神宮の優しさと、脆さ



 砦の中は、静まり返っていた。


 それは、夜の闇のせいだけではなかった。


 夜警の兵士が、ことごとく気を失って倒れていたのだ。





「これ全部、鳳来がやったの?」



 足元に倒れる兵士を見て、神宮は言った。



「そうだ。忍びの技を使えば容易い。これで領主の部屋まで楽に行ける」



 し、忍びの技?



「領主の部屋の前にはボディガードのガ―ディスがいるが……」



 ガ―ディス――領主ファリプの左に立っていた大男だ。


 ファリプのもとへ行くには、奴を倒さなければならない。



「奴には下剤を沢山飲ませておいた。今頃苦しみもがいている頃だろう」


「ヒナは敵には容赦しないからね、怖いわぁ」




 安曇野は笑ってそう言ったが、神宮としては全然笑えなかった。


 チキンの神宮は、こんな大それた事をして大丈夫なのだろうかと、ひたすらビビッていた。




「ねぇ、鳳来、やっぱりこのまま逃げようよ」


「バカなのか? このまま逃げれば追われる身となり、果ては帝国を敵に回す事にもなるのだぞ。そうなったら、この世界で自由に行動出来なくなる」


「じゃあ、どうすれば……」


「私は、あの領主を利用してやろうと思う。奴に有効なのは、金、コネ、暴力の3つだが、今回は暴力を使って奴を従わせる」



 やっぱり力技なのね……



「なに、案ずるな。奥の手も用意してある。全て上手くいく」



 そうだといいんですが。


 なんでそんなに強気でポジティブなんだ、鳳来雛月。




「ヒナ、領主を従わせて何する気? まさかこの国を乗っ取ろうってわけじゃないわよね」

 

 詠那が冗談混じりに言った。


「まさか」そう言って鳳来は笑った。


「全ては、時子と梨々花を見つけてあっちに帰る為だよ。詳しくは、後から話す」


「うん」







 階段を駆け上り4階に入ったところで、兵士と鉢合わせた。



「え、鳳来どの――」



 と、兵士が言い終わるまえに、鳳来は素早く兵士の後ろに回り込み、首を打った。


 崩れ落ちる兵士。


 神宮が瞬きしている一瞬のうちに、その一連の動作は完結していた。






 それはまさに、神宮が、鳳来には逆らわないでおこうと決意した瞬間だった。



 今後ヘタなことをすれば、詠那の時みたいに、ボディブローやベッドに拘束されるだけでは済まされないかもしれない。


 詠那が入門編だとしたら、鳳来はまさにハードSM。


 ドMの神宮でさえ、流血するようなプレイには気が引けた。



 顔は可愛く、背も小さいので神宮好みの女子であったが、いかんせんリスクが高過ぎる。



 神宮の異世界ハーレム化計画に、するどい影が差した瞬間だった。






「やりますね」



 鳳来の鮮やかな技を見たサリアが、美味しそうなスイーツを眺めるように瞳をキラキラさせて言った。



「そう言うサリアも、出来そうだな。今度手合わせ願おうか」


「喜んでお受けします」





「学校終わったらカラオケ行かない?」みたいなノリで決闘の約束をする2人。



 どうなっているんだこの女子高生たちは。



 もっと穏やかにいこうよ……










 5階の領主の間を過ぎ、最上階の6階に辿りついた。


 ファリプの寝室の扉の前で、剣士ガ―ディスが仁王立ちで立っていた。



「下の方で何やら騒いでいる様子だったが、お前だったか、鳳来。残念だ」 



 そうカッコつけて言い放ったガ―ディスだったが、その顔からは滝のような冷や汗が流れ落ちていた。



 確実に、鳳来が仕込んだ下剤が効いているようだ。



 授業中にもよおしたがトイレに行けず、必死に我慢した経験がある神宮には、ガ―ディスの苦しみが痛いほど分かった。寧ろ、ガ―ディスに同情の念さえ抱いた。


 持ち場を離れる事が出来ない者に容赦ない下剤攻撃、かなりエグい。


 



「そこをどいてもらおう、ガ―ディス」


 そう言って鳳来は刀を抜いた。


 月明りに照らされて、刃が光る。




「鳳来。そのスパイ共を今すぐ斬れ。そ、そうすれば、今夜の事はなかったことにしてやろう。ど、どうだ。考え直せ」



 つまり、鳳来、頼むから面倒な事やめてトイレに行かせて、という事だろう。


 いよいよ、ガ―ディスの顔は青白くなってきた。




 鳳来は刀を鞘に収めた。




「神宮、貴様がいけ」


「うん。……え、僕が?」



 2度見した後、人差指で自分の顔をさして言った。



「そうだ。ガ―ディスに貴様の力を見せつけてやるのだ」



 何を言っているのだ、鳳来は。


 僕にそんな力がある訳ないだろう。




 まさか、鳳来は、僕の事を強いと思っている?


 そして、もしかしたら、実はちょっと惚れていたりするのか? 


 それで、僕の、カッコいいところが見たいと? 


 つまりそれはそういうことなのか?

 




 神宮は、チラッとガ―ディスの苦悶する顔を見た。



 今の腹痛に苦しむガ―ディスになら、あるいは勝てるかもしれない。



 ここは、良いところを見せて鳳来をメロメロにさせてやろう。



「あぁ、見てな」



 神宮は勢いよく小刀を抜いた。




「ふ、ふっ。そんなおもちゃのような刀でこの俺を倒そうなんて片腹痛あああああおおおおううううううぉわお!!!」




 そう叫ぶと、ガ―ディスは腹を押さえ、内股になった。


 神宮は確信した。




 勝てる!




「神宮、油断すんじゃないよ」



 そう言ってサリアは魔石をセットした。



「大丈夫だって」



 神宮は振り返りピースサインをした。



「神宮、前見て!」



 詠那の声で前を向くと、ガ―ディスの大剣が真上から降ってくるところだった。しかし、太刀の速度は非常に鈍く、神宮は左に飛んで間一髪かわすことが出来た。


 大剣は地面に落下し、床の石が砕けて飛び散った。



「あ、あぶなかった……」


「もう、気を付けてよね!」



 神宮は冷や汗を手の甲で拭った。


 下剤で動きが弱っているとはいえ、相手は名の知れた剣士。先に神宮が倒した盗賊よりも腕は上だろう。油断してはいけない。



「くっ、ちょこまかと」



 そう言って大剣を持ち上げようとしたガ―ディスだったが、また腹痛の波が襲って来て、腕に力が入らなかった。



「今だ、神宮!」



 鳳来が叫んだ。


 しかし、神宮は動かなかった。




 神宮は、幼い頃、どちらかと言うと、トイレに行くのが恥ずかしく、我慢した方である。なので、この時のガ―ディスの苦しみが良く理解でき、同情の念が強くなっていった。

 


 このまま戦えば簡単にガ―ディスを倒せる。



 しかし、それでいいのだろうか。






 神宮は、小刀を床に投げ捨てた。



「神宮、何やってんのよ!」


 詠那が叫んだ。




「ガ―ディス、僕にはわかる。君は今、腹痛で苦しんでいるのだろう?」


「な、何故それを……」



 鳳来が下剤を仕込んだからだ、とは言わなかった。



「その状態で倒しても、僕は嬉しくないよ。ここで待っているから、トイレに行っておいでよ」


「はっ、バカか。俺がこの場を離れたら、ファリプ様を守る者がいなくなるではないか」


「だから、君がトイレから戻って来るまで何もせずに待ってるって」


「そんなこと、信じられる訳がなかろう」


「出来たら、信じて欲しい。君の苦しみは、僕には理解出来る」


「出来ぬ。腹痛の為に主を見捨てたとあっては、もうこの先、剣士として生きて行けなくなる」


「だから、君が戻って来るまで僕らは何もしないし、誰にも言わない。約束するよ」


「信じられるわけなかろう。お前は敵だぞ」







「奴は本気でバカなのか? 一体何をやっているんだ」


 鳳来が刀を抜こうとしたのを、サリアが制した。



「鳳来さん、真咲さんを信じてみましょう」


「あいつバカだけど、バカなりに考えがあるのよ、きっと」



 詠那もそう言って、鳳来をなだめた。しかし、その表情は不安げだった。


 事実、神宮に上手い考えがあったわけではない。



「もう、どうなっても知らんぞ」







 神宮は、確かに馬鹿で変態だったが、他人を思いやる気持ちは、誰にも負けないくらい強かった。


 その思いが、敵であるガ―ディスにも向いてしまったのだ。







「仕方ない」


 そう言って、鳳来は刀を収め、一歩前に出た。




「ガ―ディス、お前に残された選択肢は2つしかない。このまま殺されるか、トイレに行き、体制を整えてから神宮と勝負するか」





「でも、もう1つ選択肢があるんじゃない?」



 詠那がヒソヒソ声で言った。



「なりふり構わずここですっきりしちゃえば、神宮なんて簡単に倒されちゃうんじゃないの?」


「ガ―ディスは、ああ見えてシャイボーイなのだ。だから、これだけ若い娘に囲まれているなかですっきりするという事は絶対にあり得ない。だから下剤を選んだのだ」


「あんた、鬼ね……」


「もっとも効果的で確実な方法を取る、さすが鳳来さん……」






 鳳来は、さらに1歩踏み出して言った。



「今すぐに殺されるのと、お前がトイレに行っている間に我々がファリプを殺めるのも、同じ事だ。お前には絶望しか残されていない。だったら、神宮の言う事を信じてトイレに行った方が、まだ生き残れる可能性があるというものだ。どうだ?」


「だから、そんな要求を飲む奴がこの世界のどこにいるというのだ。お前達を信じられる根拠など、どこにもない」



「根拠ならある。我々は、武士だからだ」



「武士……」



 異世界の剣士に、武士という言葉の持つ意味が通じたのかわからない。


 しかし、ガ―ディスは詠那、鳳来、サリアの顔を一通り眺め、神宮の瞳をぐっと見つめ、そして、大剣を床に突き刺した。



「5分で戻る」



 そう言うと、ガ―ディスは不自然なポーズで階段を駆け下りて行った。







「神宮、ガ―ディスに勝てるのだろうな? 武士を語ってしまった以上、もう我々は手出しできないぞ」



 鳳来は、腕を組んで言った。



「ははは、なんとかなるんじゃないかな」



 今になって、後悔の念がマグマの様に湧いて来た神宮。


 しかし、もう後戻りは出来ない。










 神宮は、ガ―ディスがこのままバックレることを強く願っていた。



 しかし、ちょうど5分の後、ガ―ディスは先ほどとは打って変わってすっきりした表情で戻ってきた。



「まさか、本当に待っていてくれるとはな」


「信じてくれって、言ったでしょ」



 そう爽やかなセリフを吐いた神宮だったが、顔は引きつっていた。



「これをやる」



 そう言って、ガ―ディスは立派な長剣を神宮に差し出した。



「その小刀じゃ、勝負にならんだろう。これを使え」


「う、うん、ありがとう」



 初めて手にする長剣は、ずっしりと重かった。


 柄を握り、鞘から引き抜くと、光輝く刃が姿を現した。

 

 一般の兵士が使うものではないのであろう、良い剣だというのは神宮にもわかった。


 それは、真剣勝負をするというガ―ディスの決意の表れであった。






 後ろを振り向くと、詠那は腰に手を当て、鳳来は腕を組み、サリアは胸の前で両手を握って心配そうな表情で神宮の方を見ていた。






 

 ねぇ……





 誰か……





 誰か、止めてよぉ。




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