第9話
暗闇の中で目を閉じたが、右片隅にパイロットランプが残った。朝の七時十二分。夜が終り、役人たちが管理する節電時間帯の到来である。午前七時の時報が鳴り終わるとともに、街中の照明が一斉に落ちる。もちろん公共機関や、金持ちの家では別の話だ。
十月の朝は仄暗く、寝室の奥まで届く光は僅かだった。そっと瞼を閉じてみたが差異はない。どちらも鼻先さえ見えぬ闇。しかしながらその中にあって、緑のパイロットランプだけが目障りに映った。それが示すところは夢でなく、実映像でもなく、一次視覚野に投影されたシュミレーションだということである。そしてそれは、VADSからのコールサインを意味した。
多喜はログアウトしたばかりのITCのファインダをしばらく眺めてから溜息を吐き、気を取り直してもう一度ログインする。
「多喜、まだ起きていましたか?」
TPOなどお構いなし、相も変らぬ調子でVADSの声が届く。多喜は少々不機嫌な声を上げた。
「ああ、辛うじてね」
「お疲れのところをすいません。しかしながら、本日の午後からのあなたの行動を察するに、やはり伝えておくべきかと」
「なるほど。さすがはレイメイ・セキュリティ・システムズが誇る高性能AIだ。機転が利く」
やんわりと諌めた言葉もAIにはどこ吹く風だ。微動だにしない落ち着き払った声音が後を継いだ。
「五日午後、江東区木場の片山徹のマンションで拾った画像の、パターン解析が終わりました」
その言葉を聞いて、多喜はようやく眠気が覚めた。
そうだった。黒沢と一緒にオレモア被害者、片山徹の鑑識作業に立ち会い、この男の奇妙な落書き癖を取材したのだった。
渋谷の一件から明けてまる一日、事情聴取(おっと、我々に許されているのはリサーチ活動だ)で慌ただしく動いた後の殲滅処理である。中央官制室への報告やら何やら。終わってみると明け方だった。久々に泥のように疲れていた。
コーヒーでもあればな、………そんなことを考えながら、多喜は意識を奮い立たせた。
「そっか。すっかり忘れてたぞ」
「慌ただしかったですからね」
AIは儀礼的に多喜をねぎらった。なんだか面映い。両手で顔をニ、三度打ち鳴らすと血の巡りが良くなった。
「まあな。………よし、聞こう」
「はい」
多喜はベッドに起き上がって胡座をかいた。VADSから転送されてくる検証データのプログラムアイコンがITCのファインダに現れる。自動的にファイルウィンドウが開くと、それは多喜が携帯端末で撮影した、へたくそな写真だった。VADSの解説が始まった。
「それぞれの画像ファイルに映る文字、および記号と思われるものを検出し、登録の是非を検索してみました」
画面に映る、片山徹の金釘流の読み辛い筆跡に、サーチトリミングの黄色い枠が素早く動いた。検出された文字だけがノーマル表示され、背景になる画像はグレースケールに色落ちした。そのまま黒へと沈み込んで行くと、浮き上がった文字のみが画面に残る。踊るように文字列が動き始めると、アンダーラインが現れ、一列に整然と均等配置される。ようやく意味のある文字らしく読めてきた。
「03-F1546-X1879か?」
多喜が目を凝らし、何とか読み取った。
「そうですね。検索結果は江東区木場のレンタルソフト店の電話番号です」
「なるほど。関係なしだな。じゃ次」
「はい」
VADSは次の候補に進んだ。
そんな調子で多喜が目を通し、VADSが次々と解析結果が開示していくという単調な手続きが続いた。
047-A7782-P1457 千葉県市川市のシネコンの代表電話。 kimino_hanabi.com/ladies/ 港区赤坂のアイドルファン倶楽部サイトアドレス。
048-H1786-Z2323 埼玉県川口市、大西和夫。大学時代の友人のらしい。
03-F2358-D4578 江東区木場の写真スタジオ。
03-G9979-B3243 渋谷区宇田川町の風俗店(モンスターピンク)の電話番号。出て来た。やはり書き留めていたか。
045-A1789-A5478 神奈川県横浜市保土ヶ谷区、西村亮介。 鑑識課第2係の同僚らしい。
03-F4578-X8956 近所のクリーニング店。………………
どうということもない解析結果が二〇項目ほど流れたところで、本命にぶつかった。
090-B4692-W924 千葉県流山市 石見庸介の携帯電話。
アドレスまであった。
yoo_sk_i2019@t2.actor.ne.jp
「よし、ヒット。真打ち登場だ」と、多喜。VADSも同意した。
「どうやら関係があったようですね。この二人」
「予感的中だな」
多喜はそこで、はたと考えた。
予感的中。それで?
片山徹と石見庸介は知り合いだった。お次は? どうする? さて、どうだろう。会うにはわけがある。二人には話したい事情があったはずだ。もしくはどちらか一方が? その話は何だ? 慣れないキャバクラで会って話すことって?
今のところ、多喜には何の憶測さえなかった。
そこでVADSは思い出したように付け加えた。
「刑事の勘の良い成功事例じゃないですか」
「論理的裏付けが必要かな?」
多喜は生真面目なAIを茶化した。
「あなたのいう犯罪パターン論を、体系化してみるのも面白いかもしれませんよ。何かフォーマットが見付かるかも」
多喜はかすれ声で笑った。
「ま、暇な時にでもやってくれ。本日の業務はここまで。君からの報告は以上かい?」
「ええ。お疲れさまでした。さて、午後は何時の起床で?」
多喜はそのまま乱れたベッドに倒れ込んだ。枕に顔をうずめ、
「正午になったら起こしてくれ。それから、………石見と片山の接点を経歴から洗ってくれるか。………俺が寝ている間にな」
そこでITCの表示クロックの下に、赤い文字でタイマー設定が入るのがわかった。
【pm12:05】
多喜は苦笑いした。手抜かりのないAIである。
「了解しました。それでは、おやすみなさい、多喜」
VADSが接続から離れると、自動的にITCがシステム終了した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます