5-終 救出

 椅子に手を括り付けられ、足をも丈夫なロープで縛られてしまったホノカは、据わる力も無くなってしまったかのようにぐったりとしていた。切りそろえられた前髪からチラつく視界は、開いたままの暗い部屋のドア或はその向こうにある白い廊下を見つめていた。


 別の部屋とか、牢屋か何かにブチ込まれなかっただけマシだわ、と彼女は考える。そうだとしても、楽観的に状況を見られるという事にはならない。「敵に魂を売って」これでは報われないのだから……ホノカが唇を弾けそうな位噛みしめた時に、近づいてくる足音は聞こえてきたのだ。この部屋は「船」の隅っこの方に在るのだが、恐らくは常時どこかのモニターで監視されている。ホノカに気付いた【艦長】か誰かが、拘束を解きに来てくれたか、それとも……

 彼女の薄暗い視界の前に現れたのは果たして、先程のキラビトと同じ格好に身を包み顔を隠した「乗組員B」だった。


 一体何をしに?

 彼は銃を握り、無言でホノカの胴体に向けて構えていた。彼女はそれを見てああ、と理解し、本当に笑えるな、と口元を歪ませた。しかし、彼はその銃の引き金を引く前に、顔を包むフェイスマスクを取り外してその顔を顕わにした。


「ホノカ!!」


 ノボルである……彼女は彼の間抜けそうな顔を見た途端に神経をすっかり伸びきらせ、力がますます緩んでしまいそうな口をつぐんだ。諦めた様な微笑みを、彼に見られたくは無かったからだ。


「今、もしかして笑ってた?初めてじゃない?」

「うるせ」


 力無く、少し震えた自分の声にホノカが気付く時、何故か鼻の奥がつんと痛んだ。彼が腕や足の縄を解いている時も、それに耐えるのに必死だった。照明の落とされた部屋だったので、その表情はノボルには見えなかっただろう。


「捕まってるだけで済むなんて、まあ良かった」

「わかんないよー人体改造されてるかも」

「そういえば包帯巻いてんじゃん、ケガしたの?」

「マジで?気が付かなかった」

「誰に治してもらったの?」

「しらね」


 ホノカは自由になった手足をふらふらと揺らして、フン、と鼻を鳴らす。「しっかし熱いな、コレ」ソラゾクの服を脱ぎだすノボルに「帰るときは乗組員になりすまさなくていいの」とホノカは訊いた。


「君の分の服用意できなかったし、強行突破しか無いな」

「お前って、意外とイノシシな面あるよね」

「傍に誰かいたらね、ホノカなら十二分」

「人頼みかよ、結局」入り口から首を伸ばし外の様子を確認するノボルの背中に「守ってくれよ」と聞こえ無い位の呟きを、彼女は投げた。




 別室に置かれたボムとコートを回収しつつ、二人はスター・ロマンサーの中を突き抜けた。行く手を阻むソラゾクの乗組員は、ホノカの重力によって攻撃力アップしたノボルの旋風脚で大体なんとかなった。一番酷い突破方法は、長い通路に奥に並んだ乗組員を、ホノカの重力操作によって吹き飛ばされたノボルのキックで次々と倒していく、という方法だった。


「派手にやってしまったな」


 速報展示室の窓をボムで破り、風が吹き荒ぶ船の外へ出た所で、ようやくホノカは文句を言った。二人は重力四角で船の壁面に張り付きつつ、船の天井の方へと移動した。重力四角を用いて張り付くのは、地面に対して平行な面に立った時も同じである。彼らの身体は、激しい風でどうにか押し流されてしまいそうになっていたからだ。


「レイゴオウは——」


 ノボルが見渡す森林の風景の中で、2つの取っ組み合う巨大な影は今、森林と森林の間を隔てる田園・道路地帯の中にあった。丁度今、レイゴオウはムゲン・シグマに押し倒され、具現化された金色の刃がレイゴオウの首元に向けられている最中だった。小麦色と土の色は一緒くたになって捲り上げられ、レイゴオウの背びれが深く深く道路に突き刺さりひび割れを起こしていた。その道路の上を車が走る事はもう無いだろう、とホノカは思う。たとえそれがリニアカーだとしても、ひび割れた道路の通行なんてモノは認められないだろう。


「いくらガイタスの背丈が大きいからって、高さは50mくらい違うし、距離的に500mは離れているッ!!」

「でも、落ちるしかないだろ」額に汗を浮かべるホノカは息を呑み、覚悟する。「仕方ねーな」

「まさか……ホノカ、それは流石に」

「熱血クソナルシに連絡入れときな、今すぐ行くってよ」

「無茶するなよ、君の能力にだって限界があ——」


 苛立つホノカの手首が乱暴にノボルの手を掴んだところで彼女は走り出し、そして2つの身体を宙に放り投げた。細胞一つ一つをも吹き飛ばし気体の一つとさせてしまいそうな暴風を真に受けながら、ホノカとノボルは空に沈んでいった。レイゴオウの元に「重力四角を飛ばし続け、自らの軌道を修正させながら、風の唸り声や隣のノボルの叫び声が全く聞こえなくなるほどに、ホノカは集中していた。願わず与えられたこの能力でこそホノカは、ノボルやあのレイゴオウの「力」になれる——それで満ち足りるという状況が、彼女にはある種恥ずかしくてならなかった。


 レイゴオウの目は光り、その太い足が取っ組み合っていたムゲン・シグマの軽い肉体を吹き飛ばした。大きな羽を広げ、後方への力に引きずられながらも空中を舞うムゲン・シグマは、レイゴオウのすぐ上空を浮かぶ二人の人間に目を光らせ、「空間ごとそぎ落とそうとした」。しかし……それを察するレイゴオウは、尻尾を勢いよく地面に叩き付けた。地盤の緩くなった地面は森林の木をよろかせ倒すほどに激しく揺れ、ムゲン・シグマの照準を逸れさせた。


 田園地帯に大きな半球のクレーターが現れ、近い場所にあった森林の木が次々と引き寄せられるようになぎ倒されていった。そして——レイゴオウのコクピットの中が見える入り口が背鰭のすぐ横で開いた時、ホノカはその穴に向けてノボルの身体をぶち込んだ。コクピットの中、美しいスマイルを決め込んでいたジンの額に正確に張り付いた重力四角。ノボルはそれに向けて正確に吸い寄せられ、ジンにぶつかり一つの球形の塊となったままコクピットの中へと消えていった。「うわああああああああ」という間の抜けた叫び声は、ホノカには聞こえなかった。


 ホノカはレイゴオウにぶつかりそうになる身体を逸らしながら、巨体の周りを旋回した。灰色の美しい背びれの尖形ひとつひとつが一つの山のように見えて、日の光を白い輝きにして返す様が、ホノカの目に長い間張り付くだろう、と思われる程だった。彼女に向けられた勇ましいレイゴオウの眼光は鋭さを増し、その胸を反らせた所で轟く咆哮が天地をも揺るがせた。一つの巨大な身体が、ホノカには一つの憧憬に感じられた。

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