第二章 (伍)

 質問の形で言ってはいるが、明らかに強要だった。

「実践の経験何て、ありませんよ」

 それでも、一応はじたばたしてみる。

「まさか」

 行斗は一笑に付した。

 ただし、目は笑っていない。

 恐い笑い方だった。

 いくらなんでも、行き成り半殺しにはされまい。

 心はそう思って対峙した。

 靴下を脱いで床に立つと、ひんやりした板の感触が這い上がってきた。

 足の指先に力が入り辛くて、動きにくい。

 市街地から離れ、高地にあるせいだけだろうか。

「さすがに、良い立ち方をしています」

 そう言う行斗に、初めて経験する違和感を覚えた。

 心を見る目が、今までに見た事のないものに変わっていた。

 瞳が全く動かない。

 心の胸の辺りを見ているが、見ていない。

 姿形以外の何かを見ている。

 見開き、炯と光る目からは、いかなる人の感情も読み取れなかった。

 違う生き物、それも肉食の猛獣に見つめられているような錯覚に陥る。

 いやな汗が滴ってきた。

 いつでもたがを外して行動できる。

 そんな雰囲気があった。

 行斗について、幾つもの噂がある事を心は思い出した。

〈何人もの武術家が再起不能にされたらしい〉

〈何人もの敵対者が、行方不明になっているらしい〉

 自分と歳も体格もそうは変わらない、この上級生が。

 噂は誇大になるもの。

 そう思っていた。

 思っていたが……。

 僅かな疑念、注意の拡散。

 気がつくと、行斗が目の前にいた。

 まるで、始めからそこにいたかのように。

「!?」

 驚き、重心が浮いた。

 そこを、とん、と軽く胸を突かれて心は尻餅をついた。

「どうしました、注意力が散漫ですよ」

 動きが全く分からなかった。

 見てはいたのだ。

 瞬間移動したとしか思えなかった。

「目を覚まさせて上げましょう」

 手を引かれた。

 その時。

 堂の景色が高速で流れた。

 それが止まったと同時に、背中一面に衝撃が突き抜けた。

 息が詰まり、背筋が強張って海老反りになる。

 床を転げ回って、息ができるようになった後に、心には初めて自分が投げられた事が分かった。

 顔を上げ、抗議の声を上げようとして、だが心はできなかった。

 何の変化も、行斗は見せなかったからだ。

 炯と光る目だけが、自分を見下ろしている。

 無表情とは違う。

 ただ、それがどういう感情を表しているのか、心には分からなかった。

 喜怒哀楽以外の表情を、行斗は浮かべていた。

 それが、変わらない。

 行斗は、痛みに転げ回る人間を観ても何の感情の揺らぎも見せなかった。

 当たり前の事を当たり前のように行った。

 そんな雰囲気だけが、何とか読み取れるだけだった。

「立ちなさい」

 行斗が近づいてくる。

 立ち上がりかけたところで、投げられた。

「やけに重いですね」

 投げられる。

 投げられる。

 投げられる。

 投げられる。

 立った瞬間に投げられ。

 座っていれば投げられまいと立ち上がらずにいれば、座った姿勢で投げられる。

 寝ていてさえも、間接を支点にひっくり返されるようにして投げられた。

 ふらつく意識の中で、心は愕然となっていた。

 自分の意思が通用しない。

 そう。

 始めての経験だった。

 自分以外の何者かに、自分の行動を支配される。

 屈辱だった。

 その屈辱の奥に、恐怖があった。

 その恐怖の中に、衝動が隠れていた。

 その衝動の正体を探って、それが歓喜だと分かった時、気がふれたのではないかと、心は自分を疑った。

 こんな事があるのか。

 こんな事ができるのか。

 技が。

 人が。

「あなたは、自分の体の重さに気づいていますか」

 心はへとへとになって倒れながら、それでも行斗が何を言っているのかが気になった。

 こいつは、何を知っていると言うのか。何を見通していると言うのか。

「長年の気功法による体の充実は相当なものです。後は技を覚えれば、町道場の師範クラスの実力は直ぐに得られるでしょう」

 そっちの答えはどうでもいい。

「……興味、ない」

 心は、ぜえぜえと喘ぎながらも落胆した。

「やはり、あなたは面白い。強さに興味がないようですね。いや……」

 ついっと、行斗の口の端が持ち上がった。

 始めて、心にも分かる感情を浮かべた。

「なるほど、得難い資質です」

 行斗を見上げながら、〈達人〉と言う言葉が心の頭をよぎる。

 この歳で?

 いや、紛れもない。

 達人。

 しかも、やばい方の。

 達人にありがちな、性格破綻者。

 いや、違う。

 人の形をした、別のもの。

 目の前に立っているのは、そう言うものだ。

「では、あなたが興味を持ちそうな話をしましょう」

 行斗は心を見下ろしながら、その場に座した。

「気功には、その大元になるものがあります。三世紀頃の文献、〈浄明宗教録〉や〈抱朴子〉などに詳細が書かれる前、新石器時代末の壺に〈亀の呼吸〉として既に描かれていました」

 目を閉じ、瞑想でも始めたように、行斗は語り続けた。

 気功は四千年以上の昔に、すでにその原型が出来上がっていたと言う。

「気功と言う名称は五十年程前につけられたものですが、数千年にも及ぶ時間と人々によって、医療、健康法、武術、瞑想、様々な進化を遂げています」

 が、と行斗は付け加えた。その始まりを知る者は誰もいない、と。

「最近、それらよりも更に古い資料が発見されました」

 半瞬の沈黙。

「それを調べれば分かるかも知れません。気功の原型は何処からもたらされたのか、そして」

 行斗が閉じた目を開いて、再び心を見下ろした。

「気功の真の目的は何なのか」

 真の目的?

 何だそれは。

 そんなものが、いや在るかも知れない。

 何の目的もない技が、数千年も伝えられる訳はない。

「発見されたものがどういう物で、何が記されていたのかは分かっていません。

 ただ、現地の人々が言っていたそうです。功宝が盗まれた、と」



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