第2話〈落ちた先〉

どこまでも……どこまでも、深い闇。


輪郭がとけ、線という線、あらゆる境界が曖昧になる。

それは虚無か、それとも……


何故だかは全く分からないが、自らの意識ははっきりと認知する事ができた。


自分は、確かにここにいる。紛れもなく、ここに。


だが、いるのにいない。

在るのに、無い。


そんな矛盾が、全身を駆け巡り、いいようの無い不安が沸き起こる。


ここはまだ、闇の中。



「あ…………れ……?」



何を、見ていたのだろう。



何を、感じていたのだろう。



何故か、懐かしかった。



何故か、知っていた。



知っていた事を、知っていた。






ーー地面?



だんだんと意識が覚醒に向かう。


そう、最初に感じたのは地面の感触。

夏だったはずが、随分とひんやりとしている。


四肢の感覚がだんだんと戻ってくる。


そして、吐息。


吐息?



「んっ…………」



勘違いしないで欲しい。これは、美少女の吐息などという素晴らしいものでは決して無い。


これは、ただの190センチオーバーの筋肉野郎の吐息である。誰得なのか。エロさの欠片も無い。



「……キト!アキト!」


「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」



目を開けると、そこは知らない天井。…………では無く、見知った2人の美少女の顔があった。

何て幸せなんだ……と、寝惚け頭でそんな事を思う。



「どうしたんだ2人とも……」



どこか安心した様子の2人に、アキトは少なからず戸惑う。



「カナタ……おはようのキスはどうしたんだ……?」



唐突に訳分からん事を言い出すアキト。


やはりと言うべきか、どうやらボケているようだ。目覚めきっていないのか、おはようのキスをねだる始末。

そんな都合のいい展開、ある訳無いのに。

いつもしてもらってる訳ではあるまいに……ん?あれ、どうなのそこら辺。



「は、はぁ⁉︎バカなのお兄ちゃん⁉︎化け物が……化け物が……!」


「化け物……化け物っ⁉︎っ〜〜〜〜〜!」


「痛っ〜〜〜!」



化け物、というワードに反応し、勢い良く上半身を起こしカナタに盛大な頭突きを食らわしてしまう。カナタは涙目だ。



「す、すまん……思い、出したよ……化け物、化け、物ねぇ。」



何か思う所でもあるのか、顔をしかめながらゆっくり区切って化け物、と呟く。


あの生き物には、確実に意思があり、そして意志があった。殺す、という明確な意志が。


そして、その結果あの生き物はカナタに襲いかかった。一体何故か。どうしてなのか。


そこまで考えて、アキトはふと思う。



「あ……れ?左、手…………」



左腕。左腕がある。いや、別にアキトは元々五体満足であったし、それ自体は特に不思議では……いや、この場合は不思議か。


あの時、あの瞬間、アキトはあの生き物とカナタの間に自らの身体を強引にねじ込んだ。

そして、その結果としてアキトの左腕は、アキトの左肩から先は、失われたはず……だ。


実際、倒れた後にあの生き物が自分の左腕をムシャムシャと、ムシャムシャと食べるのを見た。

それなのに。そのはずなのに。左腕が、ある。

引っ付いている。被害妄想では、無かったはずだ。そして、現に…………制服の、左肩から先が、無い。


そう。


まるで、失われた腕が、丁度トカゲの尻尾のように再び生えてきたかのようだ。



「どう……いう……」



おかしい。あり得ない。確かに見た。


どうして。何故。何が起こったのか分からない。恐ろしい。怖い。


理解出来ない。


視界が回る。


ぐるぐるぐるぐる。


グルグルグルグルグルグルグルグル。



「……お兄ちゃん?」



はっ、とする。助かった。何か、途方も無い深淵を覗いていた気がする。


ダメだ。自分は全く覚えていないから、考えても仕方が無いのだ。


分からなければ、聞く。聞くは一時の恥、聞かぬなら何とやら、だ。



「なぁ、あの後どうなったんだ?」



意を決したように深妙な面持ちで2人に尋ねる。


もしトカゲの尻尾みたいに生えてきた、とか言われたらどうしよう。


無限の再生力とゴキブリのような生命力を持ったアキト。うん、なんか似合わない。

こいつにはカナタをみてヨダレを垂らすのが似合っている。いや、カナタに突撃する姿も見ようによってはゴキブリ並か。


とにかく、ゴキブリアキトは何か合格発表を待つ受験生のような表情であった。



「分かんない……ボク、アキトが飛び込んできた時に気絶しちゃったみたいだから。」


「私も……。」


「…………ふぅ、それもそうか。良かった良かった。」



自分がゴキブリで無くて良かった。


というか、これで真相は闇の中なわけだ。

するとあれだ。

結局謎だらけという事か。

あの生き物の正体は分からず、左腕がある理由も分からず、そして自分達3人が何故こんなところにいるのかも分からない。


何も分からない状態で3人はどこかに連れ去られた、という事か?



「ん?あれ?」



と、そこで今更、本当に今更ながらに気づく。



「……ここ、どこだ?」



というのも、そこは覚えていいる限り最後にいた、学校の校庭では無かったのだ。

そこは……学校でも、アキトの部屋でも、もっと言えば見知った場所でも無く。



「洞窟……か?」



一見して洞窟かと思うような空間。

割と広く、一般的な高校の教室、その半分くらいはあるだろうか。


床はひんやりとしていて、少し肌寒い。

薄暗いが、互いの顔は見える程度。

3人がいるその空間は、閉ざされている訳ではない。


入口のようなものがある。

そこから、光が射し込んでいる。だが、どうやら太陽光では無いようだ。なんと言うか、どちらかと言えば人工的な光源のような感じ。



「謎が増えたぞ……」



真っ白い部屋、とかマンションの一室、とかでは無い。

もし誰かがアキト達を連れ去ったとして、それがどうしてこんな場所にいるのか。


というか、連れ去られて何もされていないというのも中々におかしい。


こう言っちゃ何だが、カナタとサチコは美少女。それにカナタは体育着、サチコは制服だ。これは男なら誰でも刺激をされる格好であることに疑いは無い。どこが、とは言わないが。


誘拐犯はほぼ男なので、男が気絶する2人に何もしないという事はありえない。



「ゲイ、か……」


「アキト?何の話?」


「いや、気にしないでくれ。」



アキトのバカな呟きに、サチコが反応する。

この場合、反応してしてくれただけでも感謝するべきだろう。



「アキト。」


「ん?何だ?」


「これってさ、神隠しじゃ無いかな?」


「それ、私も思ってました。」


「神隠し?」



神隠しってあれだ。そう、あれ。つまり……その、何だ?



「ほら、ようこ先生が話してたじゃん。」


「あぁ、あれかぁ。すっかり忘れてたよ。それで?」



アキトの説明を求める姿勢にさしものサチコも呆れた様子だ。


この話、実はようこちゃんだけで無く、SNSなどでもかなり拡散されていて、タイムリーな話題である。


だが、アキトはそんな事もまるっきり知らない。何故なら……



「お兄ちゃん、ケータイ使えないもんね。」



大きい身体に、不器用な手先!いや、別に不器用なわけではない。むしろ、手先は器用な方だ。

しかし、ケータイという不可解なものに触れると何故か握りしめてバキバキにしてしまうその反射的な反応を、責める事はできない。バカだから仕方が無いのだ。

いや、バカというのも少し違うか。強いて言うなら、そう。



「ケータイなんか要らない。筋肉があれば、な。」



やっぱりバカだった。




話を聞いていなかったバカにカナタとサチコが慈悲により説明をしようとした時。


それは突如として聞こえて来た。



『……グルル…………』



突然響く、獰猛な唸り声。

すぐに理解した。


獣、そう、これは獣の唸り声だ。

今までに日本では聞いた事も無いような声。


全身が、本能が訴えかけてくる。

聞いた瞬間に何故だか分かってしまった。

これは、ヤバイ。とにかく、ヤバイ。



「ひっ……」


「サ、サチコさん……。」



カナタとサチコはそれを聞いて抱き合い、アキトは2人を覆うようにして抱き寄せる。


2人のおっ○い、いや、カナタは貧乳だからサチコのおっぱ○か。とにかく、密着してとんでも無い事になっているがそれどころでは無い。


何かが入り口に手をかけ、その巨大を現した。


まずい。そう思ったアキトは2人と共に奥にあつらえたような大きさの岩影に隠れる。


下策かも知れないが、入り口からひょっこり顔を出すよりはマシな選択だろう。


3人が隠れて丁度というような大きさの岩だ。



『グルルルルル…………』



圧倒的な獣臭。


荒い息遣い。



「う゛っ……」


「ダメだ……」



あまりの臭いに声を漏らすサチコの頭をアキトが抱き抱える。

カナタは涙目で鼻を抑えている。


流石に臭すぎる。激臭と呼ぶべきか。


アキト達が鼻をつまんでそっと入口の方を覗くと……


いた。


そこには、巨大な何か。


しかも一体ですら無かった。

複数体いる。


数体が何かを持っている。


入口からの光で逆光となり、アキトからはその巨大な生物の詳細は分からない。


スンスンと鼻を鳴らしている。


持っているものは……剣だろうか?


状況も何も分からない事だらけだが、一つだけアキトが確信した事がある。

彼らは、狩る側プレデター

しかも人を襲うタイプだ。



「ぐっ……どうする……。」


「あっ」



無理な体勢で覗いていたせいで、カナタがバランスを崩す。

咄嗟にカナタを抱き上げ、あの生き物の目の前に転がり出る最悪の事態を防ぎ、俺ナイス!とアキトが自画自賛した時。


ヒラリ。


それは、運命の悪戯か、それともタダの不運か。


アキトの胸ポケットに入っていた紙?が、フワリと岩の影から落ちる。



『………………』


(終わった…………)



色々な意味で。

シリアスな雰囲気の所、誠に申し訳ない気持ちで一杯なのだが、それはアキトが隠し撮りしたであろうカナタの秘蔵写真に相違なかった。


そのまま人生終了コースまっしぐらかと思いきや。


生き物達の反応が無いのでアキトを睨むカナタを無視して岩影から再び顔を出してみると。



『グルルルル……』



生き物達は、今にもこの岩に飛びかかりたいという風だが、何か他に気になることでもあるのかしきりに入り口、ひいてはその先にある何かを見ていた。



『グギャ!』



入口の側にいた一体が突然強烈に反応し、外へ駈け出す。


それを皮切りに、他の数体も外へ出て行ってしまう。


直後。アキトは見た。


黒い影が、入り口の前を猛スピードで通り過ぎるのを。


そして、その背中の上に白い何かが乗っかっていたのを。



「助かった……の?」


「なん……だ……?」


「どうしたのアキト?」


「今、何か通らなかったか?」



アキトの問いにサチコは首を振るがカナタは頷く。



「黒い、犬みたいなやつに誰かが乗ってた。」


「人⁉︎何それ!てか、あれ犬ってサイズでも無かったぞ……?」



どうやらこれは選ばれし者にしか見えないとかではなく、単純に動体視力の問題のようだ。


それにしてもあの一瞬で上に乗っていたのが人だと分かるなんて……信じないとは言わないが流石に疑わしい所だ。


その乗っていた人とやらの正体は気になる所だが、ひとまずは危機が去ったことを喜ぶべきだろう。


生き物達を見てすっかり大人しくなったサチコを尻目にし、アキトは落ちた写真を回収し、再び大事そうに懐にしまう。



「お兄ちゃん?」


「は、はい……」



カナタの凍るような声に思わず声が裏返るアキト。



「それ、渡して?」


「い、嫌だ!」


「アキト、大声出さないで……」


「ご、ごめん。」


「お兄ちゃん。早く?」


「は、はい……」



アキトは渋々と懐に入っていた写真を取り出す。



「あ、これじゃ無いな。こっちか。」


「全部渡して。」


「ぬぁっ⁉︎」



アキトは信じられないようなものを見るようにカナタを見つめる。

何も写真でなくともそこにいるというのに。

いや、犯罪を未然に防ぐという意味では写真があった方がいいのか?


アキトは今にも泣きそうな顔で懐から写真の束を取り出す。凄い量だ。20枚くらいはありそうだ。


それをポケットに入れるカナタ。何だかんだ言っても取り上げるだけで破ったりしないのがこの娘のいい所。



しばらくして、あの生き物達が戻ってこないのを確認し、アキトはそっと入り口の方に向かう。



「お、お兄ちゃん?」


「アキト、危ないよ……。」


「大丈夫、覗くだけだ。」



外の様子を伺い、ヌッと顔を出す。


そこには……化け物は愚か、生物の姿は見えなかった。


というか、明らかにおかしい所があった。


外では無い。


というか中と同じような岩肌の、例えるならば炭鉱のような雰囲気の通路が左右に延々と伸びていたのだ。


中から見えた光。


太陽光では無いとは思っていたが、それはなんと言うか、岩自体が光っていた。


岩肌が、岩壁が、天井から地面まですっかり光輝いている。



「かぁー。なんだこりゃ。」


「ナニナニ?どうしたの?」



続けてサチコが顔を出し、カナタも恐る恐る顔を出す。


これは、なんと言うか、そう。


まるで……



「なんかアレみたいだね。その……ゲームとかの。」


迷宮ダンジョンか?」


「そう!それそれ!」



迷宮ダンジョンというワードが出てこないサチコに、アキトが言う。



「言われてみればそんな風に見えなくも無いけど……」



通路は横幅、縦幅共にかなりあり、モンスターが暴れるのにもってこいといった感じだ。


確かに、先程の正体不明の生き物といい、迷宮ダンジョンっぽいと言われればそうかもしれない。


だが、それでもそう考えるのはいくら何でも早計すぎる。

というか、にわかには信じ難い。



「いない……な。」


「でも、ここにいたら危ないんじゃ……」


「どうするの?お兄ちゃん。」


「うーーーむ……。」



どうすると言われても、ここから移動するかしないかの二択である。

ここにいたらまたあの生き物が来るかも知れないし、移動したらしたらで鉢合わせるかも知れない。



「でも、ここにいても何も変わらないしな……」



案外、近くに出口とかあったりして。



「移動するか。」


「あ。」


「ん?どうしたサチコ。」


「あれ…………」



サチコが指をさす方を見ると。


100メートル程先に、モンスターがいた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る