第二章 (柒)

 心は愕然とした。

 何で分かったんだ!?

 知られた。

 嫌悪、羞恥、不安。

 複雑で暗い思いに、心の顔が歪む。

 心の性染色体には男女のDNAが微妙に入り混じっている。

 基本的には男だが、体毛が薄い、声が若干高いなど微かだが女性よりのところがある。

 それ故に、小さな頃に苦々しい経験を幾つも経てきた。

 特に大学病院では検査と称し、体中を弄繰り回されたのは、拷問以外の何ものでもなかった。今でも病院と聞くと、石の一つも投げ込みたくなる。

 だがそんな心の心情など意に解さず、行斗は突然当身を放った。

 軽く突いただけに見えた当身は、だが心を十メートルもふっ飛ばした。

 脳天から足先にまで衝撃が突き抜け、大の字に倒れた心は、指一本動かせなくなってしまった。

 ゆっくりと行斗が近づいてくる。

 悪魔がいたら、多分こんな姿に違いない。

 心は諦めた。

 こうなったら、行斗が満足するまでなぶられるしかない。

 見下ろす行斗の顔に、初めて微かな怒りの色が浮かぶ。

「死はないと思っていますね」

 声が平坦になった。

 同時に堂の空気が変わった。

「私があなたを殺さないと、何を確信しているのですか」

 堂の空気が恐くなっていた。

「あなたが思っている事は、あなたが思っている事に過ぎません」

 まさか。と、心はまだ心の片隅で思おうとしていた。

「あなたが思っている以上に、合法的に人は殺せます」

 いくら何でも、行き成り人殺しまではすまい。と、自分の心を誤魔化そうとした。

「あなたが見て聞いて知っている常識だけで、この世は出来上がっている訳ではありません」

 第一、死体はどうする!?

「あなたは何を経験してきましたか」

「……」

 問い掛けてくる行斗の顔、その美しかった顔が、目じり、口元、耳までが吊り上っているように見えた。人の表情ではあり得ない。

 恐怖で気が遠くなりそうだった。

 行斗は、心の顔を覗き込むような姿勢を取ると、その耳の横に掌を置いた。

 途端に板間が砕け散った。

 心の顔の横に、冗談のような大穴が開いていた。もう、青ざめる事もできなかった。

「座興です」

 とても、冗談とは思えなかった。

 心は失神さえ許されずに、動けないままでいた。

 無意識の気功で、意識だけは回復してくる。

 それが逆に忌まわしかった。

 もう真っ平だ、何でも良いからここから逃げ出したい。

「一つ、取引をしましょう」

 分かった。何でも約束する。

「功宝について分かった事があったら、全て教えて下さい」

 くそっ、実質脅迫じゃねーか。

 心は再度、声には出さず毒づいた。

「見返りに、師匠について一つお教えしましょう」

 乾いた笑いを浮かべると、行斗は言った。

先々酔螺さきざきすいらよわい百八十歳の、化け物です。お気をつけて」


 化け物は、奴の方だ!

 逃げるように、堂から飛び出した心は、学園の駐輪場から自転車を引っ張り出すと、そのままの勢いで自宅のマンションに帰った。

 ――師匠が百八十歳!?

 人間が百八十年も生きられる訳がない。酔螺の若々しい姿の記憶が一層否定させる。

 しかし。

 確信が揺らぐ。こうだと思っていた常識が揺らぐ。

 信じられない力量。

 信じられない感覚。

 それを目の当たりにして。

 恐怖があった。

 不安が。

 が、同時に、期待があった。

 自分は喜んでいるのか?

 戦慄しおののきながら、しかし確かな喜びがある。

 何かがある。

 そう、何かがあるのだ。

 今時自分のいる世界には。

 ないと思っていただけだった。

 あるいは、そう思わされていただけだった。

 目の前に踊る平板な情報の羅列に意識を囚われ、実感しようすることを疎にしていた。

 実感する現実の世界は、意識の世界よりはるかに巨大で、深かった。


 ――功宝か、面白い。


 心は、一生の関りになりそうな予感で身震いした。

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