第19話 悪とはつまり、善人に依存する構造。一斉理論。 #とは #定期 #戦争 #平和 #心理学 #哲学 

新しい時代には、新しい悪の形がある。


過去、悪の実例とは、盗賊や戦争であった。


様々な倫理の教科書や、童話や寓話に記されている悪の形は、時代としてはかなり古い話であり、それらは既にかなりの年数に達している。


 それらに乗っている悪の事例は、過去の方法によるものである。


 その為、人々の、パターン認識としての悪の形の認識が、昔のパターンに拠るものになりがちで、新しい悪の形に対して、人々の反応が鈍くなってしまう傾向に陥ってしまう。


新しい時代の悪の形を、人々は認識する必要が在る。


 新しい悪の形とは、例えばコンピューター犯罪であり、ジャーナリズムの不正や不当報道、情報捏造による記事や報道、ストーカー的取材態度、官僚による事なかれ主義、問題無認識主義による問題放置型の社会問題の発生、麻薬などの薬物依存問題、などがあり、更にこれからも、テクノロジーの進歩などにより、新しい社会問題も生まれ、新しい悪の形も生まれるだろう。


 これらの新しい悪の形は、昔ながらの悪の認識パターンとは違うので、人々は、これらの新しい悪の形による悪人を正しく認識出来ず、それらの悪による新たな苦しみの増加を止める事が出来ないでいる。


そればかりでなく、その悪を行なっている当の本人達ですら、自分達が行っている事が邪悪な事であり、否定されるべき事だ、と自覚できないでいる事すらある。


 それは、世界により多くの苦しみを生み出す元となる。


 新しい悪の形の発生に対し、鋭敏に反応する世界を作る必要が在る。


新しい悪の形に対し、鋭敏な神経をもって、事に当たる事が、社会には常に求められる。


 新しい悪の形によって、より苦しむ人々が増えない為に、そのような個々人の社会態度が必要なのだ。


 新しい悪の形を認識出来ない事は、新しい苦しみの理由に対処できない事になり、不幸の発生に気付けなくなる事を意味する。


 それが問題無認識主義を助長する。


 新しい悪の形に鋭敏である為には、ある物事が、世界全体にどういった問題を生み出し、そしてどういう苦しみを生み出すか、という事を考えてみると良い。


 そうすれば、新しい悪の形にも、瞬時に反応出来る社会が構築され、それにより新しい悪の形による苦しみが減る様になるだろう。

悪人は常に、善人の努力に依存して始めて存在し得る。


悪人は単独では存在できない。


悪とはつまり、善人に依存するという事において、弱者の論理なのだ。


悪人はこの事を理解しなければならない。


悪が暴力を振るって、強がったとしても、この現実は変わらない。


真の強さとは、独立して世界を構築し得る。


善は、それ自体で存在できる。


悪は、善への依存無しには、存在し得ない。


これを


悪の善への依存の定理


と呼ぶ。


 悪人は善人への依存無しには存在できない。

 悪人は理解しなければならない。


それが世界にとって正しく、自分の人生にとって正しいといえるかどうかを。


 悪人が善人から搾取する限り、悪人は善人に常に否定的に扱われる、結果悪人は常に、善人に否定される不安と恐怖を持ち続けることになる。


 善人に否定されると悪人は存在できない。

 そこで否定されないようにと、暴力や脅迫によって、善人の否定を止めさせようとする。

 そこで、善人も暴力によって対抗しようとする。

 暴力の応酬は、憎悪を高め、より残虐な方向へと、対立を高めてしまう。

 これが全ての暴力と犯罪と戦争の循環パターンである。



このような循環パターンに陥ると、悪人は常に、次の様な不安定な状況に陥る。


善人に否定されるのではないか、善人に依存出来なくなるのではないか、と不安定になり、悪を行なう間、貴重な人生の時間を失い、通常の仕事に必要な技能を学ぶ事が出来ず、邪悪な能力しか身に付かず、従って一生邪悪な行為を行なわないと生きていけなくなり、他人との関係が常に不安定で、法律と警察を常に恐れ続ける、そのような弱々しい人生になってしまう事が、自分の人生にとって、果たして良い事なのかという理解。


悪は、その行為を行なう者自身も、結局は不幸にする。


その理解が、悪人自ら、悪を行なうことを自発的に止める理由になる。


 その他の、新しい悪の形も、同様である。


捏造した情報や間違った情報が世界に広まれば、情報の不正確さが誤った判断を生みやすくなり、間違った判断と行動が世界中に溢れ、間違った結果が世界中に生まれる。


それは世界を不幸にする。


そして結局は、間違った情報や、情報を捏造している者も、苦しみが増し、不幸になる。


嘘は誰も行なってはならないのだ。


嘘つきが嘘を言えるのは、正しい情報によって、正しい判断を行い、より良い結果を出そうとする人々がいるからこそ、正しい情報の流通があるからであって、嘘を言う事は、つまり正しい情報を流通させる人に対し、依存しているからこそなのだ。


取材対象をストーカー的に追い駆けることを、全ての記者が行なうならば、取材対象の生活は困難なものになり、それは直接の生活妨害行為と言える、それは悪であり、その様な記者は邪悪な存在である。


そして、その様な記者自身やマスコミ自身がそのような取材対象になると、自分たち自身がそのような報道被害者の立場に立ってしまう。


それは、結局マスコミ自身も不幸にする。


政治家や官僚が、問題無認識主義、事なかれ主義に立つならば、そのような無責任な態度、問題への無行動から、何の問題解決も生まれず、人々は苦しみ続け、それが政治と官僚への怒りと憎悪を高め、遂には内乱や戦争に至る。


それが結局は、政治家や官僚もまた、不幸にする。


政治家や官僚は、責任を持つつもりがないのであるならば、政治家や官僚という、責任ある立場に、最初からなるべきではない。


責任を問われる度に、責任逃れの態度に終始するのは、責任ある立場にあるべき能力の持ち主ではない事の証明であり、それは論外である。


その様な人物は、元々政治家や官僚になるべきではないし、直ちに辞めるべきである。


世界中の人々が薬物依存になれば、誰もが生産活動を止め、従って人々は飢え死にする。


麻薬の蔓延は世界を破壊する。


麻薬は世界にとって、破壊因子そのものなのだ。


麻薬の不法売買が可能なのは、麻薬を使わず、まじめに働く人々が、世界を保ってくれるからであって、麻薬の不法売買者は常に、まじめに働く人々に依存しているのである。


麻薬を買う者は、麻薬の市場をより広げているという点で、世界をより苦しめている。


そして麻薬の蔓延は、麻薬を取り扱う者達も、結局は不幸にする。


 全人類全ての苦しみを解決しようという目標を持つ人々の集まりは、世界に苦しみを増やそうとはしなくなる。


だから、その様な人々は、他人を苦しめようと考える事が無くなる人になる。


そのような人の数の増加、世界に苦しみを増やさない人間の増加が、世界には必要なのだ。


 それが、悪の自然消滅を生んでいく。


悪の発生を生み出さない事が、世界に真に必要な事だ。


悪をどう倒すか、という考え方もまた、対立と暴力を生む。従って、


問題は、悪をどう倒すか、という対処療法的アプローチだけではなく、


悪をどう生まないか、悪に成らなくとも生きていける世界をどう作るかが、最大の問題であり、根治療法なのである。






一斉理論


暴力の応酬は、両者が一斉に、暴力を終わらせない限り、お互いへの不信感から、


「こちらが暴力を停止しても、相手は暴力を停止しないのではないか」


という疑いを持つ為、


「やられる前にやらなくてはならない」


と考え、より暴力を高めてしまう。


 争いや戦争を行なっている事において、一方が一方を攻撃すれば、争いや戦争が起きる。


 戦争を止めようと考えるならば、どちらかが攻撃を止めようと考えるだけでなく、紛争当事者双方が、一斉に攻撃を止めなくてはならない。


つまり、暴力の応酬、戦争を停止するには、基本的に、両者が一斉に、暴力を停止しなくてはならない、これを


一斉理論


と呼ぶ。

 これが全ての暴力と戦争の、循環パターンを止める事となる。

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