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 隼人も流れのまま、そちらを注視していた。その彼の腕を誰かが引っ張る。隼人が顔を向けた先に居たのは堂本で、彼は顎をしゃくって移動を促した。ちょうど扉の真正面、入ってくるゲストの侵入を阻むように立っている自身に気付いて、隼人は足早にそこを離れた。機転を利かせて注意してくれた堂本に内心で感謝した。初対面の印象は最悪だったが、少しだけ評価は持ち直した。それほど悪い人物ではないだろう。二人が移動した後も、扉の向こう、勿体ぶったキーマンはなかなか登場しなかったが。


 メイド二人が重そうな扉を、体重を掛けて引き開けていく。重い軋み音が会場に響く。さきほど執事が開けた時にも体重を掛けて押し開いていた事を思い出した。それだけ重い扉だという事だ。屋敷の造りから見ても高級な木の一番良い部分を贅沢に使っているはずだ。向こう側にはきっと弁護団が控えているだろう。これだけの財産を管理するのだから、それが当然と思っていた。

 慌ただしい展開の中、見廻した程度では何が何だかさっぱり解からなかったが、屋敷の全員は揃っていなさそうであり、それでもここに居るだけで十名に及ぶ大きな催しだ。来客は隼人を入れた六人、使用人は四人、そこへこれから弁護士が何人か加わるのだろう。卓上に並ぶ料理から見ても、それで全てとも思われない。

 扉の開く軋み音は嫌でも隼人に緊張を強いた。目撃者がさらに増えるという怖れしか持てなかった。隼人は堂本と共に梅荘の隣へ落ち着く。待ち構えていたように、彼は隼人の耳元へ顔を寄せた。

「記憶がないってことは……弁護士先生とも初対面になるよな、あんた。あんまり若くて驚くぜ?」

 梅荘が意味深に囁いた言葉の終わりで、扉が開く。

「ほらな、俺たちとさして変わらない年代だ。相当なやり手なんだろうよ。」

 神経質そうな眼差しが、ひそひそ話の二人をじろりと睨みつけた。この大邸宅を建てた富豪の専任というから、弁護団のようなものを勝手に想像していた隼人の憶測を裏切り、出てきたのはたった一人だけだった。半分ほど開いた大扉は、彼を招き入れるとまたメイドの手によって閉ざされた。弁護士は二、三歩前へ出た位置の、ちょうど隼人が立っていた辺りで立ち止まった。そこはこの大広間の上座と呼ぶべき場に相当する。


 専任弁護士と紹介された財津は、酷薄そうな薄い唇がいやに印象的な男だった。それでなくとも鋭利な雰囲気が、目元の銀縁眼鏡によってさらに際立ってしまう。冷たい印象が生じるのは、相手の注視を無視してのけるその態度に起因しているようだった。人の視線には気付いているだろうに、相手に応えて目を向けるという仕草は見せない。紺色のスーツに淡いカラーのワイシャツ、地味なネクタイで、仕事の為に来たことを強調する服装はこの華やかな場に措いては自己主張まで兼ねていた。

「皆さん、これより大切な話をさせて頂きます。私語は謹んでいただき、自室に戻られた後にでも、ゆっくりとなさってください。」

 言葉は丁寧だが敵意は露わだ。誰に向けて言っているかは、視線が動かないことで場の全員に伝わっていた。不機嫌な眼差しの奥で、排除の意志は隼人と梅荘にぴたりと照準を合わせている。二人の出方を窺ってしばらく口を閉じていた弁護士は、二人の沈黙を委縮と見なして話を再開した。

「まず、ここで女性の方々を紹介しておきましょう。今回、招待されているのは貴方がた男性六名と女性が五名です。フェリーの中では不測の事態に備え、性別ごとに会場を分けることでこの事実は伏せさせて頂きました。」

 早口にさらりと述べられた内容は、ともすれば聞き流してしまいそうな簡潔さで人々の頭上を滑っていった。あまりに簡潔に過ぎて、内容が把握できない。隼人が呆気に取られる中、訳知り顔で隣の梅荘は頷いていた。


「どうりで野郎の姿しか見えねぇと思った。」

 梅荘は納得の大きな吐息をこぼした。隼人にしか聞こえないほどの小さな呟きが混じった。神経質そうな弁護士には聞こえなかったらしく、彼は背を向けて扉へ向かっていた。弁護士らしい慎重な動作で、財津は自ら会場の重厚な両扉に手をかけ執事同様に体重を掛けて重い扉の片側を引き開けた。そして、外に向けて手招きをした。もう片方の扉も開くと、廊下が丸見えとなる。言い含められて待機していたのだろう、扉の向こうには若い女たちが扇に広がり立っている。まだ十代としか見えない、五人の少女たちだ。

「さ、入ってください。お待たせしました。」

 女たちがぞろぞろと一列になって歩を進める。足取りは重く、心細げだ。入室した少女たちは扉の傍でひと塊に立ち止まり、皆、不安な面持ちで周囲を見回している。怯える様子がまるで、人買いの宴に引き出された奴隷の子を思わせた。弁護士の指示で彼女たちは一列に並ぶよう促され、再び動き出した。


 順番に歩を進める一人目の少女は一際目を引く明るい栗毛の持ち主だった。およそ金色に近い豊かな髪が照明の下で輝いている。その娘が急に足を止めた。隼人の目には、端の方へ歩み寄りながら会場の来客や使用人たちを確認していたところが、ある人物を見つけるなり全ての動きを停止したと映った。

 目を見開く少女の顔に、最初に浮かんだのは驚愕の表情だ。見る間に少女の瞳には強い光が宿った。まるで親の仇を見つけたかのような、激しい憎悪が次には浮かび上がった。その様は異様で目立つ。周囲でも、気付いた者から順番に彼女に注意が集まっていく。会場内に満ち引きしていたさざ波のような唱和が、違う音階を奏でた。

 彼女が顔を向けた先には、隼人がセールスマン風と見立てたあの男が一人、テーブルの傍に立っていた。にこやかな笑みを貼り付けていた、それでいてどこか胡散臭いと思っていたあの男だ。

 焦げ付きそうな少女の視線は彼を凝視している。真正面からの憎悪を受け止めて、見つめ返すその男の瞳にも得体の知れない光が宿っていた。しかも、彼の顔面に人らしい表情は浮かんでいない。顔のない男だ、能面のような無表情で立っている。ぞくりと背筋が凍る、見る者に警戒を抱かせる貌。全ての感情がその面からは欠け落ちている。僅か後、穏やかな微笑の仮面がすっぽりと被せられ、底冷えのする彼の本性は隠されてしまった。

 少女は続いて何かを口中で呟いたようだった。思い詰めた表情、固まったように動かないその少女の袖を、隣に居た別の少女が引っ張った。途端に正気に戻り、なにやら囁いて誤魔化す様子が見えた。二人は知り合いなのだろう、親しげだ。赤と紺と、お揃いの上着も教えている。何かの因縁ありげな男女の方では、それきり目を合わせる事はなかった。


 隼人は興味深く二人の娘を観察した。二人ともが、着ている服装は少し流行から遅れた型の古い洋服だった。それぞれ髪型も伸ばしたままの長髪で、金を掛けてはいない。アクセサリーの類も見られず、質素な出で立ちをしていた。片方の、さきほど不穏な空気を醸していた少女はおそらくハーフなのだろう、顔立ちは日本人離れをして綺麗だ。ウェーブのある豊かな栗毛を背中にまで伸ばしている。何年も大切に着ているらしいカーディガンの色は真っ赤で、その難しいカラーを彼女は見事に取り入れた衣装にコーディネイトしている。型の綺麗なワンピースに差し色となった赤が映えていた。

 もう一人の少女は、同じカーディガンの色違いで紺色のものを着ている。黒のチェック柄のワンピースも少し時代遅れの型だった。黒髪がとても印象的な純和風の顔立ちで、動かなければお人形にも見えただろう。そのくらいに整った顔をしている。総じて、五人の少女たちはいずれ劣らぬ美しい造形で、それぞれのタイプで美を競っている。ただ、少女たちはお互い知己ではないらしい。よそよそしく、迂闊にニアミスなど起きないようにと全員が知り合い同士で向かい合うような、ささやかな努力をしている様子が覗えた。

 二人ずつが組みになっているようで、時々言葉を交わしている。ただ、真ん中に一人立つ少女は俯いたきりで、どちらの組みにも顔を向けなかった。何か別事に囚われている、隼人はその少女の事が嫌に気に掛かっていた。


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