第六十九話 奥多摩村の戦い⑦ 桧山玲子(ひやま れいこ)
俺は茫然と立ち尽くす六花に視線を向けながら、この機会を逃すわけにはいかないと、とても人が出している声とは思えないような怨嗟に満ち溢れた声を、喉奥から絞り出しながら、意を決して再び六花に声をかけた。
「リッ……ガ、ナ……シ」
「ひっ」
俺の怨嗟に満ちているような声を自分にかけられた六花は、自分と俺とのあまりの実力差を先ほどの攻防で思い知ったのか、先程まで俺を倒そうと意気込んでいた威勢を失うと共に、短い悲鳴を上げると、一歩。また一歩と、体を震わせながら後ろに下がり始める。
そして足元の小石に躓いたのか、六花はそのままその場に尻もちをついてしまった。
おおっこれってもしかして、俺が尻餅をついた六花を助け起こして仲よくなるチャンスじゃね? これがきっとよくいうフラグという奴だ。
そう思った俺は、六花を怖がらせないようにゆっくりと近づきながら、尻もちをついた六花を助け起こしてやろうと手を伸ばすが、そこへ俺の気配感知に引っ掛かっていた大きな気配が、一陣の疾風の如き速度で俺と六花の間の空間を別つように滑り込んでくると、裂ぱくの気合を発する掛け声とともに、俺が視認できない程の速度で、俺に向かって銀線を閃かせた。
気配探知で、大きな気配が近づいていることをあらかじめ知っていた俺は、自分に向かって銀線が閃くと共に、とっさに後方に向かって大きく跳躍したことで何とか銀線をかわすことに成功していた。
「六花無事か!」
「玲ねえ!」
俺と自分との間に割って入ってきた腰まで伸びた長い黒髪と、鋭い双眸(そうぼう、二つの瞳のこと)を持ち、丈の短い自分の白装束とは異なるロングスカートタイプの黒装束に身を包み、足元には黒足袋(くろたび)と草鞋(わらじ)を履き、腰には刀を納めるための黒塗りの鞘を差している自分よりも背の高い長身の美女の姿を目にとめると、尻餅をついたまま、六花はほっとしたように顔をほころばせて歓声を上げた。
自分の姿を見て、安堵の吐息を吐き出している六花を目にしながらも、俺への警戒は怠らずに、玲子が刀を鞘に納めながら六花を厳しく叱りつける。
「六花、いくら私のサポート役としてついてきて手柄を立てたいとはいえ、独断専行しすぎだ!」
「玲ねぇ、ごめんなさい」
玲子に叱りつけられた六花は、尻餅をついたままその場でしゅんとうなだれる。
「とにかくだ六花、尻餅をついている暇などないぞ。急いで立ち上がってすぐさまこの場から離れろ!」
「やだよ玲ねぇっおじじに言って、無理に玲ねぇのサポート役につかせてもらったんだもんっあたしっ玲ねぇと一緒に戦うよ!」
玲子の叱責を受けて立ち上がった六花は、再び瞳にやる気を漲らせながら声を上げる。
だが玲子はそんな六花の意思を無視して告げる。
「だから六花。お前は足手まといだと言っている」
「大丈夫だよっ玲ねぇがいればっあたしにだってできる!」
「で、その『できる』。といった結果がこれか?」
玲子は六花の護衛役に付けられていた陰陽師たちが俺にあっさりと投げ飛ばされて、田んぼに突き刺さったり横倒しになったりして動けなくなっている姿を顎先でしゃくって、六花に示した。
「あっあれは……みんな油断してて……」
玲子に先ほどの大敗を指摘された六花は、尻すぼみに声を小さくさせて口ごもる。
「とにかくだ六花。さすがの私も、お前を護りながらあれの相手はできそうにない」
「玲ねぇ?」
いつも悪鬼を瞬殺する玲子らしからぬ言葉を聞いた六花が、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
それは玲子の陰陽師としての実力を知っている六花だからこそだった。
なぜなら、六花の知る玲子の実力は、階位こそ。中級上位だが、その実力自体は、上級陰陽師の中でも、屈指なことを知っていたからだ。
その玲子が六花に対してはっきりと、護りながらでは戦えないと言ったのだ。
その意味を玲子に付き従って陰陽師見習いをしている六花にはよくわかっていた。
そう玲子や六花が相手にしているこの悪鬼は、本物の大妖怪クラスの力を有しているのだ。
そのため人を護りながらでは、対等に渡り合えないと、玲子は言っているのだった。
「六花、少しの間離れていろ」
玲子は俺に視線を向けながら、六花に自分から離れるように促す。
「けど……玲ねぇ一人じゃ……」
「六花。私は足手まといだと言っている!」
玲子は六花に鋭い視線を向け、語気を強めて言い放った。
「わかったよ、玲ねぇ。でも決して無茶しちゃだめだよっ危なくなったらすぐにあたしを呼んでね! その時はあたしが玲ねぇのことっ命に代えても絶対に護ってみせるから!」
コクリと六花の言葉に玲子が頷くのを見ると、六花は無言で玲子から離れていく。
六花が自分から離れたのを見計らった玲子が、鬼を憎んでも飽き足らないというような剣呑な光を瞳に宿し、俺に声をかけてくる。
「待たせたな。そろそろ始めようか?」
言った瞬間、玲子の姿は俺の視界から掻き消えた。
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