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 それきり、二人は隼人から興味を無くした様子で勝手な談笑を始めた。興味のアンテナはまだ新参の客に向けられていたが、よそよそしく、無視を決め込んだようだった。今度は新人から歩み寄るべきとでも思っているのかも知れない。

 隼人は所在無く、周囲を見渡した。会場のテーブルは手前と中央と奥にそれぞれ設置されており、それぞれをグループで分けたかのように、バラバラに佇む客人たちの間には妙な縄張り意識が存在していた。前方グループとなるのだろうか、隼人を含む三人とは別に、梅荘の連れと、他にまだ二人ほど招待客らしき人物が離れた場所に立っている。二人もこちらの輪には不参加だった。

 一人はセールスマン風のかっちりとしたスーツを着た男で、終始、誰に向けるでもない笑顔をずっと貼り付けている。柔和な顔付きだが、その目はどこか冷ややかに前方で話し込む三人を眺めるとなく眺めていた。

 無難な紺色のスーツに、細目ストライプのネクタイは指し色のエンジで控えめなお洒落を演出といったところか。ネクタイピンはもう少しだけささやかな冒険をしている。あくまで自然に見せかけて、目立たない男のフリをしていることを、隼人の直感が教えた。

 いい加減長丁場に差し掛かるが、男は平然と独りを貫いている。そのくせ憚るような服装の配慮はチグハグだ。服装は人の目を気にするタイプの趣向で、行動そのものは気にしないタイプのそれだ。不自然だった。


 もう一人、テーブルを挟んだ反対側から堂々と隼人を観察している男が居る。こちらは視線の衝突を機に、じっと隼人を見つめた。キャメルカラーの綿素材のスーツの下に、ジーンズと黒のポロシャツを重ねて、堂本と同じく場の空気からは微妙に浮いている。中肉中背、これといって特徴もない顔立ちで、この面子の中では一番地味な男だ。唯一の特徴といえば、手入れをしているのかさえ解からないもじゃもじゃの天然パーマで、黒の中折れ帽に赤シャツでも合わせれば、いつだったかにTVの画面で観たような、堂本辺りが大いにウケるだろう全体のシルエットを持っていた。それでいて、どこかヤクザな印象を受ける男だ。

 何か引っ掛かりでも感じたのだろうか、じっと目を合わせたきり逸らさないのは何のつもりか。男は隼人と目が合ったと気付いているだろうに、まったく動じる素振りを見せなかった。隼人は動揺を表面に出さぬように苦心しながら、男の視線に耐え続けた。幾つか数を数え、平静を装いながら目を背け、窓の外に興味を移したフリをした。危険な異分子は自分だけだと思っていたが、違うのかも知れない。

 この広間に集う男たちは全員が妙な空気を醸していた。馴れ馴れしく近付いてきた二人、堂本と梅荘にしても、何か一癖ありそうな風貌をして得体の知れないところがあった。記憶のない隼人の言動を鵜呑みにするフリで、その実まったく信用してはいないだろう。


 夜の闇を背景にして、広間の窓ガラスは鏡のように室内風景を反射する。生成り麻のテラードスーツと、デザインTシャツを着る自身が映る。大胆な線画が入っているだけの、ほぼ白いと形容できそうなシャツだからうるさくはないだろう。悪目立ちする事はないはずで、先ほどの男の視線の意味を測りあぐねていた。何かに勘付いたのかも知れない。いや、あの距離でそれは考え辛い、思考は錯綜していた。

 窓鏡の中の隼人は暗い瞳の中に流氷の海を宿している。強張っているようにも見える無表情は、表面だけなら笑顔に切り替えることも出来た。眼だけは笑うことなく冷たく凍えている。鋭い者にはバレてしまいそうなチグハグさだ。不都合に気付き、なんとか平常に見せ掛けようとしたが無駄だった。凍りついた瞳を溶かす努力は棄てて、服のどこかに残るかも知れない血痕のチェックに切り替えた。

 こんな目をしていたのだから、あの二人、堂本と梅荘も気付いていたはずだ。それであの態度だというのだから食わせ者というべきだった。

 合わせ鏡に映り込んだ金持ちのホームパーティが見える。どいつもこいつも身なりは良くて、胡散臭い。再び、窓に映る自身の顔を凝視した。殺人者の顔だ。追い詰められ、青褪めた顔がそこにある。あれは事故だと思い込もうとしても、拭いきれない焦燥が胸を焼いている。ガラスに映る険しい表情から視線をずらせば、二人、盛り上がって話をしている気障男とミステリマニアの姿が視界の隅に映った。耳には会話の端切れが飛び込んでいた。探偵小説の条件がどうの、という話題のようだ。自身の事に絡めた話かと勘繰った。


 視線に気付いたのか、エセ探偵の堂本が隼人の方を向いた。

「そういえば君、ここ数日の記憶がないって話だったけど、今回の旅行についても何も覚えていないのかい? かれこれ二ヶ月近く前から話はあったはずなんだけど?」

「解からない。はっきり覚えている事柄と、まるで思い出せない事柄とがあるんだが、この島に関する記憶は一切ない。」

「ふーん。最初から関係ないのかも知れないし、記憶喪失で消えてしまっただけかも知れないと、君自身は考えているわけか。」

 推理好きらしく、堂本は自身の顎に手を添えて、知恵を絞る探偵のようにポーズを決めた。梅荘がその堂本の肩に腕を乗せ、ニヤニヤと笑っている。二人はさっそく打ち解けたらしい。人懐こい様子で梅荘はその後の説明を引き受けた。

「あんたが事情を忘れちまってるのなら教えといてやるが、ここに居る五人は招待客なんだ。あんたを入れて六人だな。一週間のバカンスを、という話でこの屋敷に滞在する事になっている。このとんでもない屋敷の持ち主様とやらからの招待だ。屋敷を見ただけで解かるだろう、どれほどの金持ちだと思う? そういう訳で、ここに集まった連中は、一獲千金を狙うヤツ等ばかりなのさ。」

 意味の繋がらない奇妙な台詞だった。だが、散らばるキーワードには何やら不穏な空気と、魅惑の響きがある。一週間の滞在期間、金持ちからの招待、そして何より『一攫千金』という言葉が隼人の興味を射た。梅荘はまた別のグラスを手にして、再び祝杯を挙げるような仕草で隼人の前へ向けた。

「興味が出てきたって顔だな。……先年、とある富豪が亡くなった。莫大な遺産を残してな。配偶者も直系の家族もないときた。たった一人、富豪の姪にあたる娘を除いて、だ。遺産を手にして、一夜にして大金持ちとなる娘が居るわけだ。次代の資産家令嬢を落として婚約に持ち込めば、莫大な遺産が転がり込むって寸法だ。」

『この土地は渡さぬぞ……』

 梅荘の台詞に被さるように、最後の言葉が二重奏となって響いたように感じた。

 空耳だろうか。何か聞こえたような気がして、隼人は視線だけで会場を見廻した。


「どうした?」

「いや……、」

 口ごもる隼人に、梅荘は不審の眼差しを向けている。彼はしばらく口を閉ざし、隼人の顔色を観察してから声のトーンを落とした。

「そうでもなけりゃ、こんな何もない離れ小島になんぞ来るもんか。あんたもその一人に違いはないってワケ。覚えてねぇから、そんな君子面がしてられるんだよ。」

 人を小馬鹿にする響きがあった。隼人は自身の頬をさすった。嫌悪に見えたのだろうか。その時、目前の梅荘が大きく姿勢を崩し、危うくで転倒を免れ、たたらを踏んだ。彼は非難の眼差しを隣に向ける。肩を貸していた堂本が、彼の腕を不意打ちで外したらしい。堂本は片頬を釣り上げ、悪戯な笑みを浮かべていた。

「失礼だな、人をハイエナみたいに言わないでくれ。それじゃ、あからさまな財産狙いみたいじゃないか。そんな卑劣漢が居たとしても、せいぜい君一人だろうよ。藤沢君、君もいくら記憶がないとは言え、適当な話に惑わされないでくれよ。我々は主催側から正式の招待状を受け取って集まっているんだ。ならず者とはワケが違う。」

「ふん、正式の招待ね。」

 一瞬、彼の瞳に剣呑な光がよぎった気がした。続けて梅荘は大袈裟な仕草で鼻を鳴らし、堂本を挑発した。あからさまに作った表情は芝居気たっぷりで、彼のおちゃらけに乗って、堂本も不機嫌な表情を作り出し、彼を横目で睨んでみせた。梅荘は頓着せず隼人に向けては笑顔を閃かせる。寸劇のワンシーンに紛れて疑惑は糊塗された。絵になる男の微笑は、綺麗に内面を包み隠していた。

 彼は締めの台詞を口にした。

「まぁ、とにかく一週間だ。制限時間内にお嬢様とお近付きになっちまって、首尾よく婚約に漕ぎつけられりゃ、労せず大金持ちってわけなんだよ、これが。」

 言うだけ言って梅荘はまたテーブルのカクテルに手を伸ばした。肘掛け代わりにしていた堂本に逃げられた為、再びテーブルにもたれ掛かって、傍のグラスを手にした。お開きにしようという空気が流れていて、堂本の視線も本格的に卓上のオードブルを物色し始めている。端的な言葉で、重要な情報がさらりと傍を流れ去ろうとしていた。隼人は慌てて二人を止めねばならなかった。

「ちょっと待て。婚約? 制限時間? 余計にワケが解からなくなった、何の話だ?」

「ああ? 弁護士先生が登場すりゃあ、そっちから説明があるだろうさ。がっつくなよ。」

 梅荘は取り合わなかった。堂本はまた大袈裟な態度でわざとらしく肩を竦め、首を振るジェスチュアまで付け加えて、隼人の前へと歩を進めた。とにかく動作の一つ一つが鼻に付くきらいのある男だ。口に出掛けた文句を呑み込んで、隼人は堂本に譲る。わざわざ目の前に来て、彼は勿体ぶった口を利いた。

「そこも丸ごとすっぽ抜けているわけか。すまなかった、フェアじゃなかったな。最初から説明を、」

 彼の視線が真横へスライドし、言葉は途中で途切れた。存在を忘れ果てていたが、この時、隼人の背後に控えていた執事が横へ滑るように移動していた。今までその存在感を消して、陰のように人の後ろに従っていたものが突然動きだし、姿を現わしたように感じた。堂本だけでなく、梅荘も驚きの表情を浮かべている。執事は少しばかり大袈裟な咳払いをした。話の中断を促す合図だった。それから姿勢を正し、会場全体を見廻した後に、よく通る声で口上を述べた。

「皆様、ご静粛に願います。ここへお集まり頂いた本当の理由を、これより当家の専任弁護士、財津様よりご説明頂きます。」

 『本当の』という言葉を殊更強調しておいて、執事はそう述べ上げた。開会を告げる宣言に、場の人物たちが一斉に注目する。出入り口の大扉の両脇に、何時の間に移動したのかメイド二人が控えている。向こう側の準備が整ったことを知らせるように、彼女たちはドアノブに手を添えていた。自然、扉の向こうに人々の目は集められた。


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