皆が知りたいなぜ戦争は起きるのか構造解析。戦争平和心理学哲学 #戦争 #平和 #心理学 #哲学 #とは #定期
第18話 人は自分自身をどう定義づけしているのだろうか? #とは #定期 #戦争 #平和 #心理学 #哲学
第18話 人は自分自身をどう定義づけしているのだろうか? #とは #定期 #戦争 #平和 #心理学 #哲学
人は自分自身をどう定義づけしているのだろうか?
人は自分自身を「~民族の~国家の~人の~」といった方法で意識する。
民族、国家、の継承者として自己を認識する方法は、果たして人類全体にとって本当に有益なものだろうか?
「その考え方は当たり前の事で疑うまでもない事だ」
と考えて、考える事を止めてしまう前に、問い掛けを持つ事によって生まれる新しい可能性を探ってみよう。
自己認識として
国家とは国境線内の文化圏の総称であり、政治、行政の単位であるが、しかしその言わば、
「世界の測定方法の一つ」
の為に、我々は人類同士で憎悪と対立を拡大させていく。
国家という認識は国境線の範囲内の地理上の区分。
民族という認識はある特定の時点、時代的区分からの血統の区別。
もし、人類の個々人の能力が、限りなく進化した方が良いと考えるならば、個々人はある特定のみの文化国に存在する知識や経験のみならず、全人類全ての文化に存在する知識や経験を、基本的に無限に習得すべきであり、従って一つの文化圏のみ習得すべきではない。
つまり、個々人がより多くの文化圏の知識と経験の総合体として存在する事が人類全体にとって望ましいとするならば、そのように存在する個人は、もはや単なる一つの文化圏の継承者として留まっている存在ではなく、超民族的、超国家的、超文化的存在として生きている人である、と言う事が出来る。
つまり、人類が果てしなく進化し続けて行こうとしている以上、文明に住む人々は、その個人がどの国やどの文化圏に属しているかに関わらず、全ての文化の継承者にいずれは成るということであり、それが現在不可能なのは、単に人々の能力が、知識や経験を習得する能力や時間などが限られている為に、不可能であるという事に過ぎないのであって、不老不死の時代に人々が入れば、時と共に人間間の文化圏による格差は問題ではなくなることを意味する。
なぜなら、全ての人が全ての文化圏の知恵を全て理解する日がいずれは間違い無くやって来る、ということなのだから。
近未来の人々は、もはや国境線や文化圏による垣根を気にする事はなくなるだろう。
なぜならその時には、全ての人々が全ての文化の知識と経験を有する様になるからだ。
その時個人は、一つの国や文化圏に属する自己としてではなく、全ての文化圏の継承者として、自己を位置付ける事だろう。
民族、国家、の継承者として自己を認識する方法は、人類全体の進化と共にいずれは自然消滅していくもので、その時には国家や民族という認識方法は、人類の中の一つの区分の方法として意識されるようになるだろう。これまでのその様な認識方法による有効性は、人類の進化と共に、全人類にとっての、一つの脱皮される皮のような物としての、全人類の集団化の方法論の一つだった、という意味になるだろう。
これまでの、全人類の集団化の方法論が、間違っていた、という事ではない。
これまでには、これまでの全人類の能力の範囲と、環境の範囲によって、これまでの全人類の集団化の方法論が存在した、これからはより進化したものになる、という時代の変遷であって、どちらがより正しく、間違っていたか、という事ではない。
しかし、ここで一つの問題が生じる。
人類がなぜ国家や民族といった考え方を大切にしているのか、それは、
「ある特定の民族や国家の所属しているものは、同じ民族や国家の所属者を相互に助け合う」
という、
「暗黙の合意、ルール」
が存在している、もしくはそういう合意が存在しているという事を、その集団内の人々が思い込む事によって、人々が実際にそのように行動することによって、集団内の個人同士が襲い合わず、個人同士の助け合いと、相互の個人の生活とその安全を成立させる、という有効な機能があるからである。
もし個々人の能力が、超民族的、超国家的存在に進化するとなると、この有効な機能も失われてしまう危険性が生じる。
(逆に言えば、その集団内の人々が「暗黙の合意、ルール」が存在していると思い込む事を止めてしまえば、必然的にそのようなルールに則って行動する人がいなくなる為、そのルール自体も無くなってしまう、サッカー中に選手全員が、手でボールを操り始めれば、サッカールールが無くなってしまう事と同じ、つまりルールを存在させているのはあくまでもそのルールに従って行動している個々人であって、個々人の意識と選択とは別個にルールが存在しているわけではない、ルールとはつまり、ある仮定の方向性に人々が同意し、その方向性に沿って、人々が行動して初めて存在するようになるものであって、個々人が「そんなルールは要らない」と否定し、そのルールに従って行動する事を止めてしまえば、いつでも消えてしまうものである、つまり「ルールは実質を持っていない、従って個々人はいつでもルールを止められるし、始める事も出来る」)
個々人の能力が、超民族的、超国家的存在に進化するとなると、人々は、国家や民族と言う考え方を持たなければ、お互いを襲い合わず、助け合う関係を築く事が出来無くなるのだろうか?
国家という認識は国境線の範囲内の地理上の区分。
民族という認識はある特定の時点からの血統の区別。
人類がなぜ国家や民族といった考え方を大切にしているのか、それは「ある特定の民族や国家の所属しているものは、同じ民族や国家の所属者を相互に助け合う」という「暗黙の合意、ルール」
この三つの段階を明確に区別して、それぞれを無意識的にではなく、自意識において明確に認識する事が重要である。
そうでなければ人類は何時の間にか、
「自分は~民族の~国の人間で、あり、従って~国の指導者の考え方に基づく指示に従う事は当然だ」
「だから自分は戦争に行って人を殺す事も当然だ」
という考え方に至ってしまう。
つまり
「自分は~民族の~国の人間であり、従って~民族の~国の人間同士で助け合う事は当然であり、自分たちの~国と対立している国の人々と対立し、戦争するのも当然だ」
という考え方に至ってしまうのは、この三つの段階を無意識的に考えてしまうからなのだ。
このような、
「人と人との助け合い」
「人間の集団化の方法」
を、無意識的な、無自覚な暗黙のルールの下に行うという自己定義の方法論こそ、人類は脱却しなければならない。
この方法論こそが、全ての戦争の本源なのだ。
そしてこの構造問題を解決する為に、自律制御、自己完結型の論理が必要なのである。
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