五崩鎧

しーさん

幽準の父兄を案じて山に入るのこと

 五崩鎧(ごほうがい)は、太古の帝国が造り出した傀儡である。

 帝国は、地上を支配せんと地獄から這い上がってくる悪鬼の軍勢にあらがうため、討ち取った悪鬼の死骸を持ち帰ってその正体を究明した。

 死骸のあつかいに長けていた呪術師と処刑官がその任に当たり、切り刻んだ悪鬼の数は五万匹、地上の人獣魚虫の体系に寄せて分類すること七百種、竹片を編み合わせた書物に記して二千百冊になったという。

 二千百冊の書物により、帝国の雑兵ですら悪鬼の総大将を前にして恐れるところはなく、さらには、いかにすれば獣を狩るかのように悪鬼を滅ぼせるのかも、さかんに探求された。帝国は、ついには、地獄の悪鬼を服従させ広大無辺の地獄を支配できるのかすら吟味したという。

 帝国はすでに滅び、王朝の栄えた年代もわからず、大王の名も残っていない。二千百冊の書物はすでに散逸し、歴代の史書にわずかな記述を残すのみである。

 ただ、悪鬼を滅ぼすために考案された兵器が伝わっている。切り刻んだ悪鬼と魔獣の骨格を組み合わせ、呪術によって蘇らせて使役し、かつての地獄の同胞を無残に殺戮する、破壊の傀儡である。

 帝国はみずからの軍勢を鼓舞させるため、傀儡の骨格に、豪奢な大甲冑をまとわせて戦場に送り出した。はじめて戦場に立った傀儡は、悪鬼の生態を究明するために切り刻まれた死骸から、八百体が作られたという。

 戦果はいちじるしく、この大甲冑が槍をそろえて出陣するところに崩せぬ軍勢、城砦、要害、窮地、天命は無い、と称えられた。すなわち、五崩鎧と呼ばれるゆえんである。

 悪鬼の軍勢が地獄に追い返された後、五崩鎧は奴隷として、ひろく使役された。地獄の軍勢にあらがうため、五崩鎧を作り出す呪術を、その秘法の真理を知らずとも執り行えるよう帝国が広めたのである。

 地獄の脅威が去り帝国が滅びた後代にあっても、五崩鎧は、人の世の愚かさとして、戦場に現れた。だが秘法の真理を知らずに五崩鎧を生み出す呪術は、やがて衰えた。悪鬼の強大な骨格も戦乱によって失われ、家畜や野獣の骨格を寄せ集めた五崩鎧もやがて兵力とならなくなった。

 いまでは牛馬に混じって田畑をたがやすほかは、たわむれに戦わせて賭博の見世物となるか、骨董のたぐいとして珍重されるか、かつて地獄の軍勢をしりぞけた破壊の傀儡のすがたは、忘れられて、すでに久しかった。


 帝都から北東の山河を越えて歩き、三日もすればたどり着くちいさな集落に、幽準(ゆうじゅん)は暮らしていた。生まれてより当年で十歳を数える男児である。

 父は集落ちかくの山で猟師を生業とし、母は家を守り、兄弟は歳のちかい男児ばかり六人いた。幽準は四男だった。父は長兄と次兄と猟犬を連れて山に入ると、一月も二月も帰らなかった。母は三男から七男まで、家事を手伝い、学び舎に行けば何もうるさくは言わなかった。山から帰ってくる父と、その厳格なしつけが、息子たちをよく律しているのを知っていたのである。

 ちいさな集落には幽準と歳のちかい童子が多かった。幽準の年頃の男児は、いずれも五崩鎧の組み打ちに熱中していた。集落をかこむ山野で遊び、ちいさな獣や鳥を狩って食べては、残った骨を組み合わせ、鼠から猫ほどの五崩鎧を作り出して競わせていたのである。

 春の一日、朝の手伝いを終えた家々の童子たちが、集落から山へ向かう途中の野原に集まっていた。膝まで伸びた草花が、見渡すばかりに茂る草原である。童子たちは青草を抜き土を踏み固めて、五崩鎧を競わせる戦場としていた。

 五人の童子たちは、手のひらに乗るちいさな五崩鎧をいっせいに争わせていた。童子たちが獣の骨にかけた呪術は、いずれも粗末だった。歩いて倒れれば起き上がれず、目の前にあるものを殴打するだけの傀儡である。一握りの小石も持ち上げられず、その力で殴られれば骨格をつなげる呪術の結びがほどけて、動かなくなった。

 童子たちは、五崩鎧が倒れるたびに骨を拾い、呪術をかけていた。童子たちの呪術は、手ぬぐいほどの紙に書かれた図柄の上に、五体の骨を乗せ、名と使命をあたえ、呪文を唱えるだけでよかった。呪文は古いことばで、童子はおろか父母、祖父たち、集落の長老ですら意味を知らない。

 童子たちは、骨格がいかに組み合わせればより強くなるのか、苦心していた。幽準もそのひとりである。幽準は、ほかの童子たちより強大な五崩鎧を作っていた。父に連れ添って山に入る長兄と次兄が幽準のために、ほかの童子には得られぬちいさな獣を獲ってきたのである。

 野原で争っている幽準の五崩鎧は、猛禽の下体に、山猫の上体を組み合わせていた。どちらの獣も集落や野原で捕らえることは無く、小鳥だとか鼠だとかを使った童子たちの五崩鎧を圧倒していた。

 童子たちが示しあわせて幽準の五崩鎧を狙えば打ち倒された。幽準は気にせず、また骨を組み合あげて、争わせていた。


 集落では見かけぬ娘が幽準たちに話しかけてきたのは、昼ちかくになったころである。童子たちは、また遊びを変えて山に入ろうかと相談していた。

 年の頃は十四か十五か、幽準たちよりいくらか年かさの娘である。旅のよそおいで顔は日に焼けている。つぶらな瞳で幽準たちの五崩鎧を見つめ、歯を見せて笑っていた。

 いずれの都市集落にあっても男児は五崩鎧に入れ込むものだが、己も娘の身でありながら、五崩鎧を作り競わせるものである。もしかまわなければ、もっとも強い五崩鎧と手合わせ願えぬだろうか。

 幽準たちは顔を見合わせた。見知らぬ娘は、たしかに五崩鎧の骨を入れるちいさな篭を、旅具のひとつに持っている。よそ者とは関わってはならぬと母たちからいましめられていたが、年も離れていない娘である。何より、集落のものではない五崩鎧に興味があった。

 己の五崩鎧がもっとも強い、手合わせしよう。幽準は娘に告げて、五崩鎧を組み上げた。長兄と次兄が山から持ち帰った小猿の上体と猛禽の下体を組み合わせ、猫ほどもある。与えた使命は、目の前に立つ五崩鎧の打倒である。

 己の五崩鎧が緩慢な動きで立ち上がり、幽準は背後からのその腰を掴んで持ち上げた。放っておけば直進して、小石につまづくおそれがあった。

 娘の五崩鎧を見れば、四足である。兎の上体といたちの下体であろうか。幽準たちの五崩鎧は、いずれも二足である。男児たちが、直立したままの組み打ちを好んだためである。

 また娘が呪術を行う紙には、図柄と文字が細かく書き込まれていた。唱える呪文は幽準たちと変わらなかったが、骨格が組み合わさり立ち上がると、背を丸めてうずくまった。娘は骨格を抱え上げると、幽準に笑いかけた。

 組み打ちは、幽準の五崩鎧が勝利した。踏み固めた土の上をまっすぐに進む幽準の五崩鎧が、うずくまって動こうとしない娘の五崩鎧の背骨を殴打し、砕いたのである。

 骨を拾い上げる娘に童子たちは口々に尋ねた。あるいは愛玩のために作られた五崩鎧であろうか、うずくまって進ませぬにはどうすればよいか、娘はどこから来た何者なのか。

 娘は拾い上げた骨を篭に収めながら、怜春(れいしゅん)と名乗った。また、試みに組み上げた五崩鎧であること、五崩鎧を組み上げる紙に書かれた文言で制していること、集落には山に入るために兄とともに訪れたことを答えた。兄はいま、山の案内人を集落に求めているという。

 娘は腰を上げると、童子たちに礼を述べて野原を去ろうとした。日はもう中天にかかり、昼になっていた。家では母たちが童子の帰りを待っているであろう。幽準たちは娘と同じ道を歩きながら、己たちや集落のことを教えてやった。

 集落に戻り、童子たちは互いに別れを告げ、また手伝いを終えたら遊ぶと約束した。娘は集落の入り口で兄を待つという。童子たちともに去りながら、幽準は娘に何のために山に入るのかと問うた。誰も尋ねていないと気づいたのである。娘は、わずかに考えて、また歯を見せて笑うと答えなかった。

 言えぬことでもあるのだろうと、幽準は気にせず、母の待つ家に向かった。


 幽準が家に帰ると、ちいさな門前に旅装の見知らぬ男が立っていた。怜春の兄であろうか。つぶらな瞳と柔和な顔立ちがよく似ていたのである。年の頃は怜春と変わらぬように見えた。

 門前で幽準の兄弟に囲まれているのを通り過ぎ、家に入ると、母が待っていた。聞けば、門前の男は山に入るため、猟師である父に案内を請いたいのだという。集落にはほかにも猟師はいたが、いずれも断られていた。

 父が山に入ったのは一月をさかのぼる。数日もすれば、長兄次兄、猟犬とともに帰宅しよう。幽準の父は、まれに山道の案内をして貸銭を得ていたのである。門前の男には、すでに、いずれ帰ってくる夫が案内するだろうと、母から我が子たちに言づてさせていた。

 すでに居間には、母と幽準たちの食膳が並べられていた。幽準が見つからぬように一品をつまんで食べると、兄弟たちが戻ってきた。男はまた、明日来るという。

 明くる日、父は帰らなかった。山を下りてきた集落の猟師によれば、樹上にさえずる鳥から山肌を駆ける獣まで、山を去ったのかように、獲物をまったく見かけず、狩りにならぬという。旅の男はまた幽準の家を訪ねて、父の不在を知ると去っていった。

 さらに明くる日、やはり父は帰らなかった。また別に山を下りてきた猟師は、幽準の父と会ったという。長兄次兄と猟犬を連れ、山を下りている最中だった。明日には帰宅するであろう。旅の男はふたたび訪れたが、父の不在を知ると、いつ帰ってくるのかをしきりに尋ねた。

 三日をむかえた未明、空が白むころ、幽準は犬の鳴き声に起こされた。父の猟犬である。父も長兄次兄も帰ってきたのであろう。集落の朝は早い。目を覚ましてもよかったが、春の夜明けは心地よく、窓からただよう草木の香りが、また幽準を眠りに誘った。

 猟犬は鳴き止まない。家の外でしきりに吠え立てている。家の中の者を呼んでいる。父も兄たちも何をしているのだろう。幽準は目をこすりながら、寝台から起き上がると、家の表に出た。

 帰ってきたのは猟犬だけであった。幽準を見ると、駆け寄ってきて、さらに吼えはじめた。日はまだ東の稜線にさえぎられ、白む空の下はまだ薄暗かったが、猟犬が傷を負っているとわかった。首には父の手ぬぐいが巻かれていた。

 幽準はすぐに父母の寝室に向かった。扉を開けると、母はすでに起き、身支度を整えていた。幽準が見たままを伝えると、母は身支度をつづけながら耳を傾け、うなずいてまだ吼える猟犬の元に向かった。

 猟犬は母に手ぬぐいをほどかれると、吼えなくなった。母は息子たちを起こし、すぐに集落の長老と猟師たちへ知らせにやった。夫と長兄次兄の捜索を頼むためである。

 残った幽準たちは猟犬の手当てをしてやり、家事を母に代わって済ませた。幽準よりふたつ年かさの三男は不安がる弟たちをよく慰め、おさない七男は何が兄たちを怯えさせているのかまだわからなかった。

 昼を過ぎたころになって、旅装の男とともに怜春が現れた。出迎えた幽準は、いま集落の猟師は見知らぬものを案内するどころではないと告げた。

 兄妹は、我らのみで山に入るにはどうすればよいかを尋ねた。幽準は首を振った。山は険しく、峠を越えるというなら案内を欠かしてはならぬ。何があったかもわからず父も帰らぬいま、峠を越えるだけなら集落に滞在をつづけるのがよかろう。

 兄妹は顔を見合わせると、幽準に告げた。我らは峠を越えようとするものではない。集落の山に、帝都をおびやかす害悪があると思われるため、使命を受けて、調べに訪れたのである。もし幽準の父と兄が害悪に晒されたのであれば、集落もいずれ累がおよぼう。この上は、帝都に暮らし山野に詳しくない兄妹のみで山に入るよりほかに無い。

 兄妹は、けして口外してはならぬと幽準にかたくいましめて、去っていった。

 にわかには信じがたかったが、幽準は、家に来た猟師たちが肩を寄せ合って、この数日の山がおかしいとささやいていたのを聞いていた。山にあるという害悪が何であろうか。野獣であろうか、あるいは盗賊でもあろうか。猟犬は帰ってきたが、父と兄は山を下りてくるのだろうか。不安に駆り立てられた幽準は、兄妹の後を追って、駆け出した。

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