第25話 魔法の果実を、召し上がれっ!(中編)


「行くわよダキニッ! プランB!」

 私は叫ぶと同時に杖を取り出し魔力を込める。精度の高い私の新しい相棒は、私の魔力をあっという間に炎の槍に変える。


「行ってっ!」

「はいっ!」

 私の掛け声で大型ドラゴンへと弾丸のように突っ込んでいくダキニ。地面すれすれの低い姿勢で、魔力を爆発させながら駆けていく。


 魔力消費も結構なものだが、魔力ドリンクでフルチャージした今の私にはこれくらいどうってことない。


「いけえっ!」

 ダキニが急接近していく真上を通過させるように、杖を突き出し炎の槍を放つ。ダキニよりも速く、文字通り矢のように飛んでいく。


 ドラゴンは回避するでもなく真正面からその槍を受けた。顔面に炎が迸り、早速大ダメージを与えた、かに見えたが……。


「こいつも魔法無効化っ!?」

 直撃と同時に霧散する炎の槍。触れた途端にあの小型ドラゴンと同じように私の魔法を無効化した。


「はあっ!!」

 だが元々プランBはこれでいいのだ。

 鋭い声と同時にダキニの凄まじい威力の蹴りが、ドラゴンの顔面を横から直撃した。

 私の魔法で相手の注意を奪い、その隙にダキニを接近させる。プランBとはその為の作戦なのだ。


 ダキニは確かに強くて凄まじいが、こと戦いで弱点があるとすれば、魔法使いでありながら接近戦しか出来ない事だ。


 薫さんとの戦いでもそうだったが、ダキニは基本殴る蹴るしか攻撃手段が無い。なので遠距離を主体とする魔法使い達にとっては格好の獲物なのだ。

 勿論ダキニのスピードならば隙をついて接近する事も可能なのだが、薫さんとの戦いでは多彩な遠距離魔法に翻弄されていたのも事実。もしダキニが簡単に接近出来たなら、もっと有利に戦えたはずだ。


 そこで編み出したのがこのプランB。ダキニが遠距離魔法を使えない分を、私が補うのだ。


「うしっ! 直撃っ!!」

 ダキニの蹴りが完璧に入ったのを見て私は叫ぶ。魔法は無効化されたけれど、注意は十分に引けた。ダキニさえ接近出来れば、あとはこっちの……。


「ッ!?」

 ダキニは一撃入れた姿勢から素早く飛び退いていた。そして飛び退くとほぼ同時にダキニのいた位置にドラゴンの巨大な杭のような角が突き刺さっていた。


「あ……」

 私が突然の出来事に驚く暇もなく、二撃、三撃と杭が撃ち込まれていく。凄まじい速さで、私の目ではもはや捉えることすら出来ない動きで。


「ダキニっ!!」

 たまらず叫ぶも、ダキニはその俊敏さで全ての攻撃をかわしていく。飛び退き、体を捻り、あらゆる攻撃にも触れることを許さない。


「マスター!!」

 ダキニの叫びに私も我に返り、再び炎の槍を作り出す。その間にも次々と杭が打ち出され、ダキニはすんでの所で全て躱す。


「いけえっ!!」

 炎の槍を、今度は翼に向けて放つ。直撃するもまたしてもすぐに立ち消える。

「はああああっ!!」

 だが、魔法を無効化されても一瞬隙が出来ることは出来るようで、ダキニは渾身の気合を込めて顔面に拳を放つ。続けて今度は下から首、顎を一撃ずつ両足で蹴りあげ、その勢いを利用して飛び退き翼にも一撃蹴りをお見舞いする。


 ダキニの怒涛の連撃。しかし、ドラゴンはひるむ素振りすら見せなかった。再び飛び退くダキニに執拗に迫り、その杭を突き立てる。


「マスター! プランCを!」

「えっ!?」

 ダキニの叫びに私は一瞬虚を突かれた。プランCはいわゆる変化球で、逃げ回る相手や隠れる敵を追いつめるための作戦だ。あのデカブツに通用するとは思えないけれど……。


 いや、考えている暇はない。


「それっ!」

 私はすぐさま両手を真上にかざし、作り出せるだけの火の玉を出し、それを全て大型ドラゴンの頭上に飛ばした。ドラゴンはそれに気づくも、脅威では無いと判断したのかダキニへの攻めを続ける。実際魔法を無力化するのならば効果は無い筈なのだが。


「いくわよっ! 乱れうちっ!!」

 空中で静止させていた無数の火の玉を、雨のように降らせていく。ひとつひとつの火の玉の威力は小さいが、相手の足を止めるためには絶好の技だ。


 欠点はうちの芝生を燃やして火事にしてしまう事だが、あのデカブツにぶつけているため全て掻き消えてしまう。これはいいのか悪いのか分からないわね。


 降り注ぐ火の玉の雨あられ。ひとつひとつが眩しく光り、目がくらむような光景を作り出す。当然のようにドラゴンはひるまないが、ダキニはその火の雨に乗じて、いつの間にかドラゴンから姿をくらませていた。


「えっ!?」

 私の視界ですらダキニがどこに行ったか捉えられず、ダキニの視点も何故か真っ暗。ダキニがどこに消えたのかと目を凝らそうとして、ドラゴンからどずん、ととてつもなく重い音が響く。


「あああああああああっ!!」

 続いて聞こえる、岩盤を突き崩すような轟音。ドラゴンの真下から、ダキニが拳を上に向かって突き上げていた。


「あああああああああああああああああああっ!!」

 音が加速し、無数の拳がドラゴンの腹に打ち込まれていく。ダキニの得意技。あのめちゃくちゃに何発も殴り続ける必殺技がさく裂していた。


「おおっ! やったあっ!」

 私は歓声を上げる。ダキニは私の魔法を利用してドラゴンの腹に潜り込んだことで、あの巨大な杭から逃れつつ、強力な攻撃を見舞える位置を手にしたのだ。

 あそこからなら、もうこっちのやりたい放題だ。


「いけええっ!!」

 ダキニの拳の連打に、ドラゴンが体を浮かせ始めた。あの巨体が徐々に徐々に持ち上げられていく。凄まじいまでの拳の破壊力だった。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 ダキニが雄たけびをあげ、拳がさらに加速すると、私の体の中の魔力もごりごりと削られていく。ダキニも本気なのだろう、半端じゃない魔力消費に不安も覚えるが、補充した分を考えればまだ耐えられる筈。


 そう、きっともう少しであのドラゴンを……。


「ッ!? ダキニ駄目っ!!」

 私の叫びと同時。ダキニの視界で、ドラゴンがこちらを見つめていた。むき出しになった巨大で石臼のような歯、爬虫類を思わせる瞳。赤黒く、血がうっ血したような顔。


 それはまるで死神のような、悪魔のような相貌。


「ぐぁっ!?」

 ダキニから、聞いたことも無いような叫び声。ダキニの視界でもとらえきれないような速さで、ダキニのいた場所を杭が一閃していた。


「ダキニっ!?」

 私はたまらず叫ぶ。あのドラゴンは、空中に持ち上げられた姿勢から、何と空中で前転して一回転。その凶悪な杭を腹の下にいたダキニに振りかざしたのだ。


「ッ!!」

 再び地に足を付けたドラゴンからの追撃に、今度は大きく飛び退き杭が空を切る。ダキニは一旦ドラゴンと距離を取って向かい合った。


「ダキニッ! 大丈夫っ!?」

 私はダキニに向かって叫ぶと、ダキニはいつもの余裕そうな笑みを浮かべた。


 だが先ほどの空中前転からの攻撃で、ダキニは右の太ももから出血する怪我を負っていた。袴も破れ、綺麗な太ももをまくらせ……傷がどれくらい深いかは分からないが、痛ましい手傷を負わされていたのは事実。


「どうやら、とんでもない手合いのようですね」

 ダキニをしてそこまで言わしめたドラゴンは、今度は深く身を屈めるようにして構えた。


 突進してくるような体勢だ。今までよりも強力な一撃が来るとすぐに予測出来る。


「だっ、ダキニっ! 気を付けてっ!」

 ドラゴンは渾身の力を込めてダキニに突撃する。当然ダキニもそれを予測して、回避のために後ろに飛び退く。足に傷を負っていても、まだまだダキニは動けるようだった。


 だが、ドラゴンは私とダキニの意に反し、その足で滑るようにすぐブレーキをかける。地面をがりがりと削る音を立てながら、体を捻るようにして、再び力を溜め……。


 こちらを向いた。


「え?」


 ドラゴンと、目が合った。


 その瞳ははっきりと、ダキニではなく、他の誰でもない、私へと、向けられていた。


 スローモーションで映る視界。こちらに迫ってくる悪魔の形相。耳に届く、今までに聞いたことも無いダキニの叫び。私に向かってまるでこの世の終わりを目にしたみたいな感じで叫んでいた。


 ああ、これ、ダメなやつだ。


 気の早い私の脳が走馬灯を流そうとして、一応それに待ったをかけて何か助かる手立てはないかと必死に思考を巡らせるが、どう考えてもこれはダメな流れ。


 ああ、私死んだわ、これ。


 前にも一度こんな事があったような気がする。あの時は、どうなったんだっけ? 確か私が小さい方のドラゴンに襲われて、もう駄目だって思った時……。


 私は目を閉じているのに、ドラゴンが私に迫る様子が第三者の視点で映し出されている。そうだ、あの時もこうしてダキニが私の所へ駆けつけて……。


「ッ!?」


 凄まじい衝撃。


 体が何かに掴まれ、不親切なジェットコースターに無茶苦茶に揺られたような、そんなひどく不快な感じ。視点がぐるぐると回り、世界も、私の体も一緒に回る。


 しばらく眩暈がして、不意に視界が真っ暗になる。テレビをぶつりと切った時のように。


 目を閉じているのだから本来は当然なのだが、私にはそれがひどく不安に思えた。


 だってそれは、つまり……。


「マスター、大丈夫ですか?」

「あっ、ダキニ!」


 ダキニの声。私を包み込んでくれる、優しい温もり。私はそれに安心して目を見開いて。


「良かった、間一髪でしたね」

 汗だくになったダキニの顔。


 顔は笑っている。私が無事な事に心底安心したような笑顔。だが……。


「ダキニ、あんた……血が」


 その額からは今もどくどくと、真っ赤な鮮血が滴り、零れ落ちていた。


「あっ、すいません!」

「え!?」

「マスターのお召し物を汚してしまって」

「うえっ!? ってそうじゃないでしょっ!!」


 私はそんな場合じゃないのにノリツッコミをしてしまう。当の本人のダキニもボケた自覚はあるらしく、ふふっ、と冗談めかして笑った。


「かっ、からかわないでっ! 大丈夫なのっ!?」

「ええ。額はそもそも切れやすいんですよ」

 そんな事より、とダキニは自分の怪我などどうでもいい、といった風に話題を切る。


「強いうえに、悪知恵も働くようですね」

 ダキニの視線の先、私達のはるか下に、あのドラゴンがこちらを見上げている姿が見えた。


 改めて自分の状況を確認する。私はダキニにお姫様抱っこの格好で抱えられ宙に浮いていた。ダキニが飛行魔法を使っているのだ。


「さ、さっきのは私を狙ったの、よね?」

「ええ。マスターの攻撃を目障りだと思ったのか、私が身を挺して守るのが分かっていたのか、どちらかでしょうね。私に突撃してくるふりまでするとは」

 下でこちらを恨めしそうな視線で睨んでいる大型ドラゴン。追撃する手が無いのか何故かそれ以上襲ってはこないようだった。


 しかしなんてやつだろう。力が強いとか、頑丈だとかそれだけじゃない。こいつは恐らく戦うための工夫が出来るのだ。ダキニに一撃も加えられないからと、私を狙うなんて。


 これ、弱い方を狙って襲ってきた、って事よね。


「ごめん、ダキニ」


 私が、ダキニの足を引っ張ったのだ。


 今も滴る血。ぽたぽたと私のローブにかかっているそれが、じわじわと広がっていく。胸がずきずきと痛む。


「その傷、私のせいで……」

「このくらい、マスターの命と比べれば安いものです」

 ダキニはなんでもない事のようにそう言う。


「ですがマスター、今の攻防ではっきりしましたが、まともにやりあっても恐らく私達に勝ち目はありません」

「ッ!?」

 ダキニの口から白旗を揚げる声。あの勝ち気で負けず嫌いなこいつが『勝ち目がない』とはっきりと言い放った。


「ほ、本当にっ!? 本当にもう、太刀打ちできる手はないのっ!?」

「……一応、本気を出せば追い払う、もしくは行動不能に追い込むことくらいは出来ると思うのですが」

「だ、だったらまだ分からないじゃないっ! チャンスを探して、隙をついてまたあの連続パンチをお見舞いしてやれば」


「マスター、本気というのは私がここに来てから出したことのないくらいの本気です。正真正銘の私の全力を出せば、あの硬い皮膚も貫けます。ですが」


 言葉を切って、真剣な表情を浮かべるダキニ。


「その時は、マスターも吐き戻す程度では済まないでしょう」

「あ……」


 そういう事か。要は代償がいる、と。


 あいつに勝つためには、どうやらそれくらいしなければいけないらしい。


「恐らくは今のマスターでも耐えられないと思います。最悪の場合、命を落とすことになります」

 ダキニはドラゴンに目を向けたまま、淡々と言い放つ。そんなダキニを見て、私は思いを巡らせた。


 ダキニが魔力を大幅に使うと、その分の魔力が私から引き抜かれる。私は気持ち悪い感覚に襲われ吐き戻し、気絶する。あれだって決して危なくない訳ではない。意識が途切れるという事は、私の体がこれ以上耐えきれない、という事の証でもあるのだ。それ以上を引き出せばどうなるか、確かに考えたくない。


 でも、このまま戦っても勝てないかもしれないのも事実。ダキニの傷はどうやら浅いようだが、次はどうなるか分からない。また私を庇って、今度は大けがを負うかもしれない。取り返しのつかないことになるかもしれない。


 だったら……。


「ですからここは一旦引きましょう。あれをひきつけることが出来れば結果的にはお屋敷は守れます。どこかで上手くあいつの目を盗んで隠れられれば」

「……もしもの時は、本気を出しなさい」

 えっ、と声を漏らすダキニ。私はダキニの言葉を遮って、続けた。


「もしもこれ以上はうちのみんなが危ない、ってなったら、迷わず本気を出して止めて。私に構わず」

「ま、マスター! 私は決して、そういうつもりで言ったのでは」

「あいつ、悪知恵が働くでしょ? そんな子供だましな手に引っかかるとは思えないわ」


 私の指摘に、ダキニは反論しなかった。どうやらダキニも上手くいくとは思っていなかったようだ。


「最悪、あいつはうちを壊そうとしたり装果とジイヤが向かった倉庫を攻撃しかねないわ。もし、そんな事が起こりそうだったら、もう駄目だと思ったら……迷わず、やりなさい」

 私のその言葉に、ダキニはドラゴンに向けていた視線を私へと移した。


 ダキニは、私を真っ直ぐに見つめた。唇を震わせ、頬を引きつらせそうな顔をして。


 その目には、まるで火が灯ったかのような、明確な、怒りが……。


「分かりました。では、今から本気を出します」

「……へ?」


 私のマヌケな返しに構わず、ダキニは続ける。


「もうこれ以上はお屋敷の皆さんや装果さん達が危ないですね。ですから今から全力であのドラゴンを潰します。マスター、今まで短い間でしたが、ありがとうございました」

「えっ、ちょっ!? うええっ!? ちょ、待ってっ!! いきなりっ!? ま、まだっ! こ、心の準備がまだっ!! も、もうちょっと待ってっ!!」

 さっきはあんな風に啖呵を切っておきながらこれでは情けないが、いざ今から命を失うと分かれば流石に怖気づきたくもなる。というかいきなりすぎじゃないか。


「あっ、い、いや、さっきのが嘘とかそういうんじゃなくてっ! ちょ、ちょっとだけっ! ちょっとだけだからっ!!」

「マスター」


 ダキニの冷静な声、そして次の瞬間。


「失礼します」

「あがっ!?」


 ダキニの頭突きがさく裂した。


「あっつおおおおー!! い、いた、痛いじゃないっ!!」

「死ぬときはこれの何百倍も痛いですよ?」

「あっ、い、いや、その……」

 私は途端にばつが悪くなって、目を泳がせる。もはや格好がつかないどころではない。


「マスター。これは、私の我儘です。一生に一度の、お願いです」

 ダキニはそんな神妙な言い回しで、私を見た。


「な、何、よ?」

「どうか、私より先に、死なないでください」


 まるでアニメやドラマの名台詞のようなそれが、不思議と、すとんと胸の中に落ちた。


「命を賭して事を成す。聞こえは大変よろしいでしょうが、残されたものは決してそうは思いません。マスターを大事に思う人間は、一番にマスターの無事を願っています」

 ダキニの切実な言葉が、私の胸を突いてくる。


「命を守るためにご自分の命を投げ出すのは、どんな結果をもたらすにせよ、残されたものにとっては不幸でしかないのです。誰かを守るために、その命を投げ出すような真似は、絶対にやめてください」


 ダキニの顔がくしゃりと歪む。一度だけ、あの山の中で見せたダキニの弱み。


 ダキニの、過去。


「また私を、一人に、しないでください」

「ダキニ……」

「あんな思いをするのは、もう、御免です」

 ダキニは一度だけ涙ぐんだ目で私を見て、それから首を左右に振って、またいつもの顔に戻って言った。


「いざとなれば、私がどうにかします。ですからマスターは、死を選ぶより生き残る方をお選びください。マスターには、例え何があろうとも危害は加えさせません。お屋敷の皆も、この身に代えてでも守ってみせます。ですから、ご安心を」


 そう言ってほほ笑むダキニ。


 ああ、そういう事だったんだ。


 私が傷つくのを異様に恐れている訳。


 昔の思い出が関係しているのは分かっていた。いや、厳密には分かっていなかった。

 昔の思い出を引きずっているんじゃない。縛られているんだ。


 ダキニを行動させているのは、恐怖。


 思い出の中の、ダキニの言葉を借りれば、後悔。


 大切な人との別れを、何より恐れている。


「では、一旦ここから退避して誘い出してみましょう」

 ダキニの言葉から察するに、恐らくは死別だったのだろう。今度こそ守ろうと言うからには、ダキニは力及ばず、その人を守れずに死なせてしまったのだ。

 それはどれ程悔しかっただろう。私に例えるなら、ダキニや装果をあのドラゴンに食い殺されるようなものだ。


 そんな事になったら、きっと死んでも死にきれない。


「マスターの言う通り、あのドラゴンには通じないかもしれませんが、やってみるだけの価値はあります。失敗した時は、私の命を持って贖いますから」

 だからダキニのいう事も分かる。その覚悟も理解できる。ダキニの言葉一つ一つが痛ましくて、そんなダキニを愛おしく思う気持ちが募ってくる。抱きしめて、辛さを和らげてあげたくなる。


「では、行きますよマスター」

「ダキニ、顔こっちこっち」

「え?」


 だが、それよりもはるかに勝るこの感情。


「この……バッカたれがああああああああっ!!」

「ひぎゅううううっ!?」


 私は本気の本気、全力でダキニの頬を引っ張った。


「あぎっ!? まひゅっ!? うぎっ!?」

「あんったはどうしてそう馬鹿なのっ!? ほんっとうにっ!! 何度言ったら分かるのよこのバカっ!!」

 本気の怒りをむき出しにして、私は容赦なくダキニの頬を引っ張り続ける。さしものダキニも今回ばかりは私の剣幕に押されているようで、若干怯え気味の瞳がこちらを見ている。


「まひゅっ、まひゅたぁっ!?」

「私より先に死なないでくださいだぁっ!? 命を助けるために命を投げ出すなだぁっ!? ぜんっぶあんたにもまんま言い返してやるわよこのドバカがっ!!」


 ダキニの瞳が驚きに見開かれた。


「何よっ! 失敗するって分かってる作戦を実行して、失敗したら自分がどうにかする!? この身に代えても守るっ!? 私に偉そうに説教して、あんたこそ自分の命を何だと思ってるのよこのバカっ!!」

「ひゅっ、ひゅれはっ!」

「だいたい、あんたは自分を粗末にし過ぎなのよっ! 自分を盾にして、あんただけ傷ついて、それでみんな良しと出来るような人たちだと思ったの!? あんたが代わりに死んで、誰に喜んでもらうつもりだっていうのよっ!!」

「でっ、でふがっ、まふたぁだけふぁっ」

「言っておくけれど、あのデカブツを倒せたとして、あんたが死んだらあたしも後を追うわよっ!!」

「ふぁっ!?」


 ダキニは今度こそ表情を変え、私に言い返そうと抵抗する。


「ふっ、ふばけないでくぶぁふぁいっ! ふぉんなぶぁふぁなふぉふぉ!!」

「バカを言ってるのはあんただって言ってるでしょっ!! 大事に思ってるのは自分だけだと思ってんのっ!? 愛してるのはあんただけだと思ってんのっ!? あんたが傷ついて、あたしがどんだけ悲しい思いしてるか分かってんのっ!?」


 再び力を込めて頬を引っ張る。私は勢いに任せて、渾身の勇気を振り絞って叫んだ。


「私だってあんたの事が好きよっ! 大好きよっ! 愛してるわよっ!! 心の底から、あんたがいなくなったら死んじゃうって思うくらいあんたの事が愛しくて愛しくてたまらないわよっ!!」


「!!」


「だからねえっ、軽々しく犠牲になんてなるんじゃないわよっ! 私が助かったって、あんたが助かんなきゃ同じよっ! あんたの後を追って死んでやるんだからっ!! だからっ!!」


 私は頬から手を離し、そのまま、その手でダキニの体を抱きしめた。


「あんたも死なないっ、私も死なない方法を考えなさいこのバカっ!! 自分が死ぬほど悲しい思いしたんだって言うんなら、私に同じ思い味わわせないでよっ!! 代わりに、あんたにだってそんな思いは二度とさせないからっ!!」


 私はぎゅー、っと力を込める。私を抱えるダキニの手も、私を力強く抱きしめ返す。


 ああ、温かい。じわりと心の奥底まで、燃えるように熱い。


「あんたがいてくれれば、私は絶対に、死んだりしないから。だからあんたも、絶対に、何があっても、死んだりするんじゃないわよ。分かった?」

「あっ、ぐ……」

「分かったっ!?」

「ッ! は、はいっ……!」


 ダキニに半ば強引にそこまで言わせて、震えるダキニの体をもう一度慈しむようにして抱きしめる。優しく、撫でさするようにしてやると、程なくして嗚咽を漏らす声が聞こえ始めた。


 あー、また泣かせちゃった。


 さっき私も同じように自分の身を犠牲にしようとしたのに、ダキニだけ一方的に苛められたみたいで可愛そうよね、これ。


 本当に、こんな風に泣かせるつもりじゃないんだけれどなあ。


 笑っていてほしい。なんて、ちょっと流石に恥ずかしくて言えないんだけれど。


 愛してるって言っておいて今更かしら?


「ほら、ダキニ。泣かないで」

 ダキニにとって、過去は相当のトラウマなのだろう。ダキニの心にまで根付いたそれは、こんなちょっとやそっとの言葉で消せるものじゃないのも分かってる。

 でも、それでも、私のこの気持ちだって本当だ。ダキニに、ずっとそばにいて欲しい。だから、大丈夫だってずっと言って聞かせてやるのだ。ダキニがいれば私は大丈夫だ。だからあなたも、自分を犠牲にするなんて言わず、ずっと私の隣にいて欲しい。


 これからは、そう行動で示していこう。頑固なこいつが納得するまで。


「すっ……すみま、せん」

 喉を鳴らして私の肩に顔を埋めるようにするダキニ。いつもはクールなくせに、一度決壊するとこれが結構甘えん坊な感じになるんだから。いや、そういう所も好きだけれどね。


「あー……それにしても、今更だけれど」

 私はダキニによしよしをしながら、下を見た。


 下では、変わらずあの大型ドラゴンがこちらを見上げていた。


 いや、ただ見上げているだけだった、といったほうがいいのか。


「あいつ、地上にいた時は本当に休む暇もないくらい攻めてきてたのに、空中に逃げた途端に何もしてこなくなっちゃったわね。今私達、隙だらけよね?」

 私は半ば呆気にとられるような思いでそう言った。空中にいたら手出しできない、なんてことは無い筈だ。だってこいつ飛んできたんだし。


「も、元々が大人しい種類だからでしょう。本来は温厚な性格だと、本にも、ありましたので」

「へえー、そんな風には見えない……って、あんた! あいつのこと知ってるの!?」

 私は驚いて未だ肩に顔を埋め続けているダキニに聞き返す。


「はい、本で読みました。あのドラゴンは大戦期の使い魔兵器の唯一の成功例と言われるドラゴンで、名を……確かオークマハトと呼ぶようです」

「お、オーク……いかにも凶悪で悪魔みたいな感じの名前ね」

「いえ、先ほども言ったように性格は温厚です。オークという名は『樫』を意味するようで、樫の葉が好物だったためにその名がついたのだとか」

「えっ!? 何、あいつ草食!? あんななりで!?」


 私は改めて下の悪魔みたいな顔したドラゴンを見つめるが、どう考えても納得がいかない。地獄で人間を食べているとか言われたほうが納得がいく容姿だ。


「正確には草食寄りの雑食です。果物や虫、動物の肉も一応食べられるようです」

「何というか、見た目を裏切る……ん?」


 私はそれを聞いて、ふとある考えが頭をよぎった。


「ねえ、それって、うちの梨も食べるかな?」

「それはどうで……まさか、マスター」

 ダキニははっとしたようにようやく顔をあげて私を見た。泣きはらした後みたいに目の周りと頬が赤い。


 そんな乙女な見た目になってしまったダキニに、私はにやりと微笑み返す。


「いい作戦だと思わない?」

「それは……ふふっ、まさかそんな手を思いつくとは」

 ダキニもそれが心底おかしいといった風に、子供みたいな笑みを浮かべた。


「味わってもらいましょう。私たちで育てた、とびっきりの味をっ!」


 私は高らかにそう宣言する。


 さあ、ここから反撃開始だ!

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