6-3 喪失への扉


 森林一帯は濃い霧に包まれていた。ホノカはその中を、太い樹木伝いに歩いていた。「落ちる場所を間違えたな」と後悔しながら。霧は濃く、何が潜んでいるのかわからないのだから、先ずは森林を出なければ。ホノカは遠くから微かに聞こえるレイゴオウ達の戦いの音を頼りにしようとしたが、それは反響し合っていて、どの方向から届くのか、という事は良く分からなかった。「落ちるだけでなく宙に上がる程の力があれば」とホノカは思う。それはある意味矛盾だ、とも。


 その時、冷たい空気の中を仄かに生暖かいモノが混じるのを感じ。

 ホノカは振り返った。霧の中から——

 怪獣が飛び出してきた!キリキリと弾くような鳴き声をあげながら。

 巨大な昆虫らしき生物の腹がボディプレスしてくるのをホノカは見て、「うええ」と悲鳴ともつかない声をあげながら、地に倒れ伏した。気付いた時に、彼女の身体は怪獣の下にあった。脚の分胴体が宙に浮いているため、辛うじて押し潰されずに済んでいるのだ。だが——


 全く予想だにつかなかった。巨大な鉄の集まりが、ホノカの頬のすぐ真横の地面に突き刺さった。真上から現れた鉄の集まりは怪獣の身体を突き破ったのだ。


「うううううッ」


 自らの頬が焦げそうな熱さに、地面を這いながら目を瞑るホノカ。怪獣を突き通した巨大な鉄の集まりは、怪獣ごと持ち上げられた。それは、怪獣よりも遥かに巨大な——ガイタスの腕……ガイタスは背中のヒレの様な羽で霧を払い、2つの腕に取り付けられた巨大なチェーンソー(それは角張ったU字のカタチの鉄に回転する刃がつけられたモノである)の左腕を振り払って、沈黙した怪獣をどこかに吹き飛ばしてしまった。


「ホノカか」


 霧を晴らして現れた、如何にも悪人が使いそうな(ホノカの印象)ガイタスはスピーカ越しの声をホノカに届かせた。【艦長】だった。


「助けたのか」

「怪獣の生き残りを駆除した所丁度お前がそこにいた……それだけだ、それにしても……ここの怪獣を改造して新たな戦力にする計画もあったんだが見誤ったな、まさか多勢で来るたァ」


 ガイタス、ムゲンシアは空を仰ぎ、空に停滞し巨大な影を落としたスター・ロマンサーを見た。


「他の奴はガイタスを一部ガイタスを残して避難させた……全く残念な結果だよ、お前も『一旦』仲間の所に戻っておけ」


 彼の感情の見えない声が響き終わった時、遠くから爆発のような音が聞こえた。それは洞窟の方から聞こえるモノだった。













 もう歩く事すら精一杯となったムゲン・シグマは森林の洞窟に向かって倒れ込んだ。

 砕かれる壁。

 落ちていく欠片。

 砕けた岩の隙間から青い液体が弾け、滝となって内側に流れ込んだ。


「なるほど……この洞窟全体にエーテルG1が澄み渡っているというワケね……ここのシステムが世界に澄み渡っているように」


 コウの声は、その表情と共に憔悴しきっていた。コウは、最早地面に顔をうずめ動かなくなったムゲン・シグマを捨てるように、外へ飛び出した。固く足を取られそうな洞窟の地面をよろけながらも歩き、その真ん中……ノイズがかった円の集まり、その波形が織りなす重層的芸術作品を見つけたトコロで、その足を速めた。そして……彼はようやくたどり着いたのだ。


「会いたかったわ、『世界』」

『正確に言えば』高度知性体の声。

「その断片だという事はわかっている、でもね……貴方がどれだけ分かれたモノであろうと、それが揺るがないモノである事に変わりはないのよ、その世界の枠組みに至るまで確固たるモノとさせる、必要不可欠な『唯一』……私は本当はそれになりたかった、それを今、私のモノとする」

『やめろ』鬼気迫っているようで、そのトーンは変わらない。『僕と自然とのリンクは未だ機能している。愚かなモノ達を眩ますために濃い霧を発生させたばかりなのだから』

「安心しなさい、そういう役から貴方を解放してみせるというのよ」

『何を言っているのか分からない』

「全てを失った私が最後に求めるモノは、絶対に揺るがされないモノ……それだけしか許されない、許可しないッ」


 コウは石台によじ登り、「空中に投影された円の集まり」を通り抜け、それを映し出していたモノの正体——石台の窪みの中にある物体を見た。小さな箱、青い枠組みを持った、黒い立方体。


『それを所定の位置から引きはがす事はオススメしない』

「禁止でないのならやるわ」


 穴の中は、黒い色をした液体だった。コウがそれに手を突っ込んだ時、それはゲル状である事がその手に伝わってきた。張りきった綱がブチ切れたようにコウは口を歪ませた。赤子のような笑い声を漏らしながら石台に寝そべるコウは、果たして立方体を掴んだ。


 立方体と石台を繋ぐ、液体の中に潜んだ見えない無数のコードはコウが力を掛ければ伸ばし過ぎた輪ゴムのように変質し、見える物となった。最早獣のそれと相違ない笑い声がそのコードをひとつふたつと引きちぎり——コウが手を挙げた時に、立方体はもう彼の手の中にあった。


「私の……モノよ、私の……」


 大事そうに左手を添えたその時だった。立方体は枠組みを残して粒子となって、青く消え始めたのだ。砂で押し固められたモノが、吹き荒ぶ風と一緒くたになる時のように。


「なッ、なんで」


 砂で描かれた自分だけの暗号が、ひとつの波であっさりと消えていくように。


「なんでよ!知ってんのよそれは!こんな風に……」


 コウの端正な顔はひしゃげ、子どもの様に身体を揺らしながら、彼は石台の上に倒れ伏す。


「なくなるのよ、彼みたいに」


 天井から降り注ぐ青い液体は、溜まった涙のように石台の麓に寄り集まっていた。深い哀しみの掠れた鳴き声が、洞窟に沈黙を残し、静止する時間、のような感覚。

 静寂。

 振動。

 石台の周りに溜まる青い液体が宙を浮き。

 コウの周りで螺旋を描き——

 彼の『中』に、多くの青い流動体が、音を立てて流入へと導かれる。

 奔流。

 言葉にならない悲鳴。

 悲鳴。

 悲鳴。

 ……

 

石台の上に糸の切れた人形の様に倒れるコウの目は閉じ、青い脈々とした「呪い」に囚われ、もう動けなくなっていた。


『ヒトがヒトというかけがえのない同種を失えば、その代わりの何かを見つけようとすること程難しい事は無い、という事は知っている』


 文章を読み上げる様な淡々とした声。高度知性体の声は、どこから聞こえるのか?


『それでどうして芸術などと言う見えないモノに身を委ねようとしたのかは疑問でならん、それもアクティビティよりの更に不確定で、危険な方向に進んでしまったのか?』

『見えなければこそ自分を騙す事さえできたのよ……』その声と共に洞窟の中で囁くもう一つの声。『貴方もそうなんでしょう?フフ、高度知性体の断片たるモノは最初から存在しなかった、そういう事ね』

『違うさ、僕は一つの器を失った……君はその代用品となる』

『貴方の姿が頭に流れ込んでくるわ……貴方、もしかして人間だったの?』

『……』


 2つの声は混じり合い、一体となっていた。コウがこの瞬間に高度知性体の一部となった。死なないままで……

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