第14話
「あのね、彼氏、大樹っていうんだけど。私の他に、大事な人がいるらしいんだよね。それがさっきいた、女の人」
萌はゆっくりそう告げた。自分でも事実を確認するようにゆっくりと。
「さっき、子どもいたよね?バツイチとか?」
山田は当然の疑問を口にする。萌も、同じことを大樹に確認したことがある。
「違うんだって。あれは大樹の友達の子ども。彼女は、友達の彼女だった人らしいんだよね」
「はぁ。そういうこと」
山田はちょっとだけ鼻で笑ったように見えた。
萌はカラカラに乾いた喉を潤そうと、お茶をまた口に含んだ。湿った喉からはくぐもった声が出てくる。
「付き合いはもう十年以上になるって言ったかな。あくまでもずっと、トモダチ関係、みたいだけど」
「それはまたずいぶん仲の良いトモダチだな。休日に彼女とのデートドタキャンして、買い物に付き合うわけだろ」
「さっき言ったでしょ。今、始まったことじゃないって。こんなことは日常茶飯事だよ。会ってたって、それを切り上げて駆けつけちゃうくらいだから」
「お前、それでずっと我慢してんの?」
山田は心底驚いたようにそう言った。
無理もないだろう。こんなバカな女、きっと他にはいない。
「仕事してる姿からは、想像できないわ」
山田は、既に飲み終えている缶を指で弾きながら、はぁっと息をついた。
「なんつーかさ、会社でのお前って、きっちり白黒つけるタイプじゃん。仕事は確実にこなしてくれるから頼りになるけど、理不尽な要求はきっぱりはねのけるし。だからプライベートも、割とドライな感じだと思ってたわ」
「全っ然だよ。付き合う前からこのことで揉めてたし、今で付き合って一年くらい経つけど、ちっともお互いに進歩してないもん」
「人って、わかんないもんだね」
意外だわ。山田はそんなことを言いながら、首を傾げている。
「あの女が関わってないときの大樹はさ、本当に良い人だし、一緒にいて安心できるんだ。だからずるずる続いちゃってる感じ」
「なんだか、DVされてる人の言い分みたいだな。暴力さえなければ良い人なのって」
「そうかもね。単に依存してるだけなのかもしれない」
「わかってても、やめられないってことか。多分さ、散々友達にも別れろとか言われてんだろ?」
「ご名答。百合さん達にも、他の友達にも、かなり釘を刺されています」
「だろうなぁ。俺でもそう言うわ」
山田は苦笑いを浮かべた。
自分の彼氏が、長年、女に貢いでいる。そう打ち明けられて反対しない人を、萌は知らない。全員が口を揃えて、止めろと言ってきた。どんなに大樹の人となりを説明したところで、その事実が先入観となって、それ以上の情報を聞いてさえくれないのだ。
「大樹が言うにはさ、シングルマザーって想像以上に大変らしいから、どうしても誰かの助けが必要なんだって。だから」
「俺が支えなきゃってなっちゃったんだろうな。気持ちはわからなくもない」
「わかるの?」
「俺はね。頼られて悪い気はしないし、ありがとうって言われて、相手が幸せそうな顔してたら自分も嬉しくなるだろうな」
「貢がされて、いい様に利用されてるだけでも?」
「それは周りからの評価だろう。本人は相手を幸せにしたくてやってるだけだから、手段はなんでもいいんだよ。自己犠牲とも思わない」
「そういうもんなんだ」
萌は急激に落ち込んでいくのを感じた。味方だと思っていた存在が急に敵に回ったような気がしたからである。
「まぁ、でもさ、それは相手と一対一でのみ成り立つ関係だよ。お前の彼氏みたいに、別に彼女がいるならダメだな。大切にする相手をはき違えてる」
「フォローをどうも。ついでに言うとね、大樹には何年間か、『だから付き合えない』って言われてたんだ。俺はお前を不幸にするからって」
「けど、付き合ってんだろ?」
「うん。相手側の事情が変わったからね」
あの女は、子どもがいるにも関わらず、結婚していない。その理由は大樹も知らないと言っていた。
萌としては、二人も子供がいるのにきちんとした形を築かないことに違和感があるのだが、そこは彼女達の事情だからと大樹はさして気にしていない。
子どもたちはパパはパパとして認識していて、大樹はあくまでもママのトモダチのダイちゃん扱い。にも関わらず、旅行や遊びに連れて行ってもらったり、モノを買ってもらうことには何の抵抗もないらしい。まだ小さいし、親に倣っているのであれば仕方がないことなんだろう。
彼らは、萌が知っているだけでも三度は泊りがけの旅行に行っている。そこでの部屋割りは二つ、ではなく一つらしい。パパでない男性と同じ部屋に泊まることに抵抗がない子ども達は、既に大人からの悪い影響に毒されているに違いない。
そんな関係であるというのに、何だかんだ言っても、女にとっても子ども達にとっても一番大事な存在は『パパ』だ。女とその男の間でどんなやり取りがあるのかまでは、ちっとも想像つかないけれど、そこで何かが起きた時、大樹はあっさりと不要の烙印が押される。
萌と付き合うと、大樹が決めた時がそうだったのである。
「ってことはなに、そのパパとママが主人公で大樹さんが脇役、そのまた脇役が鈴木ってことか」
呑み込みの早い山田は簡単にそう結論付けた。たしかにその通りだが、あっさりと役割決めされてしまうと、自分が舞台袖に控えているだけの存在に思えて、また悲しくなってきた。
もうあっちは方が付いたから、大丈夫。何回そう言われて裏切られてきたことか。考えれば考えるほど、萌はまた自分のバカさ加減に嫌気がさしてきた。
「そんなドラマみたいな恋愛してるとは、全く気付かなかったわ。お前、やっぱすごいね。そんな姿、微塵もみせないじゃん」
「見せられるわけないじゃない。かっこ悪い」
「けどさ、そこまでハマれる相手がいるってことだ。案外、大樹さんと似た者同士なんじゃん」
「一緒にしないでよ」
萌は口を尖らせて抗議したが、内心でなるほどとも思った。
相手にしつこく執着して、切りきれないところはお互い様かもしれない。
「諦められないんなら、とことん食い下がってみればいいんじゃね?それでやり切ってみればいいよ。たとえダメになっても、いつか、どこかの物好きが拾ってくれるかもしれないしな」
山田は明るくそう言うと、にこやかに笑った。
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