1-2 逃走

 霧は晴れ、雲煙の中から抜け出す感覚。目に入るは、二週間前に見た彼の知る町と全く姿形を変えた……廃墟だった。


 近いから仕方なく通っていたコンビニエンスストアも、ノボルの好きなガイタスの研究本や、元来の怪獣に思いを馳せて描かれた画集を仕入れてくれた気前のよい店主がいる書店も……全てが、彼の知る物ではなくなっていた。さっぱり姿を消している建物もあった。道路には硝子と塵が散乱し、不思議と人の身体のパーツなどは無かったが、何やらごっそりそぎ落とされてしまったような半球型の断面があちらこちらにあった。


 ノボルは喪失感を全身に受けた所で、自分の手を引く人間に目を向ける。人間は、ダウンコートを羽織っていた。それから目を引くのは、濡れたカラスの羽の様な黒髪。動物の耳の様に左右に分かれた髪は分かるが、顔は確認できない。円筒形の物体を携えたボロボロのジーンズはレディースで、それに包まれた緩やかなラインを少しの間ノボルは見据えてしまう。


 と、その時だった。強烈な風、いや重力を受け、ノボルと女性は路地裏に誘い込まれたのだ。身体が何度か叩き付けられた後で、ノボルは目を上げる。


「アンタ、避難しなかっただけの人?」


 後ろ姿から受けたロング・ヘアのイメージとは裏腹に、女性の前髪は切りそろえられ、その下から鋭いが丸さを持った目が、ノボルを切りつけてくる。ノボルと同じか少し上の、20代前くらいの容姿だ。彼は黙ってしまう。女性が羽織るダウンコートのワッペンには『HONOKA』という文字だけがある。それを数秒見つめ、ノボルは考えようという意識が止まっている事に気付く。


「……あの」


  再び、近くで振動音。またヤツが歩き出したらしい。謎の女性・ホノカ(という名前だろう、とノボルはこの時考える)はビルの冷たい壁に頭をぴたりとつけ、ノボルに対して簡単なジェスチャで伏せ、の合図を出す。顔を半分道路に出し、ガイタスとの距離を確認した後でホノカは続ける。


「悪いけど、しゃきしゃき喋ってもらいたいな。その飲み込みの悪さは私と同じ民族的抵抗の志を持ったヤツってわけじゃ無さそうね」

「いつからここで……てか、戦ってるの?」

「私の質問が先だよ、この二週間何してた?」

「地下室で……その、ヤツに」


 苛立った顔色で、足を力強く踏み鳴らすホノカ。


「や、ヤツに立ち向かう方法を、考えて……いや、調べてた」

「……何もしないで籠ってたって素直に答えていいのよ、それが正しい判断だから」

「くッ、僕は」

「むしろ何で外に出た!?ヤツが去って、安全が保障されるのを待つべきだったのに、余計なコトさせやがって!ボムを一つ無駄にしたじゃない」

「そ、それについてはありがとう……その、君は重力を操れるの?」ガイタスと対峙している時に最後に見た青い四角形を思い出して、ノボルは言う。

 今にも飛び掛かりそうな勢いだったホノカの表情が少し和らぎ、少し感心したようにジャケットの下の黒いインナーの前で腕を組む。


「ふうん……しかしか調べものをしてたってのは本当みたいね、その機密を知ってるなんて」

「しかしか?」

「そういえば、こんな状況で『調べもの』に使うツールが不自由なく使えているとすればおかしい。二週間電力が断たれても問題無く供給できるシステム、もしくは巨大なバッテリー、それからアミ回線が首都のメインサーバに直結しているとなれば……」モノローグを口に出しながら俯くホノカ、それをのぞきこもうとするノボルと、急に勢いよく上昇するホノカの石頭が衝突する。

「あてッ」

「アンタ、『何か持っている』わね!」


 苦悶に倒れるノボルを他所に、ホノカは声を荒げる。


「な、無いけど」

「うっせー隠してるのはわかってんだよ!それが私の抵抗に有効なモノになるってのも考えりゃわかる!どうせ防衛隊はもう来やしねーんだ!私一人ででも引き返して……」


 ホノカがガイタスの位置を、目で特定する。ガイタスは、ノボルが「地下室」から出てきた場所から一歩たりとも動いていなかった。ノボルはホノカの後ろからその前屈姿勢の巨獣が……数百メートル先でさっき倒れた鉄塔を捕食しているのを、息を呑んで見た。


「何させてんだ?」ホノカの表情が流石に強くこわばる。ガイタスは、さっきノボルが見た蠢いているモノ……折りたたまれた昆虫の足の様なモノが円形に並んでいる先についている、無数の短い(長さを変えるとも思えない)触手から、煙を発する液を垂らしていた。その液と一緒にいつの間にか融けたモノとなった鉄塔の鋼が、液と一緒くたになって、渦を巻いてガイタスの中へと吸収されていく……


「野郎、ぶち☆してやる」ホノカが強めに呟く。

「アイツ、元々は海底にいた怪獣なんだ……あれはきっと水中にいる『餌』を食うための仕組みで、液体が空中で螺旋を描いてアイツの『口』の中に集まっているのは、キラビトの改造に依るものに違いない」

「なーに分かったようなコト言ってんだ」

「あ、あの地下室には何も無いよ……数キロ離れた『僕の本当の家』なら……『何かある可能性』くらいならある」

「なーにぃいいいい?」振り返ってノボルの頭を鷲掴みにするホノカ。

「いだだッもう、なんでそんなにアタマを重点的に狙……いだだだだだだだ」


「具体的に『何が』在るかもしれないっての?」

「確実にあるのは、今迄地球で視認されたガイタス、それ以外の物も含めたデータ……でもそれはあの地下室でもバックアップしてたし、僕の頭の中にだって殆どはある……それと、もしかしたら大きな武器が」

途中からハッとしたような顔でノボルの話を聞くホノカ。

「ちょっと待って、今迄のガイタスのデータって言ったけれど、それは私に取って少しは役に立つモノになるかもしれない」

「そうなんだ、良かった」

「おいマヌケ声、そのアンタの本当の家ってのはどっちにある?」

ノボルは「喰っている」ガイタスがいる方とは逆を指す。

「じゃあそっちに行った方が早い……か」


 多少焦っている意識を沈めるかのように呼吸をコントロールしているホノカ。


「気づかれずに行くッ」


 ホノカはジーンズに携えた円筒形の物体——防衛隊がよく白兵戦で用いるタイプの【ボム】と呼ばれるモノ——を、指と指の間に2つ構えた。すると、素の掌に仄かに浮かび上がる四角形の『紋章』。彼女の持つ重力操作能力が「体内に埋め込まれた」物であるという事を、その時ノボルは知る。

 

「信用してくれるんだね」

「ふ……アイニク選別できる状況に無いし、味方がいねー状況でせっかく出会えた人間が敵だとは思いたくもねーんでな」ノボルの方を向いて、しかし少し目線を落としながらホノカは答える。「今回は手を引かねーから自分で走んなよ」

「今は出ない方がいいんじゃ?捕食を止めて、遠くに離れてからでも」

「バッカ、アイツがメシ喰らってて鈍感になってる今以外にいい状況があるっての?5分後には奴の目を憚り逃走するのはもっと難しくなってるとしか思わないけどね」

「あんまり変わんないと思うけど……」


 その時、ピシリ、という嫌な音がした。

 ホノカとノボルは頭上に嫌な予感を覚え、5分の1の速度で空を仰ぐ。

 空——そう呼んでいるモノはそこには無かった。

 否、覆い尽くされていたのだ。今の今迄お取り込み中であったはずの、ガイタスの巨体に。ヤツは路地裏を今にもほじくり返しそうな勢いで、ドデカイ腕を二人の目の前にまで迫らせていた。


「うあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 ハスキィな絶叫をあげながら、ホノカは何の前触れもなくノボルの手を掴み、『高層の建物の壁面』を走り出した。


 逃走経路にしては冒険的過ぎるのでは、とノボルは考えながらも一心不乱で走る。だが、彼は上を仰いだ時に、ホノカが重力を操作しているのだと知る。『滑走路』こそあれど、身体を上に持ち上げる事すらできるのか——と、ノボルはその力の大きさに驚く。高速で遠くなる排水管に、フェンスをも飛び越えて、ホノカと共に屋上に足をつければ、円形の亀裂が広がった。30m程の高さを一気に駆け上がった。


「ふう……」


 ホノカはノボルと繋がれた手を離して一旦落ち着く。だが、ガイタスの三角形の頭部はそこにあって、赤く発光した目玉は同じ高さで二人のちっぽけな人間を睨みつけていた。ヤバいと声が出るノボル。その時、再び爆音が轟いたかと思えば、建物の屋上そのものが急激に下降していくではないか。どうやら、下の階は既にガイタスによってほじくり返されてしまったらしい。


「やっべええええッ!!走れ走れ走れッ!!」


 このあたりはマンション群であるため、建物どうしの高さの違いは殆ど無い、という事をホノカとノボルは知っていた。二人が別々に走り出して2つ目のビルを同時に軽々と飛び移った時、ホノカは少し、ノボルの身体能力の高さに驚いたように目を丸くしていた。だが、気にしている場合ではない。何やら激情したようなガイタスが、一つ目のマンションに剛腕を振りかざして、完璧に破壊した。破片の一部が背後を気にしながらマンション群の上を走る二人の元にも届く。


「何よアレッ!突然現れるなんてありえねえだろッ!!」

「僕だってわからないよ!」

「引きこもってた割にはリサーチが足らねーな!!」埒が開かねえと舌を打った後で、ホノカが言う。「しゃあないッ二手に分かれる!!」

「え!?しかしッ」

「私の案内はいいから私を囮に使え!!こう迫られたんじゃ、ホントに……こう、ご都合的な何かでも信じない限り助かる見込みが……」


 瞬間、空気が静止した。

 次に二人が見たのは、「前方のビル」だった。混濁した色を纏った、透明な球。球の形を何かが、すぐ前方のビルを包んだのだ。それが急に現れたと思った途端、球の中の景色は歪み、そして……次の瞬間、直径8mほどの、球の裏側の様な断面が二人の目の前に現れた。


 ビルはごっそりとそぎ落とされていた。まるで、「何も無かったかのように」。それを確認できた時に、そぎ落とされた断面は、爆発した。激しい風を生み、ホノカとノボルを弾き飛ばした。ノボルは爆炎に包まれながらマンションの外へと弾き飛ばされ、ホノカの煙の中で「必死に」伸ばす手を視界の端に焼き付けたのが最後で、もう彼女の姿は見えなくなり。ノボルは落ちる時のあまりの高さに、一瞬気を失った。


 次に目を覚ました時、彼はアスファルトの上に倒れていた。飲み込んだ塵が喉に詰まった彼は咳を繰り返しながら、ようやっとの思いで立ち上がり辺りを見回した。どうして自分が落ちたのに無事でいられたのかは分からなかった。ガイタスの姿は既に遠くにある。ヤツは初めて後ろ姿を見せながら、ゆっくりと歩く。


ドシン——ドシン——ドシン——


 紫色の鎧に包まれているようだが、閉じた羽らしきモノもくっついている。煙に包まれた気味の悪い巨体だが、ノボルは今、冷静にその大きさを割り出す事が出来た。10階層ほどのマンションと同じ高さの目の高さから見て、30m強。それに、あの攻撃は……と、ノボルは推測する。遠く離れた対象を、球の形にごっそり削ぎ取り、爆散させる……何かの怪獣映画で似たモノを見た事がある……


 そうだ、昔見たシリーズの、ショート・フイルムに出た怪獣が、数年後長尺の映画にも出たが、そいつが持つ能力にそっくりだ!とノボルは思った。ノボルはガイタス達の持つ『ユイツブキ』の中に地球上のメディアを参考にしたモノがある、と知っていたので、その推測を確信に至らせた。


 その時、目の前のガイタスの近くで2度3度、爆発するのが見えた。ノボルは「彼女が生きていた」と安堵したが、同時に「こうなったのは僕のせいかもしれない」と思い始めた。2週間彼女はこの場所で生き残っていたのだ。その状況を狂わせたのは、変えてしまったのは僕だと——ノボルはそう思っていた。


 後悔に苛まれるノボルに聞こえてきたのは、4度目の爆発音だった。彼女がノボルに「早く行けッ!!」と怒鳴っているように、彼には感じられた。声は聞こえないが確かに彼女の意志を感じたので、ノボルは再び走り出した。

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