第4話
多喜は渋谷を後にすると、木場方面に向けてVADSを走らせた。
七つの歩行脚で機体を持ち上げる時を別にすれば、VADSの走行モードは極めて穏やかな安定駆動と言えた。
コクピットは単座式で案外ゆったりしている。AI制御しているため、ナビが起動している以外、モニタはインフォメーションサービスを表示していた。多喜はVADSの中ではITCをオフにした。ITCは便利な道具だが、長時間使用するとストレスの掛かる代物である。神経系の病理を引き起こす可能性もあると聞く。なので、多喜は目で見、耳で聞くを生活の基本と定めていた。
多喜は座席の上で胡座をかいて、ナビを眺めた。マップは木場公園周辺を目指して東に移動している。
VADSは一見して独立した特殊兵装に見える。しかしその実態は、衛星を経由した自律戦略システムの端末なのである。VADSは総体であって一つだ。どの機体も差異のない並列化が施されている。
コクピットの前方、モニタ右隅に黒い硝子張りのエリアがある。そこに光る一つ目の赤い目玉は、(夜の盾)の間でVADSの目、と呼ばれているものだ。その点滅の加減が、VADSのメカニカルなフィーリングを表現していると言われていた。今、点滅は二秒間隔で均等な脈動を描いていた。経験から推測するならば、それは何か言いたい事がある、のサインだった。
「オッケー、VADS。話してくれ」
多喜は声に出して高性能自律AIに投げ掛けた。AIは例によって二枚目風のバリトンヴォイスで応答した。
「先ほどライン入力された、出所不明情報ですが」
多喜はにやりとした。扱いを心得た応答である。感情はないが、何処かユーモアのセンスを感じる対話サブルーチンだ。高度なELIZA効果を発揮している。
「磯辺主査の記録は削除してくれ」と、多喜が伝えた。
「了解」
VADSは一瞬で手続きした。しかし、赤い目玉は留まることなく明滅を続けている。多喜はVADSに促した。
「あー、質問があれば、どうぞ」
VADSは穏やかに問うた。
「先ほどの情報のやり取りで、元化学研究員のオレモアと現職警官の関連をあなたは意識されていましたね」
「そうだな」
「しかし、事実と状況から、その推察は理論付けられません」
「全く、その通りだ」
「あなたはその関連付けに強く惹かれている。それは経験から引き出される見解ということですね。いわゆる(刑事の勘)というものですか?」
多喜にはVADSから出たその言葉が意外だった。思わず笑い出してしまう。 「高性能AIから、(刑事の勘)とはね。いやー、まいった」
「面白いですか?」
「十分ジョークだろ」
「それはどうも。それで、どうなのです?」
機械は食い下がった。多喜は鼻の頭を掻き、VADSの真意を図ったが、まあ、単なる人間観察の興味であろうと結論付けて、
「そうだな。今の俺は(夜の盾)だが、数年前までは捜査一課の刑事だった。それが大きな理由かな」
「なるほど」
「続けるかい?」
「ぜひ」
多喜は一つ咳払いした。
「長年間勤め上げた結果の私見だがね。事件には似たようなケースが何度も表れるんだ。ある種のフォーマットがあって、そこに組み込まれるパターンがある。それは論理と関係なく答えに結びつくものなんだ。それが言うなれば(刑事の勘)って奴だな。状況から答えを探り、後からその間の裏付けを埋めていく。まあそういうことだ」
「なるほど」
多喜はVADSに問うた。
「AIとしての意見はどうなんだ? 今の俺の話、答えになってるかい?」
VADSは衛星経由の何処か遠くで推論し、答えた。
「直感とは、知識の主体が熟知している知の領域で持つ、即時的な知識の形式である、そう理解します」
「ほう?」
多喜は心の内で、(その心は)と呟いた。
「直感と本能は異なっています。本能は必ずしも経験的な要素を必要としません。直感的な基礎による見解を持つ人間は、その見解に至った理由を即座に説明出来ないかもしれませんが、その直感が有効である理由を、より組織化して説明すべく論理のつながりを構築することで、直感を合理的に説明できる可能性を持ちうるからです」
多喜には、さっぱりな言葉だった。苦し紛れに相槌を打つ。
「………大体、俺が言いたかった通りだな」
「そうですね。見識が深まります。人間と働くのは楽しいです」
それは古いSF映画のセリフだった。自分はからかわれているのかもしれない。 多喜はモニタを外部カメラに切り替え、移動する景観を眺めた。首都高速3号は比較的空いており、灰色の雲の下、長い車列が一定の幅を保ったまま平行移動を続けている。遠くスモッグの霞の彼方、六本木ヒルズの銀色のタワーが輝いていた。 多喜はコクピットの禁煙マークを恨めしそうに睨んで、口寂しい唇を叩きながら考えた。
実際のところ磯辺に指摘された通り、多喜には捜査権がない。これは(夜の盾)特別司法執行職員という、中途半端な役どころのおかげである。作戦行動の為のリサーチという名目を振りかざしたところで、それはむなしい元職業病に過ぎない。刑事の勘も、趣味では仕方ない話である。
(自分がこの街を背負ってるなんて思い始めたら、辞め時期だぜ)
若い頃、先輩刑事に言われた言葉が身に滲みた。辞めて尚、こんな調子だった。いい加減踏ん切りの悪い自分に呆れてしまう。
多喜は苦々しい思いを呑み込んだ。
多喜が向かっているのは、片山徹のマンションだった。
昨日の犠牲者の一人、鑑識課2係の男である。江東区木場公園の北側らしい。すぐ側には都の現代美術館がある。感染者、石見庸介の方は千葉の流山の辺りで、勤め先の研究所の近くだった。そちらは今から行ったところで無駄足であろう。オレモア症患者の自宅など、真っ先のクリーニング対象だからだ。まあ後でITCで潜って、こっそり資料を頂くのが関の山だ。
一方、被害者の片山は現職警官であるからして、入念な鑑識作業が行われているに違いない。身内の不幸には皆、力が入るものである。今頃は人が溢れかえって、一人二人部外者が潜り込んでも目立つまい。無論、多喜はそれを狙っての視察だった。
江東区の三ツ目通りから4丁目方向に曲がる一体が、物々しい警察車両でごった返していた。
多喜はバッジを手に、道行く警官に振りかざしながら小走りに突っ込んで行った。小突かれ、押しのけられたりしながらも、一応はバッジの紋所が功を奏して、目的の片山の部屋に到着した。
小振りで瀟洒な六階建てのマンションに、その部屋はあった。本庁刑事部を筆頭に、現場鑑識、科捜研、生活安全課、所轄の第七方面本部入り乱れての合同捜査だった。2LDKの狭いマンションの中を、段ボールを抱えた白手袋の捜査員たちが右往左往している。
多喜はバッジを掲げて入口の脇に邪魔にならないよう立った。
既に部屋の中身は半分ほど押収され、空き部屋になりつつあった。物を置いてあった床板とそうでない部分が、あからさまに違って見える。片山という男、お世辞にも綺麗好きとはいえないタイプらしい。壁にはアイドルのポスターが貼られ、棚には各種ソフト類が崩れそうな山になっていた。ビールの空き缶、カップ麺の発泡ウレタンの丼、お菓子の空箱。都の指定ゴミ袋からそれらが溢れ、こぼれていた。部屋のあらゆるところにうっすらと埃が浮き、それが油の蒸気で固着していた。薄汚れた部屋であった。女の出入りなど感じさせる気配もない。多喜は内心、自分の部屋とだぶるところもあり、少々痛みを覚えた。俺が今殉死すれば、まさにこの光景なのだな、と。
通り掛りの捜査官が、ふと多喜に注目した。多喜は小さくなろうと努めたが、そうもいかない。捜査官は多喜のバッジを確認した。
「ご苦労様。あんた(夜の盾)かい? 夜勤明けに大変だね」
若い捜査官だった。三十そこそこというところだろう。小柄な男で、グレースーツが決まっていた。カイデックス製ショルダー・ホルスターから自動拳銃の握りが覗いている。刑事だった。
「どうも。昨日の被害者の自宅と聞いたもので。見学させてもらってます」
多喜は慇懃に返答した。小柄な若い刑事はうなずいて、
「ああ、渋谷の風俗で捕り物してくれた人か。いつもお世話になります」
若い刑事は頭を下げた。それから言葉を繋いだ。
「なんでも美人職員が一人亡くなったんだって?」
マギー・リンの話はどこでも有名だった。
「残念でしたよ」
うんざりした口調で多喜が答えると、若い刑事が奥を指差した。
「同業の方なら奥にいるよ。待ち合わせでしょ?」
そう言い残すと刑事は手袋をはめ、リビングに去って行った。
多喜は人の波を縫ってベランダに出た。ブルーシートに覆われた青い光の中に、見慣れた大男を見つけた。
「黒沢」
呼ばれた男がはっと振り返った。豹柄のブルゾンに紫のローライズパンツという、いかれた出で立ち。やることもなく、その場にしゃがみ込んでいた男は、能楽面の痩男に似た顔立ちをしていた。変態野郎、黒沢だった。
「貴様!」
黒沢が立ち上がるが早いか、多喜は襟首を掴んで引っ張った。
「お、おい、いきなりは勘弁してくれよ」
黒沢はひょろ長い胴を折って、多喜に引きずられた。両手が殴られまいと顔をかばっている。
「こんなところで何してる?」
多喜は詰問口調で黒沢をどやした。黒沢は上擦った声で答える。
「俺様のコネクから被害者の住所を聞いたもんでな。ちょっと寄ってみたまでよ」 「お前、一度だって現場検証なんて来たことねえだろうが」
「いや、そうだけどさ………」
そこで黒沢が伏し目がちなり、困った風な顔を見せた。
「昨日のことは、………悪かったと思ってるよ」
多喜はしおらしい黒沢の言葉に、掴んでいた襟首を離した。
「俺に言うな。逝っちまったマギー・リンにでも、手合わせとけ」
「わかったよ………」
多喜は気持ちを収めるごとく小さく呻くと、黒沢に背を向けたまま言葉を続けた。
「それで、何か見つかったのか? ここで」
「俺があんたみたいに行くわけねえさ。何を見たらいいのかもわからねえし」
そういって黒沢は肩をすくめる。多喜は同意して、
「そうだな。お前じゃな」
「あんたは、何か追い掛けてるのか? 昨日の一件、何かあったのか?」
黒沢に言われて、今度は多喜が肩をすくめる番だった。
「さあな。実のところ、俺もお前と大差ねえんだ。現職警官と生化学者がキャバクラでばったり、ってのがちょっと腑に落ちないだけ」
「何だい、そりゃあ?」
「良くわからん」
多喜はしばらく所轄の連中の動きを見ていたが、ジャケットから小型の携帯端末を取り出すと、部屋の隅々を見回しながらパチパチと撮影を始めた。
黒沢が背後から付いてきて覗き込む。多喜は鬱陶しそうに顔をしかめた。
「何だよ?」
「そりゃ、こっちのセリフでしょうが。教えてくれよ」
多喜はあからさまに面倒な素振りで、黒沢に説明した。
「この現場鑑識の片山という男、面識はないけど、結構、乱雑な男だろ?」
黒沢はぐるりと辺りを伺った。
「ま、見たところ、そうだな」
「おまけに、こいつは落書き癖がある」
そう言って、多喜はサイドテーブルの上を指差した。
埃の溜った樹脂コーティングに、シャープペンシルか何かで書き込まれたラブピースの絵が見えた。
「なるほど」
黒沢はうなずいた。だが、わかってなかった。
「で?」
多喜はそのマークををパチリと撮影すると、
「つまりだ。書き込みはこの部屋中、いたるところにある。ずぼらな片山君が電話を掛けるとだ、その近所の何かがメモ代わりになるってこと。メールを打てば、その何処かがアドレス帳にかわるってこと」
黒沢は人差し指を立ててうなずいた。
「ははーん。さすがだな、多喜。それで?」
多喜は溜息を吐いた。
「いい加減、理解しろ。何かの番号やアドレスがあれば、片山の日常生活に関連するどこかに繋がるだろうが」
黒沢の表情が電気に打たれたように輝いた。
「そっかー。さすがだな、多喜」
「普通のことだ」
多喜と黒沢は、片山のマンションの中をうろうろしながら、三十枚ほど撮影したところで退散した。
現代美術館の正面、右隅にある多目的広場口まで歩いて行って、多喜は灰皿を探した。雑草が伸び放題伸びたベンチの側に小汚い灰皿を一つ見つけた。
「煙草、吸おうぜ」と、多喜。
「おう」黒沢が相槌を打つ。
VADSに載っている時からずっと我慢していた多喜は、キャメルを取り出すと旨そうに吹かし出した。黒沢はグリーンのハードパッケージで、どこぞの銘柄のクールシガレットに火を点けた。
「インポになるぜ」
多喜がからかうと、黒沢は煙を立てる熱い先端を見詰めながら、
「ご冗談を。今日は俺様、風邪気味なんだよ」
「風邪なら吸うな、って話しだろ?」
「喉が痛い時は効くんだぜ」
「ほんとか?」
「いいんや。ギャグ」
二人は黙ったまま、しばし喫煙を堪能した。黒沢はへこんだアルミ製の皿に吸いさしを叩きながら多喜にたずねた。
「さっきの写真、あれ、どうすんだい?」
「あれか? とりあえずVADSでパターン解析だな。いろんな落書きの中から意味を持つ文字、もしくは図形に絞って、ピックアップさせる」
「それで、何かわかるのか?」
「わかるかどうかは、やってみなくっちゃ。そうだろ?」
黒沢は目をすがめた。
「あー、それってつまり、当てずっぽう、ってことなのか?」
「捜査の大半は当てずっぽう。その集積したのを証拠という」
「そんなもんかい?」
「そんなもんだ」
多喜は黒沢と話しても得るところなし、と判断して、無視して煙草を吸い続けた。二本目に火を点けた時、黒沢が小さな声を上げた。
「多喜、………ほんと俺、昨日の事は反省してるんだ」
多喜は鬱陶しそうにちらと目を向けた。しばらく沈黙を守り、おもむろに言葉を放った。
「お前のオレモア嫌いは異常だぜ」
黒沢はうつむいたまま同意した。
「トラウマなんだ。昔、目の前で兄貴がやられちまってよ。そん時も風俗だったか。ソープか何かの帰りさ」
「兄貴だ? そりぁ、お前の血を分けた兄弟の話か?」
「兄弟も同然」
多喜は、ハハンとしたり顔になった。
「どこの出身だ、黒沢?」
黒沢は口元をゆがめると、ぼそぼそと呟いた。
「………百人町」
「おっと、初耳。てことはアジア関係か?」
「そういうこった」と、居心地悪そうに腕組みする。
多喜は鼻を鳴らした。
「元刑事と元チンピラがつるんでるとは、こりぁ、異常事態だろ? ………お前のコネクの意味がやっとわかったよ」
つまるところ、黒沢は新大久保を根城にするアジア系マフィアの成れの果て、ということだ。全く寝耳に水である。ま、調べればわかっただろうが、生憎こいつに興味などない。
「お互い、色々過去があるってことだ」
そうぼやくと、黒沢がふてくされた。
「いやー、驚いた」
多喜はまじまじと黒沢の顔を眺めて、くすっと笑った。
「何だよ?」
「いや、しかし………お前さんが国籍違いとはね。驚きだぜ。まるっきり日本人だろうが。知ってるか? 上野の国立博物館にお前そっくりの能楽面がある。(痩男)っていうんだ。今度見て来なよ」
「うるせえなあ。だったらどうだってんだ?」
顔をしかめて不快を示す黒沢を、多喜はからかった。
「いや別に。ただ面白かっただけ」
「言ってろ」
二本目の真ん中辺りまでの吸いさしを灰皿に沈めると、多喜は改めて三本目に火を点けた。黒沢がたしなめた。
「多喜、吸い過ぎだ。チェーンスモークは良くねえぞ」
多喜は煙草を指に挟んだまま左手を回し、
「今朝、凄く煙草がまずくてな。しかし今また旨くなった。煙が塩辛く感じたことってあるか?」
黒沢は静かに首を振った。
「俺は貴様の身体の心配をしてるわけじゃねえ。問題はCO2の方だ」
真面目腐った顔の黒沢を、多喜がせせら笑う。
「環境問題って柄かよ」
しばらくして黒沢の頬も、ふっと緩んだ。
「全くだ」
二人は顔を見合わせ笑った。
そこで何か思い出したのか、多喜が急に顔を曇らせる。
「どうした?」
黒沢は灰皿に吸いさしを落とした。
「そういやあ、忘れてたぞ。お前のコネクに入ってねえか? 俺たちが特殊護送救急車へ移送した生存者」
黒沢は曖昧にうなずいた。紫色のローライズパンツからはみ出た腰をさすりながら、
「ああ、あのおネエちゃんな。聞いてるぜ。巣鴨パレスに収監されたよ」
多喜は残念そうに首を振った。
「やっぱ、無事じゃなかったか」
「残念無念よ」
黒沢は時計に目を落とし、言った。
「さて、あれから半日以上だ。そろそろ症状が出始めるぜ。尋問するなら早いがいい」
「名前、わかるか?」
「ちょっと待ってくれ………」
黒沢は上目遣いに起動スイッチを入れると、自分のITCから患者のプロファイルデータを多喜の頭蓋へ飛ばした。
江波ハル。 二〇一六年、神奈川県生まれ。二十二歳。風俗店アルバイト。 オレモア症候群感染者・一類感染症キャリアー。
情報は冷淡に箇条書されていた。多喜はキャメルを灰皿にねじ込むと眉をひそめた。
「気が、進まねえな」
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