第6話 善とは何か?悪とは何か? #平和 #戦争 #心理学 #哲学
善とは何か?悪とは何か?
古来より、善悪論は数多く行なわれてきた。多種多様な善悪論があり、それぞれに参考になる点がある。それらを踏まえた上で、筆者の考えを記そうと思う。
善や悪といった事は、具体的な行動やエピソードと共に説明される事が多い。
しかし、善悪の意味の境とは何かという議論は、なかなか難しいものだ。
そこで、次の様な例え話を使って考えて見る。
良い行いの例として
1、 本当の事を話し、嘘を言わない。
2、 人に施す、盗まない。
3、 人助けをする。
悪い行いの例として
1、 嘘を付き、本当の事を言わない。
2、 人に施さず、人の物を盗む。
3、 人を殺す。
仮に、これらの事を、全ての人が同時に行なった場合、世界がどうなるのか、と考えてみよう。
良い行いの例として
世界中全ての人が同時に、本当の事を話し、嘘を言わないと、世界はどうなるだろうか?
世界中の人々が同時に本当の事を話すので、世界中の情報に信頼がおける社会が生まれる。その為、間違った情報による間違った判断が減り、それによって人々の悩みや苦しみが減り、誤解や判断ミスによる失敗が減り、社会に苦しみが生まれにくくなる。
その結果、人類は生存と繁栄が可能となり、人々は幸せに暮らしていけるようになる。
世界中全ての人が同時に、人に施し、盗まない時、世界はどうなるだろうか?
世界中の人々が人に施し、盗まないので、誰もがお互いを信頼し助け合うようになり、誰もが、誰の物も盗まないので、自分の物が盗まれる心配をしなくても良くなり、人々は安心して暮らす事が出来るようになる。
その結果、人類は生存と繁栄が可能となり、人々は幸せに暮らしていけるようになる。
世界中全ての人が同時に、人助けを行なうなら、世界はどうなるだろうか?
世界中全ての人が同時に、人助けを行なうので、誰もが全ての人と共に助け合う、信頼し合える世界が生まれる。
その結果、人類は生存と繁栄が可能となり、人々は幸せに暮らしていけるようになる。
では、悪い行いの例として
世界中全ての人が同時に、人に嘘を付き、本当の事を話さない時、世界はどうなるだろうか?
世界中全ての人が同時に嘘を話し、本当の事を話さなくなるので、世界中の情報に信頼が置けなくなる。
間違った不正確な情報によって、人々は間違った判断を繰り返すようになり、数多くの失敗が生まれる。
その為、数多くの悩みや苦しみが生まれ、問題が解決される事が無くなり、人々は同じ問題でいつまでも苦しみ続ける事になる。
世界は苦しみに溢れ、人々は不幸な人生を送る事になる。
その結果、人類は生存と繁栄が不可能となり、人々は不幸な人生を生きる事になる。
そして全人類は滅亡する。
世界中全ての人が同時に、人に施さず、人の物を盗む時、世界はどうなるだろうか?
世界中の人々が同時に人に施さず、人の物を盗むので、誰もがお互いを信頼せず助け合わず、自分の物を盗まれる心配に常に悩まされ、人々は不安と不信感に包まれた人生を送る事になる。
自分が作り出したものを、他人に盗まれまい、と他人との交流を全面的に断つので、誰もが協力しない為、人間同士の協力関係が崩壊し、社会上の全ての共同作業が成立しなくなり、人類社会の分業制は崩壊し、誰もが何も手に入れられなくなるので、より他人から盗み取ろうとする様になり、誰もが奪い合う為に暴力を用いるようになり、殺戮と憎悪が果てしなく続く世界が生まれる。
その結果、人類は生存と繁栄が不可能となり、人々は不幸な人生を生きる事になる。
そして全人類は滅亡する。
世界中全ての人が同時に、人を殺す時、世界はどうなるだろうか?
世界中全ての人が同時に、人殺しを行なうので、誰もが人を殺し、最後の一人になるまで殺し続ける。そして最後の一人の人もまた、生きていく事も出来ず、子孫を残す事も出来ず、人類は死に絶える。
そして全人類は滅亡する。
このように、ある特定の行いを、全ての人が同時に行なった場合、世界がどうなるのか、と考えてみると、その行いが正しいかどうかが良く解る。
この考え方から考えてみると、
善とは、全人類の生存と繁栄の為の方法の事
であり、
悪とは、全人類の滅亡と破滅の方法の事
である。
と言える。
追記
人間は数多くの欲望達成の方法論を行う。欲望における目標の達成を、個人のレベルで行う事と、それを全ての人が行った場合どうなるか、というのは段階としての問題がある。
それらの一つ一つが、このように、ある特定の行いを、全ての人が同時に行なった場合、世界がどうなるのか、と考えてみると、その行いが正しいかどうかが良く解る。
「自分は他人から盗みたいが他人には盗まれたくは無い」
と考えるならば、他人よりもより暴力的に強い自分の必要性が生じる。
そこで人々が同時にこのような考え方を用いるようになると、暴力による競争とその悪循環の関係が全体に広まり、結果として人類全体が暴力に満ち溢れた世界を構築してしまい、最後には人類自体の自壊により滅亡してしまうのである。
ミクロレベルでの暴力の必要性の強化の論理の構築は、結果として人類全体の存在というマクロレベルの存在の不安定化と滅亡を引き起こすのである。
自分自身が、自分自身に認める考え方と論理を、他の人々全て、全人類全てが同時に行なうならば、その結果、世界がどう変わり、そしてその世界が自分自身にとってどういう意味を持つか、それが自分にとって苦しみの解決した幸せな世界か、それとも苦しみの解決しない不幸な世界かを考えれば、自分自身が、自分自身に認める考え方と論理が正しいか間違っているかがはっきりと解る。
これらの事を考え合わせると、次の様な考え方が導き出せる。
「他人に対し善い行ないを行うかどうかを、その善行の結果自分自身の利益になるかどうかで考える」
という論理、give and takeといわれるような考え方を、世界中全ての人が同時に考え、行動するならば、世界はどうなるだろうか?
世界中全ての人が、自分の利益になる人には良い行いをするが、そうでない人に対しては、良い行いを行なわず、見捨てる。
利益無き者は見捨てられる世界になってしまうので、誰もが自分は見捨てられまいと恐怖する、それによって人が人を助ける範囲が、世界全体の中で、利益を持つ人と持たない人に分裂し、そして助けられる者とそうではない者との対立が生まれる。
見捨てられまいと暴力を用いて奪い、利益を得ようとし、暴力が社会中に満ちて遂には殺し合いになり、全人類は滅亡する。
つまり、
「他人に対し善い行ないを行うかどうかを、その善行の結果自分自身の利益になるかどうかで考える」
という考え方は、それ自体は悪に見えなくとも、結局は人類を滅亡させる考え方だという意味で、非常に問題の大きい考え方なのだと言える。
なぜなら、この考え方の範囲では、人が人を助ける範囲が、利益を持つ一部の人々に限られ、それ以外の人々を見捨ててしまう、という
「愛情の限定化」
を生み出すからである。
そしてその行き着く先は戦争である。
この悪循環を止めるには、人が人を助ける、という範囲を拡大しなくてはならない。
能力的、環境的に可能かどうかという以前の思考の段階に、つまり目標範囲それ自体をまず拡大しなくてはならない。
そしてその範囲とは、
「自分が、他人からの利益や強制や圧力に関わりなく、
自らの欲求として、他人に対して善行を行なおうと考える、という理由でなくてはならない。
なぜならば、誰もが、自分は平和で幸せな世界において、苦しみが解決される幸せな世界に生きたい と考えており、その様な世界を人類世界に作り出すには、全世界全ての人が、全世界全ての人に善行を行い、全世界全ての人の苦しみの解決を目標とし、行動する事が重要であり、自分自身もまた人類の一員として、そのような世界を作り出し、維持していきたいと考えているからである。」
という範囲による。
他者との損得の関係や、強制と暴力の結果として他人に善行を行なうのではなく、自ら進んで善行を行なう人々こそが、永遠平和の世界を作り出す。
全人類全てを、個々の人々の総称として考えるのではなく、全人類という一個の人間と考えてみると良く解る。
「全人類」という一人の人は、自らを救いたいと考えている。「全人類」という一人の人が自らを救う為には、「全人類」全てで、自らを救いたいと考えなければならない。
それは「全人類」の構成要素としての全ての人々が、全ての人々を救おうと考えなくてはならない事を意味する。
誰かが誰かだけの苦しみを解決する世界では無く、誰もが全ての人の苦しみの解決を望み、行動する世界こそ、真に救われる世界であり、そのような世界こそ、人々が真に本当に望む世界である。
人々が真に望むのは、善の世界である。悪の世界では、人類は必ず絶滅する。
全人類全てから、戦争を起こそうとする思考体が、存在しようとしなくなるという事は、全ての人の思考が、自らを、
「全人類全ての苦しみを解決する者、他者の苦しみを我が喜びとしない者」
として自らを位置付ける、という事である。
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