第6話 8時間

 乗り物にも、人にも酔うので人ごみが嫌いな俺は、大阪の秋葉原。と、言われる日本橋に来ていた。

 もちろん、満員電車に乗るのは難易度が高過ぎたので、2時間かけて自転車で来た。

 オタクの町として知られている日本橋だが、ホビーショップが立ち並んでいるのは恵比寿町。と言う細かい事はさておき、俺が今日この町に来た理由は、人ごみに慣れるための修行。ではなく、フィギュアやゲームといった物を買う為。でもなく、壊れたパソコンのグラフィックボードを買う為。

 グラフィックボードを新調するなら、マザーボードとCPUも変えた方が良いか……だったらメモリも?この際だからハードディスクも……そんな事を考えながら財布の中身と相談していると、少し離れた所に立っているメイド服の女性数名がビラを配っているのが目に入った。

 流石日本橋、道にメイド姿の女性が立っていても違和感は……あるんだけども。

 1度もメイド喫茶にお邪魔した事がないのに行きたいと思わないので、萌え文化に置いていかれている。

 実際、かなり時代遅れなのだ。どれ位かと言うと、この時代に携帯電話を所持していない位。そしてそれを不便だとは感じていない位。

 時計がなければ太陽の位置で大体の時間を把握する程の原始的な人間。

 とかなんとか物思いに耽りながら、視線を財布に戻すと聞こえて来る、

 「お願いしマース、来てくださーい」

 ビラを配りながら呼びかけているメイドさん達の声。

 そこは“ご主人様”じゃないんだな。と、思いながら差し出されるビラに目もくれずパソコンショップを目指して歩き出す。

 組み立てられたパソコンではなく、自分で組み立てる場合には細かい相性問題が生じてくるので、パソコンに詳しい店員がいるショップにしか行かないし、相性返品の利く店にしか行かない。

 そう言うと物凄いパソコンに詳しい人だとか勘違いをされそうだが、全く違う。

 分からないから、店員さんの意見に頼っているだけである。

 普段は人見知りで、あがり症で、人との会話なんて緊張してまともに出来ない俺でも、必要な所ではそれなりに喋る事ができる。

 それでも、常に思うのだ。

 もっと積極的になりたい。

 緊張しないで、自然体で喋りたい……。

 2軒回ってグラフィックボードを購入し、折角ここまで来たんだという事で、予定には全くなかったマウスを見ようと3軒目のショップに向かっている途中、前方に立っていた男性と目が合った。

 嫌な予感がしたので引き返そうかとも思ったが、周りには沢山の人がいるし、紛れてしまえば大丈夫だと思い、歩みを少しだけ速めた。にもかかわらず、物凄い笑顔の男性はササッと近付いてくると、物凄く自然な動作で俺の行く手を遮ったのだ。

 正面にドンと立ち止まられてしまうと、人通りの多さは仇となり、紛れる事も出来ないほどの強靭な流れる壁となる。

 立ち止まる他なかった。

 「何か買われたんですか?」

 完全にショップのロゴ入り紙袋を持っているのに、可笑しな質問だ。

 「まぁ……」

 とりあえず立ち去ろうとする俺に、男性はまた、

 「ゲームか何かですか?」

 質問をしてくる。

 「いえ、パソコンの……」

 言いかけて口を閉ざした。詳しい事を教える筋合いなど少しもないからだ。

 「あー、そうなんですかぁ。ゲームとかは好きです?」

 ゲーム商品の押し売りだろうか?

 前方にある信号が赤になれば、周囲の人の流れは止まる筈。

 そうなってから適当に話を切り上げて人ごみに紛れてしまえば、この男性から逃げる事は簡単に出来るだろう。

 呼び止められた時から分かっていたんだ、この男性が俺に何かを買わそうとしている事が。

 それなのに、信号が赤に変わって、思った通りに人の動きが止まっても、俺はその場から動かずにいる。

 話を、聞こうと思ったから。

 その理由は、興味を持ったから。

 もちろん、男性が進めてくるだろう商品にではなく、この男性がどう言う風にして俺を説得しようとしてくるのか、その話術にだ。

 こう言うセールスでは話術が全てだろう。その技を体験して、なにか学ぶ事が出来れば、人見知りの激しい俺でも最低限の会話くらいは緊張せずに話せるようになるのではないか。と、妙なスイッチが入ったのだ。

 「ゲームですか?好きですよ」

 ゲームが好きと答えた俺に男性は、ゲームデザインをしている何人かの絵師の名前をあげて、絵を見に来ないか?と、誘ってきた。もしゲームに興味がないと言えば、きっと他の所から話題を出して、そこから絵師の名前を出し、同じ誘い文句を言うのだろう。

 こうして俺は男性の案内でマンションの一室に連れ込まれたのだった。

 フローリングの部屋の中はだだっ広いフロアになっていて、真っ白な壁と間接照明、そして何枚かの絵が壁やイーゼルにかけられていた。

 少し薄暗く感じるそこは喫茶店のような落ち着いた空間のようにも感じられるが、窓から外が見えないという物凄い怪しさ加減。

 広いフロアの中にはいくつかのテーブルセットがあり、俺の他にも何人かのお客さんがいて、なにやら熱心に絵を進められている様子だ。そしてその中の1人は、残念な事に何かの書類にサインをしてしまっていた。

 俺には、絶対に買わないという確かな自信がある。

 椅子に座って少し経ってからやって来たのは、声をかけて来た男性とは別の、ニコニコとした親しみやすい雰囲気を惜しみもなく醸し出しているスーツ姿の女性。

 「絵を見られますか?」

 と、言うので1枚ずつゆっくりと見て回ってみるが、始めに説明があったゲームの絵師作品は1枚もなく、なんと言うか、非常にポップな仕上がりの版画ばかりだった。

 個人的な好みもあるのだろうが、綺麗と言われれば綺麗だし、お洒落だと言われればお洒落だけど、金を出してまで欲しいとは思えない代物。

 この絵を、どう勧めて来るのだろうか?

 椅子に座ると、女性は1番近くに飾られている絵を眺めながら、

 「色使いが良いでしょう?部屋に飾ると運気まで上がりそうですよね」

 と、早速絵の勧め作業に入った。

 勧められている絵の色は確かにカラフルだが、運気?俺は余程幸が薄そうに見られているのだろうか?

 確かに健康的な肌の色はしていないが。

 「風水的な物ですか?」

 絵ではなく女性をジッと見ながら言うと、

 「元気な色を見てると元気になるでしょう?あの絵にはそう言う、人を元気にさせる力を持っているんです」

 やはり、元気がないように見えているらしい。

 もう1度ジックリと絵を眺めてみるが、あまり好みではないので元気をもらえる要素が少しも感じられない。

 「良く分かりません」

 再び女性を見つめながら言うと、今度は違う絵を指し示しながら、

 「あの絵の、どの部分が好きですか?」

 と、急に質問をしてきた。

 指し示されている絵は、まるで赤と白の縞々の服を着ている人物を探させる絵本のようなゴチャッとした作品だった。

 それも版画。

 作者は物凄い手先の器用な人なんだろう。

 しかし、好きな部分と言われても、コレといって見つける事が出来ない。

 縞々の人物ではなく、好みの部分を探す事を目的とした作品か?

 かなりの時間眺め、なんとか見付け出したのは、人物の動きが細かい。と、言う第一印象を具体的に言葉にしただけのものだった。

 「人の動きが面白いですね」

 「でしょう!私も同じ事を思っていました」

 かなり食い気味に同意して来た女性、きっと何を言っても同意して来たに違いない。

 女性は何故か物凄く嬉しそうにその絵を持って来て、それによって目の前で見る事になった絵。

 やっぱりこの絵からは、ゴチャっとしている。位しか感じられない。

 どうですか?と、今にも聞いてきそうな雰囲気に目を背けて他の絵を眺めてみる。

 「何か気に入った絵がありますか?」

 特にありません。そう出掛かった声を押さえ、もう1度ジックリと絵を見る為にフロア内を歩いてみた。何ならこのまま帰ってしまおうと思ったのだが、女性はぴったりと俺の横について回っている。

 仕方なく適当に1枚の絵を選ぶと、女性はゴチャっとした絵を元の位置に戻し、俺が適当に選んだ絵を壁から外してテーブルまで持って来て、この絵を選ぶなんてお目が高い!的な事をズラズラと言ってきた。

 押し売り感満載である。

 話術が凄いのは呼びかけていたあの男性だけなのだろうか?その男性だって話術が優れていたのかどうかは怪しい。

 もしかして、ここには学べる事はない?

 「それはどうも、じゃあこの辺で帰……」

 「あ、ちょっとゴメンなさい。私他に仕事がありまして、少し待っていて下さいね」

 女性は、そそくさと行ってしまった。

 律儀に待っている必要もないだろうと椅子から立ち上がると、1人の男性が後ろから現れた。

 「こんにちはー。この絵が気に入られたのですね?」

 笑顔の男性は真正面に座り、自己紹介もなく絵を褒め称え始めた。

 「この絵を描いた画家は、今はまだ無名なんですけどね、私の経験上スグに有名になりますよ。そんな人の絵をこの価格で買えるのは今しかないと思うんですよ。私なら買いますね!」

 だったら買えば良いのに。と、思いつつ、

 「はぁ」

と、相槌。

 「良く見てください、この絵の力強さ」

 この男性にも俺は元気がないように見られたようだ。

 「この絵を飾る事で日々が充実するでしょう!」

 かなりの勢いで喋り続けている男性の口元を眺めながらボンヤリと話を聞いていると、いつの間にか俺が、この絵が欲しい。と、言った事にされていた。

 「いやっ、飾る所もないですから」

 慌てて否定文を言うが、男性はニコニコしたまま、

 「持っているだけで価値がありますよ」

 と、言ってきた。

 押入れかどこかに仕舞いっ放しにする予定で絵を買えと?それになんの価値があるんだ?しかも欲しいなんて一言も言っていないのに、どうしてこういう事になるんだろう。

 やっぱり、押し売りしている人の話術レベルは物凄く高いのだ。

 「お客さんの為に今回一生懸命交渉しましてね、大変だったんですよ?その結果がですね、本当ならここに書いてある通り100万なんですけど、今回のみ80万でOKが出たんですよ!」

 まるで自分の事のように喜んでいる男性には申し訳ないけど、しらんがなっ!

 「買いませんよ」

 ハッキリとした意思表示を見せるが、男性は全く怯まない。

 「買うべきです!」

 買わないと言っているのに可笑しな宣伝文句だと思うものの、こんなにも勢い良く言われてしまうと怯んでしまう。

 怯んだ所で80万の高額商品なんか買えないんだから、こちらも強気に出るしかないのだが、買いませんとハッキリ言う以上の強気な姿勢が他にあるだろうか?

 「とりあえず帰って……」

 「とりあえずじゃありません。今買うべきです!」

 男性はしきりに「今買え」と言ってくるから、物凄く居心地が悪くなってきた。これじゃあ学べる話術も何もない。

 早く帰って、買ったグラフィックボードをパソコンにつけて、動作確認をしないと。

 「そろそろ帰…」

 「ちょっと待って下さい。飲み物も出さずにすいません、ちょっとお待ち下さい」

 男性は、そそくさと行ってしまった。

 そう言われてみれば、確かにここに来て何も口にしていない。

 携帯も腕時計も持っていないし、このフロアに時計がないので、ここに来てからの正確な時間も分からないし、窓はあるが外が見えないので暗いのか明るいのかさえも分からない。

 相当な時間をここで過ごしていると言う事だけしか分からない。それに、入って来た時にここにいた他のお客さんはもう誰もいない。

 いつまでここにいれば良いのだろう?

 あぁ、今の間に帰ってしまえば良いんだ。

 椅子から立ち上がり、グラフィックボードの入った紙袋を手にした所で、また別の男性が話しかけてきた。

 人の良さそうな笑顔を見せる男性は手ぶらで、飲み物は持って来ていないようだ。

 「こんばんはー、この絵ですね」

 なに……この人……そんな、どうして……?

 俺は今日、自転車で日本橋に来たんだ。

 移動時間を考慮して、午前中には日本橋にいた。

 そこから昼食も取らずに2軒ショップを回って、目当ての物を購入した。だからこの部屋に来たのは遅くても1時とかその辺の筈。なのに、この男性は今「こんばんは」と言わなかったか?

 「え?今何時ですか!?」

 ないと分かっていても時計を探してフロア内を見渡す俺に、男性はニコニコしたまま、

 「待ち合わせか何かですか?」

 と、聞いてきた。

 待ち合わせがあるから帰ると言うのは、かなり自然に帰る事が出来る口実になる。そう感じて頷くと、

 「そうなんですかぁ、何時頃に待ち合わせですか?」

 え……とぉ……。

 一瞬頭が真っ白になった事を察知されてしまったのだろう、男性は笑顔のまま一瞬動きが止まった。

 気まずいが、答えは出さなければならない。

 「6時に駅前です。今何時ですか?」

 立ったまま尋ねる俺に男性は、座ってください。と、椅子を引いた。促されるがままに座り、キョロキョロと見渡す。

 「大丈夫ですよ、まだ6時になっていません」

 正面に座る男性はゆったりとした口調で言い、ね?と、見つめてきた。

 こうして始まる第3ラウンド。

 始めはただ、絵を進めてくる人の話術がどんなのか体験してみたい。と、思っていただけだった。なのに、今はただ只管帰りたい。

 目の前に座っている人は笑顔だし、口調だって穏やかなのに、怖い。

 落ち着いた雰囲気の薄暗いフロア内、外が見えず、時計もない閉鎖間に息が苦しくなる。

 「今回だけ特別に80万ですよ」

 「分割で良いんですよ」

 「絵が届いて、やっぱり気に入らないって思ったらクーリングオフ出来ますよ」

 契約すれば帰る事が出来ると言う絶対的な事実。

 そうか、それで皆サインをしてしまっていたんだな。

 だけど、俺には負けられない理由がある。

 絶対にサインしないという自信がある!

 俺は、無職なのだ!!

 分割払いだ?無職の俺がローンを組める訳がないだろ!

 クーリングオフ?どうせ担当の者と電話が通じないとか言ってクーリングオフさせないつもりだろ!

 今回のみ80万で良い?じゃあ他の人間に100万で売れば良いだろ!

 「絵はいりません。買いません。帰ります」

 立ち上がると男性はまた、待ってください。と、言ってきたし、入り口にいた男性が、こちらへどうぞ。と、椅子に案内しようとしてきたが、知らない。

 真っ直ぐに歩いて出口に向かい、マンションを出てやった!

 開放感をかみ締めながら、勝利のジュースを買うために立ち寄ったコンビニで、衝撃的な事実を目の当たりにした。

 3回目に現れた男性が、まだ6時じゃない。と、言ってから少し話しに付き合ったので、今が丁度6時頃だと思っていた。しかし、コンビニのレジ上にかかっている時計は、何度見ても9時を示していたのだった。

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