第肆話 井戸の底で

4-1 地下都市

 深い深い井戸の様な穴の底に、レイゴオウは到達していた。

 穴の底とは言っても、その底にある空間の広さはノボルの家の地下ドックほどの広さだった。レイゴオウより少し高い、70mほどの建築物が下に向かって伸びていると考えれば、それでも凄い事なのだ、とノボルは思う。


 『超深度ジオフロント』——橋でつながれた島々の垣根をも超える、地下大都市の存在を、ノボルは何かのネットブックスの片隅で、それが在るかもしれないしないかもしれない、位の情報でしか知らなかった。だがノボルはレイゴオウから降りたその瞬間に、それが『超深度』を誇る巨大地下空間である事を一瞬にして信じる。やはりそこに「実際」を目にできる事以上に説得力のある事柄は存在しない——ノボルは、数日間にその事についての意識を急に強めていた。


 今一度、激戦を越えたノボルは、力強く立つレイゴオウを見上げ、心の中で今までの戦を労わった。当のレイゴオウは目を瞑り、沈黙している。その尻尾だけは完全にその空間に納まりきらないらしく、ずうっと高くの天井から伸びる資材運搬用のアームで、それは吊るされていた。


 無理も無い。レイゴオウを取り囲む壁は切迫している。大小様々なパイプが基盤の模様のように敷き詰められていて、壁の地たるモノはノボルの目では確認できなかった。あの敷き詰められたパイプそのものが「壁」を構成しているとすれば……と、ノボルはその光景を見て妄想を働かせる。パイプの間から仄かに人工の光らしきモノが漏れている事に、ノボルは気付く。どうやらここは多層構造的なプレイスで、上方にも部屋か何かがあるらしい。


 ジンは既にレイゴオウのつま先から10m程の所にある入り口、その近くの壁にもたれるガタイの良い白髪の初老の所へ向かっていた。ノボルもそれに気付き、彼に追い付かんと駆けだした。


「その、礼を言わせてくれ」ジンは自分よりも背が高いその男を、少し見上げるようにして相対しつつ言う。ガタイの良い男はそれを聴いて笑い出す。

「いいってことよ、お前らはこのジオフロント:サイードでは、それなりの有名人だからな」

「おや驚いたな。ずっと見られてたのか?俺達は」全然驚いていないようなトーンで、ジンは言う。


「有名って……ここ数日の事ですよ?」後から駆けながら口を開くノボルを見て、ガタイの良い男は声のトーンを変える。

「俺は二週間前にここに来たばかりだからそんなに関係はねえさ」ノボルはその声の質を知っていた。その事に驚愕する。「まさかコイツに乗ってるのがお前だったとはな……街かそこらに逃げたもんだと思ってたよ、ノボル」

「……本屋の、ユキおじちゃん?」


 彼はノボルが日頃ガイタスや怪獣の資料を集める事に関して、珍しく理解を示した書店の店主……それが彼だった。ノボルは彼がいつも身に付けている丸メガネが今日は無い事や、いつものエプロン姿が色濃く認識されていた事が関係して、彼が彼だと分からなかったのだ。


「ごめん!全くわかんなかったよ」

「人が変わっちまったように見えるのも無理ねーさな……まあ、お前も一週間ここにいればどこか変わって見えるようになるだろうよ」

「悪いが——」ノボルの肩に、ジンが手を置く。「俺達そう長くここにいるワケにはいかないのさ」


「そりゃあそうだろう、お前たちは早く地上に出てもらわなければならない。『俺達』の希望になってもらうためにもな」ユキはレイゴオウを見上げ、感動に打ち震えるように息を呑みながらも、言う。「お前たちの『スポンサー』がエンジニア・スタッフになってくれる……俺はその方面に詳しか無いが、とても優秀だと訊く。摩耗してるパーツくらいは変えられるんだとさ……まあ、ここにはガイタスの『鎧』のスクラップも多く集まってるから、資材には困るまいよ」

「……後でソイツらに顔合わせさせてくれ、ユキおじちゃんとやら」

「まあ、とりあえずはアンタらの仮寝床まで連れてってやる。ついてきな」ノボルと歳の差はそんなになくとも、いい年を迎えた大人の唐突なおじちゃん呼びにユキは動じることなく、ゲームのNPCか何かの様に扉の向こうへ歩き出した。ユキの余計なモノゴトをシャットアウトする性格を、ノボルは思い出した。





 ノボルもジンも、非常に驚いた。

 地下にあるはずのその場所は、街の通りの様な空間だったからだ。

 喫茶店。

 ラーメンの屋台。

 ゲーム・センターの騒音ですら。中に見れるのは、どこかから拾ってきたようなレトロ・ゲームの小さなメカで、筐体のような巨大なモノは見当たらないが……


 上を見上げると、相も変わらず壁はパイプに敷き詰められていて、星一つ見えない暗さに満ちた天井(があるのだろう、それすらも確認できない)が空の蓋となって外界を完璧に遮断している。数少ないネオンが、鉄の地面に反射し美しく輝いている。それから気になるモノがあった。度々目に入る、捨てられた様な「道路標識」である。パイプの削がれた彼らは折り曲げられたり無造作にひしゃげたりで、事実、「捨てられているのだ」と、ノボルは思った。


「そいつらは『中心都市・京』の『断片』って奴さ。まあここに来た経緯に関しては色々ある、とだけ言えるかな」ユキはノボルの目線に気付き、簡潔に答えた。

ジンはまた別のモノに注視していた。屋台やプレハブやらの間の路地裏——おそらくそこに屯するニンゲンだろう、とノボルは思う。


「ノボル、こういうのを実際に見た事はなかろう」ジンが優しく言う。

「うん……まあ、ネットブックスのライブラリや古典の映画なんかで、見聞きするくらい」


 ノボルもジンの視線を追えば、丁度そこにいるのは着物を着た女性だった。すっかり疲れてしまった様な彼女らは地べたに座り込み、水煙管で何かを吸い上げていた。ノボルはその一連をシルエットだけでしか確認できなかった。ノボルはそれを拒否する信号が頭の中に流れるのを意識する前に、先に進もうと歩き出していた。しかし、ジンが立ち止まり、再び肩をしっかりとおさえた。


「目を反らすなよ」ジンは真顔でノボルの方を見据えていた。「ブラウザバックで印象を上書きしてとか、ヴァーチャルに身を委ねてとかじゃどうにもならない現実は、せめて自分の目で見るくらいの事はした方が良い」

「それをしないでダメになっちまったのはおじさんたちの世代の方だ」前方を歩いていたユキが、二人が立ち止まった事に気付き、言う。「おじさんが若い頃は、何もかもから目を反らしていられた。だけど、身に降りかかる火が遠い世界のどこかの物語、では無い事を知ったのは怪獣の足音が実際に、自分の耳に入ってきてからだった……地上の中央都市の『結界』とやらもこの地下都市も、それでもその日常的な恐怖を受け入れたく無い臆病なヤツらが作ったのさ。ここは安全の保障された場所だからな」


 ノボルは周りを歩くぼうっとした人影を眺めながら、ユキの話を聞いていた。

——ホノカは、無事なのだろうか?

 着物を着た女性の影がやはり、ノボルの脳裏にはしみついて離れなかった。

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