第7話 人は、何を為すべきで、何を為すべきでないか? #平和 #戦争 #心理学 #哲学

 人は、何を為すべきで、何を為すべきでないか?


人は、全人類全ての苦しみの解決を為すべきであり、他者の苦しみを我が喜びと為すべきではない。



これは、国家、民族に関わらず、全ての人に共通する事である。



愛情の構造とその限定性という問題


 欲望の構造において、愛情とは、自己の欲望の対象に対し、愛情という感情の発生条件範囲の中に、欲望の対象が適格であり、その対象の保存と進展を求める事だと言える。


 思考の順序としては、まず対象を認識し、その対象が自己の欲望範囲に適格であると判断した場合、その対象に対し、保存と進展を求める、という順番になり、その時発生する感情としては、愛情である、という事になる。


 どんな人であれ、その個々の人々の民族、国家という人の区別に関わらず、全ての人は本来、全ての人の保存と進展を求めるべきであり、それこそが人類を永遠に平和にする世界を生み出す事だ。




 しかし、ここには思考構造上の問題がある。


 思考構造において人は、その欲望の目標達成の範囲に必要とされる能力が不足していると判断した場合、その目標達成をあきらめ、止めてしまう。


 また、対象を認識し、その対象が自己の欲望範囲に適格では無いと判断した場合、その対象に対し、保存と進展を求める事を止め、無関心になる。


これは心理的には、感情としての愛情が、心の中に生まれないので、無関心になる、という事になる。



この構造で重要なのは、人間が対象を求めるのは、その対象が自己の目標範囲に適格と判断し、かつ、その対象を獲得する能力があり、かつその対象が自己にとって利益になるという判断から、感情としての欲求や愛情が生まれた時に始めて、人は対象を目標として求める、という点にある。



 つまり、目標の達成の為に、目標を求めるかどうかという判断を、思考は、欲求や感情が心に生まれるかどうか、そして、その目標達成の為に環境的条件や、能力があるかどうか、その能力の大小によって、範囲を限定し、より目標達成の確立をあげようとする。





 この構造が、


「人間は人間を全て愛し、助けるべきである」


という目標を、限定化してしまう。



 更に、対象がどんな存在であるか、という判断と認識は、その判断をする存在の知識と経験の範囲に限定され、それはつまり、その個人の属する集団の文化の範囲に限定されやすい。


 すると、その集団と対立する歴史を持つ他集団に属する人に対しては、必然的に良い感情が生まれにくくなる。


 感情発生のメカニズムがこの様に、その本来の構造自体から限定的になりやすいものなのだ。


 そしてそのような構造の限定性自体が、全ての人々に共通しているので、



「人間は人間を全て愛し、助けるべきである」


という目標に対し、殆どの人々が、



「自分には全ての人を愛し助ける能力が無い」


「自分の心の中に、全ての人を愛し助けようとする感


情や欲求が沸かない」


と考えてしまい、殆どの人が、全ての人を愛する、という事を止めてしまう。



 人間が人間を愛し、大切にするには、愛情という感情が心に発生するのを待たなくてはならないのだろうか。


そうだとするならば、人間にとって人を愛し大切にするという事は、常にその人個人の感情の発生の条件である、欲望の設定条件(歴史や経験、感覚、感情、環境)に限定される、限定された範囲内の事に過ぎなくなる。 


 そしてその結果、全人類の中で、愛される者と、愛されない者という、欲望に合う、合わないという選別と、その分裂による対立が生まれる。


その結果、人類は戦争へと、自らを導いてしまうのである。


 これを


「愛情の限定化現象」


と呼ぶ。





 これは単なる主義主張の問題というよりも、むしろ人間本来の思考の基本構造が生み出す問題と言える。


 そして殆どの人々が、この基本構造問題に気付かないまま、戦争を繰り返し、人類の滅亡を生み出すかもしれないとすれば、人類はこの基本問題を解決しなければならないのである。


 ここでの問題は、目標範囲を限定化する構造である。


 しかし、人は能力の範囲や感情発生の範囲に関わらず、目標を設定し、行動する事が出来る。


人は目標意識を優先させることが出来る。

人は環境、能力、感情、欲求の有無や大小に関わらず、目標意識を優先させることが出来る。


 欲望という構造には限界がある。しかし人類はその限界を認識し、乗り越える事が出来る。


 人類は人に対し愛情という感情が心の中に沸くか否かに関わらず、まずもって人を愛する事が出来る。


 人類は人に対し、人を愛するに足る能力や環境的条件が整うか否かに関わらず、まずもって人を愛する事ができる。


 環境や能力が整わないのならば、その不足分を補う協力相手を探せば良い、その意味にこそ、真の意味での人類の集団化の意味がある。


 これこそが、人類の平和を生み出す集団化の論理だ。


この様に、この文章では、欲望という構造それ自体の仕組みの全体像を正確に把握し、その構造的限界を乗り越える事自体を目指している。 


つまり、自己をパターン認識としてだけでなく、構造認識として理解することが重要。


人間が自己を、単に感情や人生経験の想起として意識するだけではなく、人類全体に共通する思考と欲望という構造体として、自己を理解する事が重要なのだ。


それが、自己が自己に対して、また世界に対して、人々がより正確に対処し、間違った対処に陥ることを減らす事につながる。


それは、人類の進化に他ならないからである。

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