シャーライツェンの里1 忍び寄る影


 古耳長族が暮らす里シャーライツェンの祭儀場。

 天を突くかのような巨大な大木、彼らの神木であるフソウの中程にその祭儀場はある。

 フソウの木は生命を守る揺り籠のような洞が無数にあり、それがすべて彼らの住居だった。

 祭儀場は最も高い位置にあり、彼らにとっては神聖な場所。

 本来なら祭儀を取り仕切る巫女たちの場所だが、その中に一つの影が忍び込む。

月天ユティエン姫様。ご報告があります。里近くに日刑夭リキングシャが出没しました」

 一人の代理守護兵長、古耳長グ・シャオチー族の男が祭儀場へ慌てた様子で入り、一人の女性の前で跪いた。その声は、祭儀場という場に相応しくないと思ったのか押し殺して、冷静に言おうとしているも事態の火急に押しやられて早口にまくし上げている。

 その声を聞き、僅かに息を飲み頷く一人の古耳族の姫がいた。

 彼女は気丈に振るまい、周りにいた巫女たちを手で制すると兵長の元へと優雅に歩いて行く。

「分かりました。詳しくは外で」

 彼女の一声で、深く頭を下げた兵長は即座に下の階へと飛び降りていった。



―――魔大陸、古耳長族の里シャーライツェン。

 何処までも広がる広大な森林地帯に聳えるフソウの木。それが一つの里、いや一つの都市となっている大集落だ。数多くいる耳長族の中でも古耳長族は木龍を信仰し、古来より森の管理を行ってきた一族である。

 魔法、とくに魔道具の製作に優れ、森の生命と共存してきた彼らには今、様々な災難が襲っている。

 木龍が討ち取られ、森の龍脈の管理ができずに周辺で奇怪な現象が起きている。その中の厄介事として妖魔の出没がある。

 妖魔とは古耳長族のような魔族ではない。妖魔とは龍脈から流れ出る魔力を核にした魔法生物。管理が行き届いているならば魔法生物の存在規模は小さく、特に害はでないが、規模が大きくなるにつれて、周囲の強い感情を集め、時に魔族達を襲う脅威である。

 その中でも日刑夭リキングシャは上位の脅威であった。

 その妖魔は、元々夜に活動する刑夭の上位個体。日刑夭リキングシャは巨大な四肢を持ち、剛力をもって日中でも夜でも暴れる存在。特に、その妖魔が放つ反魔法呪詛。魔法の力を阻害する呪詛を身体の周囲に放っている。

 それがひとたび、里に入れば、張り巡らされた魔法結界が消失する。今、里の防備を急いでいる古耳長族にとっては最も忌避するべき存在だった。

 刑夭キングシャ程度なら里の惑わせの魔法結界で里には近づけないが、日刑夭リキングシャならそれもろとも破壊して、こちらに近付いてくる可能性があった。日刑夭リキングシャは魔力に引き寄せられる。破壊された結界を辿り里に侵入することも容易に想像できた。

 月天ユティエン姫様とよばれた古耳族の姫は、その想像に焦りながらも落ち着き払って木の枝を渡り飛び降りていく。

 美しい銀の髪。足下まで届きそうなほどの髪を長い耳がぴんと張った首元で束ね、太陽のような金の髪飾りで結わえている。装束は、神蚕ジンカイコの神絹で拵えた最高の深衣。ゆったりとした袖を蝶の羽のようにはためかせ、足を隠すまでのスカートが翻る。

 その姿はまさに天女のごとき美しさで彼女は地面に降り立った。

月天ユティエン姫様!」

 その到着を待ちわびたように幾人もの古耳長族の兵士達が集まる。彼らは月天ユティエンとは対照的に動きやすい狩人の服装をしていた。半袖の木綿の服を腰のベルトで一巻きし、ズボンを履き、その服の上から硬質な革の防具で守っている。彼らの手には既に弓と剣が握られ、命令をひとたび受ければ即座に現場に向かうという強い意志が感じられる。

 だが、その相貌はまだ年若い。

 長命な古耳長族は1000年以上生きるとされている。今集まった者達はまだ精々200年。人族で言うところの成人したばかりの年頃である。

 その年若い熱気を浴びて、月天ユティエンは彼らの顔を見ている。

 彼女の心には、自らの父である古耳長族の王の留守が影を刺していた。

 現在、王は周囲の耳長族の里を周り、敵への対策を練っている。妖魔の出没するこの森で里から離れることは危険なことだ。主要な兵士達はすべて王の元で護衛のために出払っていた。

 彼女もまた、200年かそこらしか生きていない若い王女。

 里の結界を超えて、外に出たことのない半人前。

 故に彼女は、さっと服を翻して兵士達に背を向けて、フソウの木を仰ぎ見た。彼らには隠しながら、憂いを帯びた瞳で自らの信仰する木龍へ祈りを捧げる。

 その様子を見ていた兵士達は弓や剣を地面に下ろし、跪いた。それはこれから彼女が告げる言葉、その命令にハッと気がつき思わず同じく祈りを捧げたのだ。

 くるりと、彼女が振り返ったときには、その瞳は毅然と兵士達を見下ろしている。

「出陣します。指揮は私が」

「姫様! なりません!」

 その最後の言葉に慌てた様子で兵士長が面を上げてそう叫んだ。

 彼も十分に理解している。この若い兵士達の中で唯一、日刑夭リキングシャを倒せるのは彼女だけだと。

 しかし、年若いとは言え、彼は臨時の兵士長を王から直々与えられた者。王族への忠誠心は並々ならぬが故にそう叫んでいた。

 だが、それに答える姫の顔はあらゆる声を伏せるほどの迫力がある。怖いという訳ではない、一種の神聖さが自らの言葉が間違っていたのではないかと思わせるのだ。

 次に告げる言葉。

 それには何時もの優しく微笑む月天ユティエンではなく、里を守る王族としての誇りと気高さに彩られていた。

「今は私が王の代理です。いかような言葉も反抗と見なします」

 そのぴしゃりと言い切った彼女の言葉に兵士長は黙り込んだ。そして、最後にはとうとう頷き承諾の意を告げている。

「では、準備を。私の弓を持って来てください」

 その命を受けた兵達は一目散に飛び去って、出陣の準備を始めた。

 天高く太陽は昇り、木々は豊かにざわめいている。深い森にこの里だけには太陽の恵みが振り下ろし、青々と茂る葉が神々しく光っていた。

 幻想的で美しい里。

 だが、その森の陰は色濃く。彼女達の先を暗示しているかのように地面に落ちていた。

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