第八十五話 六花の戦い

 その間にも六花は、腐餓鬼や餓鬼たちに追いかけられながらも、思考能力が著しく低い餓鬼たちの動きを注意深く確認し、時には水路を落とし穴がわりに利用したり、家屋を盾にして姿をくらましたりしながら、小回りの利く小動物のようにして、何とか生き延びていた。


 のだが、逃げれば逃げるほど利用できる障害物が減っていくと、徐々にだが確実に六花は追い詰められていってしまい。とうとう背後を家屋の壁に遮られて逃げ場を失ってしまう。


 さらに運の悪いことに、そこに村に侵入しようとしていた餓鬼の群れを足止めしていた炎の壁から、先ほど新たに現れた餓鬼王率いる数十の餓鬼の群れが、六花包囲網に加わってきた。


 例え陰陽師と言えども、これほどの数の餓鬼や腐餓鬼の群れに囲まれてしまえば、恐怖に心を蝕まれて、生きることを諦めてしまっているはずだ。


 だが六花は、餓鬼や腐餓鬼の群れに、新たに餓鬼王が率いた餓鬼の群れが加わったにもかかわらず、未だ生きることを諦めていないのか。残り少ない呪力をかき集めて、式神『雪女(ゆきめ)』を呼び出したのだった。


 しかし、雪ん子サイズの雪女にこの状況を打破するほどの力はなく、雪女が餓鬼王に冷気の吹きつけ攻撃をするも、餓鬼王が雪女の吐き出した冷気の吹き付けごと雪女(ゆきめ)を拳であっさりと粉砕し、一瞬で雪女を粉雪へと変えた。


 六花の呼び出した式神の雪女(ゆきめ)が、餓鬼王の拳の一撃であっさりと粉砕されて、粉雪を飛び散らせてこの場から消失すると、雪女の後ろ盾を失った六花に餓鬼たちが一斉に襲い掛かろうとした。


 だがそれは、俺の獲物を横取りするな! という餓鬼王の強い意思表示である威嚇の咆哮によって遮られる。


「グガアアアアアッ!!」


 しかし餓鬼は餓鬼で諦めが悪いのか、こいつをここまで追い詰めたのは、自分たちだと主張を始め腐餓鬼と共に、餓鬼王に無謀にも戦いを挑み始めた。


 そう、この場に餓鬼王が引き連れてきたと思われていた餓鬼たちは、別に餓鬼王に付き従っているわけではなく、ただたんに炎の壁や石壁を破壊できる餓鬼王を利用してここまでついて来ていただけだったのだ。


 そのため餓鬼王の命令で動いているわけではない餓鬼たちが、獲物を前にして餓鬼王に遠慮などするはずがなかったために、地上に這い出て初めての獲物である六花の取り合いが、餓鬼王対餓鬼と腐餓鬼の群れにより始まったのだった。


 そしてこの隙が、六花が餓鬼包囲網から逃げ出せる最初にして最大の好機だった。


 その事を本能的に悟った六花が、餓鬼包囲網を抜け出そうと、餓鬼王との戦いに夢中になっていて、自分から注意を外した餓鬼たちの間を、気づかれぬように慎重にすり抜け始めた。


 案の定六花が餓鬼包囲網から逃げ出そうとしているにも関わらず、餓鬼王や餓鬼は互いに獲物である六花の奪い合いで頭に血がのぼっているために、六花の逃亡には気がついていないようだった。


 せいぜい六花の逃亡に気がついているのは、最前列付近で六花を囲んでいた餓鬼たちくらいのようだった。



 ここではっきり言っておくが、六花は足が遅い。まぁ遅い。と言っても、人間の域を超えているような神がかり的ステータスと速度を持つ。玲子や人外である俺と比べたらの話だ。


 普通の人間から見れば、六花は良くも悪くも普通か普通より足が遅い程度だった。


 だが例えその程度の足の速さだとしても、餓鬼たちに比べれば十分に餓鬼たちを撒けるほどの足の速さだった。


 そのためあまり足の速くない六花でも、最前列付近にいた餓鬼の群れさえ何とかかわし、抜け出すことができれば、餓鬼包囲網を突破できるはずだった。


 しかしここで予期せぬ誤算が生じる。


 それはこのまま行けば六花が、餓鬼包囲網を突破できると思われた矢先の出来事だった。


 六花の逃亡に気がつき逃亡を阻止しようとした餓鬼の指先の爪が、偶然六花の服を切り裂き背中に軽い裂傷を追わせたのだ。


 裂傷から溢れ出す六花の甘い血の匂い。


 一瞬この場を支配したのは、むせかえるような瘴気の臭いや餓鬼王や、腐餓鬼や餓鬼たちの体臭ではなく、年頃の生娘が、これから女としての一番美味しい実りの季節を迎え初めようとしている六花の甘美な血の匂いだった。


 六花の甘美な血の匂いを嗅いだ鬼たちは、今の今まで争っていたことなど一切忘れると、六花の周囲にいる全ての鬼が、これでもかというほどに牙をむき出しにして、六花の甘美な血の匂いにつられるかのようにして、舌なめずりをしながら阿倍野六花の方を一斉に振り向いた。 

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