床。会社取締役としては標準的。一般社員の平均が七時というところだから、まあ、経営者としての示しはついてるわけだ」

 モニタが切り替わって、VADSのマルチアングルカメラからの監視映像となる。

【AD.2038_10/11 mon. AM06:46】

 午前六時四十六分、社用車が到着。芝公園四丁目のO&Iホールディングスの本社ビルへ移動。ウィンドウの振動をレーザー計測、振幅変調による盗聴を平行して進めたが、運転手との会話はなし。車中では株式情報トレーダーズWEBの音声版を聞いていたようだ。

「午前七時六分、O&Iホールディングス本社ビルに到着」

 黒沢の説明に多喜がコメントした。

「重役出勤はなし、か。働きモンだねえ」

「上場企業の経営者なんだから、当然よ」

 マギー・リン模擬人格構造物が相槌を打つ。

「本社ビルでは三十二階の執務室に入って、午前中はWEBでデスクワークを片付けてる。自社サイトの評価業務やら何やら。俺には良くわからねえ」

 多喜が黒沢に促した。

「続けてくれ」

【AD.2038_10/11 mon. AM11:22】

「幹部会を兼ねてのデリバリーによる昼食。三十分ほどで切り上げて、十二時前には再び社用車で外出だ」

 VADSの追跡映像が、都内各所を巡る黒塗りの社用車を映した。

 二つのグループ会社を周り、共同オーナーと打ち合わせ。夕方より信濃町で与党政府筋と会合。

 大木戸は優良企業のCEOらしい、無駄の無い動きで濃密なスケジュールをこなして行く。野心とバイタリティ溢れる凄腕ビジネスマンだ。

【AD.2038_10/11 mon. PM9:06】

「芝公園本社ビルに帰社。これでご帰宅かと思いきや、四十階に籠っちまった。このまま二時間半、ターゲット消失」

 多喜が片方の眉を吊り上げた。

「どういう意味だ?」

「このビルの四十階から上は、サーチ出来ないんだぜ。どういう仕組みか知らねえけどよ。ネットワークも、ポジトロン断層も、エックス線もお手上げ」

 と、黒沢が腕組みしたまま身体を揺する。

「二時間半か。………映画観るには、丁度いいくらいね」

 茶化す模擬人格構造物を、多喜が諭した。

「そんな呑気な手合いならな。何かあるぜ」

「ああ、あるある、大ありだ」

 黒沢が大きくうなずいた。

 それから更に、残り五日間の追跡映像がモニタを流れた。大木戸は規則正しく毎日を過ごしていた。午後からの外出先は日々に様変わりするが、基本的には予定の反復と言えた。

 そして一日の最後は必ず、本社ビルの四十階に消える。

「一週間の日課で、最後の締めくくりは定例行事らしいぜ。大木戸の奴、この二時間半は、何が何でも外さないんだ。一度なんて、得意先のパーティを切り上げて帰って来たくらいさ」

 多喜はしばらく考え込んだ後、VADSに命じた。

「O&Iホールディングス本社ビルの見取り図が検索出来るか?」

「少々お待ちを」

 VADSはネットワークの彼方に引っ込むと、二分ほどで戻って来た。モニタに図面ウィンドウが束ねられた書類フォーマットで展開した。HCのロゴタイプが右下で回転している。

「二〇二三年、日立コンサルタントによる設計です。関係資料は以下の通り」

 書類形式がスクロールとウィンドウの切り替えで、現れては消えてゆく。多喜はしばし眺めてから、3Dモデル表示を選択する。

 映像が切り替わり、社屋の全体像が切り子細工状に透かし表現された。

 六角形の鉛筆に似た二本の尖塔。西入口を支点にして、北側に一〇度回転し配されている。フロア数地上四十三階及び地下五階。やや細くなった中央上部、二十二階と二十五階で東西のタワーが空中回廊で接続されている。外壁は磨き上げられた黒御影石。特徴のある正三角形の窓がジオデシック構造で組み上げられ、西棟の最上四フロア分が外側へ大きく湾曲して展望フロアとなっている。中は多目的用途の展示場だ。夜には三角形の窓が光を放ち、あたかも巨大な黒龍が天を仰ぐような威風を見せる。対に並んだ東棟最上の四フロアも同様の構造をしているが、見渡せる窓は無く、固く閉ざされている。黒沢の言うサーチ不可能エリアとは、この場所のことだ。

 再びウィンドウが切り替わり、フロア毎に仕切られた三次元モデルが回転した。一階のエントランスから始まり、溶け合うように次々とフロアが現れては消える。一通り二本のタワーが表現されたところで、東棟四十階にぶつかり【no data】となる。

 多喜は唸った。

「なかなかセキュリティ、厳しいね」

 黒沢は、はやる気持ちを言葉にした。

「あそこで何かやってんだよ。なあ? もう突入しかねえんじゃねえか?」

 マギー・リン模擬人格構造物がたしなめた。

「あんたねえ、理由も無く強制捜査なんて出来るわけないでしょ」

 多喜は落ち着いた口調で言った。

「俺たちが特別司法執行職員だということ忘れちゃならんな。そもそも現時点で大木戸を立件するのは、ほとんど無理だ。裁判所からの令状(捜索差押許可状)も当然無理。しかも俺たちには捜査権さえないときてる」

 黒沢が溜息混じりにぼやいた。

「八方ふさがりかい」

 そこで多喜がにやりと笑った。

「しかしだ。災害時は別」

「おお?」

 きょとんとした黒沢に、多喜は自信満々に答えた。

「火災が起きればレスキュー活動が必要だろう。たまたま(夜の盾)の巡回警邏中に火災の通報を受けた、ってのはどうだ?」

「頭いい、多喜」と、模擬人格構造物。

 多喜はVADSに命じた。

「地下駐車場に非常用搬入口はないか?」

 VADSは即座に地下駐車場の三次元見取り図を表した。一つに繋がった地下駐車場の東西の縁に大型搬入エレベーターが見て取れる。

「ビンゴ」と、多喜。

「揃いも揃ってこのメンバーが、重武装のVADSを連れて、ってことだな? 奇襲か。桶狭間だな。燃える展開だぜ」

 黒沢が多喜の意図を確認した。多喜は小さくうなずいた。

「そういうこと。ま、ビルに入れば、何かを偶然見つけることもあるだろうがね」  模擬人格構造物が後押しする。

「準現行犯逮捕なら固いかしら?」

 多喜は口の端を曲げた。

「かもな」

 そこで黒沢が心配そうな声を上げた。

「火災は、どうするんだよ?」

 多喜は黒沢の肩を叩いた。

「たまに誤報も、あるもんさ」

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