全ての答えはチケットの中に

「チケットがヒント?」

 寝起き特有の口の中の乾燥と驚きで掠れた声が妙に合わさり、音という音が発せられ無かったように思える。

「じゃあ、思い出して。1枚目のチケットは何?」

 あんな声でも通じたのかと思いつつ、3枚あるうちの1枚を手に取り答える。

白豪諸島はくごうしょとう

「うん。じゃあ次」

「えっ……、摂淵島せつえんとうだけど」

「そう。それで最後は?」

羽草群島はぐさぐんとう

 こんなことして意味はあるのか。

「さぁ、その中に答えはあるわ」

 誇らしげにない胸を張る。

「はぁ……。分かんないんだけど」

 西陽が痛いほどに突き刺さる。今さらになって気がついたが、恐らく緋里が俺の寝てるうちにカーテンを開けたのだろう。

 それよりやばい、鳴る。鳴りそうだ。

 ぐぅー。盛大に腹の虫が声を出す。

「えへへ、お腹すいたみたい」

 少々恥ずかしそうに言ってから残しておいた鮭のおにぎりを手に取るため置いておいた机に手を伸ばす。

 カシャカシャ、と嫌な音がする。

「ん、どうしたの?」

 軽い調子で声をかける。

「いや、そこに置いてた俺の夕食を探してんだよ」

「夕食? そんなのなかったけど?」

「嘘だろ? 鮭のおにぎりだぞ!?」

 刹那、緋里の顔色がさーっと引いていくのがわかった。

 ……食べたな。

「おい緋里」

 静かにそう呼びかける。散らかった部屋に伸びる俺と緋里の影。肩の辺りで交わりあって一つの大きな影となっている。

「な、何でしょうか……」

 緋里の声は戸惑いを隠せてない。だからわかる。こいつが犯人だって……。

 素直で嘘をついてもすぐにわかる。緋里の特徴だ。

「お前、食ったろ?」

「な、何をカナー」

 片言で下手な口笛を吹くのがより一層に疑いを確信に変える。

「鮭のおにぎりをだ」

「……」

 緋里は黙ったまま石化したようにピクリとも動かない。

「食ったなら食ったって言え。怒らねぇーから」

「……食べました」

 やっぱりな。緋里は弱々しい声音で告げる。

「最初からそう言えよ」

 少し気だるさを込めて言う。

「だってー、むっくんに怒られるって思ったんだもんっ!」

「そりゃあ怒るよ」

「ごめん……」

 悲しげな表情を浮かべる緋里。俺は追い打ちをかけるように言う。

「晩御飯どうしようかな……」

 うぅ……。と唸る声がする。

「私の家で食べる?」

 緋里の絞り出した苦肉の策であろう。俺は一瞬迷った風にしてから「いいのか?」と訊いた。

「いいよ」

 緋里の答えはそれだった。戸惑いも無かった。

***

 必死の思いで本日5度目の階段を降りる。途中、段を踏み外しそうになるところを何度も緋里に救ってもらった。

「もう、ほんとに軟弱になったよねっ!」

 そう毒づきながらも助けてくれるとこが緋里の良いところなんだよな。

 緋里に支えてもらいながらどうにかしてやっと緋里の家につくことができた。

 一人暮らしの緋里の家に行くのは少々抵抗があったが、ご飯が出されるのなら最高だ。

「なぁなぁ」

 薄暗くなり始めた車道を二人並んで歩く。傍から見れば、誤解を生むかもしれない。

 単なる幼馴染みなのだが……。

「何よ」

 闇に呑まれるような小さな言葉が返ってくる。

「さっきの話何だけど」

「さっきって?」

 静かな言葉が幾つかの星が煌めく薄暗い空へと吸い込まれていく。

「暗号のこと」

「あぁ。あの暗号ねチケットの中に答えがあるってのはわかるでしょ?」

「おう」

 チケットの行き先を思い出しながら答える。

「でもね、あのチケットはそれだけじゃなく、答えを導き出すためのヒントの役割も果たしているの」

「意味がわからない」

 その言葉を交わしたところで緋里の家に着いた。

 外見は古くもなく、新しくも無い中堅的なアパート。中に入ってみると綺麗に整えられた部屋があり、いい匂いがした。これが……女子の部屋。まぁ、緋里の部屋なんだが。

 余計なものなどない、整理整頓がきちんとされた部屋。パッと見で1LDKの部屋だとわかった。俺のとは違うな。家賃どれくらいなんだろ。次から次へと湧き上がってくる疑問を横にやる。

「俺はどうすれば?」

 慣れた汚い部屋でなく、慣れない綺麗な部屋に居てもたってもいられなくなり訊く。

 要するにリラックスできないのだ。

「どうって、そのへん座っててくれたらいいよ」

 小さなテーブルとその脚にはピンクのクッションが立てかけてある辺りを指差し言う。

「えっ、あ、おう」

 ゆっくりできないから訊いたのに返ってきた言葉がゆっくりしてだったので、言葉が詰まる。

「何よ。今から作るからちょっと待ってて」

 緋里は小さめのダイニングテーブルの周りに置いてある3つの椅子のうちの一つに掛けてある腰巻きのエプロンを巻きながら言う。

「この光景。なんか夫婦みたい」

 思わず思ったことが口に出る。

「なっ、なっ、何言ってんのよっ!!」

 緋里は顔を真っ赤に染めて必死の形相で言う。

 そこまで必死になるとこなの。

「わ、悪かったって」

 あまりの必死さに反射的に謝罪の言葉が出でくる。

「べ、別に……。私もなんかごめん」

 小声でそう言うとパタパタとキッチンの方へと小走りで向かっていく。

「何だったんだ……」

 俺の呟きは虚空に消えて言った。

***

 十数分後。緋里は両手に皿を持って現れた。皿の上にはミートソースのかかったパスタを持っている。

「急だからこんなのしか用意できないよ?」

「いやいやいや、全然全然。最高にうまそう」

 家を出てからこんな美味しそうなものを食べた覚えがない。

「そ、そんなに言ってもらうとなんか照れるよ」

「いや、マジでうまそう」

 ヨダレが垂れそうなのを抑えるのが精一杯だ。

「じゃあ食べよっか」

 その言葉に俺は頭を縦にぶんぶんと振る。早く早く、と言わんばかりに振る。

 いや、実際に早く早く、という意味で振ってるのだが。

「「いただきます」」

 二人の声は綺麗にハモる。緋里の凛とした声と俺の貧相な声で奏でられる音は不協和音ではなく、心地の良いものだった。

「んっ、うまいっ!」

 フォークに巻いたミートスパゲティを口に入れた瞬間に反射的に言葉が出た。

 パスタとミートソースがいい感じに混ざり合い、口の中に広がるソースはトマト嫌いな俺でもしっくりくる味で絶妙だった。

「そんながっつかなくても……」

 緋里は苦笑しながら言う。

「んふんふ、んっとあほいうほに食わねぇーと(いやいや、ちゃんと熱いうちに食わねえーと)」

「もうっ。口の中の物がなくなってから話してよね」

 そんなやり取りをしながら食事を進め、互いにほとんど食べ終わりかけた頃に思い出したかのように訊く。

「来る時話してた続き、教えてくれよ」

 出されていた麦茶を一気に飲み干す。

「むっくんにはちゃんと解いて欲しいんだけど……。問題文覚えてる?」

「門にありて、口にない

 心にありて、体にない

 ていにはありて、帝にはない

 だったと思うぞ」

 良かった覚えてて……。

「その暗号の鍵は漢字よ」

「漢字?」

 緋里は席を立ち、カバンの中から取り出した紙に暗号を書いて見せた。

「もし漢字で書くなら、『ありて』を『有りて』と書けばいい。『ない』を『無い』と書けばいい。でもそれをしなかった」

「ほほう」

 凄い洞察力だな、と感心しながら耳を傾ける。

「なら重要なのはひらがなで書かれた文字か、漢字で書かれた文字。この場合だと、後者ね」

「それはわかるぞ。有り無しをひらがなで書くことで前の漢字の印象を濃くしてるんだな」

 残り僅かだったミートスパゲティをたいらげ、誇らしげに言う。

「そうよ。それで次に出てくるのがチケットよ。注目すべきはチケットの行き先の漢字よ」

「こっちも漢字かよ」

「そう。全て漢字よ」

 緋里は俺より更に何倍も誇らしげに言う。

「もうちょいヒント頼むよ」

 多分まだわかんねぇーだろ。という思いが強かったので更に懇願してみる。

「もうーしょーがないわねー」

 慈愛の笑顔を浮かべた緋里は座ったままぺちゃぱいをできる限り張り、人差し指を突き立てる。

「漢字は分解するのよ」

「分解?」

 意味がわからず緋里の言葉をオウム返しする。

「そう。画数の多い漢字になると複数の比較的簡単な漢字が組み合わさることが多々あるでしょ」

「あぁ、あるな。『親』とか『立』と『木』と『見』だもんな」

「そ、そういう風に漢字を分解していくと答えは自ずと導き出されるわ」

 緋里はそこまで言い終えると、水滴で汗をかいているように見えるコップを手に取り、半分ほど残っていた麦茶を飲み干した。

 互いに食事は終えていた。

「俺、洗い物くらいするよ」

 俺の晩御飯食べられたって言っても鮭のおにぎり一個だし。ここまで美味しい料理に暗号のヒントまで貰えたのだからそれくらいはしないとな。

「えぇー、大丈夫だよっ!」

 手をパタパタとはためかせながら言ってくるも、そういう訳にはいかないと俺は食べ終えた皿を持ち、椅子から立ち上がる。そしてキッチンの方へと向かう。

 えぇー、だのなんだの言って後ろからついてきているのが振り返らなくてもわかる。

 キッチンに入った俺は驚きだった。使ったはずの料理器具が全て洗われていたのだ。

「おまっ、どうやって?」

「料理しながら同時でやってたんだよ」

 そんなことに驚くの、とでも言いたそうな顔で告げてくる。

「すげぇ。もうお嫁にいけるな」

 本心から、誰が相手とか全く考えずに言うと緋里はかぁーと顔を赤くし、そのまま俺の呼びかけに返事すらせず、フリーズしてしまう。

「おーい。ってまぁいいや」

 呼びかけるのをやめ、俺は再度テーブルの方に戻り緋里の食べ終えた皿と残りのコップやフォークを皿に重ねて持ち、キッチンへ行く。

 しっかりとした食事をするだけで体力が増えたような気がする。なんてたって普通に歩き、動ける。大きな進歩だ。

 キッチンに入ると未だにフリーズしたままの緋里がいた。

「いつまでそうやってんだよ」

 そうボヤいたのが聞こえたかのように緋里は動きを取り戻す。

 いつもの癖で少量の水でスポンジを濡らし、すぐに止める。

 そしてポンと置いてあった洗剤をつける。

「もう。やるよっ!」

 強引にスポンジを取ろうとしてくる緋里。

「じゃあ、俺が洗剤で洗ったのを水で流してくれよ」

 何気なく言ったのだが、緋里をフリーズさせる言葉だったらしい。

 何がなんだか……、よくわからん。

 少ない洗い物だったので、洗うのはすぐに終わった。

 そしていつの間にか調子を戻していた緋里が水で流したのでより一層短い時間で終了した。

 しかし話し込んだのもあり、時間はもうすぐ午後10時を回ろうしていた。

「うわ、もう10時かよ」

 少し昔の自分に戻った気がする。体力的に。

「ホントだね。どうする、送ろっか?」

「馬鹿か。女の緋里が男の俺を送るっておかしいだろ」

 鼻で笑い飛ばす。

「そうだけど……。遅いじゃん」

「大丈夫だって」

 そう答えた矢先にパトカーのサイレンが遠くからではあるが聞こえた。

「ほらっ。危ないじゃん」

「だからって緋里が送ったら帰りもっと危ないだろ」

 自分の身を案じない緋里にムカっとし、言葉を荒らげる。

 高校1年の頃の緋里との関係と近いなと遠い思い出を蘇らせる。

「じゃ、じゃあ泊まってく?」

 顔を赤らめ、声をかすらせ言う。

 今度は俺がフリーズする番だった。

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