第8話
夜が来た。
時刻は午後十一時を過ぎたところだった。都営新宿線船堀駅前で事件発生。臨海公園から西葛西を巡回中だった多喜に、スクランブルが掛かった。現場までは十分ほど。船堀街道を上った北口バスターミナルだった。
ITCに届いた(夜の盾)中央管制室からの情報によると、都営バス錦25系統(京葉交差点経由)錦糸町駅前行最終バスがジャックされたらしい。船堀駅前停留所に二二時三〇分、定刻にバスは到着したが、そのまま雨避けシェードの支柱に激突した。二体のオレモア・ヴァンパアイアが発症。運転手を含む、乗客六人を餌食にした。
多喜はVADSの中で、対衝撃抗圧力NBCスーツに身を包み、待機していた。周辺には、警察、消防の車両が取り囲むように配置されている。シェードの支柱にぶつかった折に発生した火災は、すぐさま消し止められたが、化成ゴムの燃える鼻を突く黒煙が、辺りに充満していた。
「VADS、応援は?」
多喜は苛立ちを覚えながら、コンソールをコツコツと爪で叩いた。VADSは無表情に情報を読み上げた。
「この時間帯、丁度巡回の穴に当たるようで、付近に(夜の盾)メンバーがいません。直近が江東区、有明周辺です。今、NS108号と274号が急行中」
多喜は不満げに唸った。
「駄目だな。待ってらんないぞ。取り逃がしちまう」
「まずいですね」
「大いにまずい」
多喜は座席に座り直すと思案した。このままじりじり待って、オレモアの逃亡を見送るしかないか? 気持ちは焦るが、立てこもり変異体二体を相手にするほど能天気でもない。勇敢さと無謀とは似て非なるものだ。
多喜は一考の末、VADSを呼んだ。
「VADS、第七方面の担当に繋げるか?」
「葛西警察になりますが」
「頼む」
【sound only】
デジタルノイズが聞こえ、すぐにチャンネルした。
「こちら第七方面の三田村です」
若々しい男の声だった。多喜は話を切り出した。
「お疲れ様です。こちらは船堀駅前、(夜の盾)NS078号多喜と言いますが」 「お疲れ様です。状況、いかがですか?」
「芳しくないですね。応援が遠く、到着が送れています」
担当警察官、三田村は深い溜息を吐いた。
「やはりオレモア二体だと、単独突入は厳しいですか?」
「それは無理でしょう。やったところで取り逃がすの落ちです。しかし、このまま手をこまねいているわけにも行きません」
「はあ」
万策尽きたとばかりに、覇気のない三田村。そこで多喜は、畳み掛けるように提案した。
「ものは相談なんですが、誰か私の突入を援護出来ませんか」
「援護、ですか?」
「はい」
三田村は一瞬言葉を途切らせた。
「フム、どういった風に?」
「私のITCをリンクして、射撃管制してみたいんです」
「ほう?」
多喜は相手に考える暇を与えず、ごり押しする。
「外付けをされてる職員の方はいらっしゃいますかね?」
端末で検索を掛ける様子が伝わった。
「少し、待ってください」
しばらくして三田村は答えを返した。
「お待たせしました。現在そちらに待機している職員で、六人が外部記憶装置を埋設しています。プロファイルを送りましょうか?」
同意すると、瞬時に多喜の一次視覚野に情報が流れ込んだ。VADSが装置の型式を検索する。VADSがコールした。
「いけますね。制御可能です」
多喜は小さくうなずいた。それから三田村に告げた。
「これなら行けますよ」
「わかりました。………では、具体的な手順を」
多喜は手短に説明した。
「六人の警察職員の方には、共通のプログラムをダウンロードさせてもらいます。六人の視覚、運動中枢をVADSが制御し、私のITCに集約します」
「なるほど」
「つまり、皆さんには私に繋がる拡張された目と手になっていただくわけです」 三田村はしばし考え込んだ。それからおもむろに口を開き、
「理屈はわかりました。………一応確認ですけど、接続後に後遺症などは残らないでしょうね?」
「大丈夫です。多少の頭痛と吐き気はありますがね」
「了解しました。………それで、よろしくお願いします」
多喜は通話を切り上げた。
さてここで六人のうち、誰が腰抜け野郎なのかが問われるところだ。警察の威信に関わる問題なので、口出しは無用である。
しばらくすると、一次視覚野に六人全員の外部コントロールが開いた。多喜は満足げに唸った。さすがは日本の警察官。気概がある。
VADSが手際よくプログラムをダウンロードし、外部装置を再起動させる。一人一人システムが立ち上がるごとに、一次視覚野にそれぞれの視界がモニタされた。彼らは今、自意識を共有して、多喜の遠隔操作を受け入れていた。
VADSはシステムリンクのチェック終了を多喜に告げた。
「さて、多喜。行けそうですか?」
多喜は意識を、接続されたそれぞれの警察官に向けた。
重武装した警官一人一人の体感がITCで支援処理され、感覚連動する。多喜は六つの場所を同時に知覚していた。
【接続3】の警官の装備を点検した。タクティカルベストを装着した対テロ用の動きやすく機能的な装備だった。主力兵装は5.56ミリNATO弾仕様のアサルトライフル、ローリングサンダー。窒素ガリウム系緑色半導体レーザーポインタが装備されている。多喜が意識すると、【接続3】の警官はライフルを構えた。そのずっしりとした装備の重量を、多喜はまざまざと知覚した。
感覚的には、外側に他人の肉体を着込んでいるようである。自由自在、まるで操り人形そのものだった。勿論、最終判断は本人の意識が優先される。そうでないと咄嗟の防御が手薄になるからだ。どこまで人任せで我慢出来るかという、ある意味チキンレース的な、奇妙な感覚連動ゲームとも言える。
「よし。行けるぜ」と、多喜。
「マニュアルモードで?」
VADSは穏やかに問うた。多喜は苦笑いし、
「俺も若くねえから。動作支援モードで頼むよ」
そう答えるとと、VADSがどこか遠くで皮肉っぽく笑ったような、そんな気がした。
「了解」
多喜はVADSを歩行モードで立ち上げた。可変フレームから脚部が迫り出し、ごつごつとした動きで神輿が担ぎ上げられた。こうなると、とても快適な乗り物とは言えない。多喜はシートベルトを確かめた。
外部接続に繋がったままの三田村に声を掛けた。
「今から車両にガス弾を打ち込みます。中に二次感染者がいるはずだ。オレモア変異体がいぶし出されたら、すばやく回収してください」
三田村は緊張した声音を返した。
「了解しました」
多喜はまず、支柱に衝突したバスの背後に十分距離をとって六人の警官を配した。それからVADSの側部装甲パネルを開き、二番脚でグレネードランチャーを装備する。対物破壊用の強力なものではなく、クロロアセトフェノン催涙ガス弾を投擲するものである。バスの砕けたフロントに狙いを定め、一歩ずつ近付いた。VADSのマルチアングルカメラに連動したナイトビジョンが、白く不気味なシルエットを捉えた。
オレモア・ヴァンパイアは中年男の首筋に牙を立てていた。あまりに強く食らいついたせいか、首の半分がえぐれ、頭部がぶらりと皮一枚でぶら下がっていた。この男の二次感染の心配はなさそうである。白目を剥いた犠牲者の顔が、闇の奥からじっと多喜を見返していた。
暗がりに灯る赤い光が四つ。二組の意思を持つ目玉が多喜に気付いた。
多喜はランチャーのトリガーを引いた。
ポシュッ、という軽い発射音がして、催涙弾がバスの中へ投擲される。
着地と同時にピンが外れ、クロロアセトフェノンの白煙が勢い良く吹き出した。 変異体の甲高い奇声。何度聞いても、怖気の走る声音である。多喜の目の前で車体ががたがたと揺れだすと、バスのリアウィンドウを破壊して怪物が飛び出した。
一体、そしてもう一体。
多喜の知覚から車影が消え、唐突に、配備した六人の武装警官の視界に取って代わる。鋏で切って繋げたような空間の不連続性。目がくらみそうだ。
正面で出迎えた緑色半導体レーザーのドットポインタが集中すると、ローリングサンダーの5.56ミリNATO弾がフルオートで射出される。鶏を絞めるような不快な悲鳴が上がり、一体目のオレモア・ヴァンパイアが蜂の巣になった。
反射的に避けた二体目のヴァンバイアが跳躍すると、【接続2】と【5】がうろたえた。その隙を突いて、怪物が武装ラインを突破する。
多喜は舌打ちした。最初のチキン野郎が二人。
怪物は折れ曲がった停留所のシェードを踏みつけ、硝子の破片を飛び散らせた。多喜は慌てて武装ラインを振り返らせるが、怪物はあっという間にタワーホールへ走り去ってしまう。
「くそっ、外したか!」
悪態を吐くと、多喜はVADSで追い掛けた。
七本脚を器用に使って走るVADSの姿は少しユーモラスでもあり、どこかグロテスクにも見えた。催涙ガスで白く煙るバスを廻り、横断歩道を駆け抜け、タワーホールの湾曲した側壁に辿り着く。
オレモア・ヴァンパイアは支柱に飛びつくと、トカゲのように側壁を登りだした。
「VADS、このホールの三次元マップは?」
多喜が命じた。
「転送します」
VADSは多喜の一次視覚野にデータ転送した。ワイヤーフレームで立体表示される建築見取図がゆっくりと回転した。五層のフロア構成、エントランスから続く垂直の吹き抜け。ジオデシック構造の骨組みがあり、その上が硝子の天窓になっている。
多喜は武装警官に意識を向けると、三人を外に残し、残り三人をホールに突入させた。エントランスに繋がる回転式自動ドアをアサルトライフルで躊躇なく破壊する。突入する三人の武装警官の視界が流れた。
多喜はホール外壁を登る、オレモア・ヴァンパイアを追った。VADSは機体上部から接着性単分子ワイヤーを発射した。イオン結合をコントロールして剥離抵抗力を自在に操る強力なワイヤーが、生き物のように壁面に組み付き、それをたぐり寄せることでVADSの機体を持ち上げていく。
ヴァンパイアは重力を感じさせない身軽さで、建物北東の白いタワーをよじ登って行く。強い北風がひっきりなしに吹き付けていた。風下だとタワーから身体を引き剥がれそうな勢いだ。
タワーの高さは全高で一一五メートル、展望台まででも一〇三メートルはある。
どこに逃げるつもりだ? お前は羽根が生えてるわけじゃない。上まで上り詰めれば、そこでおしまいだ。
多喜はVADSの搭載するマルチアングルカメラでホール天井を見下ろした。 総硝子張りの天窓は正円の縁を薄くスライスした細長い弧を描いた形で、その外円には結婚式用のイミテーションチャペルの中庭が見える。
多喜は【接続1】の視界にチャンネルした。
視界はホール内突入チームの先頭に繋がった。止まったままのエスカレーターを駆け上り、五階チャペル脇の通路に出る。
多喜は同時にオレモア・ヴァンパイアに注意を向けた。タワーを登る怪物はグレーの遮光硝子の嵌まった展望台まで辿り着いていた。下の様子をしきりに伺っている。飛び降りるつもりか? いくら頑健なオレモア・ヴァンパイアとはいえ、そいつは物理的にあり得ない。ホールの屋根まででも、八〇メートルはあるだろう。落ちれば間違いなく転落死だ。
接着性単分子ワイヤーを使い、よじ登るVADSが怪物の背後に迫っていた。一番脚を伸ばせば届きそうな距離だ。
そこで怪物は意外な行動に出た。怪物は真下に振り返ると、多喜の乗るVADSの背を飛び越え、垂直降下した。一瞬、多喜は呆気にとられた。
怪物は空中で長い手足を広げ、風圧を捉えて、四〇メートルほど下のタワーをキャッチしたのだ。
しまった!
多喜は咄嗟にホール外側に残した武装警官に知覚連動すると、アサルトライフルで狙い撃ちした。怪物はすばやくタワー背面に移動し、軽々とかわしてしまう。表面のモルタル塗装が粉微塵に砕け散った。怪物はそのまま二〇メートルほど下ると、吹き抜け天井に狙いを定めた。
「畜生め!」多喜は悪態を吐く。
多喜はホールの三次元マップに、自分の位置と五階の突入チームの位置を割り当てた。怪物の跳躍推測地点と物理落下速度を計算した。その落下放物線と射撃到達エリアが瞬時に導き出される。
多喜の一次視覚野に、VADSの三番脚に装着された二〇ミリガトリング砲の攻撃照準と、突入チーム三人の緑色半導体レーザーポインタがリンクされる。
怪物は予測地点少し手前でジャンプした。
「もらった」
多喜はシンクロ制御されたトリガーをスイッチした。
一瞬早く、五階から狙う突入チームの5.56ミリNATO弾が天窓を破壊した。分厚い風防硝子の破片が、軽機関銃の連射に舞い上がる。空中浮遊したままのオレモア・ヴァンパイアの身体にライフル弾が命中。百分の数秒差で、毎分六千発をスピンアップする二〇ミリガトリング砲の、一〇〇グラムタングステン合金弾がヒットした。一瞬で怪物の背中が、散り散りの肉片と化した。
VADSは接着性単分子ワイヤーでぶら下がったまま、落下して行く怪物の成れの果てを、マルチアングルカメラで追い掛けた。
一部は吹き抜け天井の下、エントランスホールへ。一部はイミテーションチャペルのヴァージンロードへ。潰されたトマトのような湿った残留物が、嫌らしい音を立てて着地した。
状況終了。
辺りが静かになった。
多喜がVADSの機体を起こすと、荒川の上を走る首都高速中央環状線が見えた。宵闇のビルの明かりが彼方まで続いている。いつもと変わらない、東京の夜だった。
北風の吹き付ける音だけが、外部マイクをざわつかせた。
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