第五章 (壱)

 御堂に着くまで、珍しく酔螺は一言も言葉を出さなかった。堂の庭先に出ると足を止め、行斗を奥に進ませた。

「心、おいで」

 内心で一頻ひとしきりり酔螺を罵倒していた心は、心底嫌な顔をして酔螺を見た。

 またしても、貧乏くじを引かされた、それも特大の奴だ。個人史史上最大最凶かも知れない。

 例えこの場を逃げ出しても、行斗が執拗に追ってくる事は目に見えていた。やらざるおえない。

 不毛な戦いだ。

 功宝の内容が知りたければ、後でコピーでも渡せばいい。

 第一、ここで行斗と戦う事に意味なんてあるのか?

「出来立てほやほやの秘伝を授けるよ」

 しかも、唯一の味方は信用ならない事はなはだしい。

「お前さんが健康のためにやっている気を回す方法、あれは仙術の小周天を元にあたしが独自に創ったものなんだよ。そこに、更にある方法を加える。その力を使うしか勝てる方法はないよ」

 その〈ある方法〉を吹き込まれた心はしばし呆然とし、驚きの表情で酔螺を見た。

「それをやらせるために……、あんたそれを狙ってたなっ!」

「悪く思うな不詳の弟子よ、心置きなく戦って来い」

「悪く思うに決まってるだろうっ!」

 酔螺は真剣な表情に改め、最後に言った。

「後は自分で確かめてきな」

 酔螺が下がり、二人は対峙した。

 静かな時間が流れた。

 行斗は目を閉じ、自然体でたたずんでいる。それが心には恐かった。

「六葉心。あなたは自分の寿命が何時まであると思っていますか?」

 場違いなくらい穏やかな口調で、行斗が語りかけてきた。

「仮に八十年としても、残された時間は六十年。たったの六十年です。

 それをどうやって過しますか。

 ただ生存しますか。

 享楽にふけりますか。

 家族に注ぎますか。

 仕事に費やしますか。

 人を育てますか。

 或いは、止めますか」

 滔々と、行斗は言葉を流し続ける。

「人は、そのままでは人でいるしかありません。人で始まり、人で終わる」

 それは誰に向けられているのか。心か、酔螺か、他の誰かか。或いは別の何かか。

「堪らないのですよ、老い、失い、人以前に帰るだけ。私は、人の行き着く先が見たい。人を超える一瞬に観えるもの、それが知りたいのです。

 昔、人は何かから人になった。

 なら、人はやがて別の何かになるのでしょう。

 それが何なのか、私はそれが知りたいのです」

 こいつはあれだな、頭が良過ぎて可笑しくなったって奴だな。

 生きる前に死んだ後の事まで考えていやがる。

「そのためには、私が手に入れた方法以外のものが必要なのです、功宝が」

 行斗は酔螺を見た。

「功宝を理解するには戦いが必要。そうでしょう、師匠」

 酔螺は何も答えず、二人を見ていた。

 心は、行斗に違和感を覚えた。

 存在そのものに。

 考え方、物言い、人以外に踏み込んだものが話しているように聞こえる。

「だから殺し合いをしようって!? 」

 人から自由になりたいのか。

 それ程人が嫌いか。

「石動さん、あんたは天才だ。でも、倫理感に問題があり過ぎる」

「気にしないで下さい、私は全然気になりませんので」

「少しは気にしろっ!」

「幸いな事に、今の時代は性格まで評価の対象になる事は少ないので、修正の必要を感じません」

 行斗が動いた。

 無造作に手を出した。

 腕を伸ばし、掌を押し付ける。

 ただそれだけの動きに見えた。

 ただそれだけで、心は数メートルも後ろにふっ飛ばされた。

 片膝を着き、呼吸が乱れる。

 額から、嫌な汗が滴り落ちた。

 だが。

「相殺しましたか!」

 行斗の顔に、歓喜が広がった。

 以前のように、心はまともには喰らわなかった。

 気を操り、ダメージを最小限に抑えた。

 達人同士の戦いには、技は必要なくなると言われる。

 当てるだけで倒せるからだ。

 ただ突く、ただ掃うの応酬になる。

 何処を当てても良い、どうやって掃っても良い。

 当たったところから威力は浸透し、掃うだけで威力は消される。

 限りなくシンプルに、限りなく純粋に、限りなく美しい戦いが出現する。

 人同士の戦いの、究極の形が展開された。

 突く。

 掃う。

 当てる。

 逸らす。

 押す。

 往なす。

 つける。

 弾く。

 無限とも思われる循環の中で、始めて技が閃いた。

 心は手を掴まれた。急激に腕全体が熱く、重くなった。普通の人間ならそれだけで昏倒する威力が伝わってくる。

 全力で気を高め、それを阻止した。

 隙ができた。

 体を浮かされ、投げられる。その間にも更に威力が浸透してくる。

 心はそれを相殺しつつ、尚且つ投げも防がなくてはならなかった。

 防ぐだけの攻防が続く。

 じわじわと心の気力と気が削られて行く。

 技を知らない。

 戦いにおいて、やはり心は不利だった。

 気さえも、追い着かなくなる。

 またしても一方的な戦いになった。

 行斗の気に、技に翻弄される時間が流れる。

 明らかに、対応が遅れ出した瞬間、庭先の茂みに投げ飛ばされた。

 一本の木に引っかかり、間一髪崖下へ落下する事は免れる。

 庭に這い上がった。

 行斗が迫る。

 気を整えようと、心は庭石の後ろに飛び込んだ。

 構わず行斗は進んできだ。庭石に触れる。と、石が割れた。

 驚愕する間もなく、今度は樹の後ろに隠れた。その樹が、根本から二つに折れた。

 力も技も、気さえも太刀打ちできない。

 全ての選択肢を絶たれ、心は佇む他なかった。

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