第24話 魔法の果実を、召し上がれっ!(前編)


 お嬢様とダキニさんを背にして、私は走り出した。


 二人にばかり頼ってはいられない。こんな時こそ、私も頑張らなければ。


 宗谷さん達を、助けなければ。


 そんな思いが今の私を突き動かしていた。


「装果さん。一応、角では向こう側を確認していきましょう。いくら安全と太鼓判を押していただいたとはいえ、油断は出来ません」

「はい、ジイヤさん。そうしましょう」

 今の私には心強いことにジイヤさんもついている。あの大トカゲに出会ってしまえばそれまでかも知れないが、それでも誰かと一緒というだけでだいぶ楽になれた。


 勇気を振り絞ろう。今私に出来ることをするんだ。


「……いませんね、行きましょう」

 そうして私たちは、静かに駆けていった。



 ダキニさんが言っていた農機具小屋。トラクターなどの大型の機械ではなく、すきや鍬にスコップ各種、電動のこぎり等主に人の手で使う農機具を保管しているのがここだ。


 その前まで、たどり着いた。


「ここも、大丈夫ですね」

「ええ。装果さん、あの扉は確か中から鍵をかけられるタイプでしたよね。一旦声をかけて中に入れてもらいましょう」

「はい」

 ジイヤさんの慎重な案に私も賛成した。宗谷さんを含めまだお屋敷に入っていないメイド達全員を合わせれば、結構な数になる。一度体制を立て直す必要があるはずだ。


 もう一度あたりを見渡して、あの大トカゲがいないことを確認して走り寄って行った。


 ドアは案の定中から鍵がかけられていたので、中に聞こえるくらいの小声で呼びかける。


「装果です。助けにきました。あまり音を立てず、静かに中に入れてください」

 私の呼びかけに反応がない。もう一度、今度はもう少し声を大きくして呼びかけようとしたところで……。


 かちゃり、と鍵が開いた。


 ドアノブが回され、すっ、とドアが開く。


 目の前に、扉を開けてくれた宗谷さんの姿が映る。


「装果っ!」

 朝と比べて、ほんの少しの間に随分疲れてしまったようで、その顔に、疲労と緊張が色濃く浮かんでいた。


 だが、それでも私に向けられたのは笑顔だった。


「っ! 宗谷さんっ!」

 そんな健気な宗谷さんを見て、私の中で張りつめていた緊張の糸が切れた。ただただ無意識に、私は宗谷さんへ抱き付いていた。


 エプロン越しでも宗谷さんの温かさが伝わってくる。鼻を通り抜けるいっぱいの草の匂い。ああ、宗谷さんの匂いだ。うちの菜園の匂いだ。


「うっ! ぐすっ!」

「装果、大丈夫か」

 助けに来たはずなのに、何故か私が慰められている。これはちょっぴり情けない。宗谷さんの方こそ今まで怖くて不安だっただろうに、私が泣いてしまってどうすると言うのだ。


「だっ、大丈夫ですっ。ご、ごめんなさい。取り乱してしまいました」

 そう言ってちょっとだけ名残惜しかったけれど体を離し、精一杯の笑顔で応えた。宗谷さんはいつもの顔で笑った。それだけですごく安心する。


「皆さん、無事ですかっ!?」

 小声でジイヤさんが中にいた他の人達に声をかけると、中からは静かながらも歓声が上がってきた。


 顔をそちらに向けると、皆ほっとした表情を浮かべていた。パッと見た所みな怪我もない。人数は宗谷さんを入れて十人。丁度外にいた人たち全員ここに避難していたのだ。


「良かった、みんな無事なんですね」

 私が安堵の声を漏らすと、皆からも次々と声が上がる。


「装果ちゃんの方こそ、大丈夫だったのっ!?」

「ジイヤさん、助かりました」

「もう外のトカゲは薫さんがやっつけてくれたの?」

 皆それぞれ期待や不安を口にしながら寄って来た。そうだ、まだ終わっていないのだった。


「み、皆さん、お屋敷まで避難しましょう。あの大トカゲは薫さんとお嬢様たちが退治してくれていますが、数が多くて全部は手が回っていません。今は丁度この周りにいないので、今のうちに急いでお屋敷の方まで移動しますっ!」


 私の言葉で全員に僅かな緊張が走るが、皆それくらいは覚悟していたようで、すぐに頷いてくれた。


「じゃあ、行きましょう。出来るだけ静かに、目立たない様にしてついてきてください」

 宗谷さんを含む全員がそうして動き出そうとした直後……。


「シッ!」

 ジイヤさんの静かで、けれど緊迫した雰囲気に全員がぴたりと動きを止めた。息を潜めるようにしていると、ドアの向こうから、どし、どしと重たい荷物を地面に落としたような振動が、足の裏から伝わってきた。


 それが足音だと気付くのに、そう時間はかからなかった。


 ごくりと息をのむ。さっきまでの温かな雰囲気から一転、凍り付くような恐怖がこの場を支配した。誰もが緊張と不安と恐怖で顔を引きつらせている。


 すぐそばに、あの大トカゲがいるのだ。


「ッ……!」

 足音が小屋の前で止まる。ドアの前でじっとしているようで、動こうとしない。全員の不安が膨れ上がっていくのが分かる。私の頬を汗が流れ、震える手で自分の服をぎゅっと掴む。

 悲鳴をあげたいのをぐっとこらえ、泣き出したいのをひたすら耐える。心臓のどくんどくんという音だけが私の中でひたすらに大きく聞こえている。


 どれくらい経っただろう。永遠にも感じられる時間が過ぎて、再び足音がして、その足音が遠ざかって行った。


「はあ……はあ……」

 緊張の糸がほどけ、皆がふうとため息をついている。中にはへたり込んでいる人もいる。本当に、心臓に悪い時間だった。

「ここに入る所を見られてしまって。どうやら一匹、執拗にここを見張っているのがいるみたいなんです」


 宗谷さんが私とジイヤさんに教えてくれた。


「出てくるのを待っているようで、ああやって何度も傍までやってきては離れていくを繰り返しています」

「待ち伏せだなんて……厄介ですね」

「おまけに帰ってくる時間もバラバラで、すぐに戻ってくるときもあれば暫く帰ってこないこともあるんです。ですからここから出たくてもずっと出れない状況で」

 あの大トカゲ、見た目よりずっと頭がいいのかも知れない。この倉庫に入ろうとしないのは幸いだが、入口で見張られていては閉じ込められているのと一緒だ。


 ダキニさんなら離れた瞬間を見逃さずに脱出できるのかもしれないけれど、私達には無理だ。今どれくらい離れているかも分からないというのに、脱出を企てるのは無謀すぎる。


 そういえば、ダキニさんはどうやってあの大トカゲの位置を把握できたのだろう? やはり何か高度な魔法を使っているのだろうか?


「私にも、そんな魔法が使えれば……」

「装果?」

「あ、いえ、何でもありません」

 私はかぶりを振って自分の中に湧き上がった劣等感を否定する。今は私の実力不足を嘆いている時じゃない。


「……宗谷さん、ここって、台風の時に壊れた部分がありましたよね」

「ああ。一応補強はしてあるけれど、穴をふさいだだけだからな。壊そうと思えば、そこから入ってこられてしまうだろう」

 宗谷さんの視線の先。ドアとは反対側の壁の一角に、子供が一人通れそうな穴を大雑把に板で塞いだ跡と、それを隠すように半透明のビニールカーテンが引かれた部分がある。


 ビニールというといかにも頼りないと思うかもしれないけれど、一応工業用規格の間仕切りカーテンなので、ハサミなんかじゃ切れない位の硬さはある。倉庫の湿気問題の解決のために、風通しが良く、間仕切りも出来るという噂のビニールカーテンを導入したのだ。


 応急修理ついでの間に合わせだが、しっかりした材質なので将来的には農業で何かに活かせないかと宗谷さんは考えているようだ。


「こんな事なら、ちゃんと修理をしておくんだったな」

 宗谷さんはため息をつくが、この倉庫自体老朽化していて全体的にもろくなっている。台風で飛んできた物で穴が開いてしまうくらいだ。それこそ修理ではなくまるまる立て直す必要があるだろう。


 だからあの大トカゲに狙われたらひとたまりもないと思っていたのだが……。


「私達がここにいるのが分かっているのに壊されていないって事は、壊せるものだって思ってないのかも……それとも、実は力が弱い、とか?」

 私はあれこれと考えて、ひとつの結論にたどり着く。


「ここにあのトカゲを閉じ込められれば、脱出できるかも」

「え?」

 皆の視線が私に集まる。私は手早く、自分の考えをまとめて皆に伝えた。



「そんな、無茶な!」

 真っ先に反対したのは、宗谷さん。

「危険だっ! もし、もし失敗したら……」

「でも宗谷さん、どの道このままじゃ脱出できません。それどころか数匹まとまってこられたら、下手をすれば倉庫ごと壊されてしまうかもしれないですし」

 私の言葉に、宗谷さんはけれど、と納得のいかない様子で口ごもる。流石にいつもの気弱な感じであっさり折れてくれたりはしない。


「お嬢様たちや薫さんを待つという手もあります。でも、お嬢様たちの方だってそう簡単にはいかない筈ですし、薫さんだって相当苦戦しています。助けを待っているより、私達は私達で動かないと」

 私の言葉に全員が押し黙る。お嬢様たちや薫さんの様子を知っているのは私だけだし、このやり方でも危険な事には変わりない。簡単に決断できないのも当然だろう。


「お願いします、やらせてください」


 私は頭を下げた。


 本当はお嬢様たちや薫さんを待っていたほうがいいのかもしれない。けれども、もし今動かなければ取り返しがつかなくなるかもしれない。


 どちらも危険だというのなら、せめて自分の直感で信じたほうを選びたい。


「……無鉄砲な所は、お嬢様に似たのかもしれませんね」

 皆が黙っていた中でジイヤさんは一人そう言うと、苦笑いをした。

「頼もしい所も、最近よく似てきたように思えます」

 ジイヤさんは一歩前に進み出た。私の前に来て、いつも姿勢がいいのに一層かしこまったように、ぴしっと背筋を伸ばす。


 そしてそのまま、私を柔らかい笑顔で見つめた。


「こんな時でも装果さん、あなたに頼るしかない我が身が情けなくもあり、同時に嬉しくもあります。栃豊家の執事として、私は装果さんの提案を支持します」

 ジイヤさんの言葉に、宗谷さんも複雑な表情を浮かべながら私を見た。


「装果、あまり無茶はしないでくれ。頼もしくなったのは嬉しいけれど、頼れるときは、いつでも頼っていいんだからな」

「宗谷さん……」

「うん、無茶しないでね。装果ちゃん」

「私達も協力するから」

「一緒に頑張ろうっ!」

「皆さん……」


 皆の言葉に、私は心が温まっていく思いだった。


 皆が、私を頼ってくれている。頑張ろうと言ってくれている。


 ふと、大トカゲが初めてお屋敷にやって来た日の事を思い出した。


 お嬢様は自身も怯えながら、私を身を挺して守ってくれた。優しくて、格好良くて、心の底から頼りになる、私のご主人様。私のお姉ちゃん。


 私はお姉ちゃんとは違う。まだまだ未熟で頼りない見習い魔法使い。それでもあの日のお姉ちゃんのように、例え力及ばずとも立ち向かおう。


「はいっ、お願いしますっ!」


 ここにいる皆、全員で無事窮地を脱するために。

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