第五章 (弐)
「ここまでですか」
行斗が言った。
「ここまでですね」
恐怖が言った。
「終わりにしましょう」
絶望が言った。
「……まだだ」
行斗は歓喜の表情を浮かべた。
「やはりあなたも見たいのですね、人の次が」
「違う……」
「何が違うと言うのです」
行斗は笑った、歓喜の笑いだった。
「求めずにはいられない、あるがままでは満足できない、死を賭してでも辿り着きたい」
笑いながら、絶望が近づいてくる。
絶対的な圧力に、地獄の底へ押し込められそうになる。
ぎりぎりの淵で、心は辛うじて踏み止まっている。
いや。
踏み止まる。
いや。
下がらない。
心は下がらない。
下がれない時がある。
できる、できないじゃあない。
訳には行かない。でもない。
男だから、女だから何て、安いものでもない。
下がれば終わる。
自分が終わる。
生存しながら死んだ存在になる。
二度と、〈人〉としては生きられない。そういう時がある。
その一線を、心は辛うじて踏み止まった。
行斗の力は余りにも強大だ。日本を飲み込む台風のようなものだ。酔螺でさえ敵うかどうか。
心はその暴風の中で吹き散らかされる、小草のようなものだった。
それほどまでに、行斗の力は絶対だった。
全身から抑えきれずに溢れ出している気の力が、湯気となって立ち昇っている。
発散されるエネルギーが、人間を軽く超えていた。
触れただけで巨木が倒れ、進むだけで地が削られる。
もはや、人ではない。
それでも。
だが、心は踏み止まった。
理由を挙げれば切りがない。
じゃあ、理由がなくなれば下がるのか?
そうじゃあない。
それでも下がれない。
そういうものがある。
人とは、そういうものだ。
幾千、幾万、の理由も、突き詰めればないのと同じだ。
何もない。
でも下がれない。
生き死にの話じゃあない。
人は、生きたら死ぬ。同じだ、その他の動物と、同じだ。
真理の話じゃあない。
人の話だ。
人によって千差万別。
人間によって違う、理由のないものが、この地上には数十億ある。
その中で、人足りえる者が一握りいる。
生きているだけでは満足できない、人が。
食って寝て家族を養うだけでは満足できない人が。
求めずにはいられない、人が。
前に進む衝動を抱えた、人が。
「だから、あなたはそこにいるのでしょう」
行斗の顔が吊り上る。
「功宝が欲しいのでしょう」
恐い歓喜が、行斗の姿で言った。
「いいですよ」
「何が……」
「あなたも来ればいい」
どこへ来いと言うのか。
「人の次にくるものが、何であるのかが分かる、こちら側へ」
ひゅうー、と言う呼気が行斗の口から漏れてきた。
心の毛穴と言う毛穴がざわついた。
行斗の変貌が始まった。
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