第弌話 目覚めよと叫ぶ声あり

1-1 外へ

 遠くから聞こえる爆音は、身を潜める少年に金縛りをかけた。


 少年:暗府クラモトノボル は耳を被う機器を外し、自分の耳で周りの様子を伺う。「どうやらただの勘違いであるらしい」と判断した彼は、再びヘッドホンを耳に付け、モニターの世界へ没入を始める。——さっきからこれの繰り返しだった。


「腕力150……防御130……?じゃあどこにステータスが振れてるんだ……何だって、速度750!?」


 くそッ、声を上げながらヘッドホンを投げるノボル。投げられたヘッドホンはガイタスの幼体を映し出した空中投影モニターを通り抜けて転がった。(正確にはガイタスの幼体という物は特殊な場合を除き存在しないが、実際に存在するガイタスからその子供の姿が空想されたもの)


 今このトレーラーの様な形をした地下室の中で、唯一の明かりであるモニターが投擲されたヘッドホンによる光の遮断で一瞬消え、一瞬ノボルはそこが閉塞である事を感じる。自分がそこで息を潜める事を選んだのだ、という事も知る。


「また『引き直し』かよッ」


 いつ来るか分からない恐怖に怯えながらも非生産的に興がるノボルは、ヘッドホンを外した後で急にやってきた沈黙に耐え切れなくなり、誰にというでもなく、覇気の無い声を何も無い中に投げた。野球ボールを投げる様な感覚で。しかし、それを投げ返す者は誰もいないし、ぶつかって返って来る壁も存在しない。


 ……もしこの部屋でスーパーボールを投げたならば、暗闇の中でそれがどこから返ってくるのもわからず、怖いし、ひどい目に合うだろうな——ノボルはそう考える。

 

沈黙。


 この沈黙が、何かやって来る前触れの様で、恐怖だ。何かが来る。彼はそうわかっていながらも、その場から立ち上がる事が出来なかった。


 段々と見えない落とし穴のようなモノが広がって来るのを恐れたノボルは、その打開策として、更なる「没入ジャック・イン」を求め、部屋の隅にある球体——の美しい形に邪推する、色々な尖ったモノがくっついたガラクタのようで有能な機械の集まり——に目を走らせた。


 それは、ノボルが「父さん」から最後に預かった機械だ。あれでいつでもバーチャルなデンノウ世界へ飛べる、というわけだ。軽い身体の割に重い腰をようやっとで持ち上げ、その筐体の方へ向かう。

 

 アンバランスに取り付けられた洋風のチェアが最初に目に入る……見て分かるように、これは既存の、コンソール内蔵型デンノウ空間没入装置を、いいように改造した物だ。洋風のチェアには圧力を与えるモノが仕込まれており、振動、落下感、吸着モード(巨大バッテリーに備蓄された電気は食うが)に切り替えれば、チェアが取り付けられた楕円形状のユニットにより、椅子ごと身体は回転し、よりダイナミックな体験を得る事が可能である。

 

 その愉悦的体験が許されるのはノボルに課せられた「自分ルール」によって週に一度だ。(限りある電気の消費量が凄まじいので)一度強力なバンドを身体に巻き付けて節電しようと図ったが、それでは椅子を動かすユニットは作動しないようにできているらしい。そんな細かい事だけでなく、この機械に関する殆どの事を、ノボルは手探りで覚えた。デンノウ空間でのアクションゲームで、自分のガイタスを動かす方法もその一つである。


 ノボルは年季モノだがオシャレで彼が好みな低音域のはっきりしたヘッドホン(なんといってもハウジングが10年前流行ったクリア素材なのがイカした点、絶対に投げたりしない)を耳に吸着させる。


 同じようにそのままではぶかぶかのグローブを手に吸着(吸着させる時点で察せられると思うが、これはデンノウ空間で触れた物を本当に触れているかのように感じさせる、勿論コントローラ代わりでもある)させ。


 そして最後に流線型のカッコいいゴーグルを装着し、そこから黄色と緑2つの端子を脳に吸着させ、ついでにヘッドホンのメスのソケット2つ、手で覚えた小さな穴にも青と灰の端子のピンを差し込む。——これで一つのヘッドセットとなるのだ。市販のモノと比較すれば見るに堪えない見た目をしていたが、ノボルはそれで満ち足りていた。何故ならば、説明するのも野暮なモノだが、一度没入すればもう周りのモノ全てとの関係が無くなるからである。


 ノボルは切れかけたマネーカードの残口を思い出し、今日こそはバーチャルな稼ぎに出ようと一瞬は思ったが、昨日一日中やっていたガイタスのアクションゲームのタイトル画面を見た時にその気持ちは一瞬にして吹き飛んだ。


「クソだな僕は」


 と思いながらも、高鳴る胸にノボルは抑えきれないままで一つのセーブ・データを選択した。父が残したヴァーチャル・ガイタスのセーブ・データだ。ノボルの父もまた、ガイタスの魅力に取りつかれた人間の一人だった。ノボルと同じように。否、ノボルが父の影響を受けたのだ。

 

 父が作ったガイタスに関する研究資料は全てアナログの紙としてファイルにまとめてあり、父の書斎にあった全ての資料はノボルが15の頃、つまり三年前に全て読み終えた所だった。ガイタスそのものについては勿論の事、ノボルの父はガイタスがサイバー怪獣に改造される以前、素の巨大生物であった頃の怪獣全てに対して、畏敬の念があった。

 

 ノボルもそれに感化され、ノボルの父がバーチャルで操縦していた『レイゴオウ』という名のガイタスに、『レイ』と愛称をつけ、まるで本物の生物のように可愛がっていたのである。


「調子はどうだい、レイ」


 レイの全体の姿をノボルが見られるのは、選択画面、戦闘前、勝利後だけである。だが圧倒的な時間を占める戦闘時間の内でも、ノボルはレイの姿を、レイを動かしているという事を片時も忘れる事がない。


 三角のシルエット。どっしりとした三本の爪を持った脚に、鎧を纏った非常に長い尻尾。天然の灰色の背びれが鎧の銀色と奇妙なマッチングを見せ、その背びれを下から上へと目で辿ると、最後に行きつくのはまたもや銀色の鎧に包まれた、しかしどこか愛嬌にも包まれたような、それに少しまぬけそうな頭部。たくましい胸から、直接のびるように首を形作る幾つもの線(血管、筋肉の筋など)がグロテスクであると同時にセクシィでもある。

 

 しかし、何といっても気を引くのは腕に着こんだ巨大な武器だ。控えめな腕、四本の指を持った腕に機械の武器……「刃が取り付けられたトンファー」否、刃そのものと言っていいかもしれないが、とにかく強い存在感を持った武器が腕と融合している。(その刃について詳しく解説するならば、それは内側に湾曲していて、幅がやや広く後方の巨大な背びれを追い越すくらい長く、光ってはいない)アンバランスでグロテスクだが、クールな造形を持った一つの芸術作品だ、とノボルはその腕を見て思う。

 

 だが、ノボルはその美しい腕を、防衛軍に遣わされた愚かな研究者のように切って持ち去ったりはしないだろう。その腕はレイが持っているからこそ美しい、とノボルは考える。ノボルの父も文献によれば、同じ事を考えているらしい。


 ノボルは「それに、もう一つ考える事がある」と考える。画面が外に人っ子一人いない市街を映すレイゴオウのコクピット内に切り替わった所で。コクピット画面に表示された武器は全てカスタマイズされたものだ。パンチ、キック、テール、その他格闘技などの基本攻撃に加えて、胸からのミサイル、口からの光線。


 そう、腕に取り付けられた『レイスィクル』(ノボルはそう呼んでいる)を生かす攻撃は何一つないのだ。だからレイは半ば、このアクションゲームに失望していた。市販のものでしかも何年も前に発売されている、VR黎明期によく見るようなアッと驚くアイディアもストーリーも何も無いゲーム。機銃を撃てばオートロックで簡単に敵に当たる。凄く変に曲がる機銃だな、と思ったノボルはその時から、格闘と口からのビームだけを使うようにしている。


 戦う相手は、プレイヤーが操作するガイタスだ。つまり「ガイタスに対して特殊な理解を持った数少ない世界の誰か」が操縦するヴァーチャルな怪獣と、ノボルは戦っている。


 対戦相手としてよく選ぶのは、獣から遠い『過剰変異体』と呼ばれる、怪獣をサイボーグ化したガイタス。変則的な攻撃を繰り出すそのガイタスの操作難易度はA級からSSS+級のモノしか無く、それを敵に回した時の難易度も同じくらいである。


 今もまた過剰変異ガイタスの、口とも植物の脚とも取れない蠢く中心部から発射された触手が、放射状に伸びレイゴオウの身体を突き刺してしまった。ピンと張ったピアノ線のように蠢いていた触手は静止し、それが一本ずつ、心地の良いテンポで引き抜かれると共に、ノボルの身体は揺さぶられる。


 あと一つの触手がレイゴオウの身体から引き抜かれれば巨体は大きな音を立てて前に崩れ落ちる——瞬間で、ノボルはその、胸に突き刺さった触手を掴み、気持ちの悪い振動に握力が抜け手を離しそうになるのを堪え、そのまま後方に倒れ込んだ。


 過剰変異ガイタスの意外にも軽い身体は、後方に飛んでいきながら、過負荷のかかった触手のぶち切られた断面から、緑色の体液をまき散らしていた。レイゴオウがその体液を顔に受ければ、画面の半分ほどが緑色へと変色し、周りの状況確認できる度はノボルの感覚で30%減少する。


 だが終わらない。

 ノボルが右腕のトリガーを引くと、レイゴオウの背びれが青白く点滅し始める。

そこで左腕のトリガーを引けば、レイゴオウの口に眩い光が収束し始め。


 今だ!というタイミングでノボルが右腕と左腕に掛った力を一気に解放した時——

 レイゴオウの口から、空に向かって、一筋の光が放たれた。


 伸びる光の柱は雲をも裂き。

 過剰変異ガイタスの身体も、勿論その真ん中を貫き通し。

 ほんの少しのタイムラグの後で、過剰変異ガイタスの身体は真っ二つ、いや、幾つもの破片に分かれて飛び散った。


 過剰変異ガイタスの破片は流星の様に降り注ぎ、市街の建物を破壊し、完全に消滅した。またもや発生するタイムラグが勝利の余韻になる。いつもの事だ、とノボルは考えながら優越に浸る。


 しかし、画面の向こうのレイが勝利の咆哮を(BGMのファンファーレに負けないくらいに)轟かせたのを見ても、ノボルの心は空虚に満ちていた。ノボルの心に引っかかっていたのは、ゲームの中でのレイゴオウの操縦に対するレスポンスだ。


 どれだけ上手くなっても、レイゴオウがワンテンポ遅れてしまう。傍目からはほぼ同時に見えても、ノボルの感覚の上では大きな遅れがあって、それがノボルに生まれるまた大きなスキマとなった。


「レイ、お前はそこにいないってわかってるのか?」


 ノボルはその気持ちの断片を口に出した。口に出す事で何か生まれる事も無く、どれだけライブ中継されたその対戦をネット仲間が空中に浮かぶコメントで褒めてくれようと、ノボルの気持ちが満ち足りる事は無かった。


 それ以外の方法を勿論試してはいた。自分の父が遺した資料を元に、限りある戦闘フィールドで代わり映えのしない戦いを行う怪獣に、空想や物語や台詞を好きなだけ上書きしてみたり。古いアニメやゲームの劇中曲、サントラが山ほど収録されたミュージック・ライブラリをサブ・ウィンドウに畳んでバックグラウンド再生してみたり。


 それらの空虚な努力は本当に空虚で、ノボルは結局退屈の山を肩に築きあげる事になるのであった。だが、「退屈しのぎ」が許されるのも、きっと時間の問題——

 ノボルは二回目の対戦に臨もうとした。その時だった。


 爆音。

 振動。

 ゴーグルが外れるほどの衝撃。


 ノボルはサブモニターを確認した。今までスクロール・ビューしていた、ライブ中継に対するコメントがそこにはノンストップで流れていたが、二分前を最後のコメントとしてその流れはぴたりと途絶えていた。ノボルはその事に全然気付いていなかった。そういった類の事象に関しては、何よりも敏感であったはずなのに。


 足場と重力が無くなったようなおっかなさが降りてくる。さっきまで無かった、部屋に射し込む一筋の光がノボルの目を奪う。せわしなく舞う塵。あれは……地上の光だ。地下室の屋上に亀裂が走り、上と下との絶対的な拒絶の壁を無いものとさせたのだ。


ドシン——ドシン——ドシン——


 さっきの振動と音が、続け様にやってくる。 

 その向こう側を知る事をさせない新しい孤独の空間は、ものの二週間で破壊された。あとは物理的に破壊されるだけだ。ノボルの身体もろとも……


 ドシン——という轟音の距離がもうこれ以上は無いと言う程の近さに至った時、長い沈黙が訪れた。ノボルはいつの間にか電子機器のくっついたチェアにしがみついて、一筋の光の中を舞う塵だけを一点に見つめていた。最早最悪な状況の到来は近道か遠回りかの違いでしかないと判断したノボルは、ゆっくりと立ち上がり、外へ出る唯一の出入り口、部屋の隅である錆びた梯子の方へ向かった。






 




 マンホールの様な『扉』を押し開けると、そこでははっきりとしたシルエットを持つ雲煙と霧が折り重なっていて、周りを不可視の状況とさせていた。だがノボルは恐怖故に過敏になっていたので、微かに聞こえる、鉄が擦れ合うイヤな音を聞き逃しはしなかった。上方。


 霧から出でし——鉄塔。

 送電線の四角鉄塔。

 火花を散らしながら。


 どうして、突然それは姿を見せたのか?ノボルには一目瞭然だった。「鉄塔は根元から折れ、こちらに向かって倒れ掛かっていた」のだ。


「う——」


 始末の悪いといったような声の後で、情けない、言葉で表せないような悲鳴を上げ、ノボルはそこから逃げることも扉の中へ戻ることもせず、目を瞑り祈った。

 轟音。

 何度目かの沈黙。

 火花の音がすっと消える。


 果たして、ノボルは潰されなかった。ノボルが目を開けると、彼の身体は鉄塔の枠組みの真っただ中にあった。すぐ目の前にある鋼管が少し焼け焦げているのを見て、ノボルは其の場にへなへなと倒れそうになった。しかし。


ヴヴヴ——ヴヴヴ——ヴヴヴ——


 空気が鳴るような、唸り声の様な音が聞こえたのだ。ノボルのすぐ背後で。彼はマンホールの外に乗り出した半身を硬直させないわけにはいかなかった。そして振りかえらなければならない、そうしたくないという気持ちを抑えて……と自分に言い聞かせる。その通りに、ゆっくりと身体を回転させる。目に入る、怪獣の巨体——嫌な予感は大当たりだった。


 そう、これが現実の怪獣……否、『ガイタス』。

 現実のガイタスは、僕達人間の安心を脅かす「敵」であるという事。

 ノボルはそれを思い出す。

 しかし……それは、ガイタスを操る異人『キラビト』次第だ、という事も、忘れるべきでない。だがノボルはその時、目の前に映る巨体が何の心も宿さない怪物だとしか認識できなかったのだ。


 怪獣……否、ガイタスは過剰変異ガイタスだった。異常に細い脚。異常にドデカイ腕が地面についていて、奴はそれを引き摺りながらこちらをのぞきこもうとしている。三角の白い頭部に、光るまん丸の、生命の息吹を失った目玉……その間の小さな三角形が一応、「コクピット」にあたる部分であるらしい、とノボルは思う。


 どんどん距離を縮めていくガイタス。その腹部の中央にある、「一番に目を引く部分」が「蠢いている」のを見て、彼が吐き気をもよおしかけた。

 その時だった。


 光の四角形の紋章がノボルとガイタスとの間に現れた。

 まるで、紋章のような。そして……

 そこに向かって正確に投げ込まれた(もっと正確に言えば惹きつけられた)物体が、驚く彼の目の前で、一秒もかからないで破裂したのだ。


 火の柱がガイタスを包み込むのを見て、ノボルは今逃げなくてはならない、と思う。忍者のような身のこなしで、扉の奥に取り残された半身を腕の力だけで取り出し、ぼろぼろになったアスファルトに自分の足が乗った事を確認すると、しゃがみ込んだままの姿勢で、鉄塔の間をすり抜けた。


「こっちよ」

「えっ?」


 不意にノボルの細く白い腕を掴むものがあった。唐突に出会う、汗を纏った人の温もりに浸っている暇などなく、ノボルは引き寄せられるように走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る