幽準の古跡をもとめて夜道を進むのこと

 五崩鎧の歴史は長い。かつて要塞だった山野の廃墟には、牛馬の骨格を組み合わせた動かぬ兵が棄てられ、古い寺院の書庫には、傀儡を操る失われた呪術の竹片が見つかった。古い兵は動かず、かすれた竹片は読めぬのが常である。だがまれに、いまなお戦おうとする五崩鎧や、読むに堪える竹片といった、太古の秘法が見つかるという。

 戒啓(かいけい)を名乗る僧は、木の根方に腰を下ろし、幽準の父と長兄次兄に説いていた。まだ朝は早かった。冷たい霧が立ち込め、頭上を覆う枝葉からしずくが垂れては肩を濡らした。山稜の西側にいる戒啓たちに陽光は届かず、辺りが、わずかに薄明るくなったばかりである。

 いまの世で見つかる太古の秘法は、いずれも人民に害悪をおよぼそうとするなら、計り知れぬ罪が犯されるであろう。秘法を求めるいさかいは、古くから絶えたことはない。戒啓も、僧として旅をしながら、いにしえの叡智を探求するものであるという。

 この山に亡国の要塞があると知ったのは三月前の冬である。旅の途中で身を寄せた寺院の書庫に古い書物を見つけた。春になるのを待ち山を訪れ、傷ついた猟師を救うことができたのは天の導きであろう。

 寄り添って話を聞いていた父子はあらためて、戒啓に礼を述べた。父の負った傷は深かった。早く集落に戻って手当てをしなければならなかったが、山は下りられなかった。四体の五崩鎧が、父と長兄次兄を引き裂こうと徘徊しているのである。もはや野獣も五崩鎧を恐れて逃げ、山に多くは残っていまい。

 樹木をなぎ倒し山肌を揺らす足音が響き、戒啓と父子が息をひそめた。ちかづいてきている。木々の暗がりに目を細めてみても重い足音しかわからず、白い朝霧に黒い影が浮かんだ。戒啓たちから十歩と離れていなかった。戒啓も父子も黙して影を見上げた。十歩の距離を置いてなお巨大だったのである。

 現れたのは、破れた甲冑をまとった五崩鎧である。いかなる野獣の骨格を組み合わせたのか、二脚は獣に似てたわみ、背骨は前に曲がり、肩から地に垂れ下がった二腕は棍棒と盾を握っている。曲がった背骨からは突き出した首は長く伸び、頭蓋は仮面と兜に隠され、わからなかった。

 五崩鎧は脚を止めて、長い首をめぐらせていた。父子を探しているのである。戒啓と父子は息を止めて五崩鎧を見つめていた。やがて五崩鎧は棍棒で盾を三回打ち鳴らすと、去っていった。似た音が三方からかすかに響いた。遠くではない。

 朝靄と木々の暗がりの向こうに五崩鎧のすがたが消え、戒啓は父子に説いた。いま我らが見つからなかったのは、己が敷いた結界が五崩鎧の目をくらましたからに過ぎぬ。物音を立てれば、棍棒がたちどころに我らを打ち砕いたであろう。

 戒啓が腰を上げ、尻に敷いていた紙片を剥がした。草の露がにじみ、何が書かれているのかはわからなかった。戒啓は紙片を破り捨て、胸元をさぐってた。あと三枚の紙片が尽きるまでに、五崩鎧に見つからず、山を下りねばならなかった。

 歩き出した戒啓の背中を、父と兄弟が追う。獲物の消えた山を下りようとした日、五崩鎧に襲われ、兄弟をかばい父が傷を負ったのである。猟犬を放し、山肌を転げ、沢に落ち、凍える身を隠した岩穴で、旅の僧と会った。父と兄弟が山の異変と五崩鎧の襲撃を伝えると、戒啓は下山にちからを貸そうと申し出たのである。

 山道を進みながら、父子は戒啓に多くを尋ねなかった。獣の失せ、静まった山で発するささやきが、いつさまよう五崩鎧を招きよせるか、恐ろしかったのである。ただ、四体の五崩鎧がなぜ現れたのかを問うた。

 戒啓はしばらく答えなかったが、やがてつぶやいた。五崩鎧は時が満ちて目覚めるものではない、あるいは目覚めさせた者がいるのであろう。


 山道を登る兄妹のとなりで、幽準の問いは絶えなかった。帝都はどんなに華やかな都であるのか、都の五崩鎧はどんなものであるのか、兄妹は何者なのか、帯びた使命とは何なのか、山に潜む害悪とは何であるのか。兄妹は慣れぬ山道に杖をついて、疲れた歩みは遅く、口数はすくなかった。

 昼に山に入り、すでに夕刻である。稜線の西側を登る三人を西方の地平まで連なる山稜へ沈んでいく日没が照らしていたが、空には星々がまたたいている。木々に囲まれた辺りは暗く、進む山道は夜闇の中へと伸び、見通せなかった。

 兄妹は、かつてこの山脈を支配した国の要塞を探しているという。集落周辺の野原は古戦場として知られ、無数の軍勢が潰え、幾多の王国が滅びた地である。山脈には要塞が築かれて軍を拒み、渓谷には五崩鎧が徘徊し兵を殺した。名と使命を与えられぬまま忘れ去られた五崩鎧もすくなくなかろう。古い五崩鎧はいつの世も珍重され、山野に求めるものもいる。我ら兄妹は、時を越えて眠る五崩鎧がいまの世に放たれ悪用されぬよう、南北をいとわず、東西を問わず、古跡を訪ねるものである。

 いま山では五崩鎧が目覚め、父と兄は襲われたのであろうか。幽準が兄妹の前を進みながら問うた。遅い歩みを止めず、杖をつきながら、兄が口を開いた。

 三月前の冬、この山脈一帯の地図を持った男が、兄妹の師を訪ねてきたという。五崩鎧の眠る要塞が記されているが、読み解けぬらしい。たしかに古い地図であり、師は兄妹と相談して知恵を寄せ合い、要塞のありかを明らかにしたが、男には教えなかった。男が何者であり、何のために五崩鎧を求めるのか、疑わしかったのである。

 男は何も知らぬまま去ったが、すでに三月前である。別に賢人を求め、要塞のありかを知ったかもしれぬ。我ら兄妹も春になるのを待って山を訪ねたが、集落の猟師の話によれば五崩鎧が目覚めたのかもしれなかった。

 父と兄を襲う災禍を恐れ、幽準の足が止まった。兄は脇を通り過ぎたが、怜春はとなりに立ち止まって、己よりいくらか背の低い童子の頭を撫でてやった。

 まだ五崩鎧が目覚めたとはわからぬ。また、古くから五崩鎧は隠れた者を探すのを得意としない。戦場で対峙する者が味方であるか敵方であるかを、判ずるのみである。父と兄はこの山に慣れた猟師であるから、身を隠しているであろう。我ら兄妹も要塞がどこにあるかは知っており、こうして猟師の子が同道している。案ずることは何も無い。

 怜春が頭を撫でながら笑ってやると、幽準は顔をぬぐってうなずいた。怜春の兄が道を引き返してきて、今夜眠る空き地を見つけたという。

 三人で焚き火を囲み、兄妹は幽準に帝都で買った地図を見せていた。この山脈一帯を示しており、要塞のありかを兄が書き入れている。幽準は糧食を食べながら、三人がいる辺りを指した。

 すでに地図に引かれた山道を外れ、荒れた古道を選んでいる。兄妹は顔を見合わせてうなずいた。要塞はちかい。夜が明けてからまた山道を進めば、ほどなくたどり着くであろう。

 夜の山は静まり返っていた。三人が声を交わし、焚き火にくべた木切れが爆ぜるほかは、夜闇にさえずる鳥もない。聞くものもいない闇をはばかって三人が声を潜めていると、遠くから鉄板を叩くような音がかすかに響いた。

 兄妹が糧食を食べる手を止めた。幽準も手を止めると、こたえるかのように似た音がまたひとつ、かすかに響いた。糧食を捨て、兄が焚き火を消し、怜春が身支度を整える。何の音かわからずにいる幽準の手を引いて、怜春が立ち上がらせた。

 焚き火が消え、山の闇が三人を包んだ。春の山のまだあたたかな夜風に、草木の芳香が混じっていた。頭上に重なる枝葉はまばらである。星明かりの下で、かろうじて、となりに立つ互いの顔がわかった。また鉄板を叩くような音が響いた。先ほどよりちかい。響くだけでなく、四回、五回と打ち鳴らされて、止まなかった。

 三人は手を取り合い、音から遠ざかろうと歩き出したが、数歩も離れぬ目の前の闇から、また鉄板を叩く音が響いた。三人は立ちすくんで、悲鳴を堪えねばならなかった。幽準の握る兄妹の手が震えている。己の手も震えていた。

 夜闇に目を凝らせば、見上げるほどに巨大な影が立ちはだかっているとわかった。五崩鎧である。握った棍棒で盾を打ち鳴らしている。わずか数歩をへだてて見つかっていないのか、五崩鎧はやがて両手を下げると、三人に背を向けて闇の奥へと消えていった。

 幽準と兄妹はしばらく動けなかったが、やがて遠くでまた棍棒と盾を打ち鳴らす音が響いて、兄がようやく幽準の手を放した。

 幽準は怜春から手を放さず、怜春は震える片手で幽準を抱き寄せると、兄にささやいた。山には五崩鎧が徘徊している。あの男が五崩鎧を目覚めさせたのであろう。いかなる名と使命を与えたのかはわからぬが、朝を待たずに山を下り、師に助けを求めるべきではないか。

 兄は首を振って、五崩鎧が去った闇の中へ、杖を向けた。目覚めた五崩鎧の名と使命がわからぬ限り、いかなる災厄がこの山野を襲うかわからぬ。我ら兄妹の成すべきは、要塞を訪ねて秘法を明かし、五崩鎧をまた眠らせることである。

 幽準もまた兄にうなずいて、怜春に訴えた。父と長兄次兄が、五崩鎧のために山を下りられぬのは明らかである。五崩鎧を眠らせ、また山に平穏をもたらそうとするならば兄妹への助けは惜しまぬ。両手を握ってくる童子の眼差しに、怜春は困ったように歯を見せて笑うと、手を繋いだまま、すでに背を向けて離れていこうとしている兄の後を追った。


 兄は不敵にも、己たちの前を去っていった五崩鎧の足跡を辿っていた。幽準と怜春は恐れたが、兄によれば、五崩鎧は数体が山中を徘徊しており、いずれも己の見張る領域を定めていると思われた。棍棒と盾を打ち鳴らすのは、離れた五崩鎧へ伝えるためであろう。一体の背を追っていれば、ほかの五崩鎧と遭うおそれは少ない。

 かすかな星明かりに照られされる道は険しかったが、目指す要塞まであとわずかである。やがて五崩鎧の足跡から外れ、要塞があるとされる渓谷にちかづくにつれて、兄は杖をつく手を休めず、足を速めた。幽準と怜春は、しばしば兄に休息を頼むほど疲れていたが、またすぐに歩かねばならなかった。

 踏みしめる道に枯れ葉とやわらかな土が無くなり、かたく冷たい石くれになった。夜風からは春の山にただよう草木の香りとぬくもりが消え、冷気が鼻から胸の奥まで通り、汗をかいた肌をさするほどに寒くなった。三人は山道から川岸の砂利道へ下り、川上へと進んでいた。

 川の流れは弱く、対岸まで遠い。広い中州に自然石を積み重ねた巨大な石塔を認め、ついに兄が足を止めた。幽準はもはや一歩も進めぬ怜春に肩を貸していた。兄は懐中から地図を取り出し、星明かりをたよりに辺りと見比べていた。やがて、川原に座り込む幽準と怜春に要塞の入り口を見つけたと告げた。

 要塞は、石塔ちかくの岩肌にうがたれた長い洞穴を抜けた窪地にあった。四方を山肌に囲まれた巨大な隠し砦である。破壊の跡は無く、戦禍に巻き込まれぬまま苔むした石造りの構えは、いつの時代かもわからぬ様式である。洞穴を抜け、星空をさえぎるばかりにそびえる要塞を見上げた三人は、草の上に座り込んで、しばらくことばもなかった。

 三人をふたたび立ち上がらせたのは、降りだした雨である。山脈に吹く春風が雨雲をはこび、三人が要塞を見上げている間にたちまち星空を覆ったのである。幽準と兄妹は巨大な正門を過ぎ、石畳を踏んで階段を上がると、要塞の本堂に入った。

 雨は勢いを増し、地を叩く音は激しく、となりに立つ互いの声が聞こえぬほどである。雷光がまたたいて闇にのまれた要塞の中を照らし、雷鳴が天を割らんばかりに轟いた。石造りの要塞にこだました雷鳴に三人の膝が震えた。もし要塞から逃げようとしても、この豪雨では山を下れまい。

 父と長兄次兄はこの雨をしのげているのだろうか。幽準はあずかっていた怜春の旅具からちいさな蝋燭を取り出し、火を灯すと、兄妹に要塞の奥へ進むよううながした。兄妹は腰を上げて、幽準の灯りを追った。

 暗く冷たい石の回廊は広く、長かった。三人は回廊の壁際をそって進み、足元を照らす蝋燭のかすかな灯りは、向かいの壁にも届いていなかった。三人は、まさに闇の中を歩いていたのである。だが、兄妹はたしかに五崩鎧についてよく学んでいたようである。五崩鎧の巨体を収める要塞のつくりを言い当てながら、暗闇の回廊を進む歩みに迷いはなかった。

 蝋燭が燃え尽きようとしたころ、ついに怜春が、幽準に肩を借りても進めなくなった。兄は妹を厳しく叱咤した。兄妹が帯びた使命を訴え、闇に潜むやも知れぬ恐怖を説いた。怜春もまた叱咤にこたえて立とうとしても、震える膝がもはやからだを支えられなかった。この身を置いて先に行って欲しいと怜春が請うと、兄はついに妹の弱さを責めはじめた。聞くに堪えかねた幽準が、怜春を背負うと申し出て、ようやく兄は妹を許した。

 怜春は兄の責めにうなだれて、屈みこんで背負おうとしてくる幽準の肩を、手で押してこばんだ。やむなく幽準は、ちからの無い怜春の手を己の首に回させて背負わねばならなかった。己より年かさで背も高い娘の身は、思いのほか軽かった。怜春はまだ下りようとしていたが、すぐに、幽準の歩みがたしかだとわかると、かえって、さまたげぬようにと身を童子の背中に預けた。

 暗闇の中を先に行くちいさな蝋燭の灯りを追いながら、幽準は、己の肩にふれる手に落胆を察し、何も言えなかった。幽準の見たところ、山道を急いだ折も、五崩鎧が現れた折も、兄は己の使命をまっとうするために妹をかえりみず、怜春もまた従っているようである。男兄弟ばかりで、いさかいがあればすぐに喧嘩の始まる己には、よくわからなかった。姉か妹でもいれば、違うものであろうか。


 二本目の蝋燭を灯し、回廊の角を七回曲がった。幽準はいつでも怜春を背負って逃げられるように、帰り道を憶えようとしていた。八回目の角を曲がり、しばらく進んで、兄が立ち止まった。揺らめくちいさな灯りは、左手の灰色の石壁と、正面の鉄格子の扉を照らしている。

 幽準も立ち止まった。廊下に響いていた己の足音が、鉄格子の闇の奥へとかすれて消えていく。鉄格子の奥には部屋が広がっていると思われたが、雨音も雷鳴も背後から遠く聞こえるばかりである。石壁に囲まれた大部屋であろう。

 壁から離れ、鉄格子にそって向かいの壁へ三人が進むと、すぐに鉄格子が丸太ほどもある鉄柱に変わった。鉄格子の扉は人の出入りする門であり、鉄柱は五崩鎧を封じる柵であろう。ささやく兄の前には、鉄柱が数本、根元から折れて、石の回廊に横たわっている。鉄格子と鉄柱の境目にある扉は、開かれたままである。

 扉を過ぎた兄は、もはや壁伝いには進まなかった。足元を照らす蝋燭をたよりに、左右を見回しても何も見えぬ闇を歩いていく。幽準は背負った怜春と旅具の重みにすこし息をついてから、すでに離れつつあるちいさな灯りを追った。

 部屋の向かい側の壁に達して、灯りが止まった。今夜はこの場で過ごすと兄に告げられ、幽準はようやく怜春と旅具を背からおろし、兄は石床に置いた蝋燭の灯りをたよりに、旅具から火鉢を取り出し、火を起こしはじめた。

 火鉢のそばで、幽準は冷えた石床に疲れきった両手両足を広げて、闇を見上げていた。兄がなぜここまで歩いたのかもわからぬ。父と長兄次兄は無事であろうか。母と己の兄弟には何も言わず要塞まで来たが、心配させているであろう。母の怒りを思うと、いっそ帰らぬほうがよさそうである。

 幽準が胸裏に様々な思いをよぎらせていると、怜春が己の脇に腰を下ろして話しかけてきた。大変な迷惑をかけた、ひとつ、足の疲れにきく薬を塗ってやろう。己の足に冷たい軟膏が触れ、幽準は身を任せた。まだ息は荒く、五体が熱い。己の手足に血が激しくめぐっているのがわかるほどである。怜春のやわらかな手が心地よかった。

 兄が火をおこす物音に混じって、わずかに雷鳴の低い轟きが聞こえてきた。雷雲はまだ去っていないようである。ここはどこであろうか。兄妹に問うと、火鉢に火を点けた兄が、五崩鎧の蔵であると答えた。蔵の入り口からここまで見たところ、二十体ほどの五崩鎧が並んでいる。我らが会った五崩鎧を見るに、山野の野獣の骨格を組み合わせた、山の隠し砦にふさわしい兵がそろっているに違いない。

 己が五崩鎧に取り囲まれていると知って、幽準は身を起こして闇を見回したが、火鉢に照らされる兄妹は慌てていなかった。五崩鎧は、人の与えた使命に従うまではただの骨に過ぎぬ。いまこうする我らが襲われぬのであれば、蔵に並ぶ太古の五崩鎧に何をしても恐れることない。怜春に説かれて、幽準はまた闇を見回した。たしかに、幽準も、野原で組み打ちするちいさな五崩鎧が知らぬ間に動くなどと、案じたことはなかった。

 たちまち太古の五崩鎧に興味を抱いた幽準は、腰を上げると、火鉢から火のついた木切れを一本片手に取り、もう片手で怜春の手を引いた。太古の五崩鎧を見に行こうと誘ってくる童子に、もはや何を言っても聞かぬと知っていた怜春は、うなずいて、手を引かれるままについていった。


 頭上にかかげた木切れの火に照らされ、闇の中に浮かぶ五崩鎧は、いずれも見上げるばかりに巨大である。台座に立たされ、曲がった背骨から首を垂れて、仮面と兜をつけた頭蓋が幽準と怜春を見下ろしている。

 かつては豪奢を誇ったであろう総身のよそおいは、時にあらがえず、朽ちて、色あせていた。黄金に輝いていたであろう意匠巧みな銅の甲冑は青く錆びつき、具足を結ぶ飾り紐はほどけて足元に落ち、身にまとう細やかな刺繍のされた布は破れている。

 史書にも記されている古い時代の五崩鎧と思われる。もし帝都に持ち帰れたのであれば、五崩鎧そのものの背丈よりも高く貨銭を積んで売れようし、さかんに催される賭博試合に出ても敗れることはあるまい。骸から奪った骨で組み上げられた兵どもは、死してなお、いまの世に巨万の富をもたらす財宝として、もてあそばれているのである。

 巨大な五崩鎧を見上げながら語る怜春の手が、わずかに震えた。手を繋いでいた幽準は、ひとたび使命を与えられれば恐るべき兵士となるしかばねを悼んでいるのだと悟って、己たちも五崩鎧を持ち帰って財産を得ようなどと言えなかった。かえって、世に忘れられた隠し砦と、時の流れるままに朽ちていく傀儡に、深い哀れみを覚えたほどである。

 四台の台座に、五崩鎧のすがたがなかった。山野を徘徊する五崩鎧であろう。また、一体の五崩鎧が台座のちかくで砕け散っていた。時にあらがえずに朽ちたのであろう。おのおのが離されて並べられている五崩鎧を見て回り、兄の元へ戻るために振り返ろうとした幽準は、横手の闇の向こうに目を細めた。

 木切れの火で、何かがかすかにきらめいている。すでに要塞の闇を恐れず、あるいは、財宝でも輝いたのであろうかと怜春の手を引いて、幽準はちかづいた。

 闇に輝くきらめきは、やはり錆びた甲冑のわずかな照り返しだった。居並ぶ五崩鎧から外れ、寺社の本尊のように安置された一体の骨格がまとっていたのである。

 銅板を重ねただけの甲冑はいかなる由来を持つのか、台座の五崩鎧とは様式が異なって彫刻の意匠もなく、いっそ無骨である。獣の皮と荒縄で総身にまとい、青い錆のほかには時の流れを感じさせなかった。

 木切れをかかげて骨格を見上げた幽準は、すぐに怜春に問うた。はたしてこれは五崩鎧であろうか、このような骨格を持つ獣を己は知らぬ。

 ふたりが見上げている骨格は、野獣に似てたわんだ足ではなく、台座を踏みしめて直立している。背骨は前へ曲がらずに上へと伸び、胸と肩を張り、垂れた腕からは五指が開いている。何より、兜をかぶる頭蓋はまるく大きく、仮面をつけぬ顔面は、野獣や猛禽、猿よりも口がせり出していない。

 怜春は答えなかった。迷っていたのである。見上げている骨格はまさに骸から奪った本物であろう。また、幽準は知らぬであろうが、五体が人骨を模しているのは明らかである。

 ただひとつ、頭蓋が人の骨格として巨大すぎた。いかなる大男であろうと、一抱えもあろうかという頭蓋は持たぬ。また五体も頭蓋に合わせた巨体である。もし人であれば、威風のただよう偉丈夫であろう。だが、目の前の骨格は家屋の天井にも達する巨体である。

 目の前の骨格が、己が学んだ五崩鎧の叡智にはとどまらず、まったく知らぬ、人に似てなお巨大な生物の亡骸であると、怜春は認めるのが恐ろしかったのである。

 答えぬままの怜春に、幽準は待ちかねて、火のついた木切れを近づけてよく見ると、骨格の足元のちいさな石碑が置かれ、文が刻まれていた。幽準の知らぬ字である。怜春に伝えると、屈み込んで、しばらく碑文を見つめていたが、やがて、読み上げはじめた。

 この亡骸は、天下一刀をうそぶき、天上三剣にあらがうものである。身に備えた武技は百般におよび、かつまた、至妙の業前はいまだ極まるところがない。数え切れぬ大罪のために魂を闇に繋がれ、己の潔白を証立てるためにこの世の果ての合戦を待つ。しかばねの巨峰と血の濁流をもって、ただひとつ、己の天命を崩さんがためである。

 幽準と怜春は顔を見合わせた。何もわからなかったのである。怜春はまたひとたび碑文を見ようとして、ただよう臭いに鼻をきかせた。焼け焦げる臭いである。となりを見れば、幽準も怜春を見ている。屈みこんだふたりの頭上で、幽準がかかげている燃える木切れが、ちいさく爆ぜる音をたてた。

 見上げた怜春が声をあげた。木切れの火が、獣の皮を焦がしている。慌てた怜春が腰を上げ、黒い煙をひとすじ立てる皮をはたこうとして掴み、ちからに任せて手前に引いた。たちまち骨格が台座からかたむいて、激しい音を響かせて蔵の床に倒れた。

 丸い兜が、金物のこすれる音をたてながら石の床を転がって、怜春の足に当たった。倒れてくる甲冑から怜春を抱えて飛びのいた幽準は、また木切れを拾って兄の元へ戻ろうと手を引いた。床に散らばる五体の骨格を見つめていた怜春は、幽準に手を引かれるまま何も言わなかった。

 火鉢の元へ近づく幽準を待っていたのは、怜春の兄だけではなかった。人影がいくつか増えて、火鉢のあかりをさえぎっている。何者であるか、疑うよりも早く察した幽準は、怜春の手をはなして駆け出した。こちらを見る父と長兄次兄であるとわかり、幽準はついに泣きだして、腕を広げる長兄の胸に抱きついたのである。

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