第15話

 ITCを立ち上げると多喜の一次視覚野に、静止衛星群シャングリラの周回軌道がモニタされた。多喜はVADSに問うた。

「ターゲットはロックオンされてるかい?」

「多喜の依頼から二十二時間と十三分、連続ロックしています」

「そいつは結構」

 ターゲットというのは石見詩織のことである。彼女には言わなかったが、あのチンピラどもが、どこぞの組織から送り込まれたことは間違いなかった。多喜と詩織が接触して二日、早々に動きがあったわけだ。我々が探り始めた石見庸介の死にまつわる諸々が、どうやら気に入らない連中がいるらしい。

 詩織が庸介の親族という点も厄介だった。短絡的に口封じを考えるなら、最初に思い浮かぶのは身内であるからだ。詩織の身辺警護は、多喜の最重要課題だった。多喜はVADSを使い、二十四時間態勢で彼女を監視する事にした。詩織にはナビゲーションチップを持たせてある。見掛けはボタンほどの発信装置だ。困ったことがあったらスイッチを押してくれ、とだけ言っておいたが、それは口実。携帯通信の基地局を利用した高速スタティック測位で、静止衛星群から誤差一センチ以下で追尾している。手空きのVADSを最低一台、百メートル以内に配備させることにした。情報はリアルタイムでITCへリンクされる。勿論、詩織には内緒の話だった。

 多喜がGPSを確認すると、詩織の所在がマップから特定された。詩織は現在、築地の都立中央病院の病理学研究室で勤務中だった。ここならとりあえず安全だろう。病院の屋上に張り付いているVADSの姿も見えた。

 よし、いいぞ。


(クラブ・ブルー・プラネット)は歌舞伎町で一番の高級会員制クラブだった。いわゆる男性向け大人の社交場という類いである。裏を取ってみるとこれまた意外、O&Iホールディングスのグループ会社ときた。

 お支払いはフォトンカードで。JCBとVISAが使えるらしい。

 多喜は靖国通りのセントラルロード入口で待ち合わせた。突き当たりに新東宝会館が見える。旧コマ劇場付近だった。

 新宿にめっぽう強いと来れば、同僚の黒沢昭二その人である。待ち合わせの時刻、午後八時はとうに過ぎていて、多喜は視界に浮かぶITCの時刻表示を睨み、苛立った。

「遅っせえな」

 多喜は一人、悪態を吐いた。

 貧相な顔立ちの能楽面痩せ男は、どこにいる? 

 ITCで付近の監視カメラにアクセスすると、数百箇所が同時に開いた。一次視覚野が小型の画像ウィンドウで一杯になる。

 くそっ、なんだ? この街の監視体勢は? さすがは犯罪の巣窟、歌舞伎町だ。 もう一度、設定を一丁目付近に限定し、モニタする。

 行き交う人の波、波、波。

 早々に酔い潰れたサラリーマン。派手な装いの女たち。縦列駐車のタクシーの群れ。やかましいクラクション………。

 オレモア・ヴァンパイアの出没危険地帯としても有名なこの場所だが、宵闇に人の流れが途切れることはなかった。首都圏の合囲地境戒厳令が解除されたとは言え、今も尚(非常事態)であることに変わりはない。自分だけは危険が横を通り過ぎていくと思っているのか。この付近の(夜の盾)の常駐人数は十五人体勢だ。歌舞伎町界隈はオレモア・ヴァンパイア監視重点地区なのである。

 我々(夜の盾)が市民に信頼されているということだろうか? いや、そうではない。人にはどんなものにも慣れていく適応力があるということだ。人類はこの地上で一番の、タフで図々しい生命体なのだから。

 そこで唐突に監視装置【カメラ274】が割り込んで来た。

 新宿大ガード東、プリンスホテル前の歩道がクローズアップされた。派手な千鳥格子の開襟シャツに縞のジャケットを羽織ったのっぽが、ピースサインを決めている。得意の自分中継。ようやく黒沢昭二の到着だ。ごつごつした大男は、貧相な笑顔で【カメラ274】に笑い掛けた。


「多喜、お前のたってのお願いだから来てやったんだぜ。今夜の歩合分、ちゃんと払ってくれんだろうな?」

 黒沢は不機嫌な様子で多喜に詰め寄った。開口一番、金の話である。全く友達甲斐のない野郎だ。

 多喜はおざなりにうなずき、

「心配すんな。ただ働きはさせねえよ」

 多喜と黒沢は一丁目のきらびやかな光線の舞う雑踏を抜け、二丁目へ移動した。住所は区役所通りまで行かない少し手前の方だった。

「しかし、何に引っ掛かってんだ、多喜? この間の木場の流れか?」

「まあな。あれから二日間、色々と」

「さすが元刑事。動きが違うぜ」

 多喜は首を傾げ、言った。

「それより、お前の話は当てにしていいんだろうな?」

 黒沢は目を見開くと胸を叩いた。

「この街のことなら任してくれ。俺もITCで調べてみたぜ。(クラブ・ブルー・プラネット)のセキュリティには青龍会が入り込んでる」

「お前の元ホームグランド、ってとこか?」

 多喜の突っ込みに、黒沢は曖昧に返事した。

「ン、まあ、そんなとこだな。………それで? この仕事、多喜の上がりはどのくらいになるんだ?」

 多喜は黒沢を睨むと言い含めた。

「いいか、こういうのはな、社会貢献って言うんだ」


 (クラブ・ブルー・プラネット)が見えた。外観は六階建てのクラブハウスだった。二本の強烈なサーチライトが交差し、建物全体を照らしている。

 外壁は深いウルトラマリンのセラミックタイルで、その一つ一つの組み合わせが鱗状のマテリアルとなり波打っている。あたかも暗い深海を遊泳する、もの言わぬ怪魚のようだ。

 一階部分が受付、地下に駐車場が確保されている。ネットワークの説明によると、各フロアがそれぞれにテーマを持ったアトラクションらしい。もちろん、いずれも富裕層の男性をターゲットにしたものだった。

 多喜と黒沢はオレンジとグリーンの光を放つ華麗なエントランスで、ダークスーツのセキュリティに出迎えられた。サングラスを掛けた二人組の坊主頭だ。身の丈は優に二メートル以上だろうか。大男の黒沢が並んでも頭一つ違う。背後には黄金色に輝く扉が見え隠れしている。

 二人が近付くと、大男たちも一歩前に出た。

「いらっしゃいませ。お客様、こちらは会員制クラブ、(クラブ・ブルー・プラネット)でございます。失礼ですがカードのご呈示をいただけますでしょうか?」

 多喜と黒沢の高級クラブには相応しくない、あからさまな身なりに、のっけから怪しまれたようだ。多喜は少し心配になって黒沢の方を見た。黒沢はどういうわけだか、どっしりと構えている。さすがは自称新宿の達人である。堂に入ったものだった。

「カードかい?」黒沢は坊主頭を見上げ、にっこりと微笑んだ。

「こんなもんで、どうだろう?」

 多喜の見守る中、黒沢は左手で複雑なサインを結んだ。坊主二人組はその様子をじっと見詰めると、突如直立不動の姿勢をとった。

「大変、失礼致しました」

 そして巨体が左右に退き、黄金の扉が開くと、二人は何事も無かったように奥へ通された。

 多喜はこっそり黒沢に耳打ちした。

「お前、さっきのは何なんだよ?」

 黒沢は自慢げに鼻の下を擦ると、

「あれは、青龍会幹部のコールサインだ」

 多喜は目をすがめ、黒沢をからかった。

「お前が幹部だった、ってことはないよな?」

「付き人をやったことがあるんだよ。見様見真似って奴」

「多彩な経歴が役に立つ」

「感謝してくれ」

 二人が通された部屋は、半円形のオレンジのカーペットが敷き詰められた小部屋だった。サップグリーンの革張りソファが、湾曲した壁面に沿ってシンメトリーに配置されている。壁はマホガニー風の仕上げで、金の目地が輝いていた。中央の小ブースには淡紅色のチャイナドレスを着た小柄な女が微笑んでいた。

「いらっしゃいませ」

 女は鼻にかかった声で挨拶すると、そのまま間仕切りの奥へ下がって行った。   黒沢はソファに大股を広げて座り込むと、多喜に言った。

「ま、気楽に行こうぜ。向こうから挨拶しに来るさ」

 多喜は黙ったままうなずいた。

 黒沢は上体を屈めると、小さな声で多喜に囁いた。

「この先の予定は? 特に聞いてないけど、多喜に任せていいんだな?」

「ああ。お前さんは適当に、アドリブでも効かせてくれよ」

 黒沢は満足そうにうなずくと、左手の親指を突き上げた。

「アドリブなら俺様に任せとけ」

 しばらくして扉が開くと、白いスタンドカラージャケットのスポーツ刈りが現れた。左の耳にはレシーバーフォンが装着され、大きめのサングラスを掛けている。こいつは、ただのサングラスではない。複数のプリズムレンズを組み合わせた、データグラスというハイテク装置だ。

 男は揉み手でもしそうな慇懃な話し方をした。

「お待たせ致しました。今日はどういった御用向きで?」

 多喜は、いきなり切り出した。

「コーディネーターの塚本 武さん、いますか?」

「塚本マネージャーですね。今、連絡を」

 男は敢えて二人に名をたずねなかった。黒沢が使ったコールサインは、そういう扱いのものらしい。これがVIP待遇というものだ。なかなか気分のいいものである。

 データグラス男は少し身を引くと、レシーバーフォンに何事か呟いた。一、二度小さくうなずき、グラスの蔓を一度調節した。多喜は壁際の監視カメラがゆっくり向きを変えるのを見て、黒沢に合図した。二人は何気なく身体をひねり顔を伏せた。

「………はい、………承知しました」

 男は小声でレシーバーフォンに呟いた。それから二人を振り返ると、仮面のような作り笑いを浮かべた。

「塚本が部屋でお待ちしているそうです。どうぞこちらへ」

 マホガニー風の側壁左側に亀裂が走ると、音も無く左右に開いた。

「申し訳ありませんが、従業員通路を使わせていただきます」

 案内されたバックヤードの通路は、華麗な内装とは打って変わって殺伐としていた。打ちっぱなしのコンクリート壁に無数のダクトがねじくれている。等間隔に蛍光灯が瞬き、薄暗く、カビ臭かった。床には、ひび割れから染み出た水溜りが揺らいでいる。時折、黒沢がブーツで踏み込んで、映り込んだ反射像を攪拌した。

 多喜と黒沢は目配せした。ちょっと、やばい感じか? 

 職業的な勘で、次第に物騒な空気が迫ってくるのがわかった。多喜は憂鬱な気分になった。黒沢の計画なんぞ、あてにした自分が悪い。

 数分の後、急に開けた場所に出た。ガソリン臭い湿った場所だった。二人が連れて来られたのは、地下駐車場であった。

 白ジャケットのデータグラス男が踊るように振り返ると、嫌らしい笑い方をした。トカゲみたいな野郎だ。男の背後には思い思いの小器具を手にした、柄の悪い四人組が薄ら笑いを浮かべている。

 多喜は溜息を付くと、黒沢を肘で小突いた。

「やれやれ、どうしますかね、黒沢さん?」

 黒沢はしかめ面を作ると、悪党どもを睨み返した。

「実行制圧しか、ねえだろう」

 データグラス男が上着のポケットに手を忍ばせると、ナックルダスターが現れた。男は口元を歪め、言った。

「用件は、ここで伺いましょうか、お二人さん」


 塚本 武は総支配人の執務室で胃薬を飲んだ。薄いピンクがかった乳白色のシロップを、プラスチックボトルから直飲みした。一口飲んでボトルの目盛りを確かめる。

 二目盛り、か。

 もう一口飲む。

 塚本は口ひげにシロップが付くのを気にしながら、鼻の下を擦った。

 全く、胃の痛い話ばかりである。協会の依頼に付き合っていると、妙なストレスを抱え込んでしまう。

 俺は、よろず請け負い業じゃない。

 塚本は胸の内で、そう反芻した。

 実際は限りなくそれに近い存在であるが、役どころは事業コーディネーターという冠を頂き、ここ、(クラブ・ブルー・プラネット)の総支配人とも呼ばれる人物なのだ。それなのに奴らとくれば、自分をそこらの下っ端鉄砲玉と同じように扱う。O&Iホールディングスには、ほとほとうんざりだ。………塚本はそう考えていた。

 塚本 武は中肉中背の四十代半ばの中年男だった。アイパーを掛けた短めの黒髪、手入れされた口ひげ。生まれつき長いまつげが、黒くて逞しい眉の下に覗き、凛々しい面立ちを少々オカマ風に見せている。黒のタートルセーターに薄いベージュのジャケットを羽織り、チャコールグレーのスラックスという落ち着いた出で立ちだった。微かに生業を感じさせるというならば、喜平型チェーンの十八金ネックレスとガーネットの指輪くらいのものだろう。青龍会の中では中堅の幹部候補ということで、この店を任された。今年、四月の話である。それまでは池袋で別のクラブ経営を任されていた。

 しかしながらO&Iホールディングスからの要望は訳の分からんことだらけだ。 店に出入りする男性の年齢比率を調べたり、店別、血液型別の顧客リストをこさえてみたり。………客の金銭に関わる調査なら今までも何度か経験あるが、身体や健康に関するリスト作りなど前代未聞である。その為だけに専門の派遣を雇い入れたおかげで、とんだ出費にもなっている。

 官僚的な協会連中の、空かした作り笑いを思い浮かべただけで、また胃が痛み出してくる。

 そこに追い討ちを掛けるように受付に現れた、変な二人組の知らせ。どこの輩か知らんが、どうやら幹部用コールサインを出したらしい。

 全く、そんなことまで構ってられるか。

 塚本は深い溜息を吐いた。塚本は強張った肩を背もたれに寄せた。ひんやりしたレザーの感触が心地良い。

 そこで、いきなり大きな物音がした。

 戸口に何かがぶつかったのだ。

「ひっ!」

 塚本は椅子の上で二センチほど浮き上がった。

 音は更に続き、外側に開くはずの扉が内側に蹴り開けられた。一緒にアルミフレームが吹っ飛ぶ。戸口から大きな安全靴の爪先が覗いていた。

 最初に現れたのは、派手な千鳥格子の開襟シャツの男だ。片手で大人一人の身体をぶら下げている。白いスタンドカラージャケットのデータグラス男だった。鼻先のグラスは跡形もなく砕け、レシーバーフォンが、耳からだらしなくぶら下がっていた。白かったジャケットは、口と鼻から流れ出た鮮血でみじめに汚れている。

「お邪魔様」

 黒沢は入口を潜ると辺りを伺って、長椅子に男を放り投げた。男は椅子の上に崩れ、小刻みに震えた。

 多喜が後に続いた。

「どうも」と、多喜。

「他の皆さんは地下の駐車場にいますよ。とりあえず道案内が必要なので一人貸して頂いた」

 塚本は椅子の肘掛けを掴んだまま、どうしようかと迷っていた。

「な、何なんだ? お前ら?」

 そう答えるのがやっとだった。塚本は代わる代わる二人の顔を見やった。黒沢が鼻を鳴らした。

「挨拶されたんでな。返り討ちにしといたぜ」

 塚本は震える声をなんとか押さえようとして、余計に上擦った感じになってしまった。

「どこの組に雇われた? ああ? ひょっとして………お前ら、掃除人か?」

 怯え切った塚本に、多喜はうっすらと微笑んだ。意味の無い笑いだ。

 多喜は塚本の豪華な執務机の横に椅子を移動させると、逆向きにまたがって背もたれに肘を突いた。黒沢は覆い被さるよう、正面で腕組みした。

「掃除人ですって? そりゃまた物騒な話だ。塚本さん」

「俺の名前を?」

「ええ。塚本 武さん、ですよね?」

「そう………だ」

 多喜は塚本に顔を近付けると話を切り出した。

「我々は某組織に所属する調査員です。非公式のリサーチ活動なので、そう固くなることはありませんよ」

「お前ら、警察か?」

 多喜は塚本の口髭の、ピンクに乾いたシロップの跡が気になった。

「バッジは見せてないでしょう?」

「青龍会の幹部用コールサインなんて、どこで仕入れた?」

 塚本が詰問口調で言い放つと、黒沢が口の端を曲げた。

「だから、某調査組織だって、言ってんだろが?」

 多喜は黒沢をなだめ、塚本に言った。

「すいません。この男、ちょっと気が短いんです。質問に答えてくれれば良し。でも出し惜しみすると………」

 そこで、多喜は長椅子の男を顎で指した。

「わかりますよね?」

 塚本はごくりと生唾を呑み込むと、しばらくの間、多喜の顔を凝視していたが、突如、開き直った。

「誰に言ってるつもりだ? 俺は青龍会の………」

 言いかけたところで、正面に立った黒沢が団扇サイズの大きな右手で、塚本の顔を平手打ちした。バシンという、もの凄い音がして塚本の呻きが漏れた。ふと見ると口髭に固まったピンクのシロップがとれていた。多喜はそれに満足した。

「う、うう………、何しやがる?」

 力ない塚本の擦れ声。多喜は黒沢をたしなめた。

「おい、いきなり何だ? 塚本さんに失礼だろうか?」

 黒沢は肩をすくめた。

「ただのアドリブさ」

 塚本の左の頬に見る見る太い指の形が浮かび上がる。塚本は十分にショックを受け、長い睫毛が微かに濡れていた。

 多喜は両手の指を組んで、穏やかに続けた。

「さて、それでは二、三、質問を」

 塚本は目を伏せたままだ。多喜は念押しした。

「よろしいか?」

 塚本は小さくうなずいた。

「さて………」と言って多喜は首をひねった。

「何から聞きましょうかね?」

 多喜は腕組みすると、顎を擦りながら呟いた。

「塚本さん、あなた、コーディネーターと呼ばれてますよね?」

「ああ」

「何をなさるので?」

 塚本は鼻をすすると、ぼそぼそと答えた。

「各事業部門の調整役だよ」

「何の調整?」

「人の配置や、金回りを管理する」

「ほう? あなたは青龍会の方ですよね」

「そうだ」

「この建物の持ち主は誰ですか?」

「持株会社が経営している。俺たちは管理運営を任されているんだ」

「具体的には、どこの会社です?」

「O&Iホールディングス」

 多喜は二度うなずいてみせた。

「フォトンカードのO&I、ですね」

「そうだよ」

 多喜は執務机の表面を、指でコツコツ鳴らしながら呟いた。

「青龍会とO&Iホールディングスが業務提携しているわけだ」

 塚本は充血した目で、じっと多喜を睨んだ。

「マスコミが聞いたら喜びそうな話だが、別にそれは本題じゃない。単なるゴシップ」

「何が知りたい?」

 塚本は痺れを切らせてたずねた。しかし、多喜は意味不明の笑顔で首をひねるばかり。

「さて、実は私も良くわからないんです。まずは、比較検討のための情報を集めている段階でしてね」

 塚本は吐き捨てるように言った。

「どんな調査組織なんだよ? お前ら?」

「言ったでしょ? 某調査組織です」

 そこで多喜は一つ咳払いをした。

「それで、青龍会とO&Iホールディングスはどういった力関係に?」

「俺たちは単なる参画企業の一つでしかない。しかし複数の企業が絡んでくると、複雑な利権の法規をかざして、クレームを着けてくる輩もいるんだ」

「資本は別として、独立した企業体だから、ということですね?」

「そう」

 多喜は納得した様子で頬杖を突いた。

「なるほど。そのための青龍会というわけですか。言わば安全装置のようなものだ」

 塚本は無表情に多喜を見詰め、

「巨大組織に一貫したトップの統制を浸透させることは容易じゃない。そのための青龍会さ」

「まさしく、超法規的な管理プログラムというわけですな。我々と同じだな」

 不安そうな眼差しの塚本を、多喜は軽く流した。

「少し話題を変えましょう」

 黒沢は早くも退屈し始めたらしく、机に尻を載せ、灰皿を引き寄せると、煙草に火を点けた。

 多喜は身を乗り出すようにして塚本に詰め寄った。

「石見庸介、という人物をご存知ですか?」

 黒沢の眉がぴくりと動いた。いよいよ本題か。

 塚本は赤く腫れ上がった唇をへの字に曲げると、考え込んだ。

「石見庸介? さて、誰だったか? でも聞いた事あるな、それも最近だ」

 塚本は真面目に考えているらしく、やがて何か閃いた。

「思い出した。一週間くらい前の話だ。協会からの依頼で、参画企業の研究員を接待してくれと頼まれた。その男だな」

「接待?」

「よくある話でね。ボーナスみたいなものらしい。要するに女の斡旋さ。宅配ルームサービスだ」

「あなたの得意分野ですか?」

 塚本は下品な笑い方をした。

「まあ、こういった店の運営に関わる身だからね。いい女なら選り取り見取りさ。なんならあんたらも後で遊んで行くといい」

 塚本の誘いに黒沢はいきなり乗り気になったが、多喜が丁重に断った。

「悪いが我々は今、勤務中なのでね」

 塚本は残念そうな顔した。

「そうかい? なら、しょうがねえけどよ。………しかし、あの男には斡旋出来なかったんだな」

「断られた?」

「うちの女の子が、ということさ」

「ほう?」

「女は、協会の方で予め準備してやがった。お届けの手配だけうちでやらせてもらったけど、そんなにいい女でもなかったぜ。まあ十人並みってところかな。ああいう理科系の研究員ってのは好き者が多いんだ。むっつりなんちゃらでな。しかもマニアック趣味なんてのもあるから、平凡な俺にはわからねえ。何でもその男、以前から何度か店にも現れてたらしいし。ありゃ、遊び人だな」

 多喜はうなずいた。

「すると上得意様ってことですか?」

「ああ、そういうこった」

 そこで多喜は声をひそめた。

「その石見って男、数日前に渋谷で死んだんですよ」

「ええ、そうなのかい?」

 多喜は塚本の真意を見定めようと、じっと目を見た。

「ご存知ない?」

「もちろんだ。旧知の仲ってわけでもねえしな。御得意様が亡くなったのは残念だけどよ。どんな死に方を?」

 多喜は表情を変えず、話を逸らした。

「ま、それはさておき。もう一つ、別の話を。昨日、渋谷に誰か遣いを出しました? 宇田川町のコインロッカー、とか」

 塚本はきょとんとしていた。

「何の話だい?」

 多喜は値踏みするように塚本を眺めると腕を組んだ。嘘は吐いていないようだ。単なる勘だが、何も知らない人間の素の表情、そんな風に見える。

 多喜は鼻の頭を掻きながら、話を締めくくる最後の質問を投げ掛けた。

「それでは最後に。一つ聞かせてください」

 塚本は両手を広げ、うなずいた。

「なんなりと」

「さっきから話の中に何度か現れましたね。協会って」

 塚本は突然、表情をこわばらせた。

「協会、って何です?」

 塚本の表情は見る見る険悪になり、汗をかき始めた。目が泳ぎ、何処かに助けを求めるような。それをいきなり黒沢が断ち切った。

 もう一度、振り下ろされた平手打ち。だが今度は利き手の左手だった。塚本は椅子から転げ落ち、床の上に投げ出された。

「うう………」

 口を開くが言葉にならない。今度のは相当に効いたらしい。塚本は二、三度むせ、切れた口から血を吐いた。血反吐の中には白い塊が幾つか覗いていた。塚本の砕けた奥歯だった。

「今度は何だ?」

 と、多喜が叱責した。しかし、黒沢は肩をすくめるばかりだ。

「インプロビゼーション、かな?」

 多喜は塚本にハンカチを渡した。何だか塚本が気の毒になってきた。俺たち、ヤクザよりタチが悪いかも、だ。塚本はどうにか起き上がると椅子につかまり嗚咽した。

「わかったから、もう殴らねえでくれ。話す。………ちゃんと話すから」

 塚本は嗚咽が収まるのを待って深呼吸すると、小さな声で呟いた。

「協会ってのはな、O&Iホールディングスの上層部にある管理機関だ。霞ヶ関の官僚みたいな奴らが俺たちを顎で使うのさ。協会自体、独自の課題を抱えていて、ある程度話が固まって来ると、各事業部門と摺り合せして大きな事業を分担していくんだ」

 多喜は腫れ上がった塚本の右目を見詰め、問うた。

「大きな事業? それは何です?」

「俺みたいな下っ端にゃ、流れて来ねえよ。だが、協会には何か哲学みたいなものがあるんだ。大いなる目的、とか何とか言ってたな」

「意味は?」

「わからねえ。ただ、ホールディングスのめぼしい企業トップはその集会に出るって話だ。首脳会談ってやつなのかな。その中心にいる理事長が大木戸雅治、その人よ」

 多喜はVADSとの(デスクワーク)を思い出した。

 世界屈指の巨大総合流通グループ、株式会社O&Iホールディングス。

 CEO大木戸雅治。

 妙なところで繋がった。多喜は眉間に皺を寄せ、首をひねった。塚本は、口から流れる血反吐を拭いながら、こう付け加えた。

「トランスヒューマン協会だ。調べてみな」


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