4-5 喧嘩


 地下都市の暗い宴会場は、アナログの楽器が発するだけのアンニュイなBGMに満ちていて、何の盛り上がりも期待できない、とノボルは思った。狭いステージの上で着物の女性たちがその身を翻し、何かを演じている。上座に座るジンはノボルの隣で時々手を叩いたりと、一応の喜びというか、社交辞令のような盛り上げ方で、与えられた「ご馳走」を楽しみ、近くの人間と談笑していた。


「しかし美しいな、まるでホメロスの時代にいるみたいだ」


 また訳の分からない事を彼が言っているとノボルは感じた。




 ノボルはその数分後になって部屋の外に出、生温い地下の空気を深く吸った。そして、強固な紐で引っ張られたように唐突に体を反らし、その身体の「鈍り」に気付く。まだ一日とすらここにいないのに。ここの狭苦しさに体や、おそらく心すらも押し込められそうになっている——ノボルは気付く。ユキの「ここに長く居れば変わって来る」という言葉の意味が、今になって分かってくる気が、ノボルにはしていた。


 だが……かつてのノボルはそれを理解し得なかっただろう。レイゴオウやジンと出会う前の彼は、もし押し込められそうになれば、自分の心の奥深くにどんどん入って行くという、内からの出口を見出していたからだ。


 そして、今はどうだろうか?ノボルは自分に問う。今は、動かなければならない。そうしなければいけないと思っている自分がいるのだ。囚われたか、殺されてしまったのかもわからないホノカ。レイゴオウを打ち負かした巨大な敵。そして、それを取り囲む巨大な組織、名はソラゾク。……そして、ジンの事。ノボルは彼に、今の「しなければならない気持ち」を伝えたかった。しかし、彼自体には、その準備ができていない様に思えた。ノボルの内に抱えた不安がどうにもならないとでも言いたげな雰囲気、「今はそうすべきではない」と、ジンが厚い壁を貼っているとすら思えたのだ。








 数十分後、ノボルはレイゴオウを見渡せる地下都市上層の展望台に立っていた。その胸部と勇ましい剣山のような背鰭が目の前に迫っている光景は正に圧巻だった。きっと、何か月、何年見てもそのレイゴオウの一部だけでも飽きないだろう、とノボルは思う。幾らかの同じ服を着た、レイゴオウの「スポンサー」がその整備に取り掛かっているのを見ると、彼はむずがゆい気持ちになった。モニターの中で愛でていただけの怪獣は今現実に在って、多くの人間を取り巻こうとしている……勿論レイゴオウが本来はジンの「所有するモノ」であると分かってからは、その予想だにしなかった現実をそれほどには重く受け止めるコトは無かったが、そうであるとしても確かに、レイゴオウの一部としてノボルの名はあるのだ。


 錆びついた鉄のパッチワークのようなフェンスに腕を掛けて溜息をついた時、ずっと下の方で作業する「スポンサー」の中に、背丈の小さい女性がいる事に、ノボルは気が付いた。桃色の髪。同じ色のラインが入った黒い服。ショートパンツを履いた、女性。齢は、ノボルと同じ位だろうか。もし紛れ込んでそこにいるのだとしたら警戒の薄い事だよな、ノボルはそう考え、女性を不思議そうに見つめたときだった。

 

 彼女と、目が合ってしまったのだ。青い瞳。吸い込まれそうな青が、さっきまでレイゴオウを見つめていたその青が、ノボルの方へ向けられた。まるで、答え合わせをする子供のように。否、実際に子供である。そして、彼女がその胸に抱きかかえる小動物にも、初めて気が付いた。丸っこい造形をした……犬?猫?否、それは丸いカタチではあるが、鎧を着ている。つまり、ガイタス——


「えッ……‼??」


 フェンスに乗り上げ落ちそうになったノボルを、後ろから服を掴んで乱暴にも引き上げる手があった。ジンだ。


「わわっ、危ない!!」

「オイオイ何やってるんだ、レイゴオウに見とれているんじゃあないッ」


 ふふふと笑うジンは引き上げたノボルの隣のフェンスにもたれ、その巨大な造形という憧憬の方へと、意識を赴かせていった。数十秒の沈黙。ノボルはしばらくジンを見ていたが、堅苦しい気詰まりを感じ、レイゴオウの背びれに再び目を走らせた後は、置物のように動かなくなった。

 更に数十秒。


「……どうしてここに?宴会は出て行ったの?」


 ノボルは呟くような声で言った。


「どうして出て行ったかだとお?バアカ、お前が先だろうが。それでちょいと心配になっただけさ」

「心配?」

「ステージで踊ってる女よりも、ソラゾクに囚われた女が今どうしているかって事にご執心なんだろ?お前は」

「ホノカは、ノボルより数分早く出会っただけのただの同志だよ」


 沈黙。


「なあ、レイゴオウがその力を十分に出し切れていないのは、僕が追い付いていないからなのか?」

「追い付いていない、か……わからんよな、目に見えない相互関係、底の知れない潜在能力」

「潜在能力と言うのは、レイゴオウの……?」

「ノボル、もう一度あのオトコオンナが現れた時、それはもう倒さなければならない時だ、そう思わねばならん」


 ノボルはジンの方に再び首を向ける。ジンが光の籠っていないレイゴオウの瞳の方へ、燃え滾る炎を送っている、彼にはそう感じられた。


「必殺技をやるぞ、俺達とレイゴオウにしか為し得ない、究極の『一発』を……それに懸ける」

「必殺技?」

「甘美な響きだろう、だが、それを達成するためには——何をすればいいと思う?」

「修行、力を合わせる事……当たり前の事しか出てこないんだけど」


 ジンはノボルを真面目な顔で見据えたかと思うと、にこりと笑って見せた。

 その時。

 拳。

 目の前。

 ノボルはそれを、受け止めた。

 ジンが唐突に繰り出した攻撃を。


「い、いきなり……」


 ノボルはそのパンチを腕で受け止めてしまった事を後悔した。ジンはその拳を彼の腕にぴたりとつけたまま、力を掛け続けているのだ。このまま彼が拳を振り抜いた時に、ノボルは後方に吹っ飛ばされてしまうと、容易に想像できる。ノボルはそうされまいと、必死に反対方向へ力をかける。


「どうした、ノボル」ぎらついた視線と微笑みが、ノボルを既に突き刺している。「足を踏ん張り、腰を入れんか」

「……『相棒』の次は『師匠』かよッ」

「違うな、俺とお前は同じレイゴオウの一部……つまり、対等な存在」


 ジンは拳を引く。

 ノボルはその急な脱力によろけるが、続いて繰り出される拳はしっかりとその掌で受け止める。ジンはその反射神経に、少し驚いたらしく目を見開いた。


「俺との息がぴったり合って貰わなくちゃあ困る、まずは『それから』だな」

「『それから』って……『到達点』じゃないのか?既にハードルがかなり高いような」

「どういう意味だよ」

「喧嘩か?」


 背後で声がした。ノボルが振り返った時に居たのは、腕を組むユキの姿だった。


「ちゃんとした『場所』を用意してやるよ」

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