第10話
「かんぱーい」
チームのメンバー六人が声を合わせて、グラスを鳴らす。
今夜は仕事の打ち上げだ。キツキツだった業務もこれでようやく片が付いた。リーダーの山田ばかりはまだまだ忙しそうだけれど、他のメンバーはひとまずこれでお役御免である。
「皆さんのおかげです。ありがとうございましたっ」
山田は大げさにそう言うと、ジョッキの生ビールを半分近く一気に空けた。するとすぐさま、後輩の女性が空いた分に継ぎ足してやる。
「山田さん、お疲れ様でした」
彼の隣ではにかむ様子を見て、萌はピンときた。
当の山田は気付いていなそうだ。アシストを頼まれていたわけでもないから、お節介は焼かないことするけれど、邪魔をするのだけは避けよう。
萌は小さなグラスでちびちびビールを飲みながらそんなことを考えた。
「いやぁ、今回はほんっとみんなに助けられたわ。鈴木も遅くまで付き合ってくれてありがと」
「だからさ、仕事だし。そんなに言わなくていいから」
萌はさらりと返したつもりだったけれど、何となく後輩の女性、佐久間美奈子の気がざわつきを見せたような気がした。
「私はただの雑務係。あれだけのプロジェクトをまとめ上げたのはみんなでしょ。本当にお疲れさま」
萌はそう言って、隣にいた後輩くんのグラスに自分のそれを当てた。彼は恐縮したように、小さく頭を下げて返してくる。
それから数時間。達成感から始まった飲みの場も、次第に話題は仕事の愚痴や、社内の噂話に変わってきた。
「そう言えば、中野さん、今度結婚するんだって?」
「ん、誰ですか?」
「中野祥子さん。鈴木と仲良かったよな?」
「ああ、うん。そうだよ」
もうこれは公表されている事実だから、話しても平気なことだろう。萌はすぐさまそう思考を巡らせる。
「学生時代からの彼氏。写真見せてもらったけど、かっこよかったよ」
「へえ。そうなんですかぁ」
美奈子は少し興味がありそうに身を乗り出してきた。
彼女は確か、萌の一つ二つ下だったろうか。そろそろ結婚を意識しだす年頃なのだろう。
「で、鈴木さんはどうなんですか?」
すかさず、美奈子はそう言った。なんとなくそうなるだろうと予測していたから、萌は当たり障りない答えを返すことにする。
「まぁ、お互いのタイミングだよね」
「彼氏いるんですよね?」
こくりと頷くと、彼女は隠すことなく安心の笑みを浮かべた。
「そういえば、彼氏、いい車乗ってるよなぁ」
山田が羨ましそうに言う。美奈子の表情がまた変わった。今度は複雑な色を浮かべている。萌はフォローするようにこう言った。
「この前、会社に迎えに来てくれた時に見たやつでしょ。実家暮らしだし。余裕あるんだよ」
一応、親名義であることは伏せておく。名義だけでなく、車本体も、その他もろもろの費用も親持ちであり、彼はそれを好き勝手に乗り回しているだけだけど。
「仲良しなんですね。結婚決まったら教えてくださいねぇ」
明るくそう言ってきた彼女に、萌はきれいに微笑み返した。だが、萌なりに努力しているというのに、山田は空気の読めない発言を落としてきたのである。
「中野さんには俺もかなりお世話になったからなあ。結婚祝いでもしようかな。鈴木さ、週末とか空いてない?」
「え」
「好みとかわかんないから、一緒に選んで欲しいんだけど」
げ。内心でそう叫ぶ。そして精一杯、顔がひきつらないようにがんばった。
「いっそのこと現金にしたら?」
「それはダメでしょ。いいじゃん、その辺のデパートでいいから」
萌は怖くて美奈子の方を見られなかった。だから、彼女の表情はわからない。
この申し出はあくまでも仕事上の付き合いの一環だ。隠れてこそこそしているわけでもない。それなのに無下に断るのもどうなんだろうか。
こうなったら仕方がない。萌は別の提案を出すことにした。
「そうだね。じゃ、内輪だけでも送りたい人募ってさ、連名で出せば?そうしたら多少は値が張る物でも買えるでしょ。みんなで行こうよ」
「みんなでねぇ。都合合わせるのだるくない?」
「日程だけ決めといて、合う人だけでいいじゃん」
さもグッドアイディアばりにそう言うと、山田は最終的には承諾してくれた。ぶつぶつ言っていたような気もするけれど、それは聞こえなかったことにしよう。そしてこの話を一番喜んでくれたのは、意外にも美奈子だった。
彼女にしてみれば、休日を山田と過ごすいい口実になるんだろう。祥子とそれほど面識はないはずだったが、そんなことは関係ないに違いない。
「わかった。じゃ、スケジュール確認してまた適当に連絡するわ」
よろしく。萌はそう言ったけれど、きっとどの日でも都合が悪いことになるに違いない。
厄介事はプライベートだけで十分。そう思っていたにも関わらず、結局は想像以上のごたごたに巻き込まれることになるなんて、この時誰に予想がついただろう。
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