第11話

 さて、デスクワークの開始だ。

 とはいうものの、自分のデスクは頭蓋内埋設装置、インフォメーション・トラフィック・コンポーネントのデスクトップのことである。多喜の場合、物理世界のスチール机とはあまり縁がない。

 一次視覚野に映し出されるインフォメーションの右隅に、VADSのアクセスコールが表示されている。

「さてVADS、少し調べものをしよう。サポートしてくれるかい?」

「喜んで」

 なんだか居酒屋みたいな返事をするAIだ。多喜は込み上げて来る笑いを噛み殺し、先を続けた。

「石見詩織との会見で得た、キーワードを検証する」

「了解」

 VADSは石見詩織との対話記録をデスクトップに展開した。日付と時間の表示されたファイルがファインダに現れる。既に整理され、チャプターまで組み込まれていた。

「いいぞ」

 データ冒頭のチャプターをクリック。多喜の一人称視点からなる、記録映像がスタートした。

 巣鴨パレスで斎場の詩織を訪ねたくだりから始まった。

 御影石造りのひんやりした通路を抜け、小さめの式場の入口から中を覗くと、石見詩織の姿が見える。喪服に身を包んだ詩織が、パイプ椅子にぐったりした様子で座っていた。詩織はすぐに多喜の姿を捉え、立ち上がった。


(あ、時間ですよね。私、そろそろ出ますから)

(いや、そのままで)


 二人のやりとりが聞こえる。

 ファインダの画面下には、ご丁寧に字幕まで付いていた。VADSがデータを編集した折に採録したものだ。何か外国映画を観ているような気分になる。実際は日本語で対話し、日本語の字幕が表示されているのだが。付け加えておくと、現実の記録映像はフィクションほど面白いものではない。


(あなた、どなた?)

(私は、………(夜の盾)です)

((夜の盾)?)

(一昨日、渋谷で、あなたのお兄さんを処分した者です。庸介さんは残念でした)


 そこで多喜は一時停止を掛けた。三分の一スロー再生させる。

 詩織の美しい顔が紅潮し、般若のように歪んだ。それからゆっくりと表情が冷めて元の容姿へ戻っていく様を、多喜はじっと観察した。胸元まで血が上った姿が、ゆっくりと揺らいでいる。妙な話だが、その様子はどこか扇情的に映った。詩織は美しい女だ。つい見とれてしまう。

 多喜はもう一度画面を静止させ、詩織の目元をクローズアップした。逆光の中でも人間の視覚は高性能である。うまく露出補正され、細部まで精緻に写し取られていた。

 やはり涙は、なしだ。

 どう言う気分だろうか? 自分の親族を殺した男から、その報告を聞くというのは? 

 詩織と兄との関係は複雑なものだった。長い間憎しみの対象だった相手の死に、心揺らいだ自分を恥じている、そんな有様だった。だが、ここに映る映像には、はっきりと示されていた。瞬間的に彼女は多喜を憎んだ。間違いない。それは人として当然のことだろう。自分は本来、憎まれるべき対象であって、好意を持たれはしない。それを肝に銘じた。

 多喜は溜息を吐き、顎をさすった。

 多喜はチャプターを先に飛ばした。巣鴨駅前のカフェバーに入り酒を注文する辺りが、代表カットで流れていく。兄との確執についてのくだり。これはただの兄妹喧嘩の戯言だろう。意味はない。庸介の仕事について触れたくだりが現れた。多喜はポーズを押し、それから数カット戻した。


(とにかく私はあいつのことが嫌いでした。私が子供っぽいのかもしれないけど、許せなかった)

(ほう? ひどい確執ですね。差し支えなければ)

(まあ、他人が聞けば下らない話ですけどね。プロファイルでご存知だとは思いますけど、兄と私は同じような道を目指していたんです。で、勝ったのは兄。とりあえず社会的地位と収入の面ではね。兄は大成功した)

(橘生化学研究所でしたかね。良く知らないんですが、業界では上位に?)

(ええ、もちろん。大手ホールディングス会社の参画企業です)

(どちら?)

(O&Iホールディングス)

(それはそれは、………国内業績第二位の財閥系ですか)


 多喜はデータを止めるとVADSに問うた。

「VADS、橘生化学研究所についての概要は?」

「十月五日の昼に磯辺主査との会見中、多喜が検索した概要を超えませんね」

 VADSは即答すると、そのテクストをファインダに表した。


株式会社 橘生化学研究所(たちばなせいかがくけんきゅうしょ  英称:Tachibana Biochemistry research institute Co., Ltd.) 千葉県流山市。酵素・微生物とバイオテクノロジー産業のトップメーカーとして、トレハロースをはじめとする澱粉糖化製品、抗ガン剤となるインターフェロンなどの医薬品原料、安定型ビタミンCなど……… ………


「ウーム」

 多喜は思案した。

「では、O&Iホールディングスを概要してくれ」

 VADSは返答する間もなく、G検索から引用した。


株式会社O&Iホールディングス(英称:O & I Holdings Co., Ltd.、通称表記:O&IHLDGS.)は、岡崎屋百貨店、OZマート、ブルーグラス・ジャパン、池部ファイナンシャルを中核とする日本の大手流通持株会社である。 二〇二〇年、株式上場することで敵対的M&Aの標的になることを危惧したOZマートの木村社長から、OKAZAKI HLDGS.の大木戸社長に経営統合が持ちかけられた。大木戸氏は「2トップ制の対等、二人三脚の統合」を主張したが、木村氏の側が一歩引き、傘下入りすることで合意。 二〇二一年二月二〇日、池部ファイナンシャル株式会社の保有する株式(65.45%)を買い取り、子会社化。二〇二一年七月一日には株式交換により完全子会社化。これにより、コンビニエンスストア・スーパーマーケット・デパート(百貨店)という既存業態の枠を超えた、世界でも屈指の巨大総合流通グループになった。


「百科事典は、言葉が硬いね」

 多喜は鼻の頭を掻いた。

「要するに大手流通業の持株会社ってことだな」

「そのようですね」と、VADS。そして続けた。

「完全子会社、グループ企業ともにその幅は広く、GMSから各種小売業、娯楽、金融及び、ITサービス、医療、ケミカル、軍事関連まで網羅しています。国内では第二位の業績を上げているようです」

 多喜は鼻を鳴らした。

「この不景気なご時世に結構なこった。儲かるところは儲かってるなあ。さぞかし悪知恵絞ってるんだろうよ。正攻法じゃ、なかなかこうはいかんだろう?」

「さて、私はそれについて評価出来ません」

「VADS、ちなみに国内第一位ってのは、どこなんだ?」

「BNSホールディングス」

「ほう」

「概要を出しましょうか?」

 多喜はうんざりした表情で首を横に振った。

「あー、もういいや。金持ちの自慢話を聞いてるみたいで不愉快だ」

「そうですか」

「まあ、このO&Iホールディングスの手広くやってる事業の参画企業体の中の一つが、橘生化学研究所ということなんだな」

「そういうことです。ボトムアップ型の応用研究をしているらしく、橘生化学研究所の下にも、更に一連の分野別関連研究機関が並んでいるようです」

 多喜は顎をさすりながら呟いた。

「取り仕切っているのは橘生化学研究所、………いや、まだその上がいるんだろうな」

 VADSは疑問を投げ掛けた。

「どうしてそう思われます?」

「研究所ってのは、何かお題目があって初めて機能するもんだ。特に企業付きの研究機関なんてものはね。そういうことを言い出す連中ってのは、もっと上の方にいて、日長一日ペントハウスか何かでぼんやりしているような奴らさ。科学には疎いが、野心は人一倍。そういう輩が出す思いつき、無理難題っていうのが、世の中を前進させて行くんだろ?」

 VADSは感心したのか、返答に少し時間が掛かった。

「面白い仮説です。その場合、石見庸介はどちら側の人間だと?」

 多喜は乾いた笑い声を立てた。

「もちろん下々の方、俺たちの側だろ? 頭はいいが創造性はクエッションだね。ま、判断材料が石見詩織の偏った意見しかないから、何とも言えないが。石見詩織の特定脳波検出はどうだった?」

「EEGのアルゴリズム解析によると、脳波P300の反応は見られませんでした」

「つまり、嘘はついていないか?」

「そうですね。少なくとも情報の隠匿はありません」

 VADSは続けた。

「しかしながら、石見詩織の言動には頻繁に興奮や緊張があり、嘘をついてはいませんが、正確な情報として捉えるには少々確信度が低すぎます」

「全くだ。それが人間ってやつだよ。わかるかな、AI君?」

「おぼろげですが。理解は出来ます」

 多喜はVADSを促した。

「さて、先、行ってみようか?」


 ここからは詩織の独壇場だった。いかに兄、庸介が嫌な奴だったかということ。そのことについての長い講釈だ。映像で見る限り、詩織の嫌悪も本物であると思えた。しかも庸介の駄目男振りを語るときの、嬉々とした振る舞いはどこか面白がっている風でもある。多喜が言葉を選んで庸介をこき下ろしてみせると、笑みまでこぼれ、多喜さんは面白い人だと好感触まで述べている。兄の死と、兄への嫌悪は、彼女の中で個別に遊離した心理を引き起こすようだ。そこに論理的な繋がりはない。要するにこの妹にも、兄と同じ単細胞の血が流れていると見て間違いなかろう。理系人間の持つ、典型的な短絡思考。ま、詩織が救われているのは、知的な美人がちらりと見せる幼稚さは、元来、男には好感触という点だろう。

 多喜がぼんやりしているうちに、肝心の箇所を映像が過ぎていった。

 多喜は再び画像を制止し、何コマがリバースさせた。


(自慢ついでに、仕事の話は出なかったんですか?)

(もちろん。電話してくればいつでも。私が嫌がるほどに余計に面白がってましたし)

(庸介さんの研究は何をなさってたか、聞いてますか?)

(確か、………そう。(人工DNAの生化学的応用)です)


 多喜は顔をしかめると、VADSに問うた。

「(人工DNAの生化学的応用)………って、何が出来るんだ?」

 VADSの答えは明快だった。

「その質問のフィールドはエリアが広すぎますね。いうなればどんなものにも応用可能な基礎研究ってことですからね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る