第19話 1時間

 友達と歩いて100円ショップに行く事になった。

 自転車ではなく歩きになった理由は、なんとなく散歩がてらに歩こう、とか言うそんな軽い感じだった。

 俺の家から100円ショップまでは歩いて片道15分程、友達の家からだと5分程度の場所にあり、友達は俺の家まで遊びに来てからの100円ショップまでの徒歩移動。

 他愛ない話をしながら歩いていると、前方から自転車を押したオッサンが真っ直ぐ俺達に向かってやってきた。

 やけに堂々と歩いているそのオッサンは、俺達の前まで来て急にキョロキョロとし始め、

 「道に迷ってるんやけどね、駅まではどう行ったらええんかね?」

 と、道に迷っているくせに笑顔で話しかけてきた。

 困ったような笑顔でも、苦笑いでも、照れ笑いでもなく、満面の笑顔だ。

 なんだろう?この胡散臭いオッサンは……そう思っている俺の隣では、世間知らずなのか、人を疑わない性格と言うのか、お人好しとでも言うのか、そんな友達が恐ろしく親切に言うんだ。

 「何処の駅ですか?」

 100円ショップのスグ傍には駅がある。しかしこのオッサンは100円ショップに向かっている俺達の正面からやって来たんだから、駅に行きたいという話自体が胡散臭い。

 「ここ真っ直ぐ行けば駅ですよ」

 ささっと説明して立ち去ろうとしたのだが、オッサンは大袈裟に礼を言うと急に小声で、友達に顔を近付けながら、

 「ありがとう、助かったわ~。お礼に、えぇ話があるんやけど……」

 と。

 怪し過ぎる。

 「えぇ話って?」

 興味を持ったらしい友達が、オッサンと同じような小声で返事をしてしまった。

 「ここじゃなんやし……こっちの公園で喋ろうか」

 もしこの場に俺が1人なら、今の言葉を聞いた瞬間早々に立ち去れていただろう。

 オッサンは道に迷っている筈なのに、どうして公園の位置を把握していた?そもそも初めから堂々と歩き過ぎている。

 それなのに、ホイホイと着いて行く友達。

 なんとか、このオッサンが”怪しいオッサン”だと知らせなければ!

 一緒にやって来た公園のベンチに座ると、早速話は始まった。

 「正月の1日から1週間のバイトやねんけど、1時間1万でどうかな?」

 金額設定が可笑しい!え?このオッサン、本当になにが目的なんだ?

 「え?じゃあ、1週間で7万?」

 友達は時給の値段設定に激しく食いつくあまり、時給と日給を間違えた。

 「輸入した商品のバーコードを張り替える簡単な作業やけどな、誰にもバイトの事は言うたらアカンで」

 オッサンは自分の怪しさ以上の怪しい内容を言う事で、妙な世界観を作り上げた。

 裏の世界が身近に存在しているような物言いと雰囲気まで感じられる。しかも、なんか、ありそうな仕事内容だし。

 「あ、でも1週間は無理」

 行く気満々ですか!?

 少しは人を疑ってくれ!これ、どう見たって怪しいから!下手をすると変な所に連れて行かれて、変な事になるかも知れない位の怪しさだから!共犯者にされて逮捕って事もありえるから!

 「夕飯の支度あるから早く帰りたいんやけど」

 帰るぞ、と意味を込めて友達の手を掴んで立ち上がろうとしたが、友達の腰は重く、全く立ち上がろうとしない。

 「急いでるんやったら……ここに名前と住所書いて。書いてもらう名前と住所はこれ」

 そう言ったオッサンは1冊のメモ帳を取り出し、名前と住所が書かれているページを見せてきた。

 これを写して書けば良いのだろうか?え?何のために?

 怪しいと分かっているのに、名前と住所、しかも書く名前と住所指定で書かせる意味が分からずにモヤモヤする。

 「この住所で、良いんですか?」

 メモ帳を指し示しながら質問してみると、オッサンはグッと俺に顔を近付けてくると、

 「何人もの筆跡が欲しいねん」

 と、少し険しい顔をした。

 筆跡を集めた所で、同じ名前と住所じゃ駄目なんじゃないだろうか?それとも、1回1回名前と住所を変えているのだろうか?

 「字が汚いので、書きたくないです」

 「いやいや、書いてくれるだけで100万渡すから」

 だから、いちいちあり得ない金額設定にしないで欲しい。

 このオッサンは怪しいし、話し方も怪しいし、持ちかけてくる話も怪しいし、金額まで怪しいから、世界観が怪しさで統一されているんだ。

 もしかしたら、こんな世界があるのかも?なんて思ってしまえる程完璧に作り込まれている。

 オッサンの振る舞いがちょいちょいと緩いのがかえってこの話をリアルに演出していると思える程。

 「あ、じゃあ……働かなくても、名前だけ書いたら100万?」

 「バイトは無理かぁ……」

 残念そうに呟くオッサン。

 どうやらバイトに来させる事が目的のようだ。話通りの仕事が本当にあるのかどうかは分からないが、確実に危ない事はされ……いやいや、俺も何をこのオッサンの世界に飲み込まれているんだよ。

 「あの、時間がないので……」

 「じゃあ、名前だけ。封したままの100万手渡すから、その封を自分で切って、自分の意思で書いたって所を見せて欲しい。名前を書いた事も、100万の事も、封を切った時点でなんもなかった事に。ええな?」

 急に変な儀式?しかも長文だ。

 要するに口止め料って所かな?

 「はい……」

 そして友達は完全にオッサンの世界に入ってしまっている。でも、このまま突き進んだ先に、なにか落とし穴が待っているのか?このままじゃ本当に100万もらって名前を書くだけの闇取引になる。

 こんな世界が実際にあると言うのか?

 けど、道を尋ねられて教えただけで、こんな高額取引を持ちかけるだろうか?

 絶対に他言しては駄目だとか言うくせに、初対面の、何処の誰とも分からない人間に、こんな取引を持ちかけるだろうか?

 絶対にない。

 オッサンの作り出しているこの世界の何処かに、必ず穴がある筈だ!何処だ?全体的に可笑しな所だらけだから、何処に穴があるのかが分からない。

 俺は、友達同様オッサンの世界に捕まっていた。

 だから今までの話の中に矛盾があるかも知れないと、何度も何度も頭の中でオッサンの話を思い返しては更に深みにはまっていった。

 「じゃあ、書きます」

 隣では友達が良い返事をした。

 すると、オッサンは俺にとっては物凄くあり難い話を始めた。

 「じゃあ、銀行の手数料とかあるから、先に1万出して」

 あぁ……おかえり俺の世界。

 そうだよ、こんな所に裏の世界とか、闇の世界とかがある訳ないんだ。

 オッサンは、初めからこの1万円が目的だったのだろう。

 安心した。

 ホッとした。

 これで心置きなく帰れる。

 「あ、今2千円しかない……」

 友達は財布を開けて2千円を取り出して俺を見上げてきた。

 え?

 「おっちゃん5千円までやったら出したるわ」

 って事は、3千円俺に出せって?

 だって、これ……分かりやすい詐欺ですよ?まぁ、直前までの世界観は物凄かったし、ちょっと楽しかったけど……。

 友達の頭にはもう100万しかないのだろう。

 だったら、3千円出そうじゃないか。5千円騙し取られて、少しは人を疑う事を勉強してもらおう。

 「3千円貸しやで。じゃあ夕飯作りに帰るわ」

 「うん。また後でな~」

 物凄くご機嫌に手を振る友達は、もう既に100万を貰った後の事まで想像していたに違いない。2時間後に再開した時、恐ろしいまでに落ち込んでいたから。

 聞く所によると、俺と分かれた後、オッサンとお金を下ろす為に駅前にあるコンビニのATMに向かって歩き出したらしい。

 駅までの道に迷っていたおっさんが先導して駅に向かっている可笑しさに気が付かず、友達はそのまま着いて行ったようだ。

 コンビニの前に着き、5千円を手渡した所でオッサンが急に携帯で喋り始めたらしい。そして、

 「ちょっと待ってて」

 と、何処かへ行った。

 友達は待っててと言われた場所で2時間待ち続け、ようやく騙された事に気が付いたと言う。

 「なんで目ぇ離すん」

 そこまでいっていたなら、後ほんの少しで本当に100万もらえていたかも知れないのに!100万は無理でも、5千円は確実に帰ってきた筈だ。

 「でも、携帯で喋ってたし……」

 それだけの理由で?

 「喋ってる振りかも知れんやん」

 あれだけの世界を作り出していたオッサンだ、携帯で話している振りなんか簡単に出来てしまうだろう。

 「そんなん出来る?」

 俺にでも出来るわ!

 「はい、もしもし……あ、うん。どうやった?……うん……うん……え?……そうなん!?……ん?ああ……3千円は貸しやで?利息も付け……あはは。良くて無利息やわ」

 友達の手を携帯に見立て、携帯で喋るマネを続けている間、友達は黙って俯いていた。

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