第12話 戦争過程 善意の空洞化 #平和 #戦争 #心理学 #哲学 #とは #定期

 戦争過程


 筆者は、戦争を繰り返す、人類の歴史の循環のパターンを、次の様な事だと考えている。


 戦争の停止

     ↓

 戦争の悲惨さを経験した人々が、反戦運動を開始、戦争に否定的な世論が広がる。

  ↓

 一定期間の平和

  ↓

 平和の時代が続き、反戦運動も低下。

 反戦運動家や戦争体験者の高齢化。

 それによる反戦運動の経験などの世代的継承が低下、次第に世論から反戦ムードが消えていき、戦争を知らない世代が、国家内の世代の中心軸となる。

  ↓

 戦争への社会的抵抗感が、時代の展開と共に消失していく。

それと共に、一般的な暴力的行為への容認姿勢が、社会全体に強まる。

他国との軋轢、暴力的イベントの容認(メディアなどの嘲笑主義の鼓舞、格闘技イベントの増加、教育現場でのいじめ、暴力行為の増加)

  ↓

 戦争経験世代が死亡していなくなり、直接経験としての戦争体験からの、戦争反対の意志が、社会全体で後退し、また、社会全体が暴力の容認姿勢に傾く。

 そこで、戦争を体験していない世代が、より暴力的手段に訴える姿勢を持つようになる。

  ↓

 善意の空洞化現象

社会全体に暴力と犯罪が広がり始めると、人々は善意を持つことを止め始める。

 他人の為に努力しても、利用され裏切られた上に、見捨てられる、といった経験を、誰もが持つようになるので、善意を持つこと自体が、人生の失敗につながることになってしまうからである。

 その為、社会全体で善意が空洞化していく。

 これを

「善意の空洞化現象」

と呼ぶ。

  ↓

 人々は他人と不必要に関わろうとしなくなり、他人に無関心になっていく。

↓  

 善意の空洞化は、助け合わない人間関係を助長し、個人の人間関係の構築範囲を狭め、

「愛情の限定化現象」

を生み、人々はより閉鎖的になっていく。

  ↓

 すると、人々は助け合わなくなるので、困っている人にも助けが来なくなり、その様な人々は生き方を変更し、悪人に成る事で生き残りを図る。

  ↓

 こうして悪人がより多くなり、社会全体が犯罪多発となり、環境が悪化し、にもかかわらず誰もが負担を避けるようになるので、誰もが誰も助けないという世情が生まれ、社会環境はますます悪化する。

  ↓

他人に善意を持つことが嘲笑されるようになり、人の善意を嘲り笑う事が社会全体で当り前になると、人々は羞恥心から、善意を持って目立つ事を止めようとする。

 ↓

 嘲笑主義が広がり、それが人々の冗談の一つとして語られるようになる頃には、善意を持つことは、人生の失敗の方法だという認識が一般に定着し、それが誰もが誰をも助けない社会にしてしまう。

  ↓

 社会全体から善意が完全に空洞化すると、人が人を傷つけることが、むしろ快楽として語られるまでになる。(嘲笑主義の高まり、暴力による問題解決への賛意の表明など)

 こうして、社会から善意が消滅する。

  ↓

そして、人々にとって社会に生きる事は、とても辛いものになる。

 ↓

犯罪が多発するようになると、その犯罪を抑止する力も低下する。

犯罪抑止の為の、資金も人材も大量に必要とするようになるからだ

そこで、より犯罪を押さえ込もうと、より大きな犯罪抑止力を求めるようになり、それが警察や軍隊の拡大や、暴力に対する期待感の高まりを生み、社会全体がますます暴力的になる。

 ↓

暴力的社会において、人々は常に傷ついているので、常に精神が不安定で、苛立っている。

ストレスが高まり、それがますます暴力への欲求を高めるので、社会全体で、より暴力が増す。

そして暴力において、問題が解決される事への期待から、人々と社会は、ますます暴力的傾向を強める。

 ↓

社会の中に、暴力者と被暴力者という関係が生まれ、それがますます、階級対立や民族、国家間、世代間闘争を生む。

支配者層と被支配者層の対立の高まりが、内乱の要因となり、戦争への欲求を駆り立てる事になる。

 ↓

更に、国外の国との国際摩擦が領土、資源、権益などの点で高まると、平和的価値よりも、暴力的価値と善意への嘲笑主義に慣れ親しんだ人々は、対外的にもより暴力的姿勢で臨むようになり、それが対立関係にますます拍車を掛ける。

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経済的に、新経済群と旧経済群が対立する。

旧経済群は歴史があり、経済的、また地縁、血縁的に政治とも強く結びついているが、技術力や発想力、世代の違いによる慣行の違いなどから競争に弱く、新経済群に経済的に押される。不採算の拡大を恐れ、旧経済群は政治力による介入や、規制の強化、法の改正などを駆使して、新経済群に抵抗を謀る。それが世代間闘争や、経済対立、階級対立を駆り立て、それが公正でない時は、感情的対立も伴って、対立をより深刻にする。

これは、国内、国外、民族内、民族外を問わず、常に起こりやすい事である。

 ↓

国家、民族といった、愛情が限定される範囲にのみ、助け合いの関係を構築する事に、慣れ親しんでいる人々は、

「自分達」

としての、同じ国や同じ民族同士では助け合うが、

「他の者達」

という認識、人の区別の仕方による、別の国や民族の人々は助けない、見捨てる、といった思考と行動パターンにはまってしまう。

そして暴力的価値に慣れ親しんでいるので、対外的にも嘲笑と対立を生み、戦争への欲求が高まる。

  ↓

 善の暴力性

 戦争においては、集団の結束が要求されるので、人々は個別の意思よりも、集団的意志と目標を重視することになる。

 そこで、個人の意志を抑圧し、個人の目標と集団の目標を一致させる事が重要になり、個人の自由意志の抑圧が行なわれる。

 それが自分達という範囲の集団にとって良い事だ、という常識観が形成される様になる。 

 このように、善意の意味が次第に暴力性を増していく過程を、

「善の暴力性」

と呼ぶ。

 善の行為を行なう範囲自体を、同じ民族や国家などの限定された範囲に限るだけでなく、同じ民族や国家の者に対しても、暴力を振るう者が出てくるのは、この為である。

 集団的目標と個人的目標は、必ずしも一致する訳ではない。

 その一致を行なう必要性から、集団による個人への強制と暴力を必要とし、その為に暴力を必要とするので、暴力とその技術全般を集団全体が育ててしまい、そして支配者と被支配者の間に、暴力者と被暴力者という対立が生まれる。

  ↓

 集団の内外で、階級対立や国家内部の権力、部族、民族、地域対立などの、様々な対立が深刻化する。

すると、政権としては国内の対立が、権力者への追求とならない様に、内側の不満を外にそらすために、国外に注意をそらすよう、他国、もしくは自分達以外の誰かに、敵意を向けようと他国との対立を生み出す。 

 ↓

一方権力内部では、より暴力的な人物の方が必要とされるようになり、その様な人間が出世する。

暴力的人間により権力が集中し、権力側による被支配層への暴力がエスカレートしていく。

  ↓

戦争が始まる、内乱であったり他国への戦争であったり、形はさまざま。

 ↓

他民族や他国家などの

「自分達以外」

という範囲の人々への憎悪が高まる。

 その時、個人の思考のパターンが、

「~民族、~国などの他集団に勝った、負けた」

といった考え方に入っていると、ある政策を実際に立案し、実行した政策責任者だけでなく、その民族や国家などの、集団全てを憎悪の対象とする、という

「数のずれ」

を生む。

 そしてこの

「数のずれ」

が、敵味方の双方にますます、対立と憎悪の連鎖を生み、戦争が泥沼に陥る。

 個人的責任と集団責任の明確な区別がないまま、まとめて相手の民族や国家を憎悪する、という思考パターン自体が、戦争を悪化させる。 

  ↓

 戦争への反対が高まり、再び平和になる。

  ↓

しかし、この歴史の循環パターンを生み出す、思考パターン自体は改まらないので、時を経て再び戦争が始まる。

 平和はこの時、次の戦争への準備期間である。

  ↓

 戦争を経験した人々が、戦争の無い時代に、時と共に亡くなっていくと、体験を通して戦争に反対をする人々が次第に減り、戦争を知らない世代がその国の中心世代となり、国全体での戦争への抵抗感が失われ、戦争への欲求が高まり始める………。

  ↓

 再び、民族、国家間の軋轢や、国家内の内紛などから、戦争が始まる。


 この歴史のパターンを繰返す。

 このような歴史の循環パターンを


「戦争過程」

と呼ぶ。

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