3-2 レイゴオウ上陸


 ホノカと別れたノボルは、校舎の陰でジンを呼ぶことにした。用いるのは、カード型の電子ペーパーだ。厚さ数ミリ。財布にクレジットカードや本人確認証明書と一緒の場所に入れられるそのシロモノは、実際クレカにも本人証明にだってなりうる。


 このミクロな技術が生んだ衝撃の機器の基本『キノウ』その1と冠されるモノが、「通信機能」である。今は近年見つかった新たな物質『エーテルG1』が採用された通信モードに切り替わっており、通信会社やサーバーを経由する事無く、直接電子ペーパーどうしの通信ができ、何モノからの干渉を受ける事も無い。しかし——


「……何やってんだ、ジンのやつ」


 本人がその通信に応じなければ意味は無い。ノボルはその事を思い出し、溜息をつく。仕方なく、次の『キノウ』を起動した。ノボルは昨日の夜になってその『キノウ』に気付き、レイゴオウからプログラムをインストールしたのだ——


「動け!レイゴオウ!!」


 自分に向けられたカメラを利用した虹彩認識と共に、登録した音声を読み込ませる必要があったので、その台詞を言う必要はあった。しかし、必要が無くてもそれを言うつもりではあった。全てがディスプレイとなっているキラキラのカードが、青い光と共に勇気に満ちたシルエットを映し出した。




 ヤスオカは2つの都市の間を繋ぐ大橋の下で、釣りをするただの中年であるので、名前を記憶する必要は生じない。彼は相次ぐガイタスの来襲にも関わらず、この街から逃げない事を選んだ数少ない人間の一人だった。


 岸部にヤスオカ以外の人はいなかった。人はいないが魚は多くいた。最近釣ってヤスオカが驚いたのはアカエイである。彼は、奇跡的に崩れなかった橋の近くの家に住んでいて、正午になると折り畳み式の竿を持ってここに座り、日が沈むまでは居る、という生活を繰り返していた。外の情報が全く入って来ない彼の自宅にいるよりは、外に長くとどまっている方が、彼に取っては安心だったからだ。


 廃墟の様な街や、遠くで微かに響く爆音からも背を向け、今日も海だけは穏やかだ、そう考えていた時だった。


 海に突如、山ができた。

「海面が盛り上がったのだ」。

 徐々に広がる轟音が辺りを支配し、上昇する海面につれ、ヤスオカの視線が垂直に近い角度、真上へと向いた時、叩き付けてくるような大量の水に、彼は「うわあああああーッ!!」と声を上げ、たまらず逃げ出した。だが、地面に置かれた釣り竿に彼の足は取られ、次の瞬間に、ヤスオカは土を食っていた。


 無力な手がガリガリと土を引っ掻き、なんとかという気持ちで空を仰ぐ。そこに未だ多くの水をヤスオカに降らせながらも、浅瀬に立つ50mほどの巨体を、彼は見上げずにはいられなかった。ゴツゴツした壁だ——一瞬彼はそう思った。しかしそれは巨大な生物の脚であると三秒後には気付いた。その壁に浮きだっている筋のようなモノが大きく波打ち、どうやら脈動しているという事が分かったからだ。

 

 視線は更に上に。グロテスクな首筋がどうしてか目に入り、その向こう側の更に上の上に見える光の玉がどうやら、こちら側ではないどこか向こうを見ている「眼球」であるらしいと気付く。とうに姿を現している鎧を着た怪獣はしかし、動いてはいなかった。だとしても、ヤスオカは今こそその怪獣が自分を踏みつけるか、光線を吐いてくるかもわからないと思い、気が気では無かった。


 その時。頭上をワイヤーが飛び越えた。ヤスオカが再び驚き振り向くと、そこには特徴の薄い髪をおろした少年がいて、細い腕で銃のようなモノを構えていた。ワイヤーはその銃口から出ているのだ。


 少年は怪獣のどの部分に取り付いたかは分からないワイヤーを巻き戻し、奇声をあげながらたちまち、怪獣の肩に飛び乗った。その跳躍力は普通ではない、とヤスオカは思った。少年の姿が肩の向こうに吸い込まれるようにして見えなくなってから暫くして、怪獣は動き出した。


 ヤスオカの上空を足がフワリと浮いている!足の裏側の一端に、それでも大き目の海洋生物の化石か何かがくっついているのに、ヤスオカの目は釘付けになる。彼の目を最後まで引きつけながら、怪獣は黒い街へと消えていった。






 レイゴオウの操縦に関する不具合に、ノボルは早い段階から気付いていた。一人でレイゴオウを動かしていればジンは早めにその存在に気付き、すぐに合流できると思っていたが、それさえも待てるかどうか、という状況だった。


 歩く事ですら凄まじい痺れと痛みを伴うのだ。過剰な情報が自分の体内とレイゴオウの間を行き来しているのを感じ、ノボルは何度も苦しさに咆哮したが、レイゴオウは何も叫んでいなかった。


 ようやっとの所で、カンガルー型のガイタスと対峙できた。彼はもうファイティングの構えを取っていたので腕はビルの天井よりも上にあったが、瞳は怪訝そうで、様子を伺っているという感じだ。すぐにノボルはマイクをスピーカーに切り替え、ガイタスに搭乗するキラビトに話しかけようとした。その時——


 カンガルーはこちらに向かって大きい地響きをあげながら殴りかかってきたのだ。拳がノボルの顔面——否、レイゴオウの顔面に向かって来るサマは途切れ途切れの写真のようで、彼はそれに対して何の防御策を取る事もしない。だが、一度それが当たったくらいで彼の身体はよろけず、近くのビルまで後ずさって一部をつき崩したくらいだった。


『バーカバーカ何やってんだ!死ぬところだったろーが!!』操縦桿のホルダーに挿入された電子カードから、ホノカの通信。どうやらつき崩されたビルの屋上か中にいたらしい。


「そちらさんの居場所なんてわかるわけないだろッ!てか、ジンはどこにッ」


 ノボルが異論を唱える暇もなく、カンガルーの追撃が、レイゴオウの腹を正確に捉える。鋭い!ナイフの様な蹴りだ。レイゴオウの重い身体に穴は開かないだろうが、当のノボルの腹は貫き通されたような痛みに悶える。


 しかし、間髪入れずのテール・スイング! それはレイゴオウの脚を崩し、二回目の蹴りが、レイゴオウをついには後方へと吹き飛ばした。


『オイ!——』ホノカの舌打ちがノイズ混じりに聞こえてくる。レイゴオウの巨体は高架道路をも崩壊させながら後退し、古びたビルの近くへと倒れ込んで沈黙した。ノボルは夢に落ちてしまいそうな視界の向こう側に、カンガルーの足止めをするホノカの、起こした球型の爆発を見た。


(同じだ——レイゴオウを持てたとしても、僕は)







 外に出たジンの目の前には、尻もちをついて倒れ込んだレイゴオウが沈黙していた。


「あっらら、コイツは大事だ」

「残念だが、この店も限界かねえ……店じまいだ」

「3代に渡って続けてきたんだがなあ……ここまでかね」

 

店主とその妻が後ろで、振動で半壊したお店をバックに呑気そうに話しているのをヨソに、ジンはカタく拳を握りしめていた。


「おっちゃん、おばちゃん……アンタら悔しくは無いのか」静かに語り始めるジン。その声には穏やかな怒気がこもっている。

「そりゃ悔しいけど、最後に一人お客さんが来てくれたことだしな」

「そうそう、アンタがうちの最後の御客さ——」


「最後のお客さんだなんて水くさい」ジンは店主の妻の台詞を遮るように言う。「俺は…このお店の味を、俺だけで終わらせようとは思っていない……誰かにメチャクチャバラすつもりでした、滅茶苦茶拡散する予定でしたッ!! それを……ここで終わってしまうなんて、この不完全燃焼感、どこにぶつければいいのかというか……」

「……いや、まあこうなっちゃ仕方がないというか」

「それからもう一つ」ジンは、片手に箸を携えていた。五食目の丼ぶりを食べている途中だったのである。「最低限のマナーすら守れんあのクソカンガルーヤロウ滅ぶべしッッッッッ!!!!」

ジンの瞳に怒りの炎が沸き上がった! ホノカの足止めで進路を変えたカンガルーを2つの双眸が睨みつける。ジンはカード型電子ペーパーを取り出し、すぐさまレイゴオウの中に対して通信する。


 「ノボルッ! 安心しろ、お前一人に操縦は無理だとは思っていた!! 今行くから安心しておけ!!」

『ジン!! 待って今ワイヤーを……』

「その必要は無いッ」

 

 半ば強制的に通信を切り、レイゴオウの背中を数秒見つめ、ジンは二人に対して振り返る。


「限られた食物の中での最高のおもてなし、ありがとう……それ以上の働きをしてみせる!!」

「あ、あんちゃん、まさかあの怪獣に——」

「怪獣じゃねえ!!!アイツはこの世に唯一の『レイゴオウ』——アンタの料理と同じ、二つとしてない芸術作品だッ!!!」


 彼はにやりと笑いながらそう言い残すと、なんということだろう! 駆け出したジンはレイゴオウの尻尾に飛び乗り、背びれを伝ってその無謀とすら思える角度を物凄い速さで走り、頭に近い背びれの途中にあるコクピットの中へと消えていった……


「なんてあんちゃんだ」店主は溜息をつき、行われるであろう戦をその場で見届ける事を決意した。

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