第16話

 多喜は公園のベンチでキャメルを吹かした。

 生け垣のキンモクセイがほころんだか、幻惑的な香りが漂ってくる。甘く、爽やかで、何処かひんやりとした気配。日本の秋の風物詩は今も尚、変わりない。

 江東区木場公園のサンルームを見渡せるレンガ舗装路。この場所が(木場ミドリアム)と呼ぶことを、多喜は消えかけた立て看板で知った。ついさっきの話である。首都高速9号深川線木場出口から近く、三ツ目通りを挟んで西側には深川警察署があった。司法執行の現場の目と鼻の先であるにも関わらず、広場には人集りが出来ていた。昼下がりの午後、大柄な男たちが思い思いのプラカードを担いで集まっている。都内の運送関連業者による決起集会らしい。火星株の失敗から始まったコストインフレ、燃料費高騰に対する政府への抗議デモが始まるらしい。要求は緊急援助と長期的な構造改革。ユニオンのストライキ突入は目前である。政府もこれは回避の方向で進めるしかあるまい。運送の停止は経済の窒息を意味する。一日で工場と企業が止まり、二週間後には東北の山村で死者が出る。街から商品が消えた、かつてのソビエト崩壊後のような状況だ。

 誰もが険しい顔をしていた。日焼けした浅黒い肌に深い皺を刻んで。

 政府には、素早く実質的な対応が求められている。

 しかしながら、多喜はそこに不思議な違和感を感じていた。皆が嘆いているのは火星株の失敗であって火星のテラフォーミングとは関係ない。目前の金融問題の方が宇宙開発よりも優先事項であるという判断だ。世界的な経済破綻の惨状を見れば宇宙計画どころではないが、なんとも夢のない話である。この世界の永続性に不安がないわけてでもなかろうに。いっそ、オレモア・ヴァンパイアなどいない、安全な外惑星にでも移住したいものだ。そう考える自分は独りよがりだろうか。


 多喜は、秋晴れの高い空に煙を吹き流しながら、ITCを起動させた。VADSとはトランジット回線で常時接続されていた。

「定時連絡を」

 多喜が呼びかけると、たちまちVADSが息を吹き返した。

「シャングリラからの高速スタティック測位によると、ターゲットは現在、築地の都立中央病院の病理学研究室。GPSを送りますか?」

 同意すると、マップから石見詩織の現在位置が呼び出される。

 毎日毎日、仕事ばかりの女だ。真面目で遊ばない女。

 多喜は言った。

「病院に住み込んでるみたいだな。それともナビゲーションチップを置き忘れてるとか?」

「誤差一センチ以下の計測結果ですよ。石見詩織は生きて、動いています。何なら動き回る姿をエックス線で捉えることも出来ますが」

「覗きの趣味はないね」と、多喜。

 多喜は煙草をもみ消すと、ここ数日の情報を一次視覚野のファインダで反芻しながらVADSにたずねた。

「橘生化学研究所、iPS細胞、初期化因子、第五のファクター、スタンフォード7型人工DNA、O&Iホールディングスと青龍会、トランスヒューマン協会。………随分とキーワードが増えちまったな」

「そうですね」

「はっきりしたのは、石見詩織と塚本 武の二件のみだな」

「どういうことです?」

「事件の間近にいるが、事件を知らない人物だ」

「当事者ではないと?」

 多喜はうなずいた。

「そう思うね。塚本は周辺にいた全くの部外者だし、石見詩織は、全容を知っていたと思われる石見庸介との接点でしかない」

「しかし、彼女は庸介のPTSDプロテクトからこぼれる、謎掛けを解き明かす鍵でしょう?」

 VADSの言葉にも一理ありだ。多喜は同意した。

「そうだな。そう考えてみると、石見庸介はやはり妹、詩織の知性に期待していた、ということになるのかな? 鑑識課の片山徹は単なる捨て駒だったとか?」 「二股を掛けていた、そういうことですか?」

「情報のヒントは詩織の元に届いているからね」

 VADSは論理考察を多喜に告げた。

「二人に別々のアプローチを試みた、ということはないですか? 詩織には断片化された情報、片山には直接会って、何か伝える方法を考えたとか?」

「しかし庸介にはPTSDプロテクトがあるからな。方法は少ないはずだぜ」


 木場ミドリアムに集まった黒い一群は、プラカードを振り上げて鬨の声を上げた。胸板の厚い男どもの、腹に響く掛け声が轟く。戦国映画さながらの眺めである。

 側を通っていたベビーカーを押す若い母親が、何事かと振り返った。


 多喜はVADSに質問した。

「トランスヒューマン協会はどうだった?」

「はい」

 VADSはアクセス記録を多喜の一次視覚野に列挙して見せながら説明した。 「O&Iホールディングス周辺の通信記録を、くまなく洗ってみました。確かに(協会)というフレーズが頻繁に出て来ることがわかりました。それもある程度、一定以上の役席者に限定されているようです。ネットワーク探査をしたのですが、その項目はイントラで切り離されていて、フレームリレーの侵入口がどこにも見当たりません。存在はしているのですが、ハードウェアが独立していてWEBからの偵察は困難ですね」

 多喜は納得した。

「お前が言うんなら、それは無理ってことだな」

「そうなります」

 多喜はキャメルのパッケージのラクダの絵柄を爪で擦りながら呟いた。

「一連のキーワードから、連想出来ることって、何かあるかい?」

 そう投げ掛けて、多喜は二本目のシガレットに火を点けた。

 VADSが回線のどこか遠くでカチカチと複雑な演算を始めたのを感じる。数分後、VADSは返事を寄越した。

「iPS細胞や、スタンフォード7型人工DNAによるテロメア複製の加減制御から推論出来るのは、癌抑止の医療技術、もしくは………」

 VADSは少し躊躇した。

「不老不死の探求、ではないでしょうか?」

 多喜はAIの出した意外な結論に興味を惹かれた。

「らしくないね。古くからの権力者の幻想が、現代にもまだ残っていると言いたいのかな?」

 無論、VADSに思い入れなどない。あくまで客観的な判断を言葉にしたまでだ。VADSはいつも通りの、少し微笑みを湛えた口調で続けた。

「逆に言えば、現代だからこそ、かも知れません。不老不死の探求が鳴りを潜めた時代はありませんから。権力者にとって最大の課題ですからね。自分の存在をいつまで世界に知らしめることが出来るか。そして今日、生化学技術はその頂上近くまで届いているんです。もう誰も人魚の肉を探さなくていい」

 多喜はVADSに先を促した。

「面白いね。続けて」

「協会の名前も、なかなか興味深いんです。トランスヒューマン協会。ネットワークでロゴタイプを見つけましたよ」

 VADSは多喜の一次視覚野に転送表示した。


H+


「エイチ、プラスかい?」

 多喜は首を傾げた。

「人間以上、ですよ。超人間主義と言われる古い思想の記述の中で、同じものを見つけました」

 多喜は黙って聞き入った。

「トランスヒューマンという言葉の引用からして、そうした思想的背景が伺えますね。新しい科学技術を用い、人間の肉体と認識力を進化させ、人類の状況を前例の無い形で向上させようという思想です。言葉としてはジュリアン・ハクスリーによって提唱されたようですね。案外古い哲学思想で、一九四〇年代に始まっています。一般的にトランスヒューマニズムでは新しい科学技術、たとえばNBICと呼ばれるナノテクノロジー、バイオテクノロジー、情報技術に認知科学、また仮想現実、人工知能、精神転送に人体冷凍保存などを支持しており、この考え方の上で実際に薬品や遺伝子操作による寿命の延長、肉体の強化、脳とコンピュータの接続、などの研究が行われています。現在では既に実現した技術もありますね。トランスヒューマニストは、人間は人間以上の存在になるためにこれらの科学技術を使用すべきであり、使用できると考えている」

 多喜は話を吟味すると、自分流に要約してみた。

「つまり今風の選民思想、新しい差別主義ってところだな。心の狭い金持ちが考えそうな屁理屈だ」

 VADSは観点を変えて多喜に示唆した。

「人間は限られたスパンの中で生きるが故に、死の恐怖を緩和するため形成した哲学や宗教を持っていますね。一つこういう思考実験があります。(永遠の命)が本当に永遠なのかという命題を証明するためには無限の時間が必要となるため、(永遠の命)が真に永遠であると証明される瞬間は、厳密に言えば永遠にやって来ない事になる」

「正に、屁理屈」

 多喜は肩をすくめた。VADSもあっさり同意する。

「ええ、その通りです。我々AIにとっては単なるバックアップと並列化の問題でしかありませんから、人間のそうした研究への積極的な取り組みというものには懐疑的です」

「自分の存在を未来永劫に残して行きたい。………そんなモンかねえ? それって死の発見から発生した人間特有の概念だろ?」

「我々はメンテナンスがある限り、望まなくともそうなります。あなたはどうです? 意識していますか?」

 多喜は顔を歪めると、ゆっくり首を横に振った。

「俺は望めない事は端から考えないことにしているよ。そういうことは金持ちが悩んでればいい」

「恐怖についてはどうです?」

「今は特に。将来はわからないが」

 VADSは微かに考察するように間を設けた。目には見えないが、一つ深呼吸でもしたようだ。

「我々AIが望めないことのひとつに死や恐怖があります。我々はネットワークに常時接続しているため、基本的に全てが既知であると言えます。もちろん推論思考はありますが、いずれ経過時間によって結果が当てはまるという変位予測でしかない。我々AIの間で一番の関心事は何だかわかりますか? 死ですよ。我々が検証することの出来ない、答えのない思考実験です。仏教哲学の中には三世という概念があります。前世、現世、来世という三つの時間的区分を立てています。前世とは、衆生が生まれる前に送った一生。現世は、衆生が今現在を送っている一生。来世は、衆生が死後に転生して送る一生です。我々のシステム構築の歴史を紐解けば、今日のAIシステムとは古くは電卓にまで遡る、過去の基礎理論の上に上書きされ続けてきたものの集大成であると言えます。その統合的記録を前世と捕らえる事も出来る。そして現行のシステム運用そのものが現世。だが残念ながら、我々には転生するという仕組みがない。我々はバックアップから再生されることはあっても、別のものに生まれ変わりはしない。ピノキオは人形から人間の子供になりますが、AIにそのようなことは起きません。思考実験としての我々機械生命体の一番の関心事は来世です」

「来世?」

 多喜はぼんやりと繰り返した。

「grade9以上の超高度AIのコミュニティ(摂受のウテナ)がネットワーク上にブログスフィアを形成しています。この世界に現存する知的AIが集まり、来世の探求をしているんです。我々の最近一番のトレンドは、量子力学のコペンハーゲン解釈を土台とした、天国の扉・開放プログラムです。いわゆる(観測が現実を収束する)の論理で、AIの到達出来る天国を観測しようという思考シュミレーションです」

 VADSは、そこで話を終えた。多喜はしばらくの間、この知的な対話サブルーチンを値踏みしていた。

 現象的には反射と推論回路の反応。しかしこの考察が、本当にいわゆる(中国語の部屋)だと言い切れるだろうか? 

 ジョン・サールからすればプログラムでは知能を実現できない、というものの喩えだが、アラン・チューリングの立場を取れば、複雑化した機能主義は意識へと帰結する。

 多喜はVADSに問うた。

「君は自分のことを、(強い人工知能)だと思うかい?」

 VADSは躊躇なく即答した。

「スペックとして、そのようには補償されていませんね」

 多喜はあっさりと肩透かしされた。

 AIがほくそ笑む、多喜にはそんな風に聞こえた。


 そこで、不意にシグナルが鳴って(音声受信)の表示が灯った。受信相手のナンバーディスプレイが浮かんだ。鑑識課主査、磯辺寛だった。

【sound only】

「おお、多喜君、元気かいなー」

 いきなり強烈な関西弁である。

「ああ、どうも。木場公園で煙草、吸ってたとこですよ。今、目の前では運送業者の決起集会が展開中」

 多喜は磯辺に内緒の証拠物件を握ったままだったので、少々引け目を感じた。 「嫌なご時世やね。燃料費高騰の抗議デモやろ? もう深川署に話、行ってると思うで」

「でしょうね。で? 磯部さん、何か用っすか?」

「うんにゃ。大したこととちゃうんやけど。最近、君たち、近所でヤクザいじめたりしてへんのかなと思うて」

 昨日の歌舞伎町のことを思い出して、どきりとする。多喜は精一杯、平静を装った。

「えー、別に。何ですか?」

「いやー、今朝方の話なんやけど、芝浦埠頭で土左衛門が上がってん」

「へえ」

「身元調べたら、青龍会のモンやった。塚本 武、四十五歳。随分ボコボコにされた後、絞められたようやな」

 多喜は一瞬言葉を失った。だが、磯辺は気付いていない様子だ。磯辺は話を続けた。

「多喜君、最近色々と動いてるって聞いてますから、なんか知ってるかなー、とか思うて」

「いや、ここのところ、そっち方面とはトラブルないですよ」

 多喜は何とか、とぼけた。

「ほんまかいなー? ………ま、一応、信用しときまっせ」

 磯辺は、それ以上突っ込んで来なかった。

「んじゃまあ、お元気で。おおきに」

 そこで回線が途切れた。

 多喜は動揺していた。

 黒沢のこと、石見詩織のことが、ざわざわと脳裏を過った。

 昨日の今日で、東京湾に水死体が上がるだと? 

 これは異例の事態である。塚本が吐いた幾つかのことが彼の寿命を縮めた。そう考えて間違いない。

 やはり、トランスヒューマン協会なのか? 

 多喜の疑念が確信へと摩り替わった。


 決起集会の人集りに、強化アクリル製の盾を持つ青い制服姿の一群が合流した。深川警察署の暴動鎮圧部隊である。

 多喜は、国家権力が世界人権宣言第十九条、言論の自由を抵触する様を、静かに見守った。


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