お、大きい背中をしてるのね……

 目を開くと、知らない天井が広がっていた。真っ白な天井が目を覚ましたばかりの衛の目に滲みる。体を起こそうとするが、ベッドがギシッと音を鳴らすだけで体が起き上がる気配がない。そこでハッと思い出した。意識がなくなる前に戦っていたことを。それを思い出した途端、衛は深い溜息を吐いた。


「俺は、あれを使ってしまったのか……」


 辛うじて動かせる腕を頭に乗せる。ここがどこだかわからない以上は、例え体が動かせたとしても、その場から動かない方がいいだろう。衛は目を瞑ることなく、しばらく天井を仰ぎ見ていた。


 しばらくして扉が開く音がした。誰かが入ってきたようだ。何とか動くまでに回復した体を起こす。体にはまだ痛みが残っており、電流が走ったような痛みが体を通った。顔にも体にも脂汗をかいている。正直、気持ち悪い。着替えをしたいが、衛一人ではできそうにない。かと言って、まだ登校したことのない学園に友人がいるはずもないため、このままでいる必要がある。これだから使いたくなかったのだ。嫌と言うほど、言い聞かせたと言うのに。


 と、頭で思考していると、ベッドを覆っていたカーテンが躊躇なく開けられた。その先には水の入った桶とタオルと服を持っている水無月の姿があった。彼女は頬を赤らませながら、こちらに近づいてくる。


「め、目が覚めたのね」

「あ、ああ」

「体の調子はどうなのよ」

「それは、大丈夫だ―――……っ!?」

「どこが大丈夫なのよ。痛いんでしょう。訊いたわよ。あんた、技を使うと体がしばらく動けなくなるんだってね」

「入間から訊いたのか。情けないよな。こんな体にんだから」

「そうなのね」


 水無月は近くの台に持っていたものを置いてタオルを水につけて絞る。沈黙の中に水の音がピチャピチャと響く。水無月は衛のもとへタオルを持ったまま歩いてきた。


「な、なんだよ」

「ふ、服を脱ぎなさいよ」

「…………は?」

「い、いいから脱げって言ってるのがわからないのかしら!?」

「な、何で脱がないといけないんだよ!?」

「汗、すごいんでしょう?そ、そのままじゃ気持ち悪いと思って気を利かせてあげたんじゃない。べ、別に私は強制なんてしないわよ!?」

「そ、そういうことか。だったらお願いしてくれてもいいか?」

「し、仕方ないわね。この私が体を拭いてあげるから早く脱ぎなさい。元々先生に言われたんだし」


 最後の一言は小さい声で衛の耳には聞こえなかったが、特に気にする必要はないだろう。衛は言われた通りに着ていたTシャツを脱いだ。まだ体が痛むのだが、流石に会ってまだ数時間の相手に服を脱がしてもらうのはハードルが高すぎる。衛にはそんな度胸は皆無である。


「じゃ、じゃあ始めるわよ……」

「あ、ああ。た、頼む」


 衛の顔が熱くなっていくのが嫌でもわかってしまう。いくら体を拭いてもらうとは言え、相手は会ったばかりの女の子である。恥ずかしくない方がおかしい。まずは背中から拭いてもらうことにした。痛む体を我慢しながら、水無月に背中を向ける。水無月は遠慮がちでありながらも、体を拭き始めた。


「け、結構大きい背中をしているのね……」

「そうか?」

「やっぱり鍛えたりとかしているの?」

「それなりには、な。とは言っても、基礎的なことをしているだけなんだがな」

「そ、そう」


 それを最後に会話がなくなる。お互いに気恥ずかしさが先行してしまい、なかなか話すことができないでいる。と、衛の背中からタオルとは全く違う感触が背中を通った。思わず声が出そうになったが、何とか堪える。背中を見ると、水無月がタオルではなく、指を衛の背中に這わせていた。水無月の顔はリンゴのように真っ赤だったが、その指を止めるつもりはないようだ。


「な、何やってんだよ!?」

「え!?い、いや、男子ってどれくらいの筋肉があるのかなって……だから」


 そう言ってもう一度指を這わせてくる水無月。彼女には衛など眼中にはなく、その先には衛の背中だけが映っている。その表情は恍惚としている。どうしたものかと衛は考えるが、彼女がこの状態だとどうしようもない。結局はされるがままの状態になってしまっていた。


 が、それを破ったのは、扉の開く音であった。衛と水無月はともにビクッと反応して扉の方を見る。その先には入間は驚くこともなく、何食わぬ顔でこちらを見ていた。


「おや。二人でお楽しみの途中だったか。それじゃあ、私はさっさと退散したようがいいな。ここに必要なプリントを置いておくからな」


 そう言い残して入間は出て行ってしまった。残された衛と水無月は閉められた扉を見つめたまま、しばらく動かなかった。しばらくして水無月が衛から離れて台に置いてあった服を衛に投げつけてきた。


「も、もう拭くのは大丈夫でしょう!早くそれを着てよ!」

「あ、ああ」


 完全に我に帰った水無月は衛に背中を向けたままそう言ってきた。衛はカーテンを閉めて急いで着替える。背中だけしか拭いていないが、体の痛みがだいぶ引いてきたので、後でシャワーを浴びれば問題ないだろう。と、シャワーという単語を連想して思い出した。衛はまだどこの部屋なのかわかっていない。寮制とは聞いているのだが、その寮の場所でさえわかっていない。とりあえず着替え終わってカーテンを開く。


「着替え終わったかしら?」

「ああ。それで俺はこの後どうすればいいんだ?」

「とりあえず職員室に行けばいいんじゃないの?ちなみに、ここは医務室で1階だから。職員室は2階にあるわよ」

「なんかいろいろ悪いな」

「べ、別にこれくらいどうってことないわよ。……戦いに負けたわけだし」

「ん?最後の方、何か言ったか?」

「な、何も言ってないわよ!!いいから早く行きなさいよ!!プリントを忘れるんじゃないわよ!!」

「あ、ああ。ありがとうな」


 衛は机に置かれているプリントを手に取って医務室である部屋を出る。扉にあるプレートには確かに医務室と書かれていた。特に学園案内をされていたわけではないので、とりあえずは階段を探しながらプレートを頼りに職員室を探すことにした。


 一方、一人医務室に取り残された水無月は、机に仕舞われていた椅子を取り出し、それに体を預けるように腰を下ろした。今日はいつも以上に疲れが溜まったような気がした。それは桐ヶ谷衛の看病をしていたのも一つの要因だが、それともう一つ原因がある。水無月は扉へと視線をやると、重くなった口を開いていく。


「あんた、いつまでそこでいる気なの?あんたが期待していた彼はもういないわよ?」

「全く。頑なに人の名前を呼ばないのは、生徒会長としては感心しませんね。水無月九十九みなづきつくもさん。少しは変わったのかと思いましたが」

「あんなので態度が一変すると思った?言っておくけど、私はあんな変態をこの学園に置いておくのは未だに反対だからね」

「そうですか。まあ、わたくしは人の意見に耳を傾ける気は到底ございませんので」

「あんたも相当ひねくれた性格をしているわよね……」


 扉の向こうから入ってきたのは、美浜学園の生徒会長、カティエナ・ファラン・ドールだ。夕日の光を吸収して輝きを増している金髪に、外国製の人形ドールを連想させる蒼いマリンブルー、そして白人の血を受け継いでいる白い肌に、誰から見ても完璧なプロポーションをしている。話している時に揺れる大きな果実は、まな板同然の水無月にとっては嫉妬の対象になるわけで……。


 それはさておき、生徒会長とクラス委員長が揃った医務室の空気は張り詰めていた。お互いに睨みつけているわけではないが、二人の間には誰も近づきたくはないだろう。やがて、疲れが溜まっている水無月が溜息を吐くと、扉に向かって歩いていく。


「今日はもう帰るわ」

「そう。お疲れ様」

「それと、さ。……あんたがあいつを気に入っている理由が、何となくわかった気がする」

「……そうですか。それは何よりです」


 そう言い残して水無月は医務室を後にした。残されたカティエナは窓の外に顔を向け、夕日に微笑むだけだった。

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