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 弁護士は熱心に手にした端末を操作している。手帳代わりにでもしているのだろうか、スマートフォンを耳に当てる事はなかった。客同士の一触即発には気付かなかったか、あるいは知った上で無視してのけたものか、隼人の見立ては後者の換算が強いが、素知らぬ顔で、彼は扉から離れると元の位置へ戻って来て歩みを止めた。ちょうど彼の後ろに五人の少女が居並ぶ構図になっている。彼が合図のように手を差し伸べると、一番最後に広間へ入った下男が近付き、持っていた鞄を差し出した。

 財津はビジネスバッグを開き、スマートフォンを片付けると別のツールを引っ張り出した。打って変わって前時代となり、黒革のカバーが付けられたB5サイズのバインダーが登場する。鞄は無造作に下男に手渡され、彼の視線はバインダーだけに注がれた。予めで打ち合わせがあったのだろう、下男は彼の鞄を抱えたまま、メイド二人の隣へ戻った。

 次に、固唾を飲んで見守る会場の一同を、弁護士は満足げな顔で見廻した。これでようやく、この屋敷で何が行われようとしているのかが告げられるのだろう。


 隼人にとっても重大な局面だ。金など別に欲しくはない、だがここに居る限りにおいて、この島で起きている事には無関心でいられなかった。特に、この会場に居る誰かが、隼人をあの死体の傍へ置き去りにしたという可能性がある以上、嫌でも関わらざるを得なかった。自身がどう関係するのかは知れないが、少なくとも死体遺棄は確定なのだ。その誰かのせいでと考えると腹が煮えた。

 財津はまだ喋り出さなかった。そこに居る男性陣を確認するように、一人ひとりに目を向けて都度に独りごちて頷いている。一通りのチェックが済むとバインダーに目を落としたまま、喋り出した。

「ご紹介しましょう。彼女たちのうちの誰かが、亡くなった笹塚昭三郎氏の血縁者、つまり笹塚家の遺産を受け継ぐ正統な後継者となります。その辺りの事情、また、このように世間から隔絶された場所へお招きせねばならなかった事情も、この機に合わせて説明いたします。」

 会場は静かに口上を受け止めていた。もう少しリアクションがあるかと思った隼人には、意外と映った。笹塚昭三郎、その名は隼人の記憶にも残されていた名詞だ。一代で莫大な富を築いた富豪の名前。ニュースの社会面などでも見かける、一般教養の範疇には入ってくる大物の名だ。その名を聞いて、この反応は不可解と映った。準備期間内に済んでいる事柄で、先に知らされていた情報の確認に過ぎないというのか。


「嘘よ!」

 ヒステリックな叫びが財津の次の言葉を遮って会場に響く。皆の注目が正面の財津からスライドして、その背後の一人へと集まった。ちょうど五人の少女の真ん中に居た娘が、肩を震わせて拳を握りしめていた。明らかな激昂の様子が見てとれた。

「何度でも言ってやるけど、わたしのお母さんは東北の出身で、田舎にだって何度も帰ってて、おじいちゃんやおばあちゃんの顔も知ってるわ! いい加減なこと言わないでよ!」

 激情に任せて、彼女は声を張り上げた。両脇に居る四人の少女は後ずさって、この少女の剣幕に気圧されている。右側にお嬢様然とした二人が、左側に質素な出で立ちの二人が立つ。姉妹かどうかは解からないが、仲の良さげなカーディガンのこの二人が手に手を取って、怯えの表情を浮かべていた。

「わたしがお母さんの子じゃないって言うの!? なんの証拠があって、そんな勝手な話をでっち上げてんのよ! その上、実家にまでやってきて、済んだ話を蒸し返して……いい加減にしてよね! 迷惑よ!」

 少女の目に、うっすらと涙が浮き上がって光る。何のことだか話が解からず、一部の人間が浮足立った。隼人は気配で察し、前を見ていた。メイド二人がひそひそと顔を寄せ合っている。トラブルの発生に、しかし財津は冷静な態度で眼鏡を指先で軽く押し上げ、開いていたバインダーを閉ざしただけだ。


 居並ぶ男性客と同じく、五人の少女たちも先に幾らかの事情を説明されているのだろう。その際に起きたトラブルのうちには未解決のまま、この会場に持ち越されているものもあるようだ。訳知りな者が居るかと思う反面で、食い違う話も聞かれる。あの少女は確か、大扉の向こうに姿を観た時から、俯いたきりで顔を強張らせていた。

 冷ややかな財津の視線は、少女の噛み付きそうに危険な視線と真っ向から対決して引かない。しばらくの間、沈黙が舞い降りた。クールダウンの時間が過ぎ、肩を怒らせていた少女も少しは落ち着きを取り戻した様子だ。口元がぱくぱくと動き、やがて財津の目から逃れるように、そっぽを向いた。

 本来はスポーツ好きな活発な少女なのだ、旅行用の服装に現れている。今どきの娘が好む華美な衣装ではなく多分にシンプルなパンツスタイルにも、彼女の性質が観て取れる。七分丈のジーンズに、真新しいジャージの上着は黒で、部活帰りの女子高生とも見紛う。五人の中で一人、ショートヘアだ。快活な笑みが似合うだろう口元は、今は固く引き結ばれていた。彼女が落ち着くにつれて、場内の空気も静まっていった。

 冷たく見つめる隼人と同じに、彼女を観察していた弁護士の双眸も冷ややかに細められた。彼女の昂ぶりが収まるまで待っていたらしい、財津は再び口を開いた。バインダーもついでのように開かれた。

「ご静粛に。戸惑うのも無理はありません。いきなりの話で、詳しい説明もされてはいなかった訳ですから。今回の件には複雑な事情がありまして、まずはそれを聞いて頂きたい。」

 ものには順序がある、という事か。話のひと区切り、財津はもう一度眼鏡の縁を指先で押し上げると、広間を見回した。直後に、また話は中断せねばならなくなった。別の少女が疑問を上せたからだ。彼女は落ち着いた所作で弁護士を見た。その口調は静かだが厳しかった。

「私は招待状を受け取っただけよ、なんのこと?」

 見るからにお嬢様育ちと見える、身なりの良い娘だ。エンジ色のベレーを斜めに被り、同じエンジの上品なワンピースを着ている。金持ちは金持ち同士で気があうのか、隣の、これも上等なサマーコートを羽織った娘と、ひと言ふた言と囁き合った。二人が付けている宝飾品の類はイミテーションではなさそうだ。

 知人同士の二人は顔を見合わせ、頷き合った。さりげない仕草でベレーを取って、少女は続けた。

「会場の方々は幾らか事情も御存知のようだけど、こちらはまったく何も知らされていないのよ。きちんとした説明をして頂きたいわね。」

 気の強そうな娘が、見た目通りの強気な口調で弁護士に詰め寄った。一層と、場は浮わついた。本当に、一部の人間だけがざわめいている。メイドたちや堂本、少女たちが主立っていて、梅荘も面白そうな物を見つけた顔で首を伸ばしているが、その後ろの三人は隼人同様に冷ややかだった。


「これから説明致します、ご静粛に。」

 財津が繰り返した。表情にこそ出さないが、声は辟易としている。一つ、咳払いをした。

「皆さんには先に事情を幾らかお話ししておりますが、それは各自で多少の差があるという事だけは、この場でご納得頂きたい。手違いがあった事は認めます、けれど、まずは事情の説明を聞いてから、判断頂きたいのです。お話は後ほど、ゆっくりお伺いしましょう。」

 騒然となりかけていた会場はこれで静かになった。少女たちも押し黙った。財津がねめ回し、無言の圧力を掛けて回ったからだが。前置きの後に、財津は続けた。

「故人となった笹塚翁には勘当同然で生き別れた姉弟が一人おられました。そして、ご存じの方も多いと思いますが、昭三郎氏ご本人に家族はありません。遺産は本来なら、すべて姉である昭子氏が受け継ぐこととなるわけですが、昭子氏もまたすでに鬼籍に入られている事が判明したのです。現在のところ、笹塚家に連なる血統は昭子氏の残した一人娘だけとなり、また何の運命の悪戯か、この令嬢の消息もごく最近まで不明だったのです。」

 隼人は記憶を探った。何年か前に、笹塚昭三郎が終末医療に移ったという噂を聞いた覚えが頭の片隅に残っている。なぜそんな噂を聞く事になったかはよく覚えていないが、自身の交友関係が、思い返すとやたらと広い事の方に驚いた。その辺りを辿れば記憶に行きつくのではないか、閃いた途端、突然の頭痛に見舞われた。


「痛っ、」

 錐で一刺し、突かれたような鋭い痛みが襲った。糸口が見つかりかけると決まって邪魔が入る。苛立ちに思いがけず舌打ちを漏らした。梅荘が興味ありげな視線を向けている、隼人は平静を装った。ここの連中は、特に男連中は油断がならない。

 弁護士の財津も同様に彼に注視した。話を途切れさせたまま、隼人の様子を窺っている。探りを入れるような声が、取って付けたような問いかけを発した。

「大丈夫ですか? 話を聞ける状態にないのでしたら無理に聞くこともない、先に宿泊の部屋へご案内いたしますよ。明日の昼まで待てば再びフェリーが来航する、それで本土へお帰り下さって結構ですが?」

「いや、お構いなく。以前から頭痛には悩まされていましたから。」

 頭痛の持病などない。嘘をさらりと口にしながら、隼人は内心の動揺を揉み消した。

 この島を離れるなど冗談ではない。隠してきた死体がいつ発見されるとも知れないのだ。隼人は警察が嫌いだったが、侮る気持ちは毛頭ない。痛みの度に隼人はびくりと身を震わせ、頭痛に耐えた。忌々しいばかりだった。

「大丈夫かい? 先に医者に診てもらった方がいいんじゃないか?」

 堂本が肩を支えてくれた。梅荘も隼人の様子を何気に観察している様子だった。

「大丈夫だ、収まってきたから。」

 口先だけでなく、態度で示すように隼人は堂本の貸してくれた肩を離れてみせた。実際に痛みは遠のき始めており、隼人は俯けていた顔を上げ、平気そうな顔を作った。同時に、全員の注目を浴びている事に気付かされた。


 探るような目で見ていた財津が、咳払いをした。

「大丈夫ですね? 話を続けますよ?」

 隼人が頷くのを確認し、弁護士は話を再開した。

「笹塚翁は生前に調査を開始され、姉の息女の消息を探されました。その結果、有力な情報が幾つか集まったのですが、最後の段階にまで絞ったところで暗礁に乗り上げてしまったのです。つまり、ここにお集まり頂いた五人のお嬢さんの事ですが。彼女たちのうちの一人、その本当の母親が、笹塚翁の後継者という事になるのです。」

 隼人は、先ほど喚いていた少女に自然と目を向けた。離れた此処から見ても解かるほど、彼女の両目は泣き濡れて赤く、腫れぼったくなっている。彼女は上目遣いで弁護士を見つめていた。他の四人も聞き入っている。財津は、戸籍に不審があるからこそ此処に居る五人なのだと付け加えて、言葉を切った。


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