4-3 白

 『中央都市・京』のバーチャルでない空間では今、二人の男が密かな会合を果たしていた。人工森の中の古びた建物。遥か昔から受け継がれてきた、「宇留鷲谷郷校(ウルワシダニゴウコウ)」——そのレプリカ。彼らはその講堂に座り、向かい合っていた。一人は科学者で、一人防衛特務大佐である。


「ここ数日、眠れない夜が続きますよ、有馬大佐」科学者の方が口を開く。銀縁のメガネを纏ったオールバック髪の男性……吉野アキヒコという名前のその男性は、常に口を歪ませているような絵に描いたような科学者である——古風な制服に身を包み、姿勢を正して座る有馬イツキはそう考えていた。彼は吉野に応える。

「こちらは別の意味で眠れない夜が続くね。地方で混乱があったとしても地元の無力な警察が勝手に動くばかりで、迅速な避難指示はあっても基本はその『状況』が終わるのを待つだけ……」


 有馬はぽつりと視線を下に向ける。床は漆が塗り込まれ、磨き込まれていた当時の状態を完全に「再現」していて、その深淵のような暗さに有馬は一瞬、落ちていく感覚に気を取られそうになった。


「こう立て続けの危機が続いても指示待ちの状況は変わらない、というワケですか?まあ、確かにここ数日のガイタス襲来は矢継ぎ早にという感じではあるけれども、それでも収束は早かったでしょう。セカンド・ウェーブの時もアナタ方の艦隊が現場に急行した時は既に『二回目の事態』が収束していた」

「二回目の二回目か、それにしてもソラゾクが動いていたのは、やはり……例の『レイゴオウ』とかいうヤツの所為なのか?」


 吉野の顔は崩れない。しかし、ゆっくりとその顔は横を向き、その意識は広い窓の外に見える日本庭園の情景の、細やかな神秘へと赴いていった。


「上の者も、あのレイゴオウと呼ばれる型式番号が確認されない特殊なガイタスの出現に首を捻らせているらしいですね……しかし私にはわかりますよ、アレは遠い昔話で語られてきたモノです、伝説の巨神とかいうヤツでね」

「いつものさ、素のトーンで言う冗談なら止めて欲しいね」

「では、止めます……アレは、ニンゲンの科学者が作ったモノだ」


 吉野の傾いたままの顔に、有馬はやっと焦点を合わす。胡坐をかいて座っていた吉野は立ち上がり、庭園の方へ足を進ませた。白に満ちた景色の方へ。


「だから型式番号たるモノも確認できないし、何よりアイツは『現れた怪獣を討伐するためだけに戦っていた』説が濃厚である——それから、改造される元の怪獣も注目すべき点です、アレはここ、『京』にも幾度と無く上陸し業火の赤に染め上げた、この世界で最も凶悪と云われた怪獣……詳しいニンゲンなら一目で解る」

「その解釈は面白いと思うけどね、吉野さん。アンタが言ってるその怪獣は確かに有名なモノで、唐突に姿を消した……だが、アンタの説で言うと、そいつは人間ごときに倒され、改造されたって事になっちまうよ、そんな事は天命に誓って無い。目の前で見た僕だからこそ言える事だ」


「解釈ではない、そんな不確定要素だらけの解釈をこの僕がすると思いますか?……これは事実ですよ、『僕はそれをした男の事を知っている』」

「——」何を言っているかわからない、と有馬は思う。

「ところで、座ったままでいいからご覧になるといい。古より伝わる庭園文化をもこの郷校は残しているのですね」


 有馬は首を伸ばす。有馬の歩み寄った庭園は水に溢れた空間。講堂の何倍もある。緑色の木々が日を覆う下には、静まりかえった白が積もっている。雪か——そうではない。水際に沿って、砂や小石が敷き詰められているのだ。「州浜」である。その州浜から緑、そして水中至るまで配置された石の群れの迫力も見事なモノだと有馬は思う。水中に配置される石は、日本画で見る様な荒々しい筆の跡にそっくりである。


「書院、つまり、当時で言う校長室から眺めるのが一番美しいとされているらしい。案内してさしあげましょうか?」

「いや、ここでいいよ……僕はあまり知らないんだけど、こういうのは実際にそこへ赴いて、見て回るモノでは無いのかい?」

「あの庭園はこの講堂と同じ情報素材(インフォ・マテリア)で作られていてね……近づけば、作られたモノだと一目でわかる……行っても良いですが、虚しくなるだけですよ」


「やはり違うモノかね?この講堂なんかは」有馬は講堂の黒く落ちてゆきそうな床を指で小突く。強めの干渉によって揺らぎが生じ、黒と白のこじれた線、エーテルG1の流れが見える。しかし、感覚は清閑を全体で表した講堂の空間そのものから出てくるモノにふさわしい、床の冷たさである。「よく出来たもんだと思うけど」

「違いますね」何故それが分からないのか、と不思議そうな顔で吉野は有馬の方を振り返る。「だが、こういう形ででも当時そのものに近い鑑賞が出来る事には感謝しなくてはなりませんね……アナログの文献を『紐解く』よりも更に、そのメッセージ性足るモノは克明に読み取れる」


 有馬は黙って吉野の話を聞く。


「例えば、州浜は『あの世』と呼ばれているモノの『外のカタチ』を表す稀有な存在です。州浜から上陸した所が『あの世』だと言われている――清められた様である色をした白い砂と石が、そのイメージを表しているのですね」

「『あの世』ってのは、砂や石の一つ一つに至るまで綺麗に磨かれた場所なのか?」

「いいえ、そこに辿り着いた人間が変化と無縁の第二の生を受け入れるように、砂や石の一つ一つに至るまで、長い時間を掛けても変わらない、不変の地だという事ですよ……あくまで、私自身の考えではあるけれど」


 その時だった。

有野は自分の座る床が「変化」している事に気が付いた。

彼の座る所の中心から始まって、「冷たく、ごつごつした感触」が拡散しつつある。

彼は驚いて立ち上がり……そして、床が漆の塗り込まれた黒の平面から、白い砂と石の微かな起伏に富んだ「州浜」に移り変わりつつあるのを見た。


「しかし私達の身体は今、地上にある。そこで今一度考えたい……私達の世界は、幻想という未だ見ぬ外に希望を向けなければならない程、救いようのないモノなのか?」吉野はその状況を何食わぬ顔で観察する。その唐突な変化に弄ばれる有馬をも。


やがて、床の全ては白に塗り替わる。その時有馬は、自分が死のその先に立っている、と思うか?否、違う。窓の外に目を向ければ、誰かが作った庭園も、その外側に広がる森も、まだ手の届く所に在る。有馬はまだ現実の中にいる。プログラム次第でその姿を変える情報素材(インフォ・マテリア)が幾ら現実の物体を蝕もうとも、有馬はまだその事を信じていられる自分が不思議だ、と感じた。それとも——


「僕は今、バーチャルの世界にいるのか?」

「『度の過ぎた』情報素材(インフォ・マテリア)の変化体験は時として体験者の中の『世界のワク組み』をも揺るがす……安心してください、これは現実ですよ……この建物は展示の会期に合わせて、変化するように作られているのです」


 砂と石の感覚は、急に無くなった。

 色は変わらない。

 現れたのは、コンクリートの床。

 冷たさ、否、仄かな温もり。

 天井が在れば知れないはずの、柔らかな日の温もり。

 やがて、白は壁をも浸食する。

 窓は無くなり、

 庭園は視界から失せ、

 柱すらも無くなっている。

 柱の無い建物?

 生まれた「白い壁」は、卵の殻のような輪郭を描きつつ、上へと伸び。

 変化は止まる。

 

 柱一本も無い、薄いシェル構造の「建物」が、有馬をすっかりと覆ってしまった。

 ——「建物」?

 開口部は2つある。ぽっかりと開いた穴。外と内とを遮るモノはそこには無い。


「この場所は不変の『あの世』とは違う。変化を繰り返すのです。現実なのですから」


 コンクリートの床を這うモノに、再び有馬は驚く。それは——水滴だった。彼の3m向こう側に、小さな泉が生まれている。水滴はそれに引かれ、落ちていくのだ。


「だがこの中に居て、生の外へ想像力を向ける事はそう難しい事では無い、何故か?それについての答えを簡単に提示する事は野暮とも言えるし、そもそもこの場所で何かを語る事すら野暮であるとも言える」


 有馬は窓で遮られてもいない外から聞こえる「音」に耳を傾け、静かに再び座り込む。聖域や神秘的な何か、そういったワードが有馬を包み込む……だが、決して自分はそれに近づいている訳では無いと気付く。外にあるモノは日常。またの名を自然。いつであっても自分を取り囲むモノ。自分は、外にあるモノの事を思い、死んでいるのか生きているのか分からない感覚でこの場所にいる、と有馬は思う。ただ、外と内、それらを含めた全てを受け入れ、肯定したい——有馬は胡坐を掻いたままで目を瞑り、数十秒もの間黙っていた。


「それは、僕すらも今課せられた質問への答えを言うな、という意味かな、たとえそれが分かっていたとしても」有馬は口を開く。

「それでいい」吉野がにこりと笑った時、白は一気に塗り替わり、再び講堂の静寂さと、窓の外の庭園が現れた。どこで操作しているのだろう、と有馬は思う。


「なあ、それがその、『あの怪獣』をレイゴオウとかいうガイタスにしてしまった男に関係があるのか?」

「彼が根源めいたモノとの『対話』に関して非常に長けていた、とは言えるでしょう」

「……科学者が皆アンタみたいなフワフワした物言い好きだとすれば、それはもうこの世の終わりだろうよ」すっかり集中の糸が切れた有馬は、溜息をついて言う。

「おや、思ったより科学者という存在を、世界の枠組みの中で重要視して頂けるのですね」

「回りくどいって言ってるんだよ、アンタの言い分がさ……その男が一体何者なのか、それを踏まえてあのレイゴオウという脅威に成り得る存在は敵なのか味方なのか。それをさっきから僕は知りたがっているじゃないか」


「まあ、慌てる事は無い。実の所、あのレイゴオウが敵なのか味方なのかは、僕にしても非常に難しい判断であるのだから。ところで、今起ころうとしている事象はなんですか?今警戒すべきソラゾクの監視は今も働いているが、その目的は分からないままだ」

「もの言わぬ奴らのやろうとしている事なんて、誰も分からないだろうよ」

「ところが、そうでないとしたら?この私がそれを分かっている上で、その事実が誰にも明かせないモノ、だとしたら」

「……なんだってッ」有馬は低い、怒号に似た声を吉野に浴びせる。「奴らが略奪しようとしているモノは、そんなに重大なシロモノだってのか……?」

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