5-2 祠に潜む神獣
雨はあがり、陽光は木々の隙間から梯子となって伸びていた。地平に噛みつく水蒸気は見えない何処かから近づく大勢のモノへの純粋な恐怖に対し敏感に反応し、樹の影へと身を潜めていった。未練がましい冷たさだけを残しながら。
深い青の垂れ下がる森林の中に黒い怪獣達が寄り集まる光景は特異なモノだった。全ての人型ガイタス——ムゲンの体長は30mに揃えられていて、木々よりもかなり高い場所から全ての光景を見下ろしていた。ところが、そうもいかない山の様な塊が目の前にあった。山、否、木々一本として生えていない、三角形の土の塊。ムゲンたちのさえずり合うすぐ前に、2つのモノが眠る空洞は存在しているというのは、その見た目からはとても思えないが確かな事だった。塊の高さは50mほどだが、眠るモノの内の一つとされる、純粋な「怪獣」がどれほどの大きさなのか——
その『岩塊』の周辺何十m離れた場所にも、木々は避ける様にして生えていなかった。ムゲンたちが無理矢理その場所に入り込んできたがために何十本も倒されてしまった、というのもあるが……岩塊の周りを一周するように、ねじれた巨大な紐が括り付けられていた。その下の祠の表面には、赤い四角形が描かれていた。正確に言えば、その赤となっている部分、1mほどの太い線は少しくぼんでいた。地面から始まり、30mほどの高さに到達するまで描かれた、巨大な赤い四角形。それが扉を示すモノであると、その前に立つ生身のマレナにはそれを見た時すぐに理解できた。
彼女が白い手をつけているのは、幾重の努力虚しくビクともしなかった扉。既にその表面には、幾つかの凹みがあるが、それは幾つかのムゲンが固く閉じられた扉の解放を試みた痕跡である。
「開けゴマ」一応と言う気持ちで呟くマレナ。
「ぶふっ」背後で笑うのは青いパーカーを着た少年。
「イツキ、古典的だと貴方は笑うかもしれないけどね……」
「いや、どう見てもそれ以前の問題でしょ……もしこの門が言葉によって開錠されるモノだったとしたらばさ、それはプログラムで制御されたモノだって事でしょ?だとすれば僕等が探すのはパスワードだよ、魔法の呪文なんかじゃないよ」パーカーのポケットに手を突っ込んだまま地を踊る少年に、マレナは冷ややかな目を向ける。こけろこけろと念じながら。
「貴方の心の昂りは、まあそれも全部ムダなんだけどね、と言っているようですわね」
「え?ひょっとして僕に任されたお仕事の事かい?うーんまあ面倒くさいんだけどさ、ほら、あの人のいう事は無視できない人だから、僕って」
「いいからガイタスにお乗りになったらどう?貴方の『ユイツブキ』でこの扉を開く事ができるのでしょう」
「えーッもうっすか?もうっすか?仕方ないなあ……それにしてもアレよね、君のガイタスの『ユイツブキ』の方がさ、なんていうか強そうなのにさ、あ、まあ僕のはこういう時にしか役に立てないってのはあるけどねえ、あっそんな事も無いかなー」
「早くおしっ」
迷彩変色した『スター・ロマンサー』に向かってだらだらと歩き出すイツキにマレナは叱責を飛ばす。彼は逃げる様にムゲンの巨大な脚たちの間を縫って駆けだした。全く同年代とは思えないとマレナは思う。イツキと入れ違うようにして、一人の男が現れた。それまで棒のように立っていたムゲンたちはその男のために道を開けた。
「艦長ッ」
退屈そうに腕を組んでいたマレナは、それを解いて彼の事を呼ぶ。マレナの横を無言で通り過ぎる【艦長】は、そのままマレナがさっきしたのと同じように岩塊に手を付ける。それを見たマレナは、耐えられずに目を反らす。
「マレナ、どうやらこの場所は本当に人間に大切にされていないようだぜ……その辺に落書きとか悪戯されてないのが不思議なくらいだ」
「人がそもそも来ないからでしょう……あ、面白みが無いっておっしゃりたいのです?」
「まあ、そういう気分だから仕方ねえがな」
「そういう気分、ですか……」
「ああ、そういう気分だ」
「……この奥に入るのは、私と貴方だけですか?」
「危険だが、そうする他ねェだろうな——俺達は既にこのつちくれのドームの中の大体を調べてはいるが、その様子から察するに、多くのガイタスでこの中に入るのはあまり得策ではねェようだ」
「しかし、この中には眠れる怪獣がいるのではなくって?」
「引きずり出すしかないさ、外に……コイツらと」振り返って多くのムゲンを見上げる【艦長】。「イツキにおびき出してもらう、と言っても立ってるだけで十分だ、怪獣は引き寄せられるように出てくるだろうよ。その間、俺達は……まあ癪だが、隠れるしかねー」
「私のユイツブキが力になれるというワケですね、あの女を捕縛した時のように」
マレナは右手に付けたアーム・ユニットのロックを施錠する。それは、生体化学に長けたイツキと違い、制御工学を中心に長けたコウが開発した「ユイツブキを生身のまま、50%の力で使える」ユニット。コウの場合ならば、「能力を吸収するだけ」と言った具合に。マレナはその事を思い出す。
「……コウはどうしているんです?」
マレナが訊こうとした時、その背後から木々を掻き分けるガイタスの足音が聞こえてきた。現れたのは、大きな黒いコートの様な鎧を着た爬虫類のような、どっしりとした怪獣。イツキのガイタスだ。頭部すらもその鎧に包まれていて、まるで深海魚のようになっていた。
『わーい、そこにいる人間たちー、あっぶないよー』
スピーカーごしに喋るイツキに、マレナは苛立たしく舌を打つ。
「デカいからって、調子に乗ってッ」
『艦長、言われた通りのスンドメで』
艦長は樹のガイタスを仰ぎ、片手をあげて、それで良いと合図をする。
イツキのガイタスの、頭部をも包む鎧には、そのてっぺんから真ん中を貫くように一直線にラインが入っていた。そのラインによって鎧は分かれ展開し、中のエイリアンの様な頭部が剥き出しになった。展開した鎧の右半分は青く変色しつつ硬化したので——イツキのガイタスはそれをシールドの様に構えたまま、祠の扉に向かって突進した。
急接近し——停止。
祠の扉に至る、後数センチ。
しかし、その爆風によって。
岩塊の内側を守る扉は、一瞬にして粉微塵となり。
衝撃波による炸裂音が響く時。
そこは巨大な穴となった。
「アレが、イツキのガイタス『アビンドス』の『多用出来ない』ユイツブキ。超硬度に鎧を変化させてどんなモノでも叩き割る、単純明快な必殺技さ」四散する土埃の前で凉しい顔をして【艦長】は言う。
「数値を上げて物理で殴る……何の謎解きも要らない力押し。見掛けに依らず」
「ところがそうだともいえんな、奴のユイツブキは幾つかのフェーズがに分かれていて、それも利用したのさ……『弱点解析』という、怠惰な彼が中々使わないユイツブキをな」
「石の扉の『結合』が弱い部分を探し当てたという事ですわね、ふ、なんだか土木作業に長けたガイタスという感じだけど——というか、何故に解説などを始めなさったのです?」
「それはな」【艦長】は一瞬沈黙し、続ける。
「おさらいだ」
「おさらい、ですか……」
多くのムゲンとイツキのガイタス『アビンドス』を遺し、【艦長】とマレナは岩塊の中へと足を踏み入れた。深い闇の中へ、奥へ、奥へ。そして、真正面50mほど離れた先に仄かな青い光を二人は見た。外から漏れるものではない、明かな光源。自ら光を発している物体。【艦長】はそれに向かって真っすぐに歩き始めた。明かり一つつけないで。マレナは慌てて彼に追いつき、コートの裾を掴んだ。
「足元をよく見て歩け」
地の底から這い出た様な声音に似合わない台詞。足元も何も見えたもんじゃない、とマレナは思う。「青い光の正体」が見えるところにまで、彼らは接近していた。
その正体は、幾何学模様の骨組。
六角形の光る骨組、それは平面か?
そうではない。
歩き続けるごとに、正体は徐々に明らかになる。
青く光る枠組みだけの立方体が、斜めに傾いたまま、頂点を軸として回転しているのだ。
彼らの目線の高さに揃えられた、石台の上で。
神秘的な光に弱く照らされるのは、湿った岩壁。そして、奇妙なカタチをした「石の塊」。それは空のように高い天井まで続いている。大聖堂を支える柱のように大きな、壁——否、柱になっているのだ。そこでマレナは気付く。天井は茫々たる青い光の点描で満ちている。まるで星空の様ではないか!マレナの中にあった外の森林の記憶は遥か遠くに吹っ飛ばされる。天井には巨大な光源があって、岩か何かの隙間からその光は漏れているのだろうか、とマレナは考える。
回転する立方体が音も無く浮かび上がる光景を【艦長】はものいわず見つめながらなおも歩いていたが、急に立ち止まった。その唐突さに、マレナの身体はよろけた。
「どうし——」
黙ってろ、と呟く【艦長】。左手で彼女を制止させたまま、ぴたりと止まる。
静寂。
しかし……
風の鳴る音もしないと思っていた空白の空間に、現実のモノと思えないような音が響く。
生物の呻き声。
不気味な音。
やがては生温い風と共に、二人へと流れ込んでくる。
真正面から。
この場所にはもう一つ、反対側に入り口があるのか?
違う。
立方体の回転が、ピタリと止む。
ずしりとした音と共に、抑えつけられたのだ。立方体は。
鍵爪。
見えない「何か」の。
マレナは気づかず激しくなっていた呼吸すらもピタリと止め、
マネキンのように動かなくなる。
立方体の大きさから見るに、その全容はそれ程大きいモノではない。
しかし、人間を丸のみするくらいなら十分だ。
マレナが必死に頭のペンを走らせようとした時。
立方体は、押し潰された。
見えない「怪獣」の鍵爪によって。
青く光る液体を、無残にも散らし。
光は消え、
晦冥の向こうに、
三角形の眼光が点り、
咆哮をあげた時。
マレナのユイツブキは、既に発動していた。
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