第1章 カンタロスの女神(1)

 第二次・北部戦争の勃発。

 この戦争が始まったのは、自分が七歳の頃だったと微かながら記憶している。


 当時、既に超大国となっていた共和制キルバレスにとって、最大にして最後の対立軸であった《北部連合カルメシア》との戦いは、この世界の歴史史上もっとも苛烈な死闘の末に、六年もの歳月をかけ、北部連合内で中心国であったメルキア国の降伏を機に[休戦協定]という形でその幕を閉じた。 


 それから数ヶ月後……自分が、まだ十三歳だった頃。首都キルバレスにある《最高評議会議事堂パレスハレス》にて、凱旋する憧れの若き英雄カリエン・ロイフォート・フォスターその人を、自分は遠目にもこの目で直に確かめ見て、眩しいほどに輝くその英雄の面影を脳裏に焼き付けた。

 大人達は、勝利の美酒に酔いしれ心躍り、自分の父親や、多くの大人たちからの暖かな大歓声と拍手の中。その人は、満面の笑みを浮かべたまま軽くこちらへ手を振り、新たなこの国の英雄将軍として迎え入れられたのだ。

 その様子は、実に輝かしい光景で、新たな時代の幕開けを、子供心にも予感させるほどだったのを今でもよく覚えている。


 時は過ぎ……あれから六年後、そんな自分も今では十九歳となった。

 あんなにも元気だった父親は、三年も前に軍事物資を運ぶ途中で、敵国の夜襲に遭って死に。他に頼る身寄りが居ない自分は、生活困窮の末、セントラル科学アカデミーを中退。

 仕方なく、生活費を得るため、軍人となって今では此処にいる。

 此処というのは、つまり、共和制キルバレスの首都キルバレスにある最高評議会議事堂 パレスハレス内部。


 子供の頃、此処はただただ憧れの対象で、遠目に見つめ羨望するしかなかった。それが今や、巨大な建屋の内側に、こうして当然のように立って居るんだ。

 壮大にして、華麗なこの五階建ての半円形型をした大建造物は、この国を象徴する代表建築物であり。同時に、この国の政治を動かす中心地でもある。

 その中で、今は思いがけず、自分は働いている。


 やれやれ……つくづく、人生というやつは、何が起こるか最後まで解らないものだね? 天国に居るあの父が聞けば、きっと目を見開いて、驚いたことだろうさ。ハハ♪


 そうそう、ここには同時に《建国の祖》と呼ばれる偉大な方がおられる。

 年の頃は六十歳手前で、まるで鷹の様に鋭い眼光を見せるこの御方の名前は、カルロス・アナズウェル。

 現・《科学者会》の最高責任者で、最高評議会への参加権を有する元老員の一人だ。

 

 そのカルロス技師長は、意外なことだけど。決して、裕福な家の生まれではなかった。いや、むしろ貧しい農家の三男で、苦労人ですらある。

 実をいうと、自分もそのことを知ったのは、つい最近のことなんだ。


 不思議なことに、カルロス技師長と自分は同じ様な人生経験、接点といえるものがとても多いので驚かされた。

 もっとも、片方は建国の功労者。それに比べたら、今ココに居るボクなんて……。未だ、落ちこぼれた軍人の一人に過ぎない。

 まったく、随分な違いだね。


 そんな建国の祖、カルロス技師長の半生をこれから手短に語りたいと思う。少しばかり自分に付き合い、聞いては頂けないだろうか?


 幼少時代の彼カルロス技師長は、実の父親をも困らせるほどの大変なイタズラ好きで、よくそれで怒られることもしばしばであったそうだ。しかし時折、他の者には無い才能を見せる幼少時代の彼……カルロス少年に対し。彼の父親はその可能性をいつしか見出し、無理をして、少ない手元の財産までも売り払い彼に学問への道・機会を与えたのだという。

 そんな父親の期待に応え、やがて成人したカルロス青年は、その父親の為にと、それまでなかった軽くて丈夫な農機具を世に生み出しプレゼントした。

 彼の父親はそのことに対し、とても大喜びしたと聞く。

 間もなく、とある商家の娘と結婚をし、二人の間には元気な男の子も生まれた。カルロスもその父親も、幸せの絶頂を肌に感じ、「幾久しくこの様な日々が続けば……」と切に願う中、彼カルロスの父親は敢え無く他界する──。


 それは……共和制キルバレスが大国となる、二十年も前。そして、彼がまだ二十七歳の出来事だったそうだ。


 それ以後のカルロス技師長は、なおさら研究ばかりに没頭し始める様になっていったのだという。それはまるで、父親を亡くした悲しみから逃れるかの様に……。

 妻とは、その頃から度々口論をする様になり。やがて一人息子を連れて、家を出てゆく──。


 この時、カルロス三十一歳。


 この頃のキルバレスは、まだ小さな都市国家の一つに過ぎなかったらしいが。その急速な発展振りは、実に目覚ましいものがあった。

 もちろん自分はまだこの時、生まれてもいない。

 そんな中、彼カルロス技師長が次々と生み出した軽くて丈夫な農機具は、この都市国家の国力を上げ。光無き所に光を生み出した、新たな《コークス》という名のエネルギー源の発見とその力は、この国をより豊かにし、生産力をも上げてゆく。

 やがて軽くて丈夫だった農機具は、軽くて丈夫な《剣》と《盾》にその姿を変え。一つの小さな都市国家に過ぎなかったキルバレスは、そうして周辺諸国をもたちまちの内にその武力によって呑み込んでゆき。その名も《共和制キルバレス》と改め、大国の一員となり肩を並べるに至る。


 この時──カルロス三十六歳。


 彼カルロス技師長が《建国の祖》と呼ばれる所以は、ここまでの功績にあったのだという。

 でも技師長は、最高評議会内での発言でこんなことも言っている。



『国の力が増せば、自分たちの生活は守られる。しかし、過度な力は時として、使い方を誤り。結果として、危険を呼び覚ます場合もある……』



 周辺国との商圏的摩擦、軍事力を背景とした強硬なる外交政策の末に巻き起こる、小競り合い。そうして間もなく、《第一次・北部戦争》が勃発した。


 カナンサリファ国、コーデリア国との八年もの長きに渡る戦争の幕開けで、これが共和制キルバレスとしては初めて体験する大戦であった。

 もしかするとカルロス技師長は独り、この可能性にいち早く気づき、そのことを懸念しての発言だったのかもしれない。


 そうした国の大事となるこの時期に何を考えたのか、うちの両親は結婚をし。自分はこの三年後に生まれた。

 そして僅かその二年後に、流行病で母は倒れ、そのまま他界する。

 父はそれでしばらく荒れていたと聞くが、息子である自分を立派な子に育てるが為に、「懸命になって働いたんだぞ!」と本人は自慢げによく言う……だけど、いつも笑いながらだったから、実に疑わしい限りなんだけどね?

 そうした中、激闘の末。この二大国に対し、キルバレスは勝利し勢力下に置いた。


 多くの血を流し、戦争に対し否定的な意見も出る中。しかし、当時の人々はその勝利後の甘美な美酒・経済的豊かさの前に心は揺れ動き、遂にはその利益の前に心は屈し、『他人のことぞ』とばかりに見て知らぬふりをして利だけを得ていた、というのが自分の父親の口癖で、見解だったのをよく覚えている。



「いいかぁ、アヴァイン。そうした生き方をした者は、いつか痛い目に遭うからな。よ~く覚えておけよ」

「え? ……意味わかんないよ、父さん。それ、どういう意味さ?」


「ハハ。意味なんてモンはなぁ、まだ解らなくていいんだ。大事なのはな、道理だ」

「どう……り?」


「物事の本質を見抜く、力のことだよ!」



 父はたまに思いつきで変わったことを言う人だったが、何故かこの時の会話だけは、鮮明に今でもよく覚えている。

 この時に限って、珍しくまともそうなことを言っていた気がするので、それで不思議と記憶に残っていたのかもしれないけどね? もっとも、当時の自分には今ひとつ理解できず、ただただ肩を竦めながら首を傾げるばかりだったのだが。


 それから僅か二年後、意外な形で第二次・北部戦争は勃発する。これが冒頭でも語った、《北部連合カルメシア》との戦いになる。

 父の予言は、ある意味で的中したと言えるのか?

 しかし、キルバレスとしてはこの戦争に対し、国内外に示す大義名文があったのだという。


 端からこちら側に対して、敵意むき出しに組織化されたカルメシア連合へ対する宣戦布告には、共和制キルバレスの最高評議会内で賛成多数により、即日・可決されていたからだ。

 その後、メルキア国陥落後に締結される[休戦協定]まで、六年もの長き年月がかかる。同時にその間、多くの血が流れ続けた。


 結果だけでみれば、キルバレスの大勝利だ。

 が、自分の父からすれば『これは最悪の中に唯一残されていた、名も無き小さな《幸い》という名の花を摘んでくれた結果だよ!』という。

 現地で比類無き功績を上げ続けていたフォスター将軍の取り計らいにより、一部では泥沼化すると囁かれていた北部との戦争が、奇跡的停戦交渉の末に、終わりを告げたからだ。だから自分の父親は、知らない人が聞けば呆れるほどにフォスター将軍を必要以上に褒め称える。



「彼は軍人でありながらも、《命の重み》というものが実によく解る名将の器だよ!」と。



 自分にとって、かけがえのない妻を失って間もない父からすれば、他人の命も自分の命と同様に分け隔て無く重いものとして切実に感じていたのかもしれない。

 今となっては、そのことを確認する術はないが。もしかすると……と、そう信じ。今ではそんな父を、誇りにすら感じている。


 意外な話ではあるが、カルロス技師長が最高評議会で発言したとされる議事録を指でなぞり辿りゆくと。不思議なほど、自分の父とカルロス技師長は当時、呆れるほど似たような見解をしめしていた。

 自分は、技師長と直接お会いして日も浅く、未だに知らないことが多いが。資料の中にあるカルロス技師長という人物像は、まさにそういう御方だと感じられるからだ。

 それ故に、そうして生きてきたカルロス技師長にとってみれば、『大陸のほぼ全域を制圧する』というこの歴史的大偉業を成し遂げ果たした、この結末は。しかし、皮肉にしか思えない世の流れだったのかもしれない……。事実、


『多くの犠牲の上に、この大偉業は成し得たのではないか?』

 最高評議会内で技師長が語ったこの発言は、物議を醸し出したのだという。


 これを期に、共和制キルバレスでの技師長の立場は、大きく揺らぎ始めた。そして自分はこれを期に、カルロス技師長という人の存在を知るようになった。

 そんなカルロス技師長のことをよく知らず、無闇に褒め称える者。または逆に、彼のことを同じく知らず、無闇に非難する者も同時に居たが。それらのことに対しても、技師長は不思議なほど何一つコメントを返す様な真似はしなかった。


 実に変わった御方だといえる。

 ただ淡々と……自分に与えられた職務を黙々と真摯に全うする、それのみである。

 現・《科学者会》代表・元老院などという肩書きは、まるで欲のないそんな彼カルロス技師長に対し、周りの者達が勝手に彼に与えた評価なのではないだろうか……?

 今さらだが、自分にはそう思えてしまう。


 これ程までに影響力がありながらも、自分個人に対しては、余りにも欲というものが垣間見えない。まるで彼は、聖人君主のそれである、と。

 いや、欲がなさそうに見える技師長にも、人としての欲はあったのだろう?

 周辺諸国の中で、唯一残されていた大国・北部連合カルメシアとの戦いに勝利したキルバレスにとって、これからの時代は何よりも《安定》こそが、最も国益に適う筈である。と、カルロス技師長はそう思い、そう願い信じてきたようだ。

 度々、パレスハレス内でそうした発言がされていたからね。


 しかし……依然として共和制キルバレスが支配する大陸西中央・南部地域からやや離れた北部にて君臨し続けている《北部連合カルメシア》の影響力に対し、最高評議会議事堂パレスハレス議会場内で発するカルロス技師長の反対意見など、嘲笑の内に打ち消し無視され。共和制キルバレスの最高評議会はカルメシアに対し、再び、宣戦布告が正式可決された。


 第三次・北部戦争の勃発である。


 自分は不運にも、この戦争が始まる三年ほど前に、軍人となっていた……。


「父親が死に、金もなく、生活が困窮しているんだ。仕方がないさ」

 この当時はまだカルロス技師長のことを知らず、ただただそうした思いでカクリと肩を竦め、よく飽きもせずため息ばかりをつき、残念がっていたものだが……。


 第一次南部戦争を経て、これが二度目の参戦となる。ところが人手不足が功を奏して、なんと幸運にも、フォスター将軍配下として小隊の指揮を任されて挑むことに決まったのだから、人生ってやつは最後まで油断が出来ないものだね。

 つまり、出世のチャンスは向こうの方から勝手にやってきたんだ。

 そのチャンスにいち早く気づき、それを掴むも逃すも、その者の力量次第となるそうだが……どうやら幸いにも、自分は運が良かったらしいね?

 僅か一年と経たないうちに、意外なほど脆くも北部連合カルメシアは瓦解、滅亡の道を辿りゆく。こうして共和制キルバレスは、大陸北部全域を新たな支配下に治め平定したのだ。

 のちにこれが、《共和制キルバレス全盛時代》と呼ばれるようになる。


 だが、国民の多くがそうした時代の到来に酔いしれ浮かれる中。失意の面持ちで最高評議会議事堂パレスハレス内を歩き、この私の横を通り過ぎるカルロス技師長に対し、一人の美しき女性記者が素早く駆け寄り、この様に問い詰めていた。


「カルロス技師長! また戦争が始まる、というのは本当でしょうか!? 自然を壊し、人を殺し、それで更に何を得ようというのか──コメント願います!」


 実は丁度この日、最高評議会内で再び。南東部への侵攻に関する軍事的な議題が持ち上がっていた。まだ表には出ていない情報である筈なのに、この女性記者は驚くほどに耳が早いので思わず感心させられる。


 ところが当の技師長はそんな彼女を見つめ、目を細目、ため息と共に肩を竦め口を開いていた。


「いや、ワシはなぁ……。ワシはただのぅ、君たちが住みよく生活する為に。そして、誰しもが同じ条件で出来得る限り幸せになってほしいが為に。これまで多くのモノを犠牲にして生きて来たつもりじゃよ。決して、他意はない」

「なにを自分に都合のいいことを……後悔くらい、カルロス技師長。アナタにだってあるでしょう? 違いますか」


 その女性の態度は、まるで『これこそが唯一の正論である』とでも言いたげな、それで。技師長のこれまでの人生をまるで、何一つ認めることもなく、全否定するかのような印象を与えるものであった。

 『力ある者に敢えて挑む』、この頃のキルバレス国内では、こうした傾向がまるで流行ごとのようによく見受けられていた。


 今カルロス技師長の目の前に立つ若く美しき見目の女性もまた、そうした流行の渦の中にただ身を寄せる者の一人に過ぎないのだろうが……。そんな凄然として眼冷ややかな彼女の態度が、この時のカルロス技師長の心情をたちまち激高させてゆくのを感じた。

 そしてどうやらそれこそが、彼女の望む展開でもあったようだ。


 研究者としてのカルロス技師長は優秀かも知れないが、ジャーナリズムに疎い技師長など、この時の彼女からすれば、実に扱いの良い道化でしかなかったのだろうね?

 余り認めたくはないが、一流の言論者としては、自分の感情をコントロール出来なければ、途端に負けで敗者となるのが常なのだから……。


 しかし、それでもこの時の技師長は、ただただその時に感じた直情的な思いもそのままに、これまで自分が信じ歩み生きて来た道を、実に簡素なほど簡潔に、まるで迷いもなくその相手である女性に対し強くぶつけていた。


「後悔? それに対しては、後悔など何もないな」

「後悔が、無い? この国は再び、自然を破壊そうとし。侵略により、更に国土を無用に広げている。その為に犠牲となる、人々……なのにアナタは、その当事者でありながら『後悔が無い』というのですか?

腐っていますね。アナタたちは!」


「──!!」

 その後、カルロス技師長は感情に任せ。上から目線さながらにそう言い切った女性に対し、吠え・叫び・懸命に自分の思いを訴えながら。気が付けば、首根っこから相手を掴み上げ、押し倒し、殴り掛かろうとさえしていた。

 そんな技師長を、私を含む周りに居た《科学者会》の者や評議会議員・警備関係者など十数名が驚き一斉に取り押さえ、事件は終わる──。


 技師長はその後、最高評議会での議決により、三年間の謹慎処分となった。



 その後……カルロス技師長本人は当事者としての責務を果たそうと心に決め、この現状の改善に努力しようと努めていたらしい。

 しかし、《科学者会》や《最高評議会》はそんな彼を謹慎処分とすることで、世間からの風を少しでも和らげようと考えたようだ。


 それから数日後、そんな技師長の元へ一人の男が訪ねてきた。謹慎処分とはなったが、ここで研究を続けていく分には構わない、という特例があったからだ。評議会としては、それでも彼の能力だけは〝必要〟と考えての判断だったのだろうね?

 カルロス技師長もまた、その様な国の都合をひょうひょうと上手いこと利用していた。


 実に大した御方だよ。


 話によると、訪ねて来たのは同じ《科学者会》元老員の一人であるグレイン・バルチス技師だということだ。カルロス技師長と同じく五十七歳にもなる御方だ。

 科学者会でカルロス技師長に代わり多く代弁し、実務的にも最高評議会議場内にてその存在感は絶大で、彼グレインは技師長と並び、この国で影響力のある大人物の一人であった。



「やあ、カルロス。少しいいかな?」

 満面の笑みでそう言った彼は、カルロス技師長とは古くからの知り合いだとも聞いている。そして、技師長と気持ちを同じくし、科学者会でも数少ない友の一人なのだそうだ。


「おお、グレインか! ああ、もちろんだよ。今、コーヒーでも淹れよう」

 カルロス技師長は、その友人を快く迎え入れた。



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