3-6 恐怖
戦が終わる時、ホノカはビルディングの屋上に座り込んでいた。高所得者が選びそうな、高層建築のマンションだ。彼女の気に召す事は無かったが、兵站の「代わり」として、学校に置いておいた分の内の一部のボムを置いておくには、その戦闘地帯より近く、かつ高く堅牢な建物は都合が良い、とホノカは考えていた。
ホノカは最後の炎の消滅を見た後で、再び安堵している自分に気が付いた。数年前からガイタスの駆除に前のめりだった彼女は、鎧を着た獣・レイゴオウという、依拠にできる存在の出現により、変わりつつあると昨日から思っていた。だが、この高い場所にいる自分しか知らないだろう日の光の眩しさと温度、温い風に晒されている内に、「ずっと前からそうだったのかもしれない」と思うようになった。
数分の間の出来事ではあるが、腰を据えて誰かからの言葉を待って、掌の中でカード型の電子ペーパーを転がしている内に、ホノカ史上大きな考えの変化があった。つまり、レイゴオウが自分の目の前に現れる前から自分はこんな風に、「戦うフリをしながら、ガイタスが去っていくのをひたすらに待っていたのではないか」という事だ。
ガイタスの破壊を許容できないというのは本心だが、「その許容できない」のワケが問題であって、「今世界のどこかでガイタスがナニカを滅茶苦茶にしている」という状況が「頭の中にある」事が耐え切れないというだけで、自分はそれから逃避したいだけ、という説が急速に自分の中で広まりつつあるのだ。それを解決したいという気持ちが前に立った瞬間こそが、昨日……ディープというガイタスに乗っていた男に、銃を構えた時だと、ホノカは考える。
『アンタに黒幕はいるの?』
そう、ただ初めてのキラビトとの対話に、「もしかしたらこの対話が耳鳴りの様な、許容できない感覚を解決するための近道になるのではないか」、そう考えただけの事。
しかし、それすらも一過性の願い、ポリシーの介在しない「希望」。
つまり、超個人的な問題であったのだ、それは。
ホノカは、この土地の人間では無くとも「ヒト」に銃を突きつけた。彼女自身の不安を取り払う、ただそれだけのために。
であるならば……
ガイタスという存在から精一杯目を背けて、生きる事も選べたのではないか?
だとすれば、今のホノカは何のために戦っているのか?
『君は何と戦っているんだ?』
軽くあしらったつもりのノボルの言葉が、以外にも深く刺さったままである事に気付くホノカ。自分の掌に浮かび上がる、刻印を見た時に彼女の思考はあるべきところに至る。
こんな大前提にあるような事を、どうして忘れつつあるのだろうか?ホノカは考えた。自分に掛けられた、「ガイタスへの恐怖」という呪い……否、「カタチを変える事を余儀なくされた生物への恐怖」という呪い。いや、それすらもどうだろうか?本当に恐怖といえるのか?それはもしやすると……「嫌悪」と呼ぶべきモノに等しいのでは?だとすれば、自分はどうしてレイゴオウという存在を受け入れられたのか、という疑問に至る訳だ。
唐突なノイズ。
警戒の姿勢を取るのに、少し時間が掛った。
足音だ。
そう考えて顔を上げた時に、ホノカはギョッとした。
黒。
黒だ。
明るい画面に浮かび上がる、異質なゴーストの様に。
異質な黒だった。
青天に対する赤い雷の様な。
ホノカのいる屋上と同じ場所に、幾つかは上だが若い男が立っていた。
男は見慣れないコートを着ていた。
防衛隊のモノではないが、どこか正装染みたその服装は、足の細さと背の高さ以外の身体的特徴を、しっかりと包み隠していた。
髪の毛は黒く長いが、色が抜けた様なモノも混じっている。これも、顔の面を包み隠すように垂れ下がり、不気味な男の不気味さをより際立たせた。
立ち止まり、男は黙す。
その髪の間から、ついに瞳が垣間見えた。
鉄のナイフ、否、太刀の様に深く切り込む事すらできそうな鋭さ。
赤い瞳。
雰囲気出し過ぎじゃないのか、とホノカはどうしてか笑えてくる。
「キラビトか?」
ホノカは訊く。
「キラビトか、ニンゲンかだと?その括りは間違っている。いい加減貴様らもその事に気付くべきだ」落ち着いた男の声音が、ホノカの息を詰まらせる。そこには、静謐だが火傷しそうなほどの熱さが籠っているのだ。
「……いい声でワケ分かんねー事言ってんじゃないよ、『地球人』向けに話してくれ」
「『地球人』ね、フッ……教えてやるよ、俺は『革命を起こす剣』だ」
何だって?とホノカはその台詞には流石に目を細める。ヤバい。ジンと同じタイプの面倒くささを持ったヤツだ、と、ホノカの中でもしかするととは思っていた事が確信に変わる。おまけに、どうやら無自覚。ホノカは、彼の手に握られたモノに目を走らせる。剣。鞘に納められた日本刀だ。何の芸も見られない武器だ、とホノカは思う。しかし、交わせるモノの無い彼女に取っては、幾分厄介である。
「お前は、『レイゴオウ』の指揮官か?」男は唐突に、知っているモノの名前を口にする。
「何て言ったの?」
ホノカがしらを切ろうとしたその時。
風の音。
止み。
微笑する男は。
目の前に。
銀色は、
ホノカの首元を狙って、
加速度的に、滑り込んできた。
銀色の刃——本物の刃は、ホノカの首元数センチの所、その前に広げたホノカの掌の、ほんの数ミリの所で止まっていた。
「フゥン……『重力操作』で白刃どりまがいの防衛方法を取られたのは生まれて初めてだ」
……何故、「男が今いたはずの3m離れた地点に抜け殻の鞘がある」?
ホノカは疑問に思った。
男が、いつ剣を抜いたのか?
男が、いつホノカの直前にまで間合いを詰めたのか?
ホノカには理解出来なかった。
彼女の作り出した「重力四角」は刃の数センチ後方に張り付いていて、刃が彼女に接触するのをあとほんの少しという所でとどめていた。だが、男はそれに対抗するパワーで、その作られた重力を押し返そうとしている。これが何を意味するのか?「ホノカの首を本気で切断しようとしている」という事しか、彼女には理解し得ない。
「そんな事も出来るんだなァ、『ニンゲンの生体改造技術』とやらは」
「お前をこのまま吹っ飛ばす事だってできるさ」
「ならどうして今、それをしない?いや……俺が首をかっ切ろうとする前に問答無用で俺を吹っ飛ばす事が、お前の能力になら出来たはずだ、お前……『指揮官』ではない、な」
一時緩まった力を見計らい、彼女は刃の後方に重力を射出する。一時刃は後ろに引っ張られるが、すぐに間合いは詰められた。瞬きする間に、「さっきと同じ距離くらいにまで刃は接近した」。
「どうして……」
「たじろいだなッ……それがお前の見せた生命の限界かい?」
「そうじゃねーよ……どうして!私が『指揮官』じゃないってわかるんだって……訊いてるんだッ」ハスキィな叫び声を、ホノカはあげる。
「考えるまでもねェ……簡単な事さ……お前は、俺と『同等の価値』を持つ相手ではねェって、事だッッッ!!!」
ホノカの肩に、刃が接触する。
刺された——
そう理解するよりも早く。彼女は自分が彼に「向けられた」モノより何倍ものパワーを持った「重力」に、叩き付けられた。下方。
屋上の床は抜け。
一階。
二階。
幾つもの天井を突き破って、ホノカはマンションの上から三階目の部屋に辿り着く。
テーブルの上の彫刻作品に、頭を叩き付け。
破片が四散する。
あと少しすれば動けなくなりそうな身体の危険信号より先に、「逃げなきゃ」という意思が働く。
ぶら下がる腕を引き、這いずるホノカ。
ジャケットがもつれ、ホノカの動きを邪魔しながらも、彼女はそれを離す事無く、窓際のベッドに辿り着く。
感じた事無い柔らかな感触。
それを味わう余裕は皆無。
重力を射出しようと、仰向けになった時——
彼女の首元、数センチの所に、またもや剣が突き刺さった。
ベッドに詰まった綿が溢れ。
彼女は動けなくなる。
男の身体は、既に、彼女の上にあった。
腕をベッドに突き立て彼女を見据える、男の眼光に、ホノカは息すらできなくなる。
「恐るべき破壊力をまともに受けた気分はどうだい」
「万有引力は往々にして下に働くモノだって……言いたいのか?」掠れた声で彼女は言う。囁き声に近い。
彼女の言葉には答えずに、男は尖った目線を突き立てて、その頬に触れる。垂れ下がる長い髪は、当に彼女に触れている。
「お前……」男は囁き声を出す。「神経系に傷がついているのか?」
ホノカは目を見開いた。
記憶の奔流。
フラッシュバック。
「あああ……触れるなよッ!!」
彼女は目を瞑り、身じろぎしようとする。
ベッドに縛り付けられた状況が、
そのフラッシュバックを加速させているのだ。
「離せよ……」
男は動かず。
息を殺している。
その時、男の背後で物音が。
「艦長、早めにカタを付けるのでは無かったの?」男と同質だが、幾分明瞭な男性の声。
「……コウ」男はベッドから腕を離脱させ、コウと呼んだその男と向き合うようにして立った。
「浮気だなんてやめてほしいわあ」
「バカか?その手の冗談を俺に振っても虚しくなるだけだろーが」
「それが……レイゴオウの?」
「パイロットではねえ。『だから使えそうだ』と言ってるんだ」
コウはホノカの腕の紋章を見据え、微笑む。
混じりけの無い、純粋さを持った笑顔が、端正な顔から漏れる。
だが、ホノカはその顔に嫌悪感を抱く。
何故か?
「なるほどねえ……確かに、『使う』価値はありそうかもねェ」
「そうだな、お前の『ユイツブキ』の助けにもなるだろうさ」
ユイツブキ?
ガイタスの?
何の関係があるのか?
ホノカにはわからない。
コウは無言で近づき、『艦長』と入れ替わるようにして、彼女のすぐ傍にくる。
「嫌だ」とホノカはすぐに思う。しかし、突き立てられた剣が抜かれても、ホノカの身体は動かない。
コウの腕が彼女の腕を握る。微細振動。
この響きは——
マイクロ・プロセッサの響き。
おそらく、コウの腕に埋め込まれた……
その感覚をホノカが思い出した時、
彼女は悲鳴をあげ。
意識は、すぐに消えてなくなった。
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